苦よもぎ

福島原発第1号機で、「炉心溶融」(メルトダウン)が起きていたことが公式に認められた。
となればフクシマの原発事故は、実質としてもチェルノブイリの原発事故と「同レベル」の事故ということができる。
事故終息への「工程表の見直し」の話が出ていたが、「情報公開」と政府への「信頼度」が重要なカギとなるように思う。
振り返ってみれば、チェルノブィリは「ソ連崩壊」への序曲だった気がする。
どんな政府も、災害時に国民の命や生活をどこまで守りうるかという「信頼性」が損なわれれば、旧ソ連で起きた崩壊を日本も「後追い」せざるを得ない、ということである。
ゴルバチョフ大統領のペレストロイカ(改革)も、チェルノブイリの原発事故を通じて、一つのエポックを迎えた。
つまりこの事故は、ソビエトという国家の「内実」を国内的にも対外的もサラス結果となったからである。
結局、ゴルバチョフがいかに有能なリーダーであったとしても、ソ連はどうにもならない部分でコリ固まっている国ということであった。
そこで種々の社会問題を解決するためには、多くの知識人の力が必要という認識が生まれ、言論・思想・集会・出版・報道などの自由化・民主化が行われた。
1986年までには、一部のテレビ・新聞がソ連社会の問題点を率直に批判するようになった。
ブレジネフ時代に上映を禁止されていた映画が次々と公開された。党の統制下に置かれない市民団体の結成などもみられた。
それまで西側にとって秘密のヴェールにつつまれていた軍事面の情報も徐々に公にされるようになり、ソ連邦の民主化に大きく貢献した。
要するにグラスノスチ(情報公開)が本格化したのだが、困窮する民衆の生活とは別世界のような「赤い貴族」と呼ばれる共産党幹部の暮らしや汚職なども暴かれて、国民の「反共産党感情」を一気に高め、最終的には「ソ連解体」へ向かっていったのである。
要するに原発事故が「大変革」の前兆となったわけだが、たとえ日本のような民主国家であっても政府が国民の命(生活)を守らない、乃至その能力がナイことがわかった時点で、国家そのものが「溶け出す」懸念もある。
ところで、日本では官房長官が「福島原発」の廃炉について言及したが、「廃炉」はけして事故の終息を意味するものではない。
チェルノブイリでは、事故を終息化するために上空から大量の砂、粘土、炭化ホウ素を、鉛などが投下された。
砂や粘土は消火のために、鉛は炉心の冷却のために、そして炭化ホウソは、核分裂で発生する中性子を吸収させ核分裂反応を停止するために使われた。
どこかの国のように、アメリカに単にヤル気を見せるためだけに上空からムダに放水したわけではない。
さらに、崩れた原発自体をコンクリートで完全に覆って放射能を閉じ込めてしまうことになった。そして、幅100メートル、奥行き100メートル、高さ50メートルにものぼる巨大な「石棺」とよばれるものが出現した。
しかしこの「石棺」は気密になっておらず、意図して140箇所もアナが空いている。
内部で依然として「発熱」が続いていて「喚気」する必要があり、フィルターを通じ内部の空気を外部に出す必要があるからだ。
また発熱によってコンクリートの「劣化」がすすみ、このままではいずれ「石棺」の崩壊がおきる。
このために全体を、もっとも大きな「石棺」でおおってしまうという案が検討されているという。
しかしそうすると、半永久的にこの「石棺つくり」が繰り返されることになる。
あるシミとり職人が言っていた。ほとんどの仕事は立派な「形を残す」ことによって評価されるが、我々の仕事は「跡形も残さない」ことによってイイ仕事とよばれる、と。
原子炉の「廃炉」は、そんな「イイ仕事」は望めない。
また原子力関連情報は世界で正しく伝わったタメシがないようである。だから「風評被害」も深刻となる。
最近、東京電力は夏場の供給量が需要に追いつかないことをコトサラ強調し、企業や家計に大規模な「節電」をよびかけている。
ある記事によれば、休止中の「火力」や「揚水」発電を稼働させ、「自家」発電を加えれば、昨年の電力消費量をカバーすることはできないことはないという。「節電」のネライはむしろ、原発の必要性を「担保」するために、電力の可能供給量を意図的に少なく見積もったとしか考えられないという。
日本は地震と津波いっぱいの国だから、あたかも「ロシアン・ルーレット」上で生活を営んでいるようなものである。
そんな中、相変わらず原発に依存して生活するとなれば、正確な情報こそが「命綱」なのである。
つまり、正しい情報が充分に公開されないとは、真実を知らせて社会不安に陥れるよりも、何も知らないまま「逝ってくれ」ということにしかみえない。
実はそれこそが、ソビエト政府がチェルノブイリ原発事故でとった対応策であったといって過言ではないのだ。
ことの発端は、1986年4月28日スウェーデン・ストックホルムの北方100キロにあるフォルシュマルク原子力発電所で、施設内に設置してある検知器が異常な高レベルの放射能を感知したことである。
