聖書の言葉から(つまずきの石)

ギリシア語で書かれた新約聖書「マタイの福音書13章」に、次のような場面がある。
「イエスはこれらのたとえを話し終えると、そこを立ち去り、 ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。『この人は、こんな知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。 この人は大工の息子ではないか。母はマリアといい、弟たちはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。 妹たちもみな私たちと一緒にいるではないか。それなら、この人はこれらのものをみな、どこから得たのだろう』。こうして彼らはイエスにつまずいた」。
さて、我々が日頃使う「つまずく」という言葉は、歩く時に足先を物に打ち当てて前へよろけることで、それ以外にはそれほど使われる言葉ではない。
しかし、聖書のにおいては頻出用語だ。
例えば、「主は聖所にとっては、つまずきの石 イスラエルの両王国にとっては、妨げの岩 エルサレムの住民にとっては 仕掛け網となり、罠となられる」(イザヤ書6章)とある。
そういえば江戸時代に、キリスト教を「棄教」することを「転ぶ」とよんだ。
それは、「つまずく」の延長が、「転ぶ」ということだからかもしれない。
面白いのは、日本語で「つまずく」と訳された言葉のギリシャ語(原語)は「スカンダロス」で、英語の「スキャンダル」の語源となっていること。
「スカンダロス」は、「憤った」とか「嫌悪の念を抱いた」とかいう意味で、当時つまづいた人というのは、イエスの言動に「嫌悪」の念を抱いた人に他ならない。
その多くは律法学者であり、パリサイ人であり、いわば熱心な宗教家たちであったといえよう。
彼らは、聖書(旧約聖書)をよく研究し、特に預言書の中から「キリストの誕生」を待ち望んでいた。
例えば「イザヤ書」はキリスト誕生の700年も前に書かれたものだが、キリストについて具体的に預言している。
誕生については「処女が身ごもって男の子を産む」家系については「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ」、十字架の死については「その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた」、復活については「永久に死を吞み込まれる」(イザヤ書53章)。
また、他の箇所にも数多くの預言書があるのだが、彼ら「専門家」にとって実際のキリストは「スカンダロス」となって、否定する側に回ってしまったのである。
この「スカンダロス」との対比で面白いのは、キリストの言葉と生涯を伝える文書を「福音書」とよぶことである。
「福音」とは「よい知らせ」を意味するギリシアを語源とし、新約聖書には、「マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ」の4つの「福音書」がある。
古代イスラエルはローマをはじめ大国の圧迫下にあり、多くの人々が解放者としての「キリストの誕生」を長く待ち望んでいた。
そのため、キリスト生誕は「よき知らせ」すなわち「福音」にほかならなかった。
しかし、そうした民衆の期待とは異なるキリストの姿をみて人々は「つまづき」、最後に「十字架」にかける。
実は、「福音を伝える者」(伝道者)のことを英語で「エバンジェリスト」という。世界的にもヒットした日本のアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公は、聖書とは違う使命をもった「使徒」の話である。
そして「エヴァンゲリオン」とは、「福音書」を意味している。
最近、NHKの「プロフェンショナル」で「新世紀エヴァンゲリオン」の作家の庵野(あんの)秀明の制作現場を伝える内容のものが放映された。
庵野は、1960年の生まれで、幼い時から「欠けて」いたものがあった。
それは 家族で遠出した記憶であり、父親は 事故で左足を失い出歩くことがままならなかった。
庵野は、「欠けて」いるものを埋めるように 「鉄人28号」に見入った。
最初に夢中になったのが「鉄人28号」で、見るだけでは飽き足らず自ら描くようになった。
その絵には ひとつの特徴があった。それは、足や腕をもがれた「鉄人28号」の姿であった。
庵野はとりつかれたように描き続け、高校卒業後 大阪の芸大へ。そのころには プロ顔負けのアニメを描くまでになっていた。
仲間と一緒に作ったアニメが大評判となった。ただ当時の評価は、人を描くのは苦手だが爆発を描かせたら「天才」というものであった。
手塚治虫もその技術の高さに舌を巻いたという。
そんな庵野は、23歳の時に宮崎駿と出会い、その下で仕事をこととなった。
宮崎が庵野に任せたのは、映画「風の谷のナウシカ」のクライマックスとなる溶けかかった巨神兵による爆破シーン。修正を入れられないほど緻密に描かれた原画は、宮崎をうならせた。
庵野は、28歳で 監督デビューするとヒット作を世に送り出していった。
そして33歳の時 立ち上げたのがあの企画「「新世紀エヴァンゲリオン」であった。そして音楽は、「残酷な天使のためのテーゼ」。
鹿野は、そこに人間を描きたいと思った。それは 自分の全てを作品に注ぎ込むことを意味した。
「自分の存在」を認めてほしいと渇望する主人公。主要なキャラクターもみな完璧ではなく 何かが「欠け」ていた。
