ボーン・アゲイン

朝日新聞(6月10日)の「経済技術欄」は、時勢を反映していずれも興味深いものであった。
中国でも、日本で起きたハイテク・カンニングと同じようなことがおこっている。
受験生の一人がカメラつき携帯電話でテスト問題を撮影し、会場外の知人に送信し、解答してもらったということが発覚した。
中国の「カンニング機器」は相当すすんでいて受信装置を埋め込んだ財布や腕時計までが売られている。
そうした機器を販売した62人が拘束されたというニュースであった。
日本の企業が次々に進出している中国であるが、パナソニックがLEDを中心に中国で照明事業の拡大を「計画中」という記事があった。
また、自動車のナビゲーション・システムに使われる地図情報の最大手・ゼンリン(北九州)がインドへ進出するという記事もあった。
注目したのは、福岡県宗像市のロボット製造会社「アイテック」は、デンマークに今月下旬、現地法人を設立すると発表した。
日本の介護ロボットは高度であるにもかかわらず、複雑で多くの役所の認可の為に利用度が高まらないといわれていた。
デンマークは「労働力不足」解消のために、国内外のロボット技術指導に力をいれていれるために、日本産の介護ロボット「ロボリア」が実用への「第一歩」を踏み出すことになる。
ロボリアは「携帯電話」で操作でき、室内の様子を映し出す「見守り」ロボットで、実証実験を行い改善を加えていくという。
また、時間を要するジミチな努力(技術)も「ひと」のコーナーにあった。豊田倫生という電子図書館「青空文庫」を始めた人が紹介されていた。
著作権がキレ、しかもあまり書店では手に取れないような作品をひたすら文字入力した。
その「青空文庫」の仕事に賛同した約800人のボランティアが入力・校正作業を行ってきた。
1997年7月にスタートして14年かかって総数「一万」点を登録されたという。
豊田氏は、肝炎による長期入院のため、気を紛らわすように始めたのが、「青空文庫」のスタートであったそうだ。
豊田氏は現在59歳であるが、大好きな山本周五郎の「著作権」が7年後にキレルのが待ち遠しく、その「公開」に立ち会えたら、「本望」という。
文字だけが単純に並んだ「青空文庫」の中身をみると、作家が原稿用紙を文字を埋め終わったばかりの出来立て感さえある。
著作権フリーは、作者の死後20年を待って「自由化」されるが、出版物の「装い」を着せられ「著作権」で保護されてきた作品が、やっと「素」に戻った感じがする。
この記事を読んだ直後に、東ドイツの秘密警察の極秘資料が「復元」されているという記事が出ていた。
「シュタージ」はその40年の歴史において、国家による反体制派弾圧のための世界で最も効率的な機関のひとつで、冷戦時には27万人以上の要員を擁し、東ドイツ国民は東欧圏のなかでも最も過酷な監視下に置かれた。
今頃どうしてという気がするが、秘密警察関連の利害関係者がホボ亡くなったということもあろう。
しかし何といっても、コンピュータを駆使した「復元力」がものを言ったというのが大きい。
ドイツで旧東ドイツの秘密警察「シュタージ」が残した膨大な文書を「手作業」でパズルを組み合わせるごとく復元するには「百年」はかかるといわれている。
しかし、コンピュータを使った「復元プログラム」の開発が不可能を可能にした。
紙片をスキャナーで読み込んで、紙の色や大きさ、形、書かれた文字の色や形をといった情報を基準に自動的にグループ分けされる。
そして、隣合う紙片を見つけ画面上で「一枚の絵」に復元されるという。
1989年にベルリンの壁が崩壊し「シュタージ」が解体されてから、ほぼ20年が経過するが、シュタージが作成した「監視対象者」についての膨大な機密文書は、閲覧希望者が後を絶たない。
閲覧によって初めて、友人や同僚、家族がシュタージの「陰の協力者」であったことを知った人は多い。
また、これまでにシュタージのスパイであったことを自ら公表した人は数千人に達しているという。
これにより、身近な友人や家族の一員が密告していたり、シュタージの介入によって「人生が狂わせられた」ことが、今になってわかる。
しかし、「過去の亡霊」を蘇らせても、「失われた人生」までも回復させることは、なおさら困難なようだ。

ところで今日の「最先端」の復元技術は何といっても、京大・山中伸弥教授らの「iPS細胞」であろう。
山中教授は、ちょうど「シュタージ」の復元と同じようにコンピュータを駆使して、「ある条件」にカナウ遺伝子をさがした。
なにしろ60超組の遺伝子からそうした遺伝子を「絞りこむ」ことは不可能といわれてきた。
iPSの技術は、そうして探しだされた「4つ」(または3つ)の遺伝子によって可能になった技術といって過言ではない。
山中氏は自分が柔道やラグビーで10回以上骨折したので、スポーツ選手を助けようと神戸大学で整形外科医になった。
