現代版「版籍」提供

1867年に「大政奉還」という出来事があった。それは、江戸幕府(徳川将軍)の持っていた政治の大権を天皇に返上するということである。
ただ、明治政府の各藩に対する権力はまだまだ脆弱で、政府が政治の実権を握るための第一段が「版籍奉還」であった。
これまでの藩主だった者は、地方行政官の役職である「知藩事」に改めて任命された。
しかし、「知藩事」と名前が変わっただけの元藩主。あまり「実効性」はなかった。
そのため政府は、「廃藩置県」に踏み切る。藩の制度を廃止することは、新しい国づくりに欠かせないものだったが、当然「抵抗」が予想される。
そのため、薩長土三藩出身の兵からなる親兵が用意された。
しかし反乱が起きなかったのは、なんといっても「天皇の権威」がものをいったと考えられる。
結局、知藩事たちは全員失職させられたが、そのかわりに新たな貴族階級をつくり、元藩主の家系は「華族」になり、元藩主の知藩事に代わる存在として、中央政府から「知事」が派遣された。
「知藩事」から「知事」へと仕事の引き継ぎが行われる場合、行政担当の間で「版」(土地)と「籍」(戸籍)の文書(情報)が渡ったはずである。
何故なら、「廃藩置県」は中央集権化という政治的な意味ばかりではなく、税収や土地管理という国の「財源確保」の意義が大きかったからだ。
また明治維新は、「太政官」などの官職名などをみても「古代天皇制」の復活という側面があった。
7C大化改新で「公地公民制」を掲げ、戸籍と土地を把握しようとしたことは、かつて豪族が握っていた人々を「公民」として、「兵役」と「徴税」の対象とするためであった。
要するに、大政奉還から廃藩置県までのカナメは、「徴税権」および「徴兵権」が、幕府や藩から朝廷に返還されたといってよいだろう。
古代律令制では、「位田」や「職田」の支給のために必要な皇族や貴族に関する情報を除いて、家族構成・年齢・性別ぐらいで十分だった。
しかし現代は民主主義の時代、人々は様々な意見を表現する自由がある。それはある意味、政府にとっては危険なことである。
そのため政府は出来る限り国民の「個人情報」を把握する方が、国民を統制しやすくなる。
現代版の「版籍」を、「版」を経済資源(財産)、「籍」を個人情報に読み替えてみると、現代において「版籍把握」で飛躍的に国民を治めやすくなる。
世界的に、こうした「現代版版籍」を掌(つかさど)るのがGAFAと呼ばれるプラットフォーマーである。
中国では、プラットフォーマーが、中国にはあらゆる組織や人に対して国家の情報活動を支援し協力するよう義務づける「国家情報法」という法律がある。
中国共産党は、その「版籍提供」と引き換えに、彼らに経済活動の自由を許容しているということなのだ。
そして市民が政府・大企業へと個人情報・行動記録を自ら提供することと引き換えに、安全かつ快適な生活を享受するという「幸福な監視国家」のビジョンを掲げている。
これらのサービスの提供者が「アリババ」と「テンセント」といった”プラットホーマー”。
それは、多くの情報を一元的に管理する元締めのような存在と考えてよい。
中国で定着した「キャッシュレス」とは、すべての購買行動と付随する情報がプラットフォームに記録として残ることを意味する。
アプリストアとして集客力のあるアリババに集まった情報が”まるごと”中国政府にわたり、巨大プラットホームが形成される。
中国では市役所の仕事はすべて電子化され、中国の監視社会化をさらに強化している。
政府が住民のスマホに”スパイウェア”のインストールを義務付け、その行動を監視したり、健康診断を通じてDNAや虹彩などの”生体情報”まで収集したりしている。
コロナ以後においても、誰と誰が「濃厚」に接触したかまで把握することになろう。

最近、「富山の薬売り」という営業マンが我が家を訪れた。昭和生まれの人々にとって、薬の「置き箱」のことを思い浮かべる人も多いであろう。あれこそが「富山の薬売り」方式である。
各家庭に定期的にやってきて、薬箱の状況から不足した分の薬を補充していく方式である。
「富山の薬売り」氏によって、今日においてもその方式は変わらないということを知ったが、さすがに「データ管理」については帳面頼りというわけではないであろう。
ただ気になったのは、これだけの個人情報を公的機関が押収したらどうだろうかということだ。
なにしろ当時は藩を越えて商売することは、厳しく規制されていたので、非常に異例のことだった。
そもそも、どうして富山県でそれほど製薬業が盛んになったのか。ルーツは江戸時代にさかのぼる。
1690年、とある大名が江戸城中で腹痛を起こした時、二代目富山藩主の前田正甫(まえだまさとし)公が持っていた、越中富山の秘薬である「反魂丹(はんごんたん)」を分け与えた。
すると、大名の腹痛はたちまち治まり、「越中富山の薬は効く」という噂が広まり、越中富山から諸藩への薬の販売が、認められるようになった。
