髪の毛を白くも黒くもできない

最近、アメリカ大統領の就任式において、バイデン大統領が「宣誓」する姿をテレビで見ながら、聖書にある有名な「山上の垂訓」(マタイ5章から7章)の一節が思い浮かんだ。
その中でイエスは「昔の人々ひとびとに『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対たいして果たせ』と言いわれていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言いう。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座みざであるから。 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛け一すじさえ、白くも黒くもすることができない」(マタイ5章)。
アメリカの歴代大統領は、聖書に手をおいて「誓う」ことが慣例になっているようだが、神様よりみて果たしてこの「宣誓」はどのように映るのだろうか。
というのは聖書は、この世界のことばかりか、人ひとりの運命についてさえも、何かを「誓える」ほどに想定内で収まることばかりではないことを告げているからだ。
最近では、「ルーラー」という言葉をよくみかける。ルーラーはAI社会のアルゴリズム(計算手順)の設計者で、影のインフルエンサーといえよう。
このルーラーの手にかかると、我々は市民としての「総合評価」が下され、その評価によって結婚から就職、銀行利用にまで気づかぬうちに制限を受けたりする可能性もある。
昔の「プライバシーの権利」といえば、「私生活のことをみだりに公開されない権利」とされていたが、インターネットの時代では、「自分自身の情報を、自らコントロールすることができる権利」として新たに定義されている。
イエスは「山上の垂訓」で「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」(マタイ10章)と語ったが、AIとビッグデータとマイナンバーが組み合わせて使われては、もはや我々の個人情報は我々のコントロール下にはないのではなかろうか。
また、日本語になっている「豚の真珠」や「砂上の楼閣」といった言葉は、イエスが「山上の垂訓」で語ったたとえ話の由来するものであるが、最近のフェイク・ニュースやアルタナティブ・ファクトといった、「真実」が軽んじられる風潮にも、よく馴染む言葉のような気がした。
つまり、唯一であるはずの「真実」は、「豚に真実」「砂上の真実」へとなっていく。
今後「真実」はオーダーメイド、人々はお気に入りの「ファクト」を選び取るという気配さえある。
特に最近では、科学技術が人間の運命的なことにまで立ち入ってコントロールしようとしていることに、危うさを感じる。
その典型が「ゲノム編集」とよばれる遺伝子操作で、「デザイナー・ベイビー」などとう恐ろしい言葉さえ出来ている。
さてグローバリゼーションが進展すると、ヒト、モノ、カネが自由に動くが、巨大企業にとって邪魔なものが国家の枠で、それを取り払った方がさらに富を吸い上げるのに都合がヨイということに他ならない。
そうして出来上がる世界とは、ヒト、カネ、モノがより自由に動き、たくさんの労働者を安い賃金で働かせ、それを"中間"で吸収するものさえなく、一握りの人々が莫大な富を高く高く吸い上げるシステムのことだ。
のシステムはただちに髙い建物のことを意味するものではないが、どこか旧約聖書の「バベルの塔」の物語を思わせる。
人間が名をあげようと天にまで届かんとする搭を建てようとしたところ、神様が人間が互いに思い図ることはロクナことはないことだと、人々の言葉を相互に理解不能にして世界に散ったという話である。
新型コロナ下で、人間が「散る」ことを余儀なくされている今日に幾分似ている。
人間はAIとビッグデータで社会を完全コントロールしようとしているが、AIはこれまでの経験値と情報から期待値を出して、それを選択肢として伝えるものでしかない。
しかし、自然はこれまでとは違うことをするし、これまで存在しなかったものを作り出す。
物理学の世界に「エネルギー保存の法則」というものがあるが、実はこの世界のリスクは変えられるものではなく、人間があらゆるものをコントロールせんとすればするほど、想定しない規模の災害や未知のウイルスと遭遇していくのに過ぎないのではなかろうか。