少なくとも「ロシアより覚悟をこめて」発信された情報ではない。
爆発がおきても付近住民には何も知らされず相変わらず釣りを楽しんでいる人々、消火に向かう人は防護服も着ず、瓦礫と化した「黒鉛」を蹴って遊ぶ作業員など、写真で見るその姿に「唖然」とするばかりである。
もちろん、「原発反対運動」なんて存在するはずもない。
事故発生が4月25日で、翌日の午後から3キロ離れた市の市民に対して初めての「退避命令」が出た。
その市は人口5万人で、そのほとんどが原子力発電所およびその関連施設で働いている人々である。
すぐに帰宅できるので「3日分」の食糧以外持ち出さないようにと言われたという。
そして避難のために、バス100台が用意されたのだが、「すぐに帰れる」というのはハナから虚偽の情報であった。
だからといって全財産を持ち出せと言ってしまえばパニックになり、避難はスムーズに行えなかったかもしれない。
ほぼ二週間後の5月6日に、原発の周囲30キロ以内に住む13万5千人に対して、「避難命令」がでた。
しかし人々の行き先は、原発からわずか40キロの所であって、ここでも危険認識のアマサまたは住民軽視が感じられる。
ペットを連れていくことは許されず、犬は野犬化するのを恐れて、すべて銃殺された。
12月には避難地域は50キロに拡大されたが、結局、避難民は「永久」にふるさとに帰ることはなかったのである。
旧ソ連の「グラスノスチ」(情報公開)がいかに「掛け声」だけのものであることは、はからずも原発事故によって明らかになり、体制崩壊の「加速材」となったともいえるだろう。
ところで、「知らせず」という官僚制の弊は、日本もソ連も共通している。
しみついた秘密主義、無責任体質、国民の命や健康への配慮よりも社会不安の増大への恐れ、官僚の失敗が明るみに出る恐れなどがその原因である。
ソビエトの場合、究極的には「体制批判」 が勢いを増すことを恐れたのである。

さて、チェルノブイリの放射能は風にのり、ソビエトよりもハルカに危機意識の高いヨーロッパにも広がりはじめた。
これからの展開は、フクシマのこれからの可能性としても銘記すべきことである。
放射能物質は甲状腺に蓄積され甲状腺癌を発生させる。
防止策はヨードをのむことであるが、各地はヨードを求める人々で大混乱となった。
(ちなみに、千葉県は世界的なヨードの産地である)
また放射性物質は地上に降り草を汚染するために、草を食べる牛が汚染される。
(今、磐城相馬あたりで起きていることだ)
スウェーデンでは、しぼったばかりの大量のミルクが廃棄された。
トルコでは茶の葉に汚染が見つかり、茶の輸出に影響がでた。 (今、神奈川県で起きていることだ)
さらにギリシアでは、心理的パニックも含め、胎児への影響を 考えてか、「妊娠中絶」が激増したという。
(日本国内ではそこまではいっていないが、充分に不安は広がっている)
しかし、こうした原子力関連情報の「未公開」がもたらす被害は、ソ連よりアメリカの方がはるかに先輩である。
1950年代から60年代初頭にかけて何百回と行われたネバダ州の核実験で住民達の声が届き始めたのはそれから30年後のことである。
ジャーナリストの広瀬隆氏は、「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」という本で、そうした事実を明らかにしている。
アメリカで科学者グループが実施した調査によると、実験をおこなった4年間に全米で発病した乳癌の3分の2は、原発または核研究施設から約160キロメートル以内の地域の住民だったという。
アメリカはかつて、サダムフセインが「大量破壊兵器」をもているとイラクに侵攻したが、本当の大量破壊兵器は、実はアメリカ国内にあったということだ。

チェルノブイリとフクシマを比較したとき、原発自体の「ツクリ」の違いが、事故の性格を違うものにしている部分もある。
日米の原子炉では、一つデカイのが中心に居座っているが、ソ連型は小さな原子炉が多数集まってひとつの炉を形成している。
古墳でいえば、円墳と群集墳の違いである。(たとえ悪すぎ)
また「減速材」としては水ではなく黒鉛が使われており、「黒鉛型」とよばれている。
さらに、運転をコントロールする「制御棒」を収めるチャンネルが211本もあり、原発の運転を止めずに「燃料棒の交換」をできるという「メリット」がある。
日米の原子炉だと運転全部を止めないといけないが、チェルノブイリ型だと、ひとつのチャンネル炉を「吊り上げ」て燃料を交換すればよい。
取り出された燃料棒からはプルトニウムが取り出しやすく、核兵器の大量生産を進めていこうとしていたソ連にとっては便利だったのである。
一般に原子力発電の基本は、燃料棒は原子炉の中の水の中にはいっている。
燃料棒は核分裂を起こすことで高い熱を出すが、この熱で周りの水が熱せられて沸騰し、水蒸気になる。
この水蒸気を発電機のタービンにぶつけてタービンをまわし、電気を発生させていくというものである。
