人道に対する罪

今日はグローバル社会で一つの国ですべてをつくることはしない。
例えば、イギリスの「バーバリー」のレインコートは、日本で作っているが、バーバリー社は日本の会社を指導し、製品を点検するだけで生産には直接タッチしていない。
しかし「デザイン料」と「ブランド料」はタップリ吸い上げる仕組みができている。
日立や富士通のコンピューター製品も、そのパーツ・パーツはほとん、台湾や中国やベトナムで作られているものである。
外国で作られたパーツを集めて、国内で組み立てて箱にいれれば、後は「商標」を押すノミである。
「ブランド」としての品質が保障サエできれば、それが一番合理的なヤリ方なのだろう。
そかし、この方法は新しいものでもなんでもない。
日本では大正初期から昭和40年代にかけて、セルロイド素材の生活雑貨や玩具などが生産されていた。
そして、大正から昭和初期にかけて海外に輸出され、1937年には、日本のセルロイド玩具の生産数は世界1位となっている。
特に東京葛飾区では、セルロイド玩具の生産が盛んで多くの工場が存在していた。
昔懐かしのマテル社製「バービー人形」は、初期生産において「メイド・イン・ジャパン(カツシカ)」であった。
しかし1950・60年代の日本の人件費が安かった時代が終わり、日本においてはリカちゃんに押され、販売不振から撤退を余儀なくされた。
1970年代以降は東南アジアのインドネシア、1980年末期から中国での生産へとシフトしている。
さて、鄧小平時代による改革開放の1980年代、「豊田通商」が日本の農業技術、主に「点滴灌漑」という技術を導入。これをきっかけに、新疆ウイグルでは生産効率が高まり、綿花生産ではアメリカの大規模農場の2倍の生産効率となった。
ちなみに、「豊田通商」はトヨタグループの総合商社で、点滴灌漑では、水源から作物までチューブで灌漑水を移送し、文字通り「点滴」のように根本へ滴下して給水する方式である。
それから40年、今日では欧米を中心に「新疆綿」の使用が問題視されるようになった。
きっかけは、2018年頃から欧米のメディアで中国政府が「新疆ウイグル自治区」でイスラム教徒が大部分を占める少数民族ウイグル族を収容施設に収容し、民族迫害をしていると報じられるようになったことだ。
そして2021年6月、「新疆綿」をめぐって新たな事態が生じる。
フランスの検察当局が、ユニクロのフランス法人などフランスで衣料品や靴を販売する4社に対して、「人道に対する罪」に加担した疑いでが捜査を始めたことがわかった。
報道によると、捜査対象となったのはユニクロのほか、ZARAを展開するスペインのインディテックス、米靴大手スケッチャーズ、仏SMCPなど。
これに先だって4月、人権問題を扱うNGOなどが、ウイグル族らが労働を強制されている工場で作られた製品を扱っているとして4社を告発していた。
「新疆綿」とは、新疆ウイグル自治区で栽培される綿(コットン)で、世界の綿生産量の2割を占める“中国の誇り”である。
コロナ禍前の世界の綿花生産量(2018〜19年)トップ3は、1位が中国(604万トン)、2位がインド(535万トン)、3位がアメリカ(400万トン)で、中国は全世界の生産量の23%を占めている。
また、新疆の綿花生産量は中国生産分のうち84.6%に達しており、新疆綿は、世界の綿生産量の19.8%を占める巨大産業なのである。
ユニクロを展開する「ファーストリテイリング」は5月、「生産過程で強制労働などの問題がないことが確認されたコットンのみを使用している」とのコメントを出している。
ユニクロや「無印」はどこの農場や工場で作られたのかを把握しているが、大半のアパレルのトレーサビリティはそのレベルまで到達していない。
