聖書の言葉より(初めに言葉があった)

聖書には「神は自らに似せて人間を造った」(創世記3章)とある。ふと、神と人間の「何が」似ているのかという疑問が起きた。
英語版聖書では、「似せて」を「same image」とあったので姿カタチのこともあるが、聖書に沿っていえばそれよりも確実にいえることがある。
それは「互いに言葉が通じる」ということ。見落としがちだが、これは極めて重大なことではあるまいか。
新約聖書「ヨハネ福音書」の冒頭に、「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言ははじめに神とともにあった。すべてのものは、これによってできた」とある。
人間は普通、言葉を学習して修得するのだが、「エデンの園」でアダムとエバは、学ぶ相手も術(スベ)もなく、神と直接語り合っている。
人間が「バベルの塔」を造って神の頂に昇らんとして神の怒りをまねいて言葉を乱される前なので、単一の原語しかなかったはずだ。
しかも、人間の創造以前にそうした「言語」があったということだ。それは具体的な言葉というよりも、情報通信の「プロトコル」のようなものだったのかもしれない。
そこで思い浮かぶのが、ギリシア語の「ロゴス」という言葉である。この言葉が比較的知られているのは、聖書の「初めに"言葉"があった」の"言葉"が、ギリシア語の「ロゴス」にあたるからだ。
「ロゴス」は、理由、原因、説明、理性、論理、言葉など多様な意味を持つが、英語の「アカウント」という言葉とニュアンス的に重なるものがある。
ギリシア語の「ロゴス」と英語の「アカウント」にも、等しく「説明」という含意があるからだ。
また、「アカウント」は、会計用語でもある。したがって、単なる事情を説明する「エクスプラネーション」とはちがって、幾分「社会性」を帯びた言葉にも聞こえる。
「アカウント」といえば思い出すことがある。
現大統領の「アカウント」を永久停止とするなど余程のことだが、ツイッター社によれば、トランプの最新ツイートに公衆の安全を脅かす要素がある、それがさらなる大惨事を招く恐れがあったからだという。
さて「アカウント」といえば、インターネットの様々のサービスを受ける際に必ず「登録」を求められる。
ITの分野では、コンピュータやネットワークなどを利用するのに必要な権利のことを「ユーザー・アカウント」というが、短縮して「アカウント」という。
この「アカウント」という言葉は、聖書(英語バージョン)の中で印象的な使われ方をしている。
新約聖書には、タレントつまり「才能」の由来となった「タラントの譬え」(マタイ25章)がある。
ある人が旅に出るとき、そのしもべ達を呼んで、自分の財産を預けた。
それぞれの能力に応じて、ある者には5タラント、ある者には2タラント、ある者には1タラントを与えて、旅に出た。
5タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに5タラントをもうけ、2タラントの者も同様にして、ほかに2タラントをもうけた。
しかし、1タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。
だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。
すると5タラントを渡された者と2タラント渡された者もそれぞれ富を二倍にしたことについて、主人は一緒に喜んで『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう」といった。
一方、1タラントを渡された者は、タラントを地の中に隠しておいた。
それに対して主人の言葉は予想を超えて厳しいものであった。
そのしもべを「悪い怠惰な僕よ」と怒りを露わにして、「それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえた」と苦言を宣べ、「そのタラントをこの者から取りあげて、10タラントを持っている者にやりなさい」と指示したのである。
イエスはこの話を「天国の話」と断って話したのだが、様々な受け取り方はあろう。
ただ、しもべ達は預けられたタラントの使い道について説明を求められ、主人から「責任」を問われたということは間違いない。
この「たとえ話」を英語バージョンで読むと、「彼らと計算をし始めた」という言葉に、「アカウント」という言葉が使われている。
さて、イギリス社会のエリート層にあるものの考え方に「ノブレスオブリージュ」がある。
「ノブレスオブリージュ」とは「高貴なる義務」を意味するフランス語で「多く与えられた者は、多く求められる」という意味の言葉である。
それは、前述の「タラントの譬え」に由来するものである。
つまり一般的に財産、権力、社会的地位には大きな社会的責任が伴うという事で、貴族制度や階級社会が残るイギリス社会では、上流階層には「ノブレス・オブリージュ」の考えが浸透している。
第一次世界大戦でイギリスの貴族の子弟に戦死者が多かったのは、彼らが皆志願して従軍したためで、記憶に新しいところでは、フォークランド戦争において王族(アンドリュー王子など)が従軍している。