この際に、水は単に熱を伝えるという動きをするだけではなく、ウランの核分裂で発生する中性子の速度が遅くなると、ほかのウランに中性子があたりやすくなり、核分裂が促進される。
中性子の速度を遅くする働きをしているので、「減速材」とよばれる。
もしも原子炉の内部の水が事故で失われると、燃料棒の熱を水で奪うことができなくなるため、燃料棒が過熱状態になる恐れがある。
しかし一方で、水がなくなると「減速材」が無くなるということだから、中性子が近くの別のウランに衝突しにくくなり、核分裂の連鎖反応が抑制される。
つまり「減速材」に水を使うことで、万一の事故の拡大を抑えるという働きがある。
たがチェルノブイリ型には「設計上」の難点があった。
一つは「減速材」が黒鉛だから水の量は少なくてすむ。ただ水が万一失われると、黒鉛はそのままだからか過熱状態をひきおこしやすい。
そして中性子を吸収する制御棒の先端部部に黒鉛がはいり、制御棒が正しく奥まで到達すれば問題なく核分裂を止め運転を停止するが、奥まで達しないと停止するどころか暴走させる危険性があった。
そして過熱した水蒸気から発生した水素が爆発し、巨大な爆発が原子炉を粉々にし、原子炉内部の放射性物質が外に飛び出したのである。
ところで「電気を起こす」とはどういうことか。
すべての物は、原子からできている。
原子の中には、原子核と電子があり、金属の中ではこの電子が原子から飛び出し、自由に動き回っている。
この自由電子は、マイナスの電気をもっているので、金属でできた導線を電池につなぐと、自由電子はプラス極のほうにいっせいに動く。
つまり、この自由電子の動きによって電気が流れることになるわけだ。
また、「磁石」の周りには、目に見えない力が働いていて、この力は「磁力線」として表されている。
この磁力線を横切るように「導線」が動くと、導線の中に電気が起きる。
このことは、1831年にイギリスの科学者ファラデーが発見し、「電磁誘導の法則」と呼ばれた。
この電気の起きるしくみを使った装置が「発電機」である。
発電機とは、コイルとコイルの間で磁石をまわし、周りのコイルに電気を起こすわけである。
この磁石を回す役割をしているのが「タービン」で、原発も同じ原理で電気が起こされている。
フクシマとチエルノブイリを比較した時、前者が「自然災害」の比重が高いのに対して、後者は「人災」の比重が高いということはいえる。
原発には緊急炉心冷却装置というのがついているが、トラブルがあったらタンクか大量の水を送り込み冷却する仕組みになっている。
チェルノブイリでは、定期点検をするために運転を停止することになったが、「冷却システム」を切断して行われた。
緊急事態と誤認して冷却装置が作動することを心配したからである。
電力需要が高くなかなか予定の時間になっても停止できず、深夜になってようやく「停止指令」がでた。
このことが作業員の気持ちに微妙な影響を与えていた。
経験が浅く苛立ち気味の深夜勤務員だけで点検がおこなわれた。
運転手の操作ミスで急速に出力が下がり、出力を無理やり上させようと、運転員は原子炉の中に入れていた「制御棒」を、安全上の規定に違反して大量に引き上げたのである。
原子炉を冷却するポンプの力は落ちており、冷却水自体が沸騰しはじめた。
26日深夜に「緊急停止ボタン」がおされ、燃料棒が一斉に水の中に入れられたが、燃料棒には設計上、上述のような欠陥があったのである。

世界で唯一の被爆国で「平和憲法」を保持する日本で大きな原発事故起きたとは、ペレストロイカのソ連でチェルノブイリ事故が起きた以上に「皮肉」なことであったともいえる。
それどころか日本は原発輸出大国を目指していたのえある。アメリカは、スリーマイルアイランド事故以来30年以上も原発の新規建設が禁止されていたアメリカは、技術を海外から輸入する必要があった。
一基300億円以上のこのビジネスに白羽の矢があたったのが、当時世界最高の技術をもつ日本のメーカーであった。
2006年東芝は米国内の原発企業であるウェステイングを買収し、ジョージア州の大型原発二基分の建設計画を受注した。
受注総額は7000億円にのぼったという。
他に受注を競っているのが三菱重工やGEと提携した日立製作所で、これくらいしか巨大原発を生産できる企業はないという。
とはいっても、最近進境著しい韓国や中国とも争い、受注競争において日本が敗れるケースも増えている。
ところで新約聖書の「ヨハネ黙示録」8章には一つの預言がある。
「第三の天使がラッパを吹いた。
すると松明のように燃えている大きな星が天からおちて、川と川の三分の一と、その水源の上に落ちた。
この星の名はニガヨモギで、水の三分一が”苦よもぎ”のように苦くなって、そのために多くの人が死んだ」
「苦よもぎ」の英語名の「ワームウッド」は聖書でエデンの園から追われた蛇がはった後にこの植物が生えたので、「虫の草」すなわちワームウッドとなったという。
ちなみにロシア語で"苦よもぎ"にあたる言葉が「チェルノブイリ」である。