ハイリスク・ハイリターン

ユダヤ的宿命(預言)こそが、世界の運命を決するという「聖書的テーゼ」が現実的となりつつある。
日本の財政赤字、アメリカの公的債務、ヨーロッパの通貨危機と 「相次いで」金融通貨不安が湧き起こっており、それが同時進行だから、貨幣価値や資産価値の「逃げ場」をどこに求めたらいいのかワカラナイ感じがする。
こうなると20年ほど前の社会主義の崩壊は、しばしばいわれた「資本主義の勝利」を意味するものではないことが、いまや明らかになりつつある。
そもそも、「労働者の権利保障」などは社会主義の発展なしでは考えられないことであり、ムキダシの資本主義に対抗する意味では、それを抑止する力をもってきたのである。
ところで、資本主義の「市場万能」主義も社会主義の「計画経済」も、ミルトン・フリードマンやカール・マルクスやといったユダヤ人によって生み出されたものである。
政治システムまでを広く含めてみれば、マルクスの「共産主義」、フリードマンの「新自由主義」ということになろう。
両者は正反対のシステムだが、「共通」なのはWASP(白人イギリス系プロテスタント)などの「既得権益」が確立している分野で、ユダヤ人がハジケだされずに生きていくためのシステムを構築しようとしたものだったともいえる。
なぜならば両システムとも「平等」を追求したものだからだ。
ただし社会主義では「結果の平等」、市場万能主義では「機会の平等」を追求した経済システムであるということだ。
例えば、ユダヤ人Mフリードマンの出生について述べると、貧しい「炭鉱夫」の子供として生まれ、奨学金をもらいつつシカゴ大学を卒業している。
市場というのは、金をいかに運用し利益を出すかという世界であり、身分や出生は関係なく「規制」をトリハズセば完全に自由で平等な世界である。
ということは、「参加資格」における平等の追求が結果として「格差社会」を生んだことになるが、それをいうならば社会主義にもあてはまることである。
何しろフリードマンは医療や教育など、「生存権」が関わる分野においても市場を貫徹させる極端な「市場万能主義」を唱えた。
生存権に関わる分野でこそユダヤ人は差別されてきたというころをフリードマンがどのくらい意識していたかは不明だが、ある種の「ユダヤ的宿命」というものが身に沁みていたことは間違いない。
ところでユダヤ人が一番多く住んでいる国はイスラエルではなく、アメリカである。
アメリカは「機会均等」を建国の精神とした国だから、ユダヤ人にとって世界で唯一住み良い国である。
自由が与えられさえすれば、必ず頭角をアラワすのがユダヤ人である。
だからユダヤ人は規制が大嫌いで、中途半端に規制するくらいならばイッソ社会主義になった方がチャンスがある、と考えたかどうかはわからない。
ただ、ユダヤ人が生み出した両極端の「社会システム」を反映するかのように、ユダヤ人が操るグローバル金融の中心地アメリカでは「市場万能」がハバをきかす一方で、ユダヤ人の故郷たるイスラエルでの社会生活は、意外にも「社会主義的」なのである。
その最大の理由は1950年代のシオニズム運動でイスラエルに帰還人々は、ソビエトという社会主義圏から帰還したものがおおく、ソ連の集団農場に近い「キブツ」といった集団農場で生活を営んでいる。
ただし、キブツは国家管理されていているわけではなく、農業従事者の「自主管理」的要素がつよい。
またキブツは海外の旅行者をうけいれているのも面白い。旅行者にとってボランティアで宿と小遣い程度の金をえることができ、受け入れ側でも安くして働いてもらえばそれだけ利益になる。
それだけでなく、他国(例えばアラブ国家)から攻撃をうけるのをそれだけ防ぐことができるという「安全保障上」の理由もあるらしい。
こういうところにも、ある種「ユダヤ」的な宿命を感じざるをえない。
