「身体性」の回復

「人間は万物の尺度である」といったのは、ギリシア哲学でプロタゴラス。
たしかに「大きい」とか「小さい」といった感覚は人間の大きさが基準になっている。
しかし、プラトンの「イデア論」のように、ギリシア人が追及したのは真善美の理想の世界であり、「人間」に座標軸を置いたのは、当時の世界観から一歩脱した感じがする。
キリスト教が影響力をもったために、一時は衰えたこうした世界観がルネサンス期に蘇った。
ちょうど科学の世界でいうところの精神的な「パラダイムシフト」と考えてよいであろう。
経済学も、人間の需要側から「使用価値」、人間の生産側からは「労働価値」というように、人間の身体に即した基準に価値が考えられている。
また、産業社会が始まる以前は、時間というものも人間の生活のリズムを基準に考えられていた。
日の出と日の入りが1日であり、例えば古代エジプトで「ナイル川氾濫」の時期を基準におよそ350日ぐらいを1周期とした。
産業革命の歴史的意義をワットの蒸気機関の改良にみるごとく、機械技術における生産力の飛躍的な発展とみるだけでは不十分な気がする。
その裏側にあるのは、人間が自分達の生活のリズムとは関係なく、機械的な時間に身をゆだねるようになったということではなかろうか。
つまり、「時間あたりの賃金労働」の発見である。
そして、近代の成立とは「機械的な時間」に労働を明け渡すことだともいえる。
人間の活動の中で一部をとりだして、「時間キザミ」で他人の監督下で働き、それに対して給与が支払われるというのは、歴史上、極めて特異なことである。
さて、日本史においても明治以前からも、「労働価値説」つまり労働の質を量に換算することによって「代金」が支払われるということは行われていた。
例えば江戸時代、東海道五十三次の旅の過程で、大井川は軍事的な理由から橋がかけられず箱根の山とともに難所の一つであった。
川を泳にいで渡った旅人も多かったが、代金を支払って川越えを人夫に依頼するものがほとんどだが、その内容は人夫の肩に跨る、連台に乗る、駕籠に乗る、駕籠を大台にのせる「大高欄連台」などのがあった。
さらに肩に跨り川を渡る場合、その時々の「水かさ」によって人夫に支払う値段が異なっており、アダム・スミスのいう「労働価値説」を髣髴とさせる。
「水位」と「値段」の関係を紹介すると、水位を示す「股通」48文、「帯下通」52文、「帯通」58文、「帯上通」68文、「脇下通」88文、「脇通」94文といったように、同じ川を渡るでも人夫の労力をソノママ反映して値段が決まっていた。
そして、水カサがワキ以上となると川留めとなった。
ファースト・クラスといってよい「駕籠」に乗って川を渡る場合には、現在の相場に換算して1万円ほど支払ったから、江戸の旅は結構な金を要したといえる。
ところで、交通事故(死亡事故)の賠償額に基づく「人の命」の価値を調べるうちに、人間の体の一部(パーツ)を損傷した時の事故の補償額を示す「後遺障害別等級表」なるものが存在することを知った。
例えば「指の値段」からみると、親指と人差し指を失った場合が第七級で1051万円、中指薬指を失った場合が第十一級で331万円、小指を失った場合が第十三級で139万円が支払われる。

今年2021年は日本が国際基準たる「メートル法」受け入れて「メートル法」が定められて100周年にあたる。
さて、「メートル法」のモノサシでは、地球が自転する時間を1日、地球が太陽の周りを公転する時間を1年とする。
これは、小学校で習った話だが、この時間の決め方は、「地球」を基準の時間を決めたということである。
地球を基準にすれば、各国各地の測定基準とは別に、客観的な「統一基準」ができる。
それまでは、様々な単位は人間の身体や生活を中心に定められたものであった。
最も有名なのは、エジプトでナイル川の氾時期を基準におおよそ360日ぐらいと目星をつけて「太陽暦」が定められた。
また、古代イスラエルにおいて、神はノアに箱舟を創るように命じ、その大きさまで指定するが、その長さの単位を「キュピト」という。
サイズは長さ300キュビト(1キュビト=約45cm、約135m)、幅50キュビト(約22.5m)、高さ30キュビト(約13.5m)と記されている(創世記6章)。
現代の大型タンカー船に匹敵する大きさで、30:5:3の比率は、もっとも安定する設計比率とされている。
そして、このキュピトというのは、人間のひじから手の先までの長さを基準にしたものである。
日本人の文化においても、人間の生活の中から生まれた「尺貫法」があったが、戦後生まれでこれを知っている人はまれであると思う。
時刻の方にも同じように午前零時から十二支をあてはめる「辰刻法」が、江戸初期まで一般的に用いられていたようです。