しかしインターン時代に手術の手際が悪いので、「邪魔中(じゃまか)」と呼ばれて、やむなく「臨床」から「病理」に移ったという経歴を持つ。
山中教授の実家は、大阪のミシン工場であるが、大坂市立大学の学生時代に、実家の工場の「在庫管理」を手伝った折に、膨大な部品を整理したことが、こうした遺伝子発見に繋がったという。
人間、何が「幸い」するかわからない。
iPS細胞の開発以前に、万能細胞ともいわれたES細胞というのがあったが、山中教授はES細胞で働くものの「分化」していない伝子が24種類あることをつきとめた。
こうした遺伝子を「転写因子」とよんでいる。
山中教授は、この24種類の遺伝子についてマウスの皮膚細胞を使った導入実験を行い、4種類の遺伝子を体細胞に導入するだけで、ES細胞とほぼ同じ性質のiPS細胞をつくれることを世界で始めて発見した。
さらに翌年にはヒトのiPS細胞の作成にも成功して世界を驚かせた。
ではそもそも、iPS細胞とはどんな細胞なのか。「誘導多能性幹細胞」の略であるが、その胚を育てると、色んな「臓器」になるというスゴイものなのだ。
人間は、約270種類、60兆もの多種多様な細胞からなりたっている。
脳の細胞は長く伸びて糸のようになっており、電気信号をある場所から別の場所へ伝える仕事だけを行う。
皮膚の細胞は丈夫で弾力を持ち、体を外から包む役割をする。
骨の細胞は内部にりん酸カルシウムをため込んで、体をガッチリ支えられるほど硬くなっている。
一般に「胚形成」とは、ただ一個の細胞(受精卵)が、それがなるように運命づけられた複雑な多細胞の生体へ変わっていくことである。
もしも、一個の細菌細胞を食物のはいった皿の中におくと、細菌は分裂して2個の細胞になる。
4個、8個、16個と分裂していきこうしてただ一個の細胞から生まれた子孫の細胞が集まったものを「クローン」と呼んでいる。
この皿から細胞を取り出して違うサラにおけば、同様なクローンがつくられる。
神秘的ではあるが、細菌にとってこのように分裂を繰り返すことは、それほど難しいことではない。
高等動物でははるかに複雑なことであるが、細胞には完全な新しい個体になるためのすべての情報を含んでいるので、元と完全に同じ固体をつくりだすことは理論的には不可能ではない。
しかし生物は完全な一個の個体になることはできるが、生物がすでに分化した細胞を元に戻してそして受精卵に生まれ変わったように、自分自身のコピーを加えるなどという「野心」まではない。
例えば、皮膚の細胞が元の「胚」にもどって筋肉の細胞になるということはしない。自然はそういうことに統制を加えているといっていい。
ところがちょっとした「人為」で、そういうことが可能であることを証明したのが山中教授である。
山中教授は皮膚細胞に4種類の遺伝子を加えてみたとろ、その皮膚細胞が変化して筋肉や神経・血液なといった体の様々な組織の細胞ができる「新しい細胞」となったという。
この「新しい」の意味は、「初期化」された(元に戻った)細胞ということである。

細胞の核に潜んでいるDNAは、細胞の設計図を提供することがわかっている。
実はすべての細胞は分裂する際に、すべてのDNA(情報)をもう一つの細胞にコピーする。
DNAがソックリ同じであるにもかかわらず、別の器官に「分化」してくというのならば、DNAの情報により必要な物(タンパク)質の発現が「促進」されるものと、「抑制」されるものがあるということである。
だからDNAを文字に例えると、「読み取られていく部分」に応じて器官が分化し、「特殊化」していくといってよい。
だから読み取られない情報は、「黒塗り」の情報をたくさんもっているということである。
つまりスイッチが入ったり切れたりすることによって「分化」と「特殊化」が起こっているということだ。
しかし問題は、どの細胞がどんな器官になるかをどうやってその指示を与えるのか、ということだ。
胚形成の過程で生じる細胞の「差異」について、自分達は皮膚の細胞になる、あるいは筋肉の細胞になる、あるいは神経の細胞になることをどのように決定しているのか、すなわちスイッチの「入る」「切る」の判断がどうなされているかについては、いまだに「未知の領域」である。
つまり生体のグランドデザインは、いまだに未知といってよい。
6月12日のNHKの特集は興味深いものであった。
最近、若さを保つ長寿遺伝子(サーチュイン遺伝子)というのが見つかったらいい。
問題はその遺伝子は通常「眠って」いて老化がすすむのだが、これを「ON」にすることによって「若さ」が保てるとした。
しかもそれを目覚めさせる方法というのはとてもシンプルで、通常よりも30パーセントの「カロリー制限」で、その遺伝子が「目覚め」るという。
酵素がふえ、筋肉のミトコンドリアが元気になる。
ちょっと意外だったのは、「免疫細胞」が老化の原因になっているということだ。