そして今、世界の金融技術で流行っているのは、「ハイリスク・ハイリターン」の技術であるが、それは「リスク」をおかさなければ「既得権益」と対抗できなかったユダヤ人の宿命があり、そこから導き出された「ノウハウ」が世界を覆ったといえる。
ユダヤ人が世界に離散した体験から生まれたものは、ユダヤ人的「宿命」から生まれたものであり、少数民族が生きるスベとして考案したことが、そんなに儲かるコトならばと、異邦人までマネてやったことが、今日の世界的危機の「元凶」なのである。
共産主義にせよ市場万能主義にせよユダヤ人が生んだものは、カリソメの「夢」を見させたが、世界全体にダメージを与え疲弊させる結果になった。
日本の平等社会も市場万能主義のツナミ的被害にもまれてきたし、「機会平等」をはかった規制緩和がどんなに「結果の不平等」を生み出したかということも教えられた。
民主党が政権をとったのも、小泉政権による「生存権」までもおかす結果となった「市場万能主義」に対する批判が高まったからに他ならない。
かつてイザヤベンタソンは、日本人とユダヤ人を「対照的」にとらえたが、あえて「共通点」を探すとすれば、両者ともに伝統的に「教育指向」が強かったことがいえる。
ユダヤ人はシナゴーグで子供達を幼きより教育していたし、日本も寺小屋教育の普及は相当なもので、江戸時代における「識字率」の高さは世界最高水準になっている。
ただユダヤ人が世界を流浪したがゆえに、どこに移住してさえ生きて行けるために「教育」を重視したのはわかるが、鎖国体制の日本にあって「教育」を重視したのは実に興味深いことではあった。

実は今日はやりの金融技術を開発したのは、大概ユダヤ人であるが、ユダヤ人は中世から「ギルド」(同業組合)からシメダサれてきた。
ギルドは同業者の「誓約」で成り立ちキリスト教会が介在していたので、ユダヤ人は様々な職業が事実上シメダされてきたことになる。
そしてキリスト教徒から卑しいとされた「金貸し業」で生計を営むようになったが、そのうちに国王などにも金を貸すロスチャイルド家などが大きな力をもつようになった。
ユダヤ人が生きるスベはそれしかなかったのだが、金融が今日のようにグローバル化すれば、ユダヤ人が生み出した新しい金融技術が世界を覆い、ユダヤ人の情報網とノウハウなしではヤッテイケナイ処にきている。
そして、ますますユダヤ人の世界支配は強まっていヤに思えたが、最近ではその「破綻」の方がメにつくようになったが、その破綻の原因の種子は「ユダヤ的宿命」によって蒔かれたモノではなかっただろうか。
それを明らかにする為に、ユダヤ人が打ち立てた金融制度または「ノウハウ」のいくつかのメルクマールを次に敷衍したい。
「政治経済」の授業では、銀行全体でみれば「預金通貨」が銀行の「現金準備」に対して何倍も拡大していく「信用創造」がある。
これは銀行が手持ちの「現金準備」がわすか5パーセントで残り95パーセントを様々な形で運用することによって起こる「摩訶不思議」であるが、この話はあくまで「二幕目」の信用創造である。
第一幕の「信用創造」は金本位制度の始まりソノモノであり、こちらの方がさらに基本的なものである。
近代の通貨制度では、(預金通貨ではなく)「現金通貨」の信用創造の産物なのである。
ヨーロッパ中世、当時のユダヤ人金匠は、客から金を預かることが多く、預かった時は「預り証」を発行した。
預り証をもってさえいれば、いつでも金と交換できるので、「預り証」が金の代わりとして流通するようになった。
つまり、「預り証」が通貨になったのだが、金匠は面白いことを発見する。
「預り証」をもってきて金を引き換えにくる客というのは、全体のうちでほんのわずかである。ほとんどの客は、金を金匠に預けっぱなしなので、その金を保有しているダケではもったいない。
