企業統治と外資規制

最近、TV放送局あるいはCMスポンサーの「視聴率」の見方が変わってきているという。
それは「世帯視聴率」から「個人視聴率」へのシフト。しかも購買力や伝搬力が高いといわれる13~40歳の「コア視聴率」の高低に関心が集まっている。
その背景に「世帯視聴率」と「コア視聴率」とが逆相関するという関係があることがわかったからだ。
つまり、「世帯視聴率」が髙い番組は、一般的に「コア視聴率」が低いという驚きの関係。
「世帯視聴率」が占めるのは中高齢者が中心で、10代・20代の"半数以上"はテレビを見ない。そういう時代なのだ。
いまやデジタル革命によって、人びとの生活様式は大きく変化しており、人気の映像コンテンツをいつでもどこでもネットを通じて観られる時代である。
テレビ放送でも、「4K」「8K」といった、これまでの2Kやハイビジョンでは表現できなかった画質や色合いを出せるようになり、臨場感において格段の違いを生む映像を楽しむことができる。
しかし若年層の視聴スタイルが、いわゆる「テレビ放送」を通じてコンテンツを楽しむスタイルから、「見逃し配信」や「ネット配信コンテンツ」などに多様化している。
「時間」にとらわれず、「見たい」コンテンツを見たい時に一人で見るのが彼らの視聴スタイル。こうなるとスポンサーの考え方も変わらざるをえない。
テレビ放送だけでは本当に情報を伝えたい層に自社の放送を伝えることができないからだ。
だかといってテレビからネットへと一機に転換するのでなく、両者を組み合わせた「新しいスタイル」の模索が始まっっているということだ。
それはCDの売り上げや書籍の売り上げが、低下の一途を辿っていることと並行している。
こうしたスポンサーの視聴率に対する考え方の変化は、テレビ放送の苦境を伝えている。
それだけに、たとえコロナ禍であろうとも「放映権料」を失う「オリンピック中止」だけは阻止すべく、関係団体に圧力をかけたのは推測できる。
日本のTV放送局は、「新聞社」と系列となって、政府(総務省)許認可の行政の下で、「電波の割り当て」がなされている。
衛星放送の魅力は映画とスポーツ番組にあったはずである。
しかし時間に規制される衛星放送と違って、ネットでは、契約すれば、見たい時に見たい映画を見ることができる。野球にしてもサッカーにしても、見たいチームの試合を選択することができるのだから、衛星放送に勝ち目はないのである。
視聴率が下がればスポンサーもつかないどころでなない。再編成で「電波の割り当て」さえも取り消しもなされる可能性さえもある。
最近、インターネットの動画配信最大手の「ネットフリックス」では、『今際の国のアリス』や韓国の『愛の不時着』などのオリジナルドラマが話題を呼んだ。
また、SNSをみれば、現在高まっているニーズは喜びや感動を誰かと共有することであり、チャットなどでインタラクティブな関係である。
テレビ局でも「オンデマンド」をチャットと組み合わせたりして、それを実現しようと試みている。
しかし、莫大な資金力をもって低価格でサービスを提供する外国資本にどう対抗していくかが課題である。
日本の優秀なクリエイターも作品づくりをしているが、日本から世界に作品を届ける選択肢がネットフリックスなどの外資に限られてしまうのが現状である。
今年3月、衛星放送局の社員がが禁止されていた総務省の幹部と頻々と会食を行っていた件が思いうかぶ。
それはインターネット配信によって先細りが考えられる衛星放送側の「既得権益」の確保を目的としたものと推測される。
放送法や電波法は報道機関の「外資支配」を防ぐため、放送持ち株会社や地上・衛星の事業者に対し「外資比率」を20%未満とするように定めている。
ところが、菅首相(元総務大臣)の長男が務める東北新社は2016年10月、衛星チャンネルの認定申請時に1%以上の外国人株主しか計算せず、「外資比率」は20%未満と申告した。
この時点で抵触していたことがわかっていたのを、総務省に見逃してくれるように総務省幹部との接触を繰り返してしたようだ。
結局、総務省が5月1日付で認定を取り消した。

日本が高度経済成長からバブルの時代に向かう頃、つまり「ジャパン アズ ナンバーワン」(1982年)という本が出た頃、日本は皮肉まじりに「世界で唯一成功した社会主義国家」ともいわれた。
それは、必ずしも法律上の規制の多さばかりではない。
旧通産省を中心とした「通達」や「窓口指導」によって日本の産業界をかなりコントロールできる時代であったからだ。
1990年代後半以降、金融界は「ビッグバン」といわれるほどの自由化が行われてきた。
しかし日本という社会は、意識の上ではそれほど自由ではないことが、コロナ禍の下で明らかになった。それは政府の「自粛要請」というカタチで現われた。
加えて政府が、自粛に協力しない者に裏から圧力をかけていることが発覚した。
