白猫でも黒猫でも

最近、「初の外国人芸者」として東京・浅草で活躍してきたオーストラリア出身の女性が、置き屋や料亭の加盟する東京浅草組合に独立の許可を求めたところ、拒否されていたというニュースがでていた。
女性は豪有力紙に「外国人であるという理由だけで認められなかった」と述べた。
新聞によると、そのオーストラリア女性は2007年に芸者デビューした「紗幸さん」で、置き屋の主人が病気になり、営業を続けることが困難になったことなどを機に「独立」の許可を求めたが、認められなかったという。
同組合は新聞社の取材に、日本国籍を有するという条件が規約にあるが、短期で勉強をしたいということだったので芸者になることを特別に認めた。そもそも独立は「想定」していなかったと答えたという。
紗幸さんは15歳で日本に来て、日本の高校、慶応大で学んだ後、博士号を取得したオックスフォード大で専攻していた社会人類学のフィールドワークがキッカケで芸者の世界に入ったそうだ。
紗幸さんは、「白人が芸者になるのは大変なこと。懸命に努力しただけに、とてもつらい」と語った。
本人は芸者を続けることを希望しているが、同組合によると、今年2月に所属する置き屋を「除籍」されたという。
数年前に、堀江貴文氏が口走った「想定内」というのがあった。
今年の頻出用語の第一は「想定外」であり、上記のようなニュースに興味ひかれるのも、紗幸さんには申し訳ないが、「想定外」のカサナリ具合による。
確かにオーストラリア人女性が、「プロの芸者」として生きていくことを本気で考えるとは、誰も思えなかったに違いない。
今、国技たる大相撲が外国人力士に席捲されている時代だから、ユーロピアン、アラビアン、アフリカンの芸者さんが京都の祗園を席捲しても、それを変だと思うこと自体ヘンなことなのでしょうか。
これは冗談の上の話ではなく、TPP参加という「第二の開国」があれば案外、現実的な話なのだ。

学問の世界では「既知」を前提とした理論であったが、政治学にも経済学にも「未知」や「無知」を前提として物事を考えようとする「傾向」にあるようだ。
例えば経済学では「逆選択」、政治学ではロールズの「マクシミン原理」などである。
ビジネスにおいては「予見のハズレ」をどうやってヘッジするかが、金融技術の発達を促した。
また法的な用語では、しばしば「予見可能」という言葉をよく聞くが、予見可能性とは、危険性があることを知っていたにもかかわらず対策をとらなかったとか、危険性を知り得る立場にあったのに怠慢から危険性について知らなかったため対策がとられなかったなどいった「違法性」を指している。
要するに「想定外」という言葉も「予見可能か」という問題で、それは賠償責任などに対して「免罪符」となりうるため、盛んに使われている。
こう考えると人間は、イカニ「既知」と「未知」との間で腐心しているかと思わせられるが、これからは「想定外」という言葉は自然災害対応ばかりではなく、様々な「生き残り戦術述」として考えなければならなくなってきているように思う。
ところで今年は「自然災害」の当たり年みたいだが、これから「想定外」という言葉が一番アテハマリそうな分野は、「外交問題」であるかと思う。
日本の「守護国」たるアメリカの力が「目に見えて」弱まってきていることと、日本には「外交不在」という言葉があるとうり、一番「対応」能力において劣った分野であるように思えるからだ。
その兆候は「尖閣列島」沖に於ける中国漁船船の衝突事件や、もう少し溯れば瀋陽での日本大使館への北朝鮮亡命者の駆け込み事件などにも見られる。
ところで、いかに法律というものが存在しても、それをクマナク遵守させる「実効力」を欠いている場合には、その法律の実質的な存在意義はなくなる。
そのことが顕著に表れているのが「国際法」であり、日本の国境における韓国の竹島、中国の尖閣諸島、ロシアの北方領土の「実効支配」がマカリっとおっているのもその例であろう。