金を引き換えに来る客の(確率的な)分だけ金をストックしておき、ほかの金は他の客に売ったり、預り証を二重に発行すれば、保管している金の何倍もの資産をつくることができる。
要するに金匠は、保持する金の何倍もの「預かり証」を発行する技術つまり「信用創造」を開発したのである。
株式会社もやはりユダヤ人によってつくりだされた。
ヨーロッパで利益が大きいとされた「東方貿易」にでかける船は膨大な利益をもたらすが、その船はといえば荒波や海賊におそわれつつ海をかけていくため、スベテの利益だけでなく命さえもパーになってしまうリスクがある。
だからこの危険な船の出港に当っては全額リスクを負うという人々はなかなかでず、出資を「何口」かにわけて、その出資額におうじて、利益をわけるようにしたのである。
実は株式会社のはじめといわれるオランダの東インド会社とはそうした発想からうまれたものである。当然会社は、船を守って航海するための軍隊ももっていた。
あまりいわれていないが、こうした株式会社の形態というのは、キリスト教社会において利子が長く禁じられていたということと無関係ではない。
金を借りたりかしたりするのではなく、株式の出資というカタチをとるのである。
どの国の貿易会社でも、貿易航海をおこなうたびに資金や人員を集めていた。
そして、航海を終えてヨーロッパに戻ってきたら一旦「清算」し、利益と一緒に資金を出資者に払い戻していた。
しかし、この方法では、会社を大きくしたり組織を維持したりすることが出来ないために、競争に打ち勝つためには、恒常的にい大きく強い組織が必要となる。
そこで、東インド会社では、出資者に資金を払い戻すことをやめて、その資金で事業をツヅケた。
とはいえ、それでは出資者には何のメリットもなく、そこで出資者に対しては元手を返すかわりに、事業をして得た利益を定期的に分配した。
更に、自由に売り買いできる出資の証明書(株式)を発行して、会社からの払い戻し以外の方法で出資金を取り戻せるようにした。
こうしてオランダ東インド会社は多額の資金を集めることができるようになったのである。
つまりオランダ東インド会社は、歴史上初めて株式会社という仕組みを導入し、大成功を収めることができ、この会社の成功を見て、ライバル関係にあったイギリスの東インド会社もこの仕組みを取り入れ、むしろイギリスの方で、「株式会社」の仕組みは発達していく。
そして、株主達の意見を経営に反映する株主総会が採用され、株主への配当は利益だけからおこなうことが、はっきりと定められるようになった。
この経営を記録して報告する仕組みも、会計や簿記の仕組みとして確立していくのである。

金融理論のなかに「ポートフォリオ理論」というのがある。
様々な金融資産の「収益率」とその「期待値」(=実現の確率)をドノヨウに組み合わせて保有すれば最大の「収益期待値」が得られるかという理論である。
こここで、金融資産の選択者が危険を愛好する者か危険を回避する者かという「選好性」が問題となるが、通常の「ポートフォリオ理論」では「危険回避者」を想定して結論(=解)が導きだされる。
ところで、最近強の傾向として次々に「ハイリスク・ハイリターン」の金融商品開発されているということである。
身の丈を超える、というより身の程しらず、というホドの仕組みが生み出され、そこに特段の「規制」がカカルこともない。
これでは、Mフり-ドマンが唱えた「市場万能主義」というよりも、「市場横暴」主義のようにサエ思えてくる。
ソノ典型が「サブプライム・ローン」で、結果が出てしまって考えてみるとゾッとする中身である。
アメリカでは2000年代に入って「住宅バブル」がおきていた。日本の土地バブルにいて「住宅は必ず値上がりするので、住宅を買えば必ず儲かるという時代だったのである。
そこでこれまでならば融資を断られていたはずの低所得者でも、住宅ローンを受け取れるようになった。