政府は酒類販売業者の組合にも「飲食店が要請に応じない場合、取引を停止するようお願いする」といった内容の文書を出した。
これも法的根拠に乏しく、ただでさえ苦境の飲酒業界に「ば融資が打ち切られる」という追い打ちをかけ、各金融機関からも「われわれは警察ではない」といった批判が出たのは当然。
さらに驚いたのは、菅首相がその翌日、発言について「承知していない」と述べたこと。
責任を回避したのか、重要閣僚の発言を把握していなかったのか、いずれにせよ政府の対応への不信は一層深まった。
そこまでするかという不快な思いがあったが、その背景には東京オリンピック・パラリンピック開催があるのだろう。
経産省の介入といえば、東芝の株主総会に対する「政府介入」は、旧態然たる日本経済の実態を顕わした感がある。
なにしろ「株主主権」の旗振り役が、それを蔑(ないがし)ろにするようなことをしたからだ。
ところで、「企業統治(コーポレートガバナンス)」とは、企業の経営を大所高所からチェックする仕組みのことで、その要は「社外取締役」といっていい。
「企業統治」の形ができていても、それがなぜ機能しないのかという問題が共通する大きな課題であった。
社外取締役は本来、社長以下のいわゆる執行部の「監督・監視」をするのが役目。
それに専念できるよう、専門家は、取締役会での意思決定を本当に重要なものに絞り、業務の執行にかかわる事は執行役に大幅に権限移譲すべきだとしている。
ただ、実際の取締役会は、必ずしもそうなっておらず、細かい業務上の判断まで取締役会にかかり時間を取られ、社外取締役に求めるものも、社外の視点からの「アドバイス」にとどまっているという取締役会も少なくない。
これが、日本企業の企業統治の限界、中途半端さにつながっている。
そこで、東京証券取引所がもうけた「コーポレートガバナンスコード(企業統治指針)」の2度目の改定では、取締役会の機能強化が掲げられ、「独立社外取締役」の複数名の選任などを規定した。
経営の執行と監視・監督を分離し、独立した客観的な立場から、経営陣および取締役に対する実効性の高い監督を行うためだ。
こうした要請に最も適した株式会社の機関設計が、「指名委員会設置会社」といわれている。
東証上場の3700社のうち、それえらの会社は約80社弱である。
しかし、今年に入って市場の信頼を失墜させる不祥事を引き起こしたのは、システム障害のみずほファイナンシャルグループといい、検査不正の三菱電機といい、不公正株主総会の東芝といい、いずれも「指名委員会設置会社」だった。
結局、社外取締役の「機能不全」の問題が解消されていないことが浮き彫りになった。
では問題の、経産省による東芝の株主総会への介入は、何のためにどうのように行われたのだろうか。
そもそも東芝は原子力・量子技術・半導体・防衛装備などの事業を持っているので、経産省は「安全保障上」関与の必要をいってきた経緯がある。
しかし、それが「株主総会」への介入といカタチをとったのは、公正さの点で問題があるといわざるをえない。
ところで「外為法」は、安全保障上重要な日本企業に対する外資による出資を、「事前届け出」の対象として規制している。
原子力事業を扱う東芝は安全保障に関する「コア業種」に指定されてる。
経済産業相には、安全保障上の問題があれば事後的な株式の処分(売却)などの「措置命令」を出す権限があり、届出や報告命令に従わない場合には「刑事罰」の制裁もある。
改正外為法が昨年5月から施行され、「事前届け出」の対象が上場企業の株式10%以上となる取得から、1%以上となる取得に引き下げられ、規制が強化されたタイミングであった。
「外資系ファンド」の求めで実施された調査により明らかになったことは、東芝の昨年の株主総会を巡り、経営陣の意をくんだ経産省の課長が、株主である「外資系ファンド」に圧力をかけた疑いが指摘されている。
その際に、外為法の規制(事前届け出)をチラつかせ、「取締役」選任の議案提出をやめさせようとしたという。
弁護士3人が6月10日に公表した「調査報告書」によれば、「外資系ファンド」とは、いわゆる「もの言う株主」(アクストティヴィスト)で、エフィッシモ・キャピタル・マネジメント(エフィッシモ)、3Dインベストメント・パートナーズ(3D)、ハーバード大学基金運用ファンド(HMC)で、働きかけの方法や程度は株主ごとに異なるものであったとされている。
この総会では、東芝側が考えた「外部取締役」に対して、筆頭株主のエフィッシモ・キャピタル・マネジメントが「自社の推薦する取締役」を選任するよう株主提案しようと「取締役選任要求」を出す予定であったが、東芝側が経産省に「そうさせないように」支援を要請したということだ。
そこには前述のとおり、安全保障に関わる上場企業に対する外国人投資家の出資規制を強化する「改正外為法」の権限があった。