今後、「新疆綿を使うな」ということになれば、日本のアパレル産業自体の根幹を揺るがす大問題となる。
現在、「新疆綿」の生産はかなり近代化、効率化されているため、実際に「強制労働」が本当にあったのかどうか。これだけ大規模で生産する中で、「強制労働」とばかりきめつけるのは無理がある。
一方で、ウイグル族の人々が延べ100万人も「再教育」として施設に収容されたことについては信憑性があるとしつつ、「新疆綿」の生産に関しては懐疑的な見方も強い。
ところで、新疆綿は繊維長が長い「超長繊維綿」で、滑らかさや光沢感があるのが特徴。
つまり、色が白く、染色しても発色が良い。
かつては「ギザ綿(エジプト産)」、「スーピマ綿(アメリカ産)」と並ぶ世界三大綿と呼ばれていたが、エジプトでは観光やスエズ運河の通航料などに収入がシフトしており、綿花はほとんど栽培されなくなっているため、「新疆綿」と「スーピマ綿」が2強の状態になっている。
余談だが、戦後エジプトの独立運動に成功し、イギリス軍の支配から脱したナセル大統領によって悲願のスエズ運河の国有化に成功してまもない頃、ひとつの要請があった。
その内容は、運河前線160キロメートルにわたる複線化と水深を約8メートルからタンカーが航行できる倍の深さ約15メートルにまで深くしてほしいというものであった。
このための国際入札には現地で活躍するヨーロッパ企業のひしめくなか、戦後の国際社会に復帰を賭ける日本政府の意を汲んで挑んだのが、「五洋建設」であった。
「五洋建設」は明治30年代創業の老舗で海軍での工事実績で名前をしられたが、現在では準ゼネコンという位置づけである。
さて、中国の「新疆綿」とアメリカの「スーピマ綿」が競う構図で自然に思い浮かべるのは、「米中経済戦争」。中国に対し、アメリカの生産実態は面積にして半分、収穫量は3分の1と遅れをとっている。
2021年3月、アメリカと中国との外交トップ会談で、アメリカがウイグル自治区の人権問題をあげると、中国側は黒人差別問題をあげた。
アメリカの黒人差別問題は、歴史的に綿花栽培と密接に結びつき痛いところを突かれたカタチ。
加えてスーピマ綿」は、除草剤には耐性があるが、収穫を容易にする枯葉剤には耐性がない。そのため業界内では、「遺伝子組み換え」綿を使用しているのではという疑惑がもたれている。

隠れたものを明らかにする際、英語では「アンカバー」とか「リビール」という言葉がつかわれる。
しかしこの二つの言葉にはニュアンスが異なる。
前者は一機に秘密が明らかにされ、後者はすこしずつ秘密が露わになっていくかんじ。
さて、中国・新疆ウイグル自治区での人権問題は、アンカバーされたというのが印象があるが、同じく「新疆ウイグル」にも関連する次の事実は、真実が「リビール」されていったという感がある。
宮崎と大分の県境にある土呂久(とろく)の岩戸小学校に一人の新任教師が赴任してきた。この教師もまた、山奥のその小さな小学校に転勤になったというだけで、重い十字架を担うことになる。
彼は土呂久の娘と恋に落ち結婚を考えるようになった。しかし彼女が病弱なのが気になった。
彼女の小学校時代の記録を知ろうと指導要録をみたところ、そこに見たものは彼女ばかりではない生徒達の異常な欠席数だった。
教諭は、この村には何か秘密が隠されていると思った。
そして教諭は土呂久からきている生徒を家庭訪問した時のことを思い出した。
生徒は体調不良で欠席が多かったので家庭訪問したのだが、彼が住む集落一帯が古い「廃坑」地帯であったことを思い起こした。
日本でようやく公害問題が騒がれ始めた頃、土呂久村の48歳の婦人が公害報道をテレビで見て何か胸騒ぎを覚え日記をつけ始めた。
そのうち不自由な目と弱った足で村人の健康調査を始めた。