さて、イエスは人間の様々な”計らい”の危うさについて次のようなたとえ話を語っている。
「ある金持の畑が豊作であった。そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして 言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。 すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」(ルカ20章)。

終戦直後に、自分の運命をさえ手なずけようとして破綻した一人の男が思い浮かぶ。その人物は、マクドナルド創業者・藤田田(ふじたでん)とは東京大学同期生で、山崎晃嗣という学生であった。
山崎は、戦後の混乱期の1948年、東大在学中にヤミ金融「光クラブ」を設立させ、商店主らに高利で金を貸し付け、事業を急拡大させて世間を驚かせた。
当時、反社会的で無責任な若者たちは「アプレゲール」とよばれ、山崎もその雰囲気のある人間で、東大で同期の三島由紀夫の小説「青の時代」のモデルにもなっている。
山崎は「私は法律は守るが、モラル、正義の実在は否定している。合法と非合法のスレスレの線を辿ってゆき、合法の極限をきわめたい」といった言葉を残している。
つまり山崎は、戦前の価値観が転倒し、金だけが頼りという「拝金主義」が蔓延した時代の「申し子」であったといえる。
とはいえ山崎は、交際していた女性の密告などもあり、「物価統制令違反」などの容疑で逮捕され、それがキッカケで事業が破綻し、青酸カリを飲んで自殺している。
山崎のように「金を稼ぐ」ことで力の限りを試し、世の中を騒がせた若者像は、平成の時代にも記憶に新しいが、かつて日陰の存在だった「金貸業」は、今やコンピューターを駆使した「時代の花形」にまでなった。
そのキッカケは、「ソ連崩壊」による冷戦終了後、アメリカの軍事産業から、金融業界に極めて優秀な人材が流れてきたことである。
彼らのIT技術を駆使して作り出す金融商品は、軍事的ノウハウの転用であり、極度なデジタル的商品であることが特徴的であった。
そして彼らが起こしたのが、LTCM事件である。「ロングターム・キャピタル・マネジメント」の略で、その昔、ソロモン・ブラザーズで活躍したトレーダーのジョン・メリウェザーの発案により設立され投資ファンドである。
1994年に運用を開始し、その取締役会の中には、FRB元副議長のデビッド・マリンズ、ブラック-ショールズ方程式を完成させ、共にノーベル経済学賞を受賞したマイロン・ショールズとロバート・マートンといった著名人が加わっていたことから「ドリームチーム」と呼ばれ、世界各国の金融機関や機関投資家、富裕層などから巨額の資金を集めた。
当初の運用手法は、流動性の高い債券がリスクに応じた価格差で取引されていない点に着目し、実力と比較して割安と判断される債券を大量に購入し、逆に割高と判断される債券を空売りする「ロング・ショート」というものであったが、その後、債券だけでなく、流動性がより低く、不確実性のより高い市場へと参入していった。
なお、破綻前の運用成績については、平均の年間利回りが40%を突破するなど大きな成功を収め、また最盛期には1000億米ドルを運用するまで規模を拡大していった。
LTCMは、設立以来、順風満帆であったが、1997年に発生したアジア通貨危機と、その煽りを受けて翌年に発生したロシア危機が状況を一変させた。
LTCMは、アジア通貨危機やロシア危機など、新興国に対するマーケットの動揺は短期間に収束すると予測し、それに応じた巨額のポジションをとっていた。
しかしながら、その予測は完全に外れ、マーケットの動揺(不安心理)は一向に収まらず、ついにはLTCMは実質的な破綻状態に陥り破綻する
LTCMがすぐに破綻すると、ただでさえ不安定となっていたマーケットに甚大な影響を与え、世界恐慌を引き起こす可能性さえも危惧された。
「ドリームチーム」の資産運用への期待はもろくも崩れ去ったが、LTCM事件に旧約聖書の次のような詩が思い浮かぶ。
「なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、もろもろの民はむなしい事をたくらむのか。 地のもろもろの王は立ち構え、もろもろのつかさはともにはかり、主とその油そそがれた者とに逆らって言う、” われらは彼らのかせをこわし、彼らのきずなを解き捨てるであろう”と。 天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられるであろう」(詩篇2)。

人間の様々な「計らい」の危うさについて、聖書は数々の例をあげている。特に旧約聖書の「歴代誌Ⅰ・Ⅱ」などは、どちらかといえば「不信仰者列伝」ともいえそうだ。
古代ヘブライ王国が北イスラエル王国と、南のユダ王国に分かれていた時代に、ユダ王国のヨシャパテ王は神をあがめ、民にも律法を守らせ安定した国を築いていた。
そのヨシャパテ王が同盟を結ぼうと、北イスラエル王国のアハブ王の都・サマリアを訪問した。
その時、アハブ王はヨシャパテ王に、ラモテ・ギルアデにおける「対シリヤ攻撃」に加わらないかと持ちかけた。
するとヨシャパテ王は「あなたとともに戦いに臨みましょう」と了承するものの、アハブ王に「まず、主のことばを伺ってみてください」と提案する。
そこでアハブは400人の預言者を集めて、この戦いの是非を伺せたたが、預言者たちはこぞって「上って行きなさい。そうすれば、神は王の手にこれを渡されます」と一致した見解を伝えた。
ヨシャパテ王はそのことにかえって疑念を抱き、「ここには、わたしたちがみこころを求める主の預言者がほかにはいないのですか」と質問する。
そこで、アハズ王はもうひとりいるにはいるが、その預言者はアハズ王に対していつも不吉なことしか預言しないために、彼を退けていると答えた。
ではその預言者にも、きいてみようと呼び寄せられる。すると預言者ミカヤは、案の定、アハズに下るわざわいを告げた。
そればかりか、預言者ミカヤは驚くべきことを語る。
「私は、主が御使いの大軍に囲まれて御座に着いておられるのを見ました。その時、主はおっしゃったのです。『だれか、アハブ王をラモテ・ギルアデでの戦いに誘い出し、戦死させるようにする者はいないのか。』いろいろな提案が出されましたが、ある霊が進み出て、『私にやらせてください』と言いました。
主が、『どういうふうにやるのか』とお尋ねになると、彼は答えました。『王のすべての預言者にうその預言をさせます。』主は、『それはよい。そのようにせよ』とおっしゃいました。
それで、ごらんのとおり、あなたの預言者はうその預言をしたのです。実際は、正反対のことを主は告げておられるのです」と。
それを聞いて怒ったアハズ王はこのミカヤを獄屋に入れ、自分が戦いから無事に戻って来るまで、わずかなパンと水をあてがうように命じた。
それに対して、ミカヤはアハズに「万が一、あなたが無事に戻って来られることがあるなら、主は私によって語られなかったのです」と答えている。
こうして、イスラエルの王とユダの王は、それぞれの軍を率いてラモテ・ギルアデに攻め上った。
アハズ王はヨシャパテ王に、自分は誰も気づかれないように変装するが、あなたは王服を着ていてくださいと言った。
二人は、そのとおりに出陣するが、シリヤの王は、このような指示を戦車隊に与えていた。「目標はイスラエルの王ただ一人だ! ほかのだれにも手を出すな!」。
シリヤ軍の戦車隊は、「王服を着た王」を見つけると、彼こそ目あてのイスラエル王アハブに違いないと思って襲いかかった。
ところがヨシャパテ王は大声で主に助けを求めると、主がシリヤ軍の戦車隊に”人違いだ”と気づかせたので、彼らはヨシャパテ王から離れた。
ところが、シリヤ軍の兵士の一人が、”何気なく”イスラエル軍に矢を放つと、それがなんとアハブ王の胸当てと草摺りとの間を射抜いたのである。
アハブ王は陽が西の空に沈むころ、目論見もむなしく息を引き取った。
さてもうひとり、神に「あざ笑われた」人物にヘロデ・アグリッパ王がいる。
このヘロデ・アグリッパの時代に、ペテロが御使いの導きによって牢獄から出るという”不思議”が起きるのだが、その夜が明けると兵士たちの間で、ペテロは一体どうなったのだと大きな騒ぎが起こっていた。
ヘロデ王は、「ペテロを探せ。必ず探し出して今日中に連行しろ」と命令を下した。
しかしペテロを探し出すことができず、番兵たちの不始末に、番兵たちを処刑するように命じた。
それからヘロデ王はローマ総督の管轄地区である地中海沿岸のカイサリアに行き、そこにしばらく滞在していた。