一応、「コーポレートガバナンス・コード」には、「上場会社は、株主の権利の重要性を踏まえ、その権利行使を事実上妨げることのないよう配慮すべきである」と規定しているので、件(くだん)の定時株主総会が公正に運営されたものとはいえない。
これを受け、東芝は取締役ら4人の退任を決め、永山治取締役会議長が「企業統治や法令順守の意識が欠けていた」と謝罪した。
しかしこの問題はそれだけではすまない。
東芝と政権中枢との密接な関係を浮き彫りにした。
報告書には、昨年5月11日に菅義偉官房長官(現首相)に対し、株主総会での対応について「内容を説明したと推認される」と言及。別の機会には菅氏が「強引にやれば(改正)外為(法)で捕まえられるんだろ?」と発言したと記載。
菅首相は記者団に「全く承知していない。そのようなことはない」と否定した。
オリンピック開催直前の政府の酒類業者への「金融機関の取引停止」の圧力を想起させる。
梶山経産相は、防衛装備品などを手がける東芝を念頭に「安全保障が損なわれる恐れがあれば、個別企業に対応するのは当然だ」との一般論を述べるだけで、経産省は詳細な説明や内部調査を拒んでいる。
そもそも、東芝の株主総会の混乱の発端は、前社長が不正会計後に経営危機に陥った東芝の再建を託され、自らの古巣の投資ファンドに東芝を買収させることで「社長続投」を画策した疑いを持たれたことにある。
短期の利益や株主還元を求める投資家と、中長期の成長を重視する経営者が対立することはままある。
企業は株主との対話を重ねて一致点を見いだすしかない。信頼を失えば、資金調達の手段を絶たれてしまうからだ。
東芝の混乱は、「株主主権」の新しい動きと歓迎する向きもあるが、不透明な「政府介入」という問題を浮き彫りにした。
昨年施行された改正外為法による「事前審査」が、こういうカタチで使われるのはその趣旨から逸脱し、不透明な行政指導で企業統治をゆがめる。
その結果、海外投資家を遠ざけてしまう結果になるのは目に見える。

日本人にとって、「外国資本」の問題といえば、日本企業に対する「外資支配」を考えがちだが、逆に日本企業による外国企業支配はどうかという問題もある。
日本企業傘下のイスラエル企業が計画する米株式市場への上場に対し、計18カ国以上に拠点を置く28の国際人権団体などが、人権上の懸念を理由に手続き中止を求める公開書簡を出した。
この会社はイスラエルのIT企業「セレブライト」。スマートフォンのロックを解除し、暗号化された情報を取り出す機器を手がけ、世界140カ国の捜査機関などに提供している。
同社は2007年に日本の電子機器メーカー「サン電子」(愛知県)に買収され子会社になった。今年4月、事業拡大のため米ナスダック市場に株式を上場する方針を表明。
スマートフォンから個人情報を抜き出す同社の製品は、香港やミャンマーなど一部の輸出先で反体制派の弾圧などに悪用されているとの指摘がある。人権問題で企業に社会的責任を求める声が強まっている。
同社のロック解除技術は犯罪捜査に役立つ一方、一部の国で政治的な弾圧に悪用されているとの指摘が相次いでいる。
米紙ニューヨーク・タイムズによると、ミャンマーでは18年、国軍兵士による少数派イスラム教徒ロヒンギャの殺害事件を取材したロイター通信記者を「国家機密法違反」で有罪とするのに、同社機器で押収されたデータが使われた。
また、米国の非営利組織「ジャーナリスト保護委員会」の報告やイスラエルでの報道などによると、香港当局は20年の香港国家安全維持法の施行などに絡み、市民のスマホ約4千台をこの機器で分析し、取り締まりに利用した。
ボツワナやロシア、ベラルーシ、ベネズエラ、バーレーン、サウジアラビアなどにも提供されてきたという。
批判を受け、セレブライトは20年10月に香港と中国、21年3月にロシアとベラルーシとの取引停止をそれぞれ発表。人権上の懸念などからバングラデシュとマカオ、ミャンマー、ベネズエラとも取引しないと説明した。
こうした動きの背景にあるのは、国際的な企業に責任ある行動を求める潮流の広がりだ。環境や社会問題での取り組みを重視するESG投資の拡大も、これを後押しする。
今年6月に改定された「コーポレートガバナンスコード」で、新たに「人権の尊重」を盛り込んだ。
最近では、中国・新疆ウイグル自治区の人権侵害問題にからみ、新疆綿を使った製品を扱うアパレル各社が批判を受け、対応に苦慮している。
セレブライトは日本語版の製品を展開しており、国内の刑事事件を担当した弁護士らによると日本の警察も捜査で利用しているという。
2017年最高裁がGPS捜査に関し「違法」とした上で、憲法35条が定める「令状なく住居や所持品に侵入、捜索を受けることのない権利」には、住居だけでなく「これらに準ずる私的領域に侵入されない権利が含まれる」との解釈を示している。
運用方法を直接規定する法令や判例はないが、専門家からは、スマートフォンは住居以上に"私的な領域である"として、慎重な運用を求める声が出ている。