それまで日本が領土宣言していても何も文句をいわなかった中国が、尖閣諸島周辺に石油その他の資源があることがわかると、急にその「領有権」を主張しはじめた。
国際的な法秩序では、過去にどんな条約を結んでいても様々な理由をつけて「あの条約は無効である」と主張される可能性はある。
だから国境などというものは、実はアルようでナイモノとはいいすぎだが、それほど「明瞭で確定的」なものではない。
新たに資源が見つかって価値があがり、あの島は自分の国のものだったと主張されれば、こちらが過去何百年に渡ってワガ領土だゾといい、他方はイヤ何千年に溯ればカノ領土だったゾといくらでもその「論拠」は探し出せるということだ。
日本本土だって古代に溯れば、少なくとも西日本ぐらいは中国の「属領」だったといわれウルのだから。
その「過去」への遡及がどこまで許されるか、ソノ基準はどうなのか、また「異なる政権」(特に革命政権など)が結んだ条約の「有効性」はどの程度継承されるかなど、様々な「不確定要素」がカランでくる。
ところで日本は憲法9条の「平和主義」を尊び、「大枠」はアメリカにその安全保障を委ねたが、前述の「国境問題」においては、少なくとも自衛隊という存在がソレを跳ね返すだけの「防衛力」はナイということだけは明らかである。
アメリカとしてもこうした「グレー」な国境問題に深入りして、アジア情勢の「大枠」を崩すことを望まないだろう。
沖縄県の尖閣諸島の日本の領海で、中国の漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した事件で、アメリカ政府高官は、それぞれの政府から数多くの働きかけがあったが、「アメリカ政府は領有権をめぐるそれぞれの主張について立場を明確にしない。この事件によって緊張がエスカレートすることは望ましくない」と述べた。
つまりアメリカは、この問題の仲介は行わず、あくまで日中間で解決すべき問題だという考えを強調した。
ここのところ、日本の「守護神的役割」を果たすハズのアメリカが経済力の停滞だとか、足元のテロの脅威に晒されていて、イスラム教徒の人権を足蹴にするほどの恐怖にサラサレている。
しかも日本の政権が自らアメリカの軍事的カナメたる沖縄からの「移設」まで要求するとなると、アメリカの「国内世論」だって変色していくのはサケられないだろう。
実は、日米安保条約第5条、第6条に基づき、有事の際には米国が日本のために動いてくれると思っている日本人が多いが、米国は1948年のバンデンバーグ決議を「理由」に、米軍のために武力行使のできない日本のために動くことは「許されない」ともいわれている。
このバンデンバーグ決議とは、1948年に共和党上院議員バンデンバーグが提案により米国議会が採択した決議で、米国は「自国の安全」に影響を及ぼす地域的・集団的防衛協定に参加すること、およびその協定は「継続的・効果的な自助と相互援助」の原則に基づくことを定めているという。
日本は軍事的な「自力」による周辺秩序の形成を選ばなかったために、周辺の「力関係」の変化をジット我慢して見守っていく他はない。
もちろん、国際政治の場に「主権」や「人権」の旗を掲げて訴え出るという方向性こそが一番ノゾマレルが、そういう抽象的理念は国際関係の力学ではどマスマス「実効力」を失っていきそうな気配がある。
特に、食糧や水やエネルギーの争奪戦では、国には「人格」にアタル「国格」などは存在しない。
何か敵対行為をやったらイカホドドの経済的損失をこうむるかなどという実効力のあるカードをどれくらいもっているかにっかっている。
要するに、日本の外交や軍事における「想定外」が起きる可能性は日増しに高まっているということだ。