ヘロデ王がカイサリアに滞在していると聞いたフェニキア地方のツロとシドンの指導者たちは一同うち揃って王様を表敬訪問したのである。
ツロとシドンの地方は当時ローマの統治によるシリヤ州に属する地中海沿いにある町で、この地方はヘロデ王の国から食料を得ていた。
実はそれとは裏腹に、ヘロデ王は「ツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた」とある。 このまま王から敵意をいだかれたままだと、彼らの食料の確保についても不安定になってしまいかねない。
そこで人々は和解のためにエルサレムまでの長い距離をやってきたのである。
さて、定められたヘロデ王との面会の日がやってきた。ヘロデ王は王服をまとい、王座に座り、大演説をする(使徒行伝12章)。
集まった人々は口々に「これは神の声だ。人間の声ではない!」と叫び続けた。
人々が叫んでいるマサにその時、ヘロデの足元に一匹の虫が忍び寄ってくる。
王はばったりと倒れ、息が絶え死んでしまう。
ところで、聖書の主題のひとつは、人間の企みの危うさと神への信仰への確かさといってよい。
それは、特に旧約聖書の「詩編」にあふれている。
「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない 」(詩編91編)。
さすがにここまでは、神と深く交わったダビデでしかもてない信仰なのかもしれないが。

ヨシャパテ王は、南ユダ王国の民に律法を教えて、神様を知り、神様と交わり、 神様を礼拝し、神様とともに歩むことを教えました。ヨシャパテ王の治世の間、 神様は南ユダ王国を平穏に守られました。神様は神様を愛するものを愛してくださいます。
しかしながらヨシャパテ王が神様のみこころを求めないで決めてしまう事柄が ひとつありました。それは北イスラエル王国との同盟です。
北イスラエルの王アハブのところに、南ユダの王ヨシャパテがサマリヤを訪問したときの話です。
アハブはヨシャパテにラモテ・ギルアデの参戦を要請します。
「たまたま」放った矢がアハズの「胸当て」と「草摺」の間を射抜き、それが命取りとなった。
今回は南ユダ王国第4代のヨシャパテ王を取り上げたいと思います。 ソロモン王の後、王国は分裂し、北イスラエル王国と南ユダ王国になりました。 北イスラエル王国と異なり、南ユダ王国は、ダビデの子孫が王様になることが 了解されていました(Ⅱ歴代誌7:18、23:3)。南ユダ王国では基本的には神殿において イスラエルの神様がちゃんと礼拝されていました。しかしときには、 北イスラエル王国のバアル礼拝が持ち込まれたり、などすることもありました。 ヨシャパテ王は、その中でも、お父さんの第3代アサ王に続いて、 良い王様として覚えられます。神様とともに歩んだ(Ⅱ歴代誌17:3)からです。 「主はヨシャパテとともにおられた。 彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、その父の神に求め、 その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。」 (Ⅱ歴代誌17:3,4) ヨシャパテ王はどのように神様とともに歩んだのでしょうか? 治世の初め  ヨシャパテが王様になったのは35歳のときでした。すでに十分に成人し 分別がつく年齢になっていました。お父さんのアサ王が 「ただ一筋に喜んで主を慕い求め、 ・・・主は周囲の者から守って」(Ⅱ歴代誌15:15)くださって、 実に41年の長い間政権を担当するという良い模範を見てきました。 と同時にまた、アサ王は長い安息に慣れてしまって、その治世の36年、 北イスラエル王国のバシャ王の襲撃にあったときには、神様に拠り頼まないで、 アラムの王ベン・ハダテに助けを求めるという失敗をしてしまいます(Ⅱ歴代45:2~10)。 またその治世の39年に病気になっても 「主を求めることをしないで、逆に医者を求め」 (Ⅱ歴代誌16:12)ました。それを反面教師として学んでいました。  そこでヨシャパテ王がその治世の初めに行ったのは、 ひとつには「ユダにあるすべての城壁のある町々に 軍隊を置」(Ⅱ歴代誌17:2)いたこと、ふたつめには 「高き所とアシェラ像をユダから取り除いた」 (Ⅱ歴代誌17:6)こと、そして3つめ、おそらく最も大切なことでしょう。 