諸国の大名が、自分の藩でも越中富山の薬を売って欲しいと懇請し、藩主の前田正甫公もこのこと奨励したため、「富山の売薬」は全国的にしられていく。
富山の売薬の販売小式は前述のように「配置薬業」で、その命ともいうべきなのが、顧客台帳「懸場(かけば)帳」である。
「懸場帳」には、顧客の家族構成と健康状態かかりやすい病気の傾向よく使われる薬、1家庭ごとの売上高、家庭ごとの在庫内容など、顧客の家庭に関する様々な情報が書かれている。
そのため、顧客の家庭に対して、健康に関する様々な助言 無駄のない有効な置き薬の提案などに活用でき、顧客との信頼関係の向上に役立てることができる。
江戸時代、パソコンもインターネットもなかった時代、一つ一つ、足で稼いだ顧客リストにどれほどの価値があったのか。
「懸場帳には、値段はつけられない。火事になったら、薬をあきらめてでも懸場帳を持って逃げる」と言われるほどだが、顧客の家庭と継続的な関係性を築く必要のある業種(保険営業等)では、この仕組みを活用して、ビジネスを組み立てている企業もある。
顧客情報さえあれば、何でもできる!ということだ。
昔からある「懸場帳」は国民の健康情報の集積だが、国民の「内面の情報」に関わる情報の集積もある。
見落としがちだが、図書館の利用情報もネットの利用情報と共に、「表現の自由」に関わるものである。
公共図書館が警察などの捜査機関に利用者の情報を提供していたケースが明らかになった。
憲法が保障する「表現の自由」「内心の自由」を脅かす恐れがあるとして、日本図書館協会や専門家からは懸念の声があがる。
特に、行政のデジタル化が進み、データ活用が進んでいるだけに、心配されている。
北海道苫小牧(とまこまい)市の市立中央図書館。蔵書約19万冊を持ち、年に約30万人が利用する。そんな地域の拠点というべき図書館から、市民の情報がもれていた。
2017年、ある利用者が借りていた本の書名や予約状況を北海道警苫小牧署に提供していたのだ。提供が発覚したのは18年10月の市議会で、担当者は「情報提供に違法性はない」と強調したが、批判が高まった。
というのは、道警の提供要請は、裁判官が出す「捜索差し押さえ令状」に基づくものではなく、任意捜査である「捜査関係事項照会」によるものだった。
なぜ、警察は令状なしの照会という手法をとるのか。ある捜査関係者は令状は手間がかかる。事件を早く解決したいし、捜査員の数も限られている。捜査関係事項照会は刑事訴訟法で定められた手続きなのだから問題ないという。
しかし、札幌弁護士会はこれを問題視し、「利用者情報はプライバシーに関わる。収集するなら令状に基づくべきで、裁判所は厳格にチェックすべきだ」と、令状なしの照会には応じないよう図書館に求めた。
憲法21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とし、国民が国家権力から不当な制限を受けずに言論活動する自由を保障している。
どんな本を読んでいるかを警察や国家権力に知られる恐れがあれば、利用者は萎縮しかねない。
1995年の地下鉄サリン事件で、警視庁は国会図書館の50万人以上の利用記録を差し押さえ令状で押収した。だが、同館は「任意捜査」には提供を拒んだという。それは「図書館の自由宣言」に沿った対応だった。
日本図書館協会は1979年、図書館の憲法ともいわれる「図書館の自由に関する宣言」を改定し、こう記した。
「図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする」。
本当に必要不可欠な捜査なら令状を持ってくる。照会で済ませるのは広く網をかけるためで、応じる必要はないと判断できるケースが多いという。
最近、「デジタル庁」を創設するデジタル改革関連法が成立し、政府はデータの利活用を後押しする。個人情報保護法も改正され、公共図書館を持つ各自治体は、全国共通ルールの下に置かれる。
だが、「貸し出し履歴」は、個人情報保護法のガイドラインで、取得の際に本人の同意が不可欠な「要配慮個人情報」にはあたらないとされている。
公共図書館では本の返却と同時に消去するケースが多いというが、法的なルールにはあいまいさが残り、現場の倫理に任せられているという。

「社会主義」の定義は、かつては「生産手段の共有化または国有化」であったが、生産手段は私有化が認められる一方で「個人情報の国有化」が進んでいる。
近年、古代の中華思想を髣髴させるようなカタチでその監視体制が周辺諸国に及んでいる。
今思えば不気味な前兆として、香港の「雨傘革命」あたりから、反中国的な本を販売していた書店経営者が相次いで行方不明というものがあった。
最近のニュースで驚いたのは、日本のLINEの利用者は、日本国内で使っている方ももう9000万人近くに及ぶがサーバーを中国においていたという。
地方の自治体なども住民票を出すのに使っている。