ただし、子の刻と言っても当時の人々は時計など持ち合わせていないので、午前零時ちょうどではなく「およそ午後十一時から午前一時のあいだの時刻」という幅のあるもので、「草木も眠る丑三つ時」と言えば「丑の時(午前一時から三時まで)を四刻に分けその第三に当る時、おおよそ今の午前二時から二時半」ということになる。
季節によって変化するこの時刻を誰がどうやって計っていたのかというと、江戸時代には時を知らせるため官許の「鐘撞堂」があり、時刻毎に鐘をついて知らせていた。
特に、織田信長は城の建築現場などで、人夫に時を知らせるための鐘を多用している。
ところがアメリカという国は「プラグマチズム(実用主義)」のせいか、メートル法以前の身体を基準とした「単位」が十分の生き残っている。
日本の尺貫法は1958年までメートル法と併用して公認の単位として用いられていたが、1966の改正「計量法」により、尺貫法による定規や升などの製造販売が禁止された。
とはいえ、「一寸先は闇」『一寸法師』などで馴染みが深く、子どもの頃よく手遊びをした『アルプス一万尺』などの歌も記憶に残る。
伊能忠敬が考案したという尺(しゃく:1尺=約30.304cm)を基にして、1875年には近代日本最初の度量衡法規「度量衡取締条例」が公布されたが、日本はこの段階でむしろ国際化の逆方向に進んでいたのである。
日本が「メートル条約」に参加して世界の仲間入りをしたのは1885年、伊藤博文が初代総理大臣になった年。
ただその後も日本人は新しい単位に慣れず、尺や寸の昔からの単位を使っていたので、前述のとうり「メートル法」が完全実施されたのは1966年になってからである。
とはいえ、建築・木工などの職人の世界で連綿と使われ続けてきたのは、単にそれまでの習慣といったことに留まらず、単位としての合理性に叶っていたからといえよう。
とはいえ、日本人の体格向上にともないそれも合わない部分もでてきた。
例えば、従来の一間182cmを単位とする日本家屋では鴨居に頭をぶつけるめ、この世界でも変化が生じている。
さて、尺貫法の面積の単位は「坪(歩)」、体積の単位は升、重さ(質量)の単位は「貫」である。
一坪(歩)は六尺平方(3.3m2)、畳二帖分に相当しますが、「歩」は田畑林野に使われ、「坪」は家屋や敷地面積の表示に使われている。
そのもとは読んで字のごとく「歩幅」で、人が耕す最小単位をその足で「二歩四方」にとった。
また、一坪は「畳二帖」で布団二枚、男女二人が再生産を行う最低限の広さにしたというから、なんかホノボノした気分になる。
ゲゲゲの鬼太郎の世界に「一反もめん」という妖怪がいるが、反は段(たん)が正式のようで、約31m 四方で田んぼの大きさの基本とされている。
故ジャイアント馬場の足は、実は33.8cmだったそうです。文尺は足袋用の尺で、一文銭(曲尺八分幅)十枚幅で一尺(約24.24cm)としたので、33.8cmは約十四文という計算になり、「十六文キック」(38.4cm)ほどのお化けではなかった。
日本の農地の単位は意外にも、戦前からメートル法でやっていた。
尺貫法の一畝がほとんど「1a」、一町がほぼ「1ha」だった偶然が幸いして、スムースに移行できた要因だったようだ。
江戸時代の領地を表す単位に「石高制」というものがあり、大名・武士の知行高を表すのにも用いられた。
実際にはどれくらいの量でどのくらいの収入に相当したのかというと、人一人が一回に食べる米の量を一合(茶碗二杯分)とすると、一日で三合。
これに三百六十日(太陰暦)をかけると、千八十合ですから、約一石になる。
つまり、人一人が一年間に食べる米の量が「一石」ということになり、「百万石の大名」は、領地から作られる米で、百万人を一年間養うことができた大名ということになる。
「尺貫法」は日本人の生活感覚・身体感覚に根ざした優れた計量単位であり、これを廃れさせることは日本文化の衰退にも繋がりかねない。
他国で通用しないからといって尺貫法を無理矢理封じ込めてグローバル・スタンダードだけを押し通そうとした。
そうしないと遅れた文化とみなされるという脅迫観念さえ感じるのだが、そのくせ「元号」というのはちゃんと残している。
日本と対照的に「ダブルスタンダード」を維持しているのがアメリカである。
アメリカは「ダブルスタンダード」の本場といってよいかもしれない。
1インチ(inch)は2.54cm。 1フィート(feet)は12インチ(30.48cm)。1ヤード(yard)は3フィート(91.44cm)。1マイル(mile)は1760ヤード(約1609.344m)。
インチは男性の親指の幅から決まったと言われているが、肘から手首までの長さは、親指の幅のおよそ十倍ということになる。
また、フィートは文字通り足の長さ(foot)に由来するが、30cmとは相当な足の大きさだが、一説によるとある王様の足からとったという。
ヤードも歩幅に由来するとされていて、キロメートルに換算するには1.6倍すればよい。