つかさたち、レビ人、祭司によって「主の律法の書を ・・・ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教えた」(Ⅱ歴代誌17:7~9)こと、 でした。こうして神様を慕い、従う心を南ユダ王国の民全体にもたらしたのです。 その結果、神様はヨシャパテ王をいよいよ祝福し、周辺諸国から守り、 国内のインフラを整備させ、そして多くの勇士たち、 実に116万人もの勇士をお与えになったのです(Ⅱ歴代誌17:10~19)。 ちなみに日本の自衛隊は陸、海、空、総合幕僚会議を含めてもわずか 25万人にすぎません(2004.3.31.現在)。 ラモテ・ギルアデの戦い  ヨシャパテ王は、北イスラエル王国のアハブ王と縁を結んでいました。 あるとき北イスラエル王国の首都サマリヤを訪問したとき、アハブ王から、 アラムによって奪われた北イスラエルの領地ラモテ・ギルアデを 奪い返す戦いに参戦するよう求められます。そこで神様のみこころを伺う姿勢を 大切にしていたヨシャパテ王はアハブ王に、「まず、 主のことばを伺ってみてください。」(Ⅱ歴代誌18:4)とお願いします。 集められた400人の預言者たちは口々にラモテ・ギルアデを攻め上るように勧めますが、 ヨシャパテ王はどうもその答えに納得ができません。そこであえて失礼を省みず、 「ここには、私たちが みこころを求めることのできる主の預言者がほかにいないのですか。」 (Ⅱ歴代誌18:6)と聞きます。するとミカヤという預言者が召し出されます。 けれどもミカヤはアハブ王のご機嫌をとる預言者ではなく、 神様のみこころを伝える預言者でしたから、 日頃からアハブ王の望まない預言をするケースが多かったようで、 アハブ王から嫌われていました。案の定、このときも、 アハブ王がラモテ・ギルアデの戦いで戦死すると預言するのです。  結局、ヨシャパテ王はアハブ王とともに戦場に赴きます。 ミカヤの預言が気にかかっていたアハブ王は変装して出陣します。 アラム軍はアハブ王と思いヨシャパテ王に向かってきます。 ヨシャパテ王は神様に助けを叫び求めます。ヨシャパテ王はいつでも救いは 主から来ることを知っていました(Ⅱ歴代誌18:31)。 病気になっても救いを医者に求めた父アサ王とは違いました。 この戦いでひとりの兵士が何気なく放った矢でアハブ王は戦死してしまいます。 北イスラエル王国を政治、軍事、行政、あらゆる面で栄えさせたアハブ王は、 こうして神様の御声に耳を傾けなかったために、あえなく死んでしまいました (Ⅱ歴代誌18:33,34)。  このアハブ王をラモテ・ギルアデの戦いに出陣させ戦死させる方法を検討する、 天において開かれた会議の様子が、預言者ミカヤによって語られています (Ⅱ歴代誌18:18~22)。私たちは神様の御手の中に生かされている存在にすぎないのです。 アモン人、モアブ人、セイル山の人々の来襲  「この後、モアブ人とアモン人、 および彼らに合流したアモン人の一部が、ヨシャパテと戦おうとして攻めて来た。」 (Ⅱ歴代誌20:1) 父アサ王のときも長い平穏な時代を過ごしていたとき 北イスラエル王国のバシャ王が攻めてきて、アラムの王ベン・ハダテに助けを求める ということがありました。しかしすでに国内深くエン・ゲディまで進入している敵を前にして、 ヨシャパテ王のしたことは「ただひたすら主に求め、 ユダ全国に断食を布告した」(Ⅱ歴代誌20:3)ことでした。 すでに見てきたように116万人という勇士がヨシャパテ王にはいました。 彼らに頼ることで、死海の東側からやってきたおびただしい大軍に 立ち向かうことができたはずです。同盟している北イスラエル王国に 助けを求めることもできたはずです。ヨシャパテ王はよく知っていました。 「天におられる神(は、ユダ王国だけではなく) ・・・すべての ・・・国を支配なさる方で(あって) ・・・だれも、(神様)と対抗してもちこたえうる者は (いない)」(Ⅱ歴代誌20:6)こと、を。そしてカナンの地にイスラエルの民を 導きいれられた神様に、その地から追い払おうとしているアモン人たちを さばいて下さるように、訴えます(Ⅱ歴代誌20:7~12)。イスラエルを 今日まで導いてこられた神様に訴えること、天地万物の主権者に訴えること、 これこそ最大の武器であることをヨシャパテ王はよく知っていました。 