そこで、ユーザーの電話番号や本名といった個人情報が、業務委託先の中国・大連の拠点にいる中国人技術者から閲覧可能だったことが分かっている。
そして現代日本も、菅政権肝いりの「デジタル庁」の設置により「組織横断的な情報」の集積が進むということもある。
利便性は高まるが、「地方行政」の一端を担うことにもなった民間企業から「版籍」情報が、政府側になんらかの交換条件の下で、差し出されたらどういうことが起きるか。
日本でも、「学術会議」のメンバーの任命拒否などにみられるごとく、「監視国家」への流れにある。
それが「幸福な監視国家」に向かうなどというのは幻想にすぎないことを、最近の中国の動静が示している。
しかしながら、国家が民間が蓄積した情報を活用する点について、「危険性」ばかりを指摘したら公平性を欠くことになる。
というのも、最近DXという言葉をよく聞くようになったことによる。
DX(デジタルトランスフォーメーションとは、2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授によって提唱された概念。その内容は「進化し続けるテクノロジーが人々の生活を豊かにしていく」というもの。
周知のとおり、「コロナ禍」は日本における行政サービスの遅れを浮き彫りにした。
保健所が個人データを利活用できる体制が整っておらず、職員はアナログ的な処理を求められ加重な負担がかかっているのは、現場の映像をみるだけでもよみとれた。
昨春の一律10万円の現金給付や飲食店などへ「持続化給付金」の遅れにも表れた。行政がすでに保有する個人や店舗のデータを利用できれば、もっとスムーズに対応できたはずである。
一方、民間で行動履歴までもがデジタル技術で個人データとして記録され、それらの情報がやりとりされている。
DXの本質は「横に繋がる」ことであり、様々な壁を打破して、いろいろなものをフラットにつなげていくということである。
例えば、携帯電話番号は、認証や電子マネーの決済など多くのものに「ひもづけ」られている。
ただ、同じように行政サービスを横につなぐために導入された政府のマイナンバーは普及がすすまず、あまり機能していない。
しかし、なぜ行政のDXがこんなに遅れたのかといえば、理由は個人データの「活用」よりも「保護」に長らく重きが置かれてきたということがある。
折しも成立した「デジタル改革関連法」、それに基ずく「デジタル庁設置」は大きな転換点となりうる。
かつて日本は「介護用ロボット」の開発において世界トップを走りながら、その普及が必ずしも進まなかったのは、関係する省庁の「縦割り」が原因だといわれている。
現在、日本企業が開発にしのぎをけずるドローンや自動運転の支援や規制には、多くの省庁が関わるため、ひとつひとつ調整していては、時間がかかり海外勢におくれをとる。
DXには、第一段階の「業務改善」と、第二段階の「産業・社会構造変革」の二段階あるといわれる。
カメラを例にすると、第一段階はフィルムカメラをデジタルカメラに変える。
写真現像の工程がなくなり、オンライン上で写真データを送受信する仕組みが生まれる。
︎第二段階は、データを使った新たなサービスやビジネスの仕組みが生み出され、SNSを中心にオンライン上で世界中の人々が写真データをシェアするようになる。
AI(人工知能)は、DXを実現するために活用されているデジタルテクノロジーの代表格の1つで、既にPCやスマートフォンといった身近な電子機器の中にも取り入れられ、医療やゲーム、音楽などあらゆる分野において革新をもたらしている。
さらに、個人のデータがプロファイリングなどのデジタル技術で分析され、意志や選択を操作されることや、「個人の尊重」を脅かすとみなされてきた。
その一方で、コロナ禍は、行政が個人データを適切に扱えないことが、別な意味で「個人の尊重」という価値を損ねていることを明らかにした。
個人データの積極的な活用こそが対応を早め、各人を救うことにもなる。
DXのコンセプトは、官と民の壁を取り払い、互いがもつデータを活用して街の困りごとやニーズを把握して、自分達が望む生きかたを実現するということ。
例えば官民の連携で、空きスペースや空き時間を有効活用できて、ワクチン接種のスピードもあがる。
経緯はしらないが、高等学校にも「eスポーツ科」をもうけて不登校問題を解決しようという動きもある。
自宅でひきこもってゲームするくらいなら、学校でeスポーツの場をもうけて居場所を創ろうという、官だけでは生まれない発想だ。
「幸福な監視国家」への動きは西側諸国でも生じているが、それらは全て市民(社会)の”チェック”が入ることが原則になっている。
大事なことは、自分のデータがどのように使われているかを知ることができる「透明性」の確保である。
とはいえ、今ミャンマーで起きているような事態になれば、軍事政権に「版籍提供」がなされそのチェックがきかずに「不幸せな監視国家」となる。