リスクは自分が引き受け、結果の責任もとる。自分が人々を守ろうとする姿勢こそが真の指導者像である。
したがって、それは必然的に「持てる者」しかできないことでもある。
それが指導者観として根付いたのは、中世ヨーロッパの「騎士道」すなわち「ナイトの精神」の確立によってあり、それが近代に至って「紳士の道」あるいは「ジェントルマン・シップ」になったのである。
イギリスではそうした「ジェントルマン・シップ」が高く評価され、「紳士の国」とよばれる所以である。

最近、頻繁に聞く言葉に「説明責任」があるが、前述のように「アカウント」という言葉は社会性を帯びており、それ自体に「責任を明らかにする」「申し開きをする」という含意がある。
つまり「アカウント」とは、もともと責任と一体化した言葉なのだ。
具体的な使い方としては、”account for” あるいは、”give account for” である。
「責任」という言葉は、英語で「リスポンシビリティ」だが、もともと「応答」(レスポンス)という言葉からきていることは容易に想像できる。
神とその下にいる人間との関係において、その「応答」(レスポンス)の中に委託された事とか物とかに対する責任として、アカウンタビリティがある。
さて、責任という言葉の語源「レスポンス(応答)」とい言葉に、歴史上、思い起こす場面がある。
秦の始皇帝は何度か「暗殺」の危機に見舞われるが、中でも最高の「アサシン(暗殺者)」は、荊軻(けいか)という人物であった。
その暗殺は失敗するが、それは実にきわどいものであった。
燕の使者である荊軻が隠していた匕首で秦王の政(後の始皇帝)を殿上で暗殺しようとした。
その際には、秦王は慌てて腰の剣が抜けない中で匕首を持った荊軻に追い回される。
しかし、臣下が秦王の殿上に武器を持って上がることは法により死罪とされていた。
どんなに皇帝が命の危機にさらされていようと、命令がないかぎり一歩も動くことが出来なかったのだ。
最終的には御殿医が荊軻へ薬箱を投げつけ、怯んだ隙に秦王が腰の剣を抜き、荊軻を斬り殺した。
兵士達が自由に対応できない状況では、皇帝を守るという責任は果たせないのだ。
ところで、歴史上「創造者」という言葉がよく似合うのが「始皇帝」ではなかろうか。
旧きに理想を求める傾向のある中国において、なぜ始皇帝は創造者たりえたのか、そこには「出生の秘密」が隠されていた。
の国の商人であった呂不韋は、趙で人質となっていた秦の太子「子楚(しそ)」に注目する。
ただ、その子楚は不韋の愛人「嫪毐」を気に入って、「奇貨」として大事にしてきた太子だけに愛人を子楚に与える。
ところが、嫪毐はすでに呂不韋を身ごもっていた。
呂不韋は、子楚を王位に付けるとために色々な努力をした結果彼を太子にさせることに成功。
そして趙から子楚や彼の奥さんである趙姫、子楚の息子でありながら呂不韋の息子でもある政を脱出させることに成功し、秦の都、咸陽(かんよう)へ連れてくることができた。
そして子楚は荘襄王として即位し、呂不韋は己の野望を成就させる時がやっくる。その子・政が始皇帝として即位するのである。
そして、若き秦王が自分を邪魔するものを排除するように、宰相・呂不韋を死においやる。そして秦王は自由となった。
呂不韋にとっての「計算ちがい」は、血をわけた始皇帝が自分を愛情の対象とするのではなく、「憎しみ」の対象とした点である。
王族というものは保守的になりがちなものである。
相続したものを、次の世代に無事に伝えねばならないからで、できるだけ冒険を避け、安全な道を歩もうとする。
伝えられたものを失えば、先祖に申し訳ない。そう思っている者は、果敢な行動がとれないものだ。
その点、政は正統な相続人ではなかった分王族らしい保守的な性格はまるで持ち合わせていなかった。
だから、創造者になろうとした。政にとって失うことが恥ではなく、新しく創らないことが辱であった。
ところで、古代中国にあった「中華思想」にはグローバリゼ-ションの萌芽を感じさせるものである。
中国の周辺の国々は、中国の官制などを多く取り入れ、日本では律令がそれにあたる。
アジア周辺諸国が定期的に貢モノをもって中国に挨拶にいくわけで、古代博多にあった奴国はその挨拶の代りに「漢委奴国王」の金印をもらっている。
つまり中国皇帝から、それぞれの地域をおさめる「王」たるお墨付きをもらったということだ。
こうした中国発のグロ-バリゼ-ション(チャイナイゼーション)の背景に、「規格マニア」といっていい皇帝・始皇帝がいた。
そもそも「皇帝」という称号も、帝国の誕生と共に考案されたものだ。
それまで「秦王政」にすぎなかったが、史上空前の君主に、旧来の「王」という称号ではものたりない。
そこで三皇・五帝の「皇」と「帝」を取って、「皇帝」という称号を新たに定めたのである。
始皇帝は、郡県制の採用、車幅(轍(ワダチ)を統一、度量衡(度=長さ、量=体積、衡=重さ)の統一、貨幣の統一、文字体の統一(篆書)などを行った。
つまり広い中国で広義の言葉の統一を行ったのである。