こうした庵野の描写に、新約聖書のパウロの言葉を思い浮かべた。
パウロはもともとは熱心な律法学者として将来を約束されており、キリスト教徒は「スカンダロス」そのもので、パウロは彼らを捕縛することについて、飢えるほどの「使命感」をもっていた。
ところがパウロは突然、神の光を受けてキリスト教の使徒へと劇的に変貌する。
「使徒行伝」を読むと、パウロは自他ともに厳しい人物像が思いうかべるが、パウロが書いた手紙の中には「欠けたもの」をみつけることができる。
例えばコリントの教会への手紙の中で、「ごう慢にならないように私の肉体にトゲが与えられた」(コリント人への第一の手紙15章)書いている。
そしてこのトゲ除いててください神に願うが、神は「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」という応答があった。
そこでパウロは、神の力が覆うように自分の弱さを誇らんという信仰にまで至る。
そこでパウロは、「からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする」(コリント人第一の手紙12章)という境地にまで達している。

親鸞に「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉がある。
いわゆる「悪人正機説」であるが、人間はの煩悩は深く、たとえ善行を重ね、修行を積んでも限界がある。自力だけで極楽浄土に往生するのは難しく、仏の力に頼るしかないというのが、浄土真宗の「他力本願」の考え方である。
そのために仏にすがり「阿南無阿弥陀仏」とその名を唱えすればいい、と説く。
ある意味、これ以上に平等な思想はない。それだけに、法然らの専修念仏とよばれた布教活動は、他の宗派の反発を招き、やがて朝廷もまきこみ、法然も親鸞も流罪となるという事件を起こしている。
我々は法や規則にもとづいて暮らし、心の奥底まで信念や美徳、主義など多くのルールでがんじがらめになっている。
我々は、慣れ親しんだものを疑うことしないし、時には、自分の信念や真情に反することも、「生きる」ためには時に必要となる場面に出会う。
遠藤周作はある講演会で、こういう状況を我々も「踏絵」を踏むことがあると語っている。
ところで17世紀のイギリスの思想家フランシス・ベ-コンは人間の認識における陥穽を「四つのイドラ」としてまとめた。
「洞窟のイドラ」「劇場のイドラ」「種族のイドラ」「市場のイドラ」だが、「イドラ」とはラテン語で偏見や先入観を意味する。
さて、プラトンは、人間は洞窟に映しだされる「影」を真実だと思いこんで一生を過ごしていくようなものと譬えた。
結局、人間は光に照らされた真の「実在」(イデア)の存在さえ知ることもない「洞窟の住人」なのだ。
ベーコンはこうした人間の状態から起きる誤謬を、プラトンに倣って「洞窟のイドラ」と名づけた。
個人的に一番こここころに響いたのが、「市場(いちば)のイドラ」である。
ベーコンは、市(いちば)場において飛び交う流言飛語が人々を誤った方向に導くとしたが、現代においては人間を過ちを犯させる最大の原因は「市場(しじょう)評価」なのではあるまいか。
世の中で流通する物資の価値は「市場(しじょう)」できまる。それだけならまだしも、そんな中で、人物にも世間的(市場)評価がなされる。
我々は市場の評価を求めて生きるし、その価値に従って世の中をみてしまうこと。
人は、「売れ筋」に価値をおこうとするし、世間的に「売れない」ものを無視する。
キリストが人々にとって「スカンダロス」となったのは、世に捨てられた人々と交わったということが大きい。
冒頭に引用した聖句は、人々が抱いた「嫌悪」の一端を表した場面である。
「良きものは出ない」とされたナザレ育ちの大工のせがれが、突然に自らがキリストであるといい出したりしたら、たとえ奇跡や不思議が顕れたとしても、それは「神への冒涜」としか映らなかったのだ。
仮に、エリート階層の中にも「イエスに何かがある」と感じたとしても、そう簡単に耳を傾けることはできないはずだ。
「ヨハネ福音書」に登場するニコデモは、ユダヤ教の中でも熱心なパリサイ人であり、ユダヤ社会の指導者の一人であった。
この人が、イエスのもとを人目をはばかるように訪ねて来たのである。
例えば今日、大統領や首相が自分の決断に迷いを生じ、宗教家や占い師なんかを尋ねることをマスコミが掴んだらどうなるだろう。
イエスの行う様々な不思議やワザに自分の信仰を超えた「何か」があると感じたとしても、国会議員や教師をしている立場の人間が、30歳そこそこの大工に教えを請うと言うことにつき、どんな評判が立つのか恐れもあったにちがいない。
それでも夜やってきたニコデモは、まずイエスに挨拶をした。
「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできません」(ヨハネ3・2)。
ところがイエスはそんな挨拶の言葉にかまわず、叱られているいきなりニコデモの「核心」をつく。
「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と。
つまりイエスはニコデモに、先ずは「生まれ変わる」ことだと言ったのである。
ところが、ニコデモは「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」と応えた。
個人的印象をいえば、ナント即物的な応え。ユダヤの指導者で戒律もしっかり守る人でも、こんなふうにしかものごとを捉えることができなかった。