ところで最近佐藤優という方がたくさんの本を書いておられる。佐藤氏は元外務省の国際情報局の主任分析官という仕事であったのだが、こういう「国際情勢分析」といった重大な仕事がどのようにナサレテいるか、気になるところである。
「国家戦略」はそうした「情勢分析」をもとにネラレのだろうから、単なる報告ではないはずだ。
寺島実郎氏が最近の本「脳の訓練」でドイツの大使館員大島浩の「情勢分析」のミスが日本をドイツとの同盟に導いた可能性が高いと書いていたを思い起こす。
ところで日本の企業、特に商社は世界中にモノを売ってきたので、世界情勢の分析が決定的要素となる。
戦前は三井物産の情報能力はCIAやKGBに匹敵するともいわれていた。
一企業がそれほどの「情勢分析力」をもったとは意外だが、国家以上に世界情勢が「死活問題」なのは企業なのだろうから、現場における情勢分析を行っているハズである。
実は前述の寺島実郎氏は「三井物産戦略研究所」の所長で、ネットで調べるとこの9月だけでも、 2011.09.12 レポート「2015年におけるASEANの姿」、 2011.09.12 レポート「大国を目指すインドと日印経済関係」2011.09.09 レポート「減速感が強まった世界経済」などのレポートを次々と出している。
ところで、日本現代の外交史の中で「想定外」という言葉が当てはまる場面はいくらでもあったであろう。
すなわち、国家の情勢分析ではまったく対応できなかったという事例で、1940年代に「欧州情勢は複雑怪奇ナリ」という言葉を残して「総辞職」した平沼騏一郎内閣である。
平沼内閣は、前の第一次近衛内閣の崩壊を受けて、枢密院議長の平沼騏一郎が組閣した内閣である。
日独軍事同盟の締結交渉を進めていたが、1939年8月23日に突然、ドイツ(ナチス・ドイツ)がソビエト連邦と「独ソ不可侵条約」を締結したため、自ら何ヤッテンダと総辞職した。
確かに日本がドイツと手を結ぶのも「対ソ戦」のためだから、ドイツがソ連と手を結んでしまったのでは、その努力は水の泡と化してしまうほかはない。
ドイツとしてはソ連が英仏と手を結ばれては困るのでいち早く手をウッタのだが、その辺の国際情勢を「傾向と対策」的にしか把握できなかった点に、その限界があった。
これからは、優秀ば官僚を育てるためには、大学の受験問題も「想定外」の出題が必要だ。
しかし世界情勢に対応できなくなったといってヤメタ内閣というのは世界にも類例がなく、そのイサギヨサについては、菅元総理も見習って欲しかった。
ところで平沼騏一郎は、2010年4月、与謝野馨らとともに新党「たちあがれ日本」を結成した 平沼赳夫氏の養父にあたる人物である。
最近、中国で首相まで出向いてきてスマップが大歓迎をうけて「世界で唯一の花」を歌ったが、日中関係の融和のために「国家的」受け入れとなったようだ。
日本の側には原発事故による大気や海洋の汚染などの「負い目」があったことも確かであろう。
だから尖閣列島沖の衝突事件後に、パンダがおくられたのと同じような役割をスマップが果たしたことになる。
しかしあの準オジサン・グループがそんなに中国で人気があったとは「想定外」だったが、「想定外」を絵に書いたような出来事といえば、ニクソンと毛沢東の時代の「米中国交回復」であったかもしれない。
想定外を表す強い言葉に「晴天の霹靂」というのがあるが、それがピッタリの出来事だった。
1971年7月15日、ニクソン大統領の訪中発表ほど日本政府に衝撃が走った。
事前通告は公式発表のワズカ3分前だったので一切なかったというのが正しい。
もうひとつ「米中国交回復」少し後の「金ドル交換停止」いわゆるニクソンショックも「晴天の霹靂」がピッタリの出来事だった。
自民党政府は、アメリカが同盟国日本の「頭越し」に中国と握手する事態など、予想もしていなかったのである。
背景には、当時フルシチョフ首相との間に巻き起こった「中ソ対立」があり、これまで友好関係を維持してきた中ソ間にも不協和音が生じ、中国がソビエト連邦とは一定の距離を置く「独自の路線」を歩みつつあったことがある。