それまでは一歩も村の外へ出たことがなかった彼女が宮崎県人権擁護局へ訴えを起こしたのが、始まりといえば始まりだった。しかし彼女の訴えは一顧だにされることはなかった。
江戸時代にこの地域は銀山が栄えた時期があったと聞いていたが、その後は静かな山里に戻っていた。
昭和30年代ころまで、硫砒鉄鉱を原始的な焼釜で焼いて、亜砒酸を製造するいわゆる亜砒焼きが行われていたのだ。
「亜砒酸」は農薬・殺虫剤・防虫剤・印刷インキなどに使用された。
亜砒焼きが始まると、土呂久の谷は毒煙に包まれ、川や用水路に毒水が流れ、蜜蜂や川魚が死滅し、牛が倒れ、椎茸や米がとれなくなった。
実はこの教諭は、土呂久から岩戸小学校に通ってくる生徒達の体格が他にくらべて劣っていることにも気がついた。
そして他の教諭とともに土呂久住民の健康調査に取り組んだのである。
そして、各家庭に配布した健康調査表が回収されるにつれて、土呂久地区の半世紀にわたる被害の実態が明らかになっていったのである。
そして1971年1月13日、岩戸小学校の教師15人の協力による被害の実態が教研集会で発表された。
1975年にようやく住民による土呂久公害訴訟が起こり、1990年にようやく和解が成立した。
認定された患者は146名、うち死者70名(1992年12月時点)を数えている。
朝日新聞特集の「和合の郷」によると、鉱山住宅が急増したころ、日常的に必要とする品物は配給所で購入できたが、肉や魚の入手が容易でなかったことから、喜ばれたのが、植物性タンパク質の豊富な豆腐。
店では午前2時ごろ起きて、石臼をひいて豆腐をつくって、土間に並べておくと飛ぶように売れたという。
原料の大豆は、煙害で収穫できなかったので、岩戸の町から大量に買っていた。
社宅が立ち並ぶと、それまで自家用に作っていた野菜が販売できる商品に変った。
亜ヒ酸煙害に強いハクサイ、キャベツ、ニンジン、キュウリ、土の中に育つジャガイモ、サトイモ、カライモ、タマネギ、ラッキョウなどの作付を増やした。
社宅を一軒、一軒まわって、とれたての野菜を売り歩くのは、学校をでたばかりの娘たちの仕事であった。
前述の豆腐店の川の対の社宅では、細い道を挟ん上と下で、天と地ほどの違いがあった。
道の上は、所長や課長や係長など幹部社員と事務所で働く職員の住宅、道の下は、職員の独身寮、「合宿」とよばれた鉱員の独身寮、職頭や鉱夫の長屋などであった。幹部の家屋が二棟あって、屋根には瓦、庭のぐるりにサクラを構えていた。
古老によれば、所長のうちは、玄関を入ると絨毯、欄干には彫刻。風呂もついていたと語る。 これに対して、鉱山労働者が入った長屋は、6畳一間で風呂はなく、屋根はトタン。その格差は際立っていた。
道の上に住む幹部は、東京で採用されたエリートたち。彼らのために、テニスコートが作られた。テニスの愛好者がそれほど多くなかった時代に、山深き土呂久でテニスを楽しむ光景がみられた。
そこから20mも離れていないところに、8畳間に弘法太子の像を祭った「お太子堂」が建っていた。
子供が病気にかかったり、息子が兵隊にとられたりすると、家族が願掛けにやってくる。
西欧移入のスポーツと土俗の祈祷が隣り合わせていたのが、昭和10年代の土呂久であった。
さて、被害発覚から50年近くが経ち、風化が危惧されて、宮崎県は「土呂久」を環境教育の場として残そうと動き始めた。
県が頼ったのは土呂久公害の告発者でアノ時の新任教師・齋藤正健氏(75歳)は、木脇小校長を最後に定年退職して、沈黙を破るかのように当時の思いについて語っている。
1966年、新任地において、周りの物すべてが新鮮に映っていた新任教師は、すぐに児童の異変に気付いた。
顔色が悪く、体調不良を訴えては保健室に駆け込む土呂久の子どもたち。