イエスからも「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか」と。
ニコデモは偉い人だったが、信仰や霊的な次元で見れば、実に幼稚な人だったのだ。
これは、人物評におけるベーコンのいう「市場のイドラ」にあたる。
一方、イエスが誰かの家で食事の席について居る時、多くの取税人や罪人たちも、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。
パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人(遊女など)や取税人たちと食事を共にしているのを見て、弟子たちに言った。
「なぜ、彼は取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
イエスはこれを聞いて言われた。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」と。
日本社会が徹底して「隔離政策」を行いその名前さへ変えさせ、故郷に帰ることも許されなかったハンセン病患者つまり「らい病人」と共にいたのである。
当時のユダヤ社会の中で、何らかの影響力を行使したいと思うならば、イエスのような行動がいかにマイナスの行為であるか、もっといえば正気の沙汰でないことは明白である。
またイエスが、片手の萎えた人をした時、人々はイエスを訴えようと思って、律法学者らは「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。
イエスは、安息日に羊が穴に落ちたら救わないだろうか。安息日のために人があるのではなく、人のために安息日があると答えている(マタイ22章)。
それにしてもこんな質問をする律法学者こそが、ものごとの本質を見失う「洞窟のイドラ」の穴の中に嵌り込んでした。
また、取税人の頭ザアカイとイエスは親しく交わりをなした。ローマの手先となってさせた人々。そればかりか、取税人はきまった以上の税金を絞りとって甘い汁を吸っているものとして人々に嫌悪されていた。
さらに、「天国で席につくのは取税人や遊女ような者である」と言ってのける(マタイ21章)のであるからして、当時のユダヤ社会の中で、イエスそのものが「スカンダロス」であった。
さて今日でも、イエスが生きた時代と大きくかわらぬ生活をしているユダヤ人がいる。
黒ずくめの衣服に大きな帽子、豊かなあごひげに、クルクル巻きの長いもみあげ、「超正統派ユダヤ教徒」と呼ばれる人たちで、イスラエルには、そんな人たちが100万人以上も住んでいる。
ユダヤ教徒の中でも最も忠実に聖書の教えを守って生きている人たちだ。
彼らはかつてのパウロと同じように、キリストを「救世主」とは認めていない。
ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を経て、移住したユダヤ人が1948年にイスラエルを建国した。
しかし意外にも、「超正統派」の多くは、メシア(救世主)が現れない限りはユダヤの主権は実現できないと、「イスラエル国家」を認めていない。
「イスラエル国家」を認めない点で、「ハマス」などパレスチナ人過激派と共通している。
そんな超正統派にとって最も大事とも言える場所が、男性のみが通う宗教学校「イェシバ」である。
そこに通うのは、ビジネスでも十分成功しそうな聡明な人々であるが、彼らは億万長者になるより、誰もが神の教えを理解できるようにしたいがために学ぶのだという。
女性は学校でも一般に近い教育を受けていて、仕事で収入を得て家計を支えるのは女性のほうである。
男性は宗教を学ぶ。女性はそれを支える。それが幸せになる道という考え方。
それにつき女性は不満がないのかといえば、男性が宗教界で成功すれば、妻や母の地位も上がる。
さて「目からウロコ」は、聖書由来の言葉である。
熱心な律法学者だったパウロが光をうけて目が見えなくなった際に、アナニアという人物に祈ってもらって「目からうろこのようなものが落ちた」(使徒行伝9章)とある。
また聖書が示す「時と期(間)」の預言では、「イスラエルが鈍くなるのは、異邦人に福音が広まる」(ローマ人への手紙11章)までの"間"であり、彼ら(イスラエル)もまた目が開かれる"時"がくるということ。

「この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。
この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
しかし、聖書に書いてあるとおり、”目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた”のである(コリントⅠ・1章)。
使徒の働き17章10~15節 「聖書を調べる」にある「聖書を調べる」というタイトルでお話したいと思います。テサロニケで伝道したパウロとシラスは、ユダヤ人たちのねたみによって迫害されたため、ただちにテサロニケを去って、ベレヤへと向かいました。
きょうのところには、そのベレヤでパウロがみことばを語った時の様子が描かれています。
ベレヤの人たちは、パウロが語ったみことばを非常に熱心に聞き、またただ聞いただけでなく、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べたために、多くの人たちが信仰に入りました。
だというのが基本的な考えである