そして、この米中正常化の最大のポイントは、日本との戦いでアメリカが長く援助した蒋介石が立てた台湾ではなく、従来敵国とみなされてきた毛沢東の共産党政権を「中国政府」と認知したということである。
アメリカはそれまで蒋介石率いる中華民国を中国大陸を統治する正統な政府として、中国共産党政府を承認していなかったが、この訪問で米中共同宣言を発表し、中国共産党政府を事実上承認した。
その後、ジミー・カーター政権時代の1979年1月にアメリカと中華人民共和国の間で国交が樹立された。
しかもそれを同盟国たる日本に何の相談どころか「情報」さえも与えずにイキナリ行ったということである。
しかし後から振り返ればその「予兆」というべきものはイクツカあったのは確かである。
1971年、アメリカはアメリカ人の中国旅行制限の撤廃し、米中直接貿易制限の緩和を行い、名古屋で開催の世界卓球選手権大会に参加したアメリカチームが中国に招待されて周恩来の歓迎挨拶が行われていた。
ところで、中国の事実上の最大権力者であった鄧小平の下で中国は「改革開放」路線を歩んできた。
最初に私有財産を認め、自分で作ったものを自分で売ることを国民に許した。
多くの農民は努力すれば収入が増えていったのので、多くの人民公社は解散された。
鎮郷企業と呼ばれる村や町の中小企業も様々な業種で生まれ、人民公社や国営企業をしのいで発展し、農村に商工業をもたらした。
世界で通用する製品を作り出すには、マネンジメントが必要で、消費者の好みを熟知し、低コストでつくり、世界に販売網があり、かつアフターケアができなければならなかった。
長年の計画経済に慣れ、消費者という概念すら理解できなかった中国国営企業は、マネンジメントの能力も資金力もなかった。
しかし「自由化」の更なる進展を目指した民衆の動きを力で押さえつけることになった天安門事件で、中国は世界の中で孤立し、それまでの「改革開放路線」ではモハヤ立ち行かないところまできた。
そこで中国は沿岸部を中心に「経済特区」を設けることにより、さらにギアを踏み込んだ。
税金はとらない。労働者はどんどんつれてきて、土地や農民は立ち退かせ用意する。
道路や電気も準備し、労働者もいくらでも連れてくるというものである。
これで、中国は日本よりもはるかに外国企業に開かれた国になった。
「ネズミをとるならば白い猫でも黒い猫でもイイ」という言葉に代表されるように、最高指導者の鄧小平は、貧富の差はついてもとにかく豊かになることをめざし、その後に「分配」のことを考えようとした。
結局、アメリカ企業は中国から労働と土地とを安く手に入れ、中国にはアメリカ企業そのものが持ち込まれ、世界で売るマネンジメント能力と巨大な資金が持ち込まれたである。
アメリカが弱いのはモノツクリの現場であり、労働コストは高く、品質でも日本にかなわなかった。ところが中国では優秀な労働力が信じられないほど安く手に入った。
そしてアジアにおける中国の位置は政治的意味ばかりではなく、経済的にも日本をシノぐようになった。
ところで今、アメリカと中国との経済的関係の「緊密度」は日本人が想像するよりもハルカに強い。
そして目には見えぬ、まして口にも出さぬが「米中経済同盟」さえ結んでいるといえる。
外交における今までの「想定外」な出来事、例えばアメリカが台湾を見捨てたことなどが頭をヨギッタのは、このこと故にである。
ふりかえって、日本の外交のなかで「想定外」な出来事は、アメリカとの関係でのことで起きている。
もちろんアメリカとのカカワリが一番深いからだが、ソレバカリではなさそうに思える。
いずれにせよ、外交では「傾向と対策」だけではダメそうだ。
「ネズミをとるならば白い猫でも黒い猫でも」という言葉は中国の開放路線にとどまらず、「想定外な」各国外交の「実際」をアラワす言葉に聞こえる。