この時、もうひとつ彼が変えたいと思っていたことがあった。それは「諡(おくりな)」という制度で、君主の死後に、子孫や臣下がその業績を追慕して定める呼び名である。
秦王政は、子どもが父親のことを評価し、臣下が君主のことについてとやかく議論することに疑問を抱いた。
「史記」によれば、始皇帝は、それは「はなはだいわれ無し」だと、彼は拒否したという。
日本の天皇の名をみてわかるように白河と後白河、醍醐と後醍醐天皇がいるが、後白河天皇や後醍醐天皇ほどの天皇ならば、もし死後の世界でその諡を知ったとしたら、不満がないだろうか。
後世の人々が「諡(おくりな)」を通じて、今の政治を操作しようとした形跡がないわけではない。
始皇帝はそのことに気づいていたのかもしれない。
そして「朕を始皇帝となし、後世は計(数)うぃもって数え、二世三世より千万世に至るまで、これを無窮に伝えん」。
始皇帝がただ単に、"一番最初"という事実だけの皇帝名にしたのだ。自分を”数字化”しておけば、後世の評価がはいるなどの余地はない。
なにしろ始皇帝は、韓非子の「法家」を採用し人間の感情を極力否定して国を治めようとした人物である。
自分は始皇帝を名乗るから、あとは二世三世の名で続けよということだが、皮肉なことに始皇帝の帝国は彼の死後すぐに崩壊をはじめる。
法家が人々の「対応」を悪くしたことは、荊軻による始皇帝暗殺未遂事件以外にも、次のようなエピソードが示している。
また、秦国の政治家・商鞅は、徳治を唱える儒家と対照的に、厳格な法による統治を説く「法家」の一人で、秦の孝公に仕えた人物である。
国政改革では法にもとづく信賞必罰を徹底した「法家」が主体となったが、孝公が没するヤ商鞅は「政敵」たちから激しい追及を受ける。
彼は都を脱出して函谷関で宿に泊まろうとしたが、宿屋の主人は彼の正体を知らずに「通行手形をもたない者を泊めては商鞅の法で罰せられる」と断った。
そして商鞅は逃亡の末、秦国により殺害されている。

聖書は神と人とのやりとりがあるが、「神が己に似て人を作った」とある。
それは、秦の始皇帝のように人間を奴隷として使ったものではない。
その根本にあるのは、神が人間を「対話できる存在」として造ったということ。言い換えると、神の言葉を受け入れることも拒否することもできる自由な意思をもつ人間として造ったということだ。
聖書は、神を「全能なる神とか、人智の及びがたき存在」と崇める一方で、神と人とがそれほど差があると思えぬほどの対話がいくつもある。
例えば、出エジプトの出来事において、十戒を受けにシナイ山に登ったまま帰ってこないモーセに対して人々は疑いを抱きはじめ、いつしか偶像崇拝に陥る。
その時、神はモーセに「直ちに下山せよ。あなたがエジプトの国から導き上った民は堕落し、早くもわたしが命じた道からそれて、若い雄牛の鋳像を造り、それにひれ伏し、いけにえをささげて、『イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上った神々だ』と叫んでいる」と。
神は更に、モーセに言われた。「わたしはこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。
今は、わたしを引き止めるな。わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする」と。
それに対してモーセは主なる神をなだめて次のように訴えた。
「主よ、どうして御自分の民に向かって怒りを燃やされるのですか。あなたが大いなる御力と強い御手をもってエジプトの国から導き出された民ではありませんか。どうしてエジプト人に、『あの神は、悪意をもって彼らを山で殺し、地上から滅ぼし尽くすために導き出した』と言わせてよいでしょうか。どうか、燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。
どうか、あなたの僕であるアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたは彼らに自ら誓って、『わたしはあなたたちの子孫を天の星のように増やし、わたしが与えると約束したこの土地をことごとくあなたたちの子孫に授け、永久にそれを継がせる』と言われたではありませんか」。
そこで神は下さんと下災いを思い直されたという。
モーセは別の場面にあるように、「もし我々を滅ぼしたら、この地上に神を崇める者がいなくなりますよ」といった気構えで神に訴えている。
まるで人間が神と交渉しているかのような話である。実際、神は下そうとした災いを思い直している。
そうした点で、ダビデほど神と濃密な「対話」を行った者はいない。
また、ダビデの子ソロモンは、神から「欲しいものを何でも与えるから宣べよ」といわれ、「民を治める叡智です」と応えたことが神の心を動かし、知恵ばかりか富も栄華も与えられている。
神は人間を「対話(レスポンス)できる」存在として創造した。同時に、神に委ねられたことに対して、いつか「申し開き(アカウント)する」存在として。