免疫細胞は一般に「病原菌」を攻撃するが、歳をとると敵味方を区別できなくなり、自分自身を攻撃し細胞を破壊するため「老化の原因」になるという。
ところがサーチュイン遺伝子が「ON」になると、そうした「免疫細胞」がオトナシクなるという。

さて、もう少し広い観点からiPS細胞の発見の意義について敷衍したい。
従来、「胚性肝細胞」ともES細胞ともいわれた様々な細胞に「変身」する力を秘めた万能細胞というのがあった。
しかし、ES細胞は「受精卵」の一部を壊して作らねばならないので、将来誕生するやも知れぬ生命を犠牲にするという「倫理的」な問題があった。
また人間でいうと、女性から卵子を取り出すのは危険であるという「安全上」の問題があったため、このES細胞の技術は、それほど大きな進展はみられなかったといってよい。
ただ、ソウル大学ファン教授が拒絶反応が起こらないヒトES細胞を作成したという発表があったが、研究成果そのものが「捏造」であることが発覚して大騒ぎになったのは、記憶にあたらしい。
また、iPS細胞において、皮膚細胞に入れる4種類の遺伝子の中には「発ガン」との関連が指摘される遺伝子を使わないと作製効率が大幅に落ちるという課題があった。
しかし、山中教授らは、「発ガン」との関連がない「グリスワン」という遺伝子を使えば従来よりも効率がよくなり、マウスなど100%がiPS細胞になったと発表した。
またiPS細胞は、本人の細胞から作製されるために、「拒絶反応」はないといわれ、まさに「夢の技術」が実現しようとしているのである。
前述のように、60兆あるヒトの細胞は、一個一個がすべて同じ3万個の遺伝子を持っている。
細胞はそれぞれの器官毎に分化されているので、3万個のうち「読まれない」遺伝子は「エピジェネティックス」と呼ばれ、黒で塗りつぶされるような状態だ。
その黒塗りが一瞬にしてクリアーされてしまうのが、「受精」の瞬間である。
卵子と精子も「黒塗り」だらけだったのが、「受精卵」となると奇跡のようにすべてがクリアーされ「初期化」されるのだ。
受精卵の細胞は段階的に様々な細胞に分化していくが、いったん分化してしまった細胞は元には戻らない。
ところがiPS細胞は、その「初期化」を受精時以外にも「人為的」に起こすことができるようになったわけだ。
復元というよりも「時間を逆回し」するといった感じさえある。
だからたった4種類(現在は3個でも可)の遺伝子を体のどの部分の細胞でも導入するだけで、体細胞の時間が巻き戻って「初期化される」ことを突き止めたことは、自然科学上の「大事件」であったいって過言ではないのだ。
実際に立花隆氏はiPS細胞の開発は、タイムマシンを発明したのと同じとまで言っている。
ところで、このiPS細胞の「医学的な」使い道は、主として二つである。
まず一つは、病気や創薬のための応用である。
iPS細胞はどの組織の身体のどの部分にも分化する能力を秘めているので、その細胞を使えば発病のメカニズムを明らかにできる。
つまりiPS細胞を「実験台」にできるわけだが、現在はそれよりも「再生医療」への期待が高まっている。
体の臓器を悪くしたら、自らの細胞で様々な臓器を作り出すことができるために、「臓器移植」をする必要がなくなり拒絶反応も起きない。
そういうわけで山中の教授の発見は、なにかトビヌケた発見である印象をもつ。
それは、あるゆる細胞に「変身」する可能性をもつiPS細胞が比較的簡単に作れるということである。
キリスト教でいうように人間が「知識の木を食べたがる」傾向も含め「原罪」というものがあるなら、しかもその「原罪」というものが、人間の遺伝子のどこかに書き込まれているのならば、それらをクリアできる方法はないかと思ったりする。
またiPS細胞の技術を見れば人間の「死後の復活」ということにさえ、想像がいってしまう。
しかし聖書では、罪が支払う価こそが死であり(ローマ人6章)、「罪」を解消するのは、遺伝子の問題などではなく、「救い」の問題としてある。
iPS細胞の開発のはるか以前から、その「救い」は示されていた。
ところが聖書は、その道は細くそれを見出す人は少ないともいっている(マタイ7章)。
またヨハネ福音書(3章3節)には「人は水と霊によらなければ神の国にはいることができない」とある。これこそが、「ボーン・アゲイン」の大原則である。
つまり、人間はスのままでは、神の国にはいる条件を満たすことができない、ということである。
また人は「罪の贖い」のためには、血を流さなければならないともある(レビ記17章)。
ところが、その血を代わって流したのがキリストで、「洗礼」はその血で洗われることを意味している。
人間の「救い」は、なぜニこんなにも簡単な方法とられるのだろう。
おそらく、善行や善良さ、刻苦勉励もしくは四国巡礼などの奮闘努力で、人間にまたもヤ「自分の努力で救われました」などとイワセナイための、神のハカライではなかろうか。