90 MPH=時速145キロ、100 MPH=161キロの二つを覚えておくと便利。
コンピュータのモニタやフロッピーディスクをはじめとする米国製品は未だにインチが使用されている。
米国は既に百年以上前にメートル条約に調印してるものの、国内での準備不足を理由に未だにインチ・ポンドを度量衡標準としている。
アメリカはプラグマチズム(実用主義)の国だということを忘れてはならない。
余談だが、最近日本で「夫婦同姓は違憲ではない」という最高裁判決がでたが、またもや家族の「一体感」とか「アイデンテティ」といった「抽象論」が展開されているが、夫婦同姓の是非はもっと「実用主義」の観点から議論すればよかろうかと思う。

「仮面をかぶる」とはよくいうが、「身体を着る」とはいわない。まして「頭をつける」なんていったらカツラかと思われる。
つけネイルもつけマツゲもコンタクトもカツラもかなり進化しているらしいが、所詮それはカラダの一部の「代替物/装飾物」にすぎない。
ここでいう「身体を着る」とは人間があたらしい能力を獲得する、のではなく「着る」ということだ。
着るからには「脱ぐ」ことも可能である。
具体的には、コンピュータの端末をまるで体の一部のように身にまとうことによって自分とそのエクステンション(拡大)の見分けがつかないほど「一体化」することである。
コスチュームプレイに励んでいる人々も、おそらく「なりきり」で新しいキャラや能力を手にいれることを楽しんでいるのであろうが、それはあくまでも「想像の世界」を出るものではない。
ここでの話は、人が実際に多様な能力を身につけたかのように手に入れることで、現実の世界で起きていることである。
ところが今、人間は「身体を着る」ことをはじめたようだ。
着るからには「脱ぐ」ことも可能なのだが、脱ぐことを忘れるか脱ぐのが不安なほど、体の一部と化している。つまり、モノの「身体化」が進んでいるということでえある。
ここでモノとは、インターネットと繋がったモノで、その代表スマホは、あたかも人間の手のひらの一部と化したかのようにも見える。
スマホはメール、画像、音楽、語学学習、地図情報にカメラなど、何にでも利用できばかりか様々なアプリを導入することによって、「身体性」は飛躍的に拡大する。
実はスマホの段階において、あたかもそれが人間の体の一部と化しているということを思った。
スマホを肌身離さず身につけていて、一息つけば必ずスマホ画面を見る人とか、電車で覗き込んでいる人々の姿をみると、スマホはかなり「身体の一部」と化してるといっていい。
昔の軍国主義教育で、死んでもラッパを放さなかった少年の美談は、今や死んでもスマホを放さなかった若者の哀話へと転じるかもしれない。
スマホはメール、画像、音楽、語学学習、地図情報に、カメラなど何にでも利用できる。
そしてスマホに様々なアプリを導入することによって、こうした「身体性」は飛躍的に拡大する。
とはいえスマホは人間の体の一部に近くはなったが、指で画面をなぞる等の操作を行う必要がある。
そのため、手のひらに載せて落ちないようにしている点、画面を見るのにある程度の距離を置く点など、人間の動きの「自由度」を奪うため、カラダの一部とはなりきれていない。
ところが最近の「ウェアラブル・コンピュータ」は、PC本体・デイスプレイ等をほぼ「身体の一部」として身にまとうことができる。
例えばメガネ、コンタクト、指輪、時計、スーツ等に組み込んで利用する。
そのうち靴やバンド、歯ブラシ耳掻きなどにコンピュータ機能をつけるとかもあるかもしれない。
何しろ、デスプレイは曲げたり巻いたりしても鮮明に表示できる。
こうした「身体性」の拡大、すなわち「見る」「触れる」などの人間の「身体機能」は、今後飛躍的に拡大・延長していると考えられる。
そして今起きている身体性の拡張は「新しい自分」となった実感さえ抱かせる。
その「極限」をいえば、眼球に直接埋め込まれ、脳に直結したディスプレイの実用化などさえも議論されているという。
そうなってくると入試問題を「長見する」ことによって送られてきた解答を書いたとしても、それはその受験生の「能力の一部」という感じにもなり、不正をしているという自覚は生まれないかもしれない。
しかしそれより危険なことは、身体性の拡大が人間に「仮想全能感」を与えるということである。
現代の兵士は、戦場でハイテクの機器を装備して投入され、こういう「全能感」はリスクともなる。
ところが今日、新型コロナウイルスの下、我々は忘れかけけていた「身体性」を幾分取り戻しつつある。
それは、皮肉にも「目に見えぬ脅威」というものが存在するという意識によってである。
具体的には、日頃意識していなかった体温、飛沫の飛び方、人との距離、マスク着用など。
そして、我々は自然界のバランスの中でようやく生存を保っている脆弱な存在であるということを。