焦土のように草木一本ない鉱山跡、鉱物などで青白く濁った川は異様だった。
当時は水俣病、イタイイタイ病の影響もあって公害学習が盛んな時代。齋藤氏は、PTAの親子学習のテーマとして土呂久地区を調べるようになった。
しかし、「嫁が来なくなる」「農作物が売れなくなる」「数年で転勤する人に何が分かる」などと辛辣な陰口が耳に入り、住民宅前に止めていたバイクを倒される嫌がらせを受けることもあった。
鉱山操業後、ヒ素によって亡くなったとみられる住民数は集計で100人以上に膨らんでいった。
想像をはるかに上回る事態に追い詰められたような心境になったのか、齋藤氏は雪が降る道をバイクで自宅に帰る際、土呂久の深い谷を見下ろして涙ながらに祈った。
「私がいなくなったら、土呂久のみんなもこのまま(鉱害で)死んでしまう。助けてください」と。
今も、黄ばんだメモには、旧環境庁担当者らとの慌ただしいやりとりが手書きで記されていた。
さらに、齋藤氏が土呂久集落を回って聞き取りした8年間を記録した145本のテープもみつかった。
1971年、28歳のとき教員の研究集会で発表、戦前から人知れず続いていた亜ヒ酸鉱山による健康被害を告発した。
医師や弁護士が救済に動き、国は公害病に指定した。
3年後、転勤を言い渡されたという。
その後は、公の発言を控えてこられたが、定年退職後に自身が告発した土呂久鉱害のことをより考える時間も生まれ、悲惨な記憶を風化させてはならないという思いに駆られるようになったという。
こうして山里の村「土呂久」は、齋藤氏の手記や証言などを元に、環境教育の場として生かされるようになっていった。
しかし、もし齋藤氏が土呂久の小学校に赴任しなかったらどうであろう。むしろ陸の孤島のような山村のまどろみに、恐ろしさを感じる。
現在、宮崎県を中心に「アジアヒ素ネットワーク」というものが展開されている。
1980年代以降、アジア各地から砒素中毒発生の報告が届くようになった。
ヒ素は鉱山排水や工業排水で河川水/地下水が汚染されたり、自然の土壌由来で地下水が汚染される場合もある。
中国・「新疆ウイグル自治区」、インド・西ベンガル州、タイ・ロンピブン村、中国・内モンゴル自治区などから声が届いた。
そこで、土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会が母体になって、1994年4月に「土呂久の教訓をアジアの砒素汚染地に伝えよう」と「アジア砒素ネットワーク(本部・宮崎市)」を結成した。
1995年2月インド・コルカタで開かれた「地下水の砒素汚染に関する国際会議」をきっかけに調査が進み、チューブウエル(管井戸)で汲みあげる地下水の砒素汚染が、アジアの大河流域に共通した問題であることがわかってきた。
世界銀行の報告書(2005年)は、地下水砒素汚染地域に6000万人が住んで70万人の砒素中毒患者がでている、と報告した。
調査が進めば、危険な井戸水を 飲用している人の数や、大気汚染(石炭燃焼等)による砒素汚染は増えていくとみられ、中国は、世界でも深刻な砒素汚染を受けている国の一つである。
土呂久は鉱山操業がもたらした砒素汚染であり、アジアに広がる地下水汚染と原因は異なるが、人体に現れる砒素中毒の症状に変わりはない。
「私たちと同じ砒素で苦しんでいる人たちの力になってあげてください」という土呂久の被害者の言葉に励まされ、アジアの砒素汚染地をつないで、問題解決に協働する態勢づくりを進めている。

中国では、新疆ウイグル自治区のジュンガル盆地、内蒙古自治区、山西省などで飲料水による大規模な砒素中毒が起きています。また、貴州省では石炭に起因する砒素中毒があります。また長江流域を含む17の省で、新たに飲料水の砒素汚染が見つかったという報告もあります。 .