低所得者でも借りられるように当初は返済金を少なく設定するが、住宅の値上がりを前提として、数年後には返済金がハネアガルように設定した。
それでも、売却すれ「大儲け」できする筋書きだった。
しかし2006年頃に、住宅は値下がりはじめたので、当初の「前提」がくずれ、「筋書き」そのものがナリタタナクなったのである。
これまでなら、金融機関とローンの受け手である住宅購入者の問題ですんだであろうが、これまでと違うのはあらゆる債権が証券化されて、金融市場に流れていたのだ。
つまり、サブプライムローン(低所得者むけ)も、融資した金融機関が別の投資家にすでに売り渡していたのだ。
結局、金を貸した人は世界中の「不特定多数」多数に及んだことになる。
さらに、タチの悪いことにリスクの高い債権だけでは買い手がつかないので、リスクの低い債権とをまぜて売るという、「ブレンド米」並みの詐欺マガイの行為であった。
さらに金融の世界で、最近よく「レバレッジ」をキカせるという言葉を聞く。
レバレッジというのは本来「テコ」とか「ギア」を意味する言葉であるが、10倍のテコギアを入れると、手持ちの100万円だけで1000万円のオカネを借りて運用できる。
成功すれば膨大な利益を得ることができるが、失敗すればとんでもない損失をこうむる。
要するに「ハイリスク・ハイリターン」の典型的手法であるが、これを多用したのが、破綻したユダヤ系投資銀行のリーマンブラザースであった。
しかし優良企業がなぜこんな冒険をするのだろうかという気がするのだが、グローバルが進展するにつれて、投資家の資金の運用先は広く多様化している。
そこで、少しでも利益に陰りが見えると、投資家は資金を引き揚げて別の投資先に移す為に、常にギアを一番高いところに設定して、高速に「稼ぎ」を出さなければならないことになる。
この「レバレッジ」というカタチで広がった危険な賭けにともない、企業のM&Aが広がっていたことを忘れてはならない。
企業買収の際に使われる手法がLBOすなわち「レバレッジド・アウト」である。
これはある銀行を買収する目的で銀行に融資を頼む。銀行は借り入れるひとではなくて、買収先の会社の価値を見て融資するかどうかをきめる。
ということは、借りる人が無一文であっても、企業買収をまとめるあげるだけのノウハウを持っているひとならば、膨大な金を借り受けられるのだ。
だから銀行が金を貸すポイントは、借り手の能力とターゲットとなっている企業の担保価値だけということになる。
このLBOによって、企業買収は加速度的に増加したのである。

旧約聖書で神がアブラハムに与えた預言どうりに、その子孫たるユダヤ人は「世界に富」をもたらしたことは、明白である。
一部の若者に熱狂的に支持されていたビートルズを見つけ出し、皮ジャン、リーゼントをやめさせ、スーツにマッシュルームカットに生まれ変わらせて売り出したプロデューサーであるブライアン・エブスタイイン、カリフォルニアの片田舎で繁盛していたハンバーガーショップをチェーン展開させ、世界一の外食産業に育てたハリー・J・ソナボーン、またシアトルで人気のあったスターバックスを「バー形式」の店舗にすることで爆発的にヒットさせたハワード・シュルツもユダヤ人であった。
さらに、コンピュータオタクにすぎなかったビル・ゲイツにビジネス手法を教え、マイクロソフトを世界企業に育てたのは、スティーブ・バルマーというユダヤ人である。
彼らは、「石」の中から「玉」を見出し、「宝石」に育てあげる 名人であった。ちなみに「宝石」を意味する英語「ジュエリー」は、ユダヤ人を意味する「ジュー」からきている。
しかし、そのユダヤ人も身に帯びた「宿命」ゆえに生み出した金融制度は疲弊し、その「ノウハウ」が今や世界を危殆に瀕しめている。
となると、ユダヤ人ソノモノが、世界にとって「ハイリスク・ハイリターン」のように思えてくる。