神様は見えない御方ですから、私たちはついつい見えるものに頼りたくなるものですが、 神様の足跡をたどってみると、生ける神様こそ最も頼るべき御方であることが 分かります。世界は神様によって創造されたのですから、 すべてのものは神様の支配下にあります。神様は人を交わりの対象として 創造なさいましたから、神様を礼拝するものを大切になさいます。 神様は罪人を愛して御子イエス様を十字架に身代わりとして さばいてくださったほどですから、神様に信頼するものに 最もよい形で応えてくださいます。  ヨシャパテ王の訴えに神様は、レビ人ヤハジエルを通して 「この戦いはあなたがたの戦いではなく、 神の戦いである」(Ⅱ歴代誌20:14,15)と答えられます。 さらに「この戦いではあなたがたが戦うのではない。 しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救いを見よ。」 (Ⅱ歴代誌20:17)と告げられます。ヨシャパテ王もユダの人々もエルサレムの住民も、 主を礼拝し賛美します。そして翌朝、出陣するのですが、 実に武装した兵士の前を賛美する者たちが先に進むのです。 そしておそらく出陣してまもなく「主に感謝せよ。 その恵みはとこしえまで。」(Ⅱ歴代誌20:21)と喜びの声、 賛美の声をあげ始めたとき、ユダ王国の勇士たちが参戦する前に、 神様が供えられた伏兵によって戦端は切られ、アモン人、モアブ人、 セイル山の人々の同士討ちが始まり、その大軍は全滅してしまうのです。 ヨシャパテ王とユダの民がしたことといえば、 3日もかけて分捕りものを集めまわったことだけでした。  神様は生きておられます。神様を愛するものに最善をもって応えてくださいます。 そして御自身の栄光を私たちに見せてくださいます。 モアブ成敗  北イスラエル王国のアハブ王がラモテ・ギルアデの戦いで戦死したことを、 先に見ました。その後、北イスラエル王国はアハブの息子アハズヤに引き継がれ、 さらにその弟ヨラムに引き継がれていました。しかし絶大な力を誇ったアハブ王が死ぬと、 モアブの王メシャはさっそく北イスラエル王国にそむき、みつぎものを納めるのを やめてしまいます。これを成敗しようと、北イスラエル王国のヨラム王は、 南ユダ王国のヨシャパテ王と、その南のエドムの王に呼びかけ出陣します。 このときの戦いについてはすでに「預言者エリシャと奇跡」ですでに触れましたので 詳しいことは書きませんが、このときも、北イスラエル王国の王ヨラムが 絶望しているときに「ここには主のみこころを 求めることのできる主の預言者はいないのですか。」(Ⅱ列王記3:11)と ヨシャパテ王は尋ねます。そして預言者エリシャが登場し、ヨシャパテ王のために 預言します。結果、戦いには勝利しますが、モアブは北イスラエル王国の支配から 脱することになります。  ここでもヨシャパテ王は、神様のみこころを尋ねることを拠りどころとしていて、 神様はその信仰を喜んで答えてくださっております。 神様とともに歩む  「神とともに歩んだ」と聖書の記述者が記しているのは、エノク(創世記5:22,24)、 ノア(創世記6:9)、そしてヨシャパテ王(Ⅱ歴代誌17:3)の3人だけでしょう。 それだけにこの時代に、聖霊がそのように証印したヨシャパテ王の生き方は さいわいなものであったと思います。  実際その生涯の3つの戦いについても、 けっしてヨシャパテ王は仕掛けてはいないのです。 ラモテ・ギルアデの戦いはアハブ王が仕掛けた戦いですし、 モアブ成敗もヨラム王が仕掛けた戦いです。いずれも出陣してはいますが、 ヨシャパテ王の戦いの様子は記されていません。 アハブ王もヨラム王も欲があったので戦いを望みました。 けれども平和の神様とともに歩んでいたヨシャパテ王は自らは戦いを望まない 平和の王でした。アモン人、モアブ人、セイル山の人々が来襲したときも、 結局戦いは交えてはいません。このときは神様が守ってくださって、 諸国に神様の威光が現わされることになりました(Ⅱ歴代誌20:29)。 イエス様を捕えにきたユダと群集に対して、ペテロが大祭司のしもべに撃ってかかって、 その耳を切り落としたことがありました。イエス様がそれをいさめ、 いやされ、そして「わたしが父にお願いして、 十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができない とでも思うのですか。」(マタイ26:53)とおっしゃいました。 ヨシャパテ王にも先に見たように多くの勇士がいましたが、 あくまで戦うためではなく、備えるための軍団でした。  ヨシャパテ王は神様が生きている力ある神様であることをよく知っていました。 ふたつの戦いでは、預言者によって神様のみこころを尋ねるよう求めていますし 、来襲があったときには直接神様に訴えています。つねに神様とともに歩んでいました。 かつてアハブ王は、預言者エリヤとバアルの預言者450人が、 「火をもって答える神、その方が神である」 (Ⅰ列王記18:24)と、対決したことをよく知っていました。 にもかかわらず生きて力ある神様にゆだねることはなかったのです。 38年もの間、病気にかかっていた人をいやしたイエス様が、ユダヤ人たちに、安息日にいやしたことによって迫害されたとき、「わたしの父は 今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」 (ヨハネ5:17)と答えられました。神様は生きて働いておられます。  ヨシャパテ王は、南ユダ王国の民に律法を教えて、神様を知り、神様と交わり、 神様を礼拝し、神様とともに歩むことを教えました。ヨシャパテ王の治世の間、 神様は南ユダ王国を平穏に守られました。神様は神様を愛するものを愛してくださいます。 しかしながらヨシャパテ王が神様のみこころを求めないで決めてしまう事柄が ひとつありました。それは北イスラエル王国との同盟です。 父アサ王の時代に北イスラエル王国のバシャ王に攻め込まれたことがありました。 それを教訓にしたことでしょうか。それともイスラエル民族はひとつである という信念に基づくことでしょうか。最初、アハブ王と縁を結びます(Ⅱ歴代誌18:1)。 長男ヨラムの妻にアハブ王の娘アタルヤを迎えるのです(Ⅱ歴代誌21:6)。 そのアハブ王とはラモテ・ギルアデの戦いにともに参戦するという願わない戦争を 経験することになったことはすでに見たとおりです。次にアハブ王の息子アハズヤ王と 同盟を結びます(Ⅱ歴代誌20:35)。それはタルシシュへ行く船団をつくるためでしたが、 みこころにそむくことであったので船団は難破します(Ⅱ歴代誌20:36,37)。 さらにアハズヤ王の弟のヨラム王と同盟を結び(Ⅱ列王記3:7)、 先にみたモアブ成敗に出かけてまたもや無益な戦いをすることになります。 ヨシャパテ王は神様に拠り頼んださいわいな王様でしたが、 同族北イスラエル王国との同盟については当然のこととして みこころを尋ねなかったようです。最も恐ろしい結果を招くことになるのは、 縁を結んだことでした。ヨシャパテ王の時代には問題は起こりませんが、 次のヨタム王の時代になると、まずヨタム王は、ヨシャパテの子ども、 つまり自分の兄弟をひとり残らず殺してしまいます(Ⅱ歴代誌21:4)。 妻アタルヤの影響でバアル礼拝を持ち込みます(Ⅱ歴代誌21:11)。 ヨラム王が主に打たれて病死すると息子アハズヤが王位に就きますが、 母アタルヤが院政を行ない(Ⅱ歴代誌22:3)、ますます混乱に拍車がかかります。 アハズヤ王が神様のみこころによって北イスラエル王国の将軍エフーに殺される (Ⅱ歴代誌22:7)と、母アタルヤ自身が王位に就き、ユダ王家の属するものを ことごとく殺してしまいます(Ⅱ歴代誌22:10)。 ついにアタルヤ自身が殺されてしまいます(Ⅱ歴代誌22:15)。 この混乱のそもそもの原因はヨシャパテ王の同族北イスラエル王国に対する 考え方にありました。確かに同じイスラエル民族ではありましたが、 北イスラエル王国は金の子牛をつくってイスラエルの神様として拝み、 アハブ王の妻イゼベルが持ち込んだバアルを礼拝する国民でした。 神様はこれを憎んでいましたが、ただ同族というだけで、 神様のみこころを求めなかったヨシャパテ王の姿勢は、 後に大きな禍根を残すことになったわけです。  現在カトリックとプロテスタントが共同で翻訳したという 「共同訳」という聖書が出版されています。同じクリスチャンであるということで 歩み寄ろうということですが、今の妥協は後に災いを招く結果になることを 危惧しないわけにはいきません。