「擬死」という戦略

国際政治のリアルは、我々のごく身近な「日常」の中にも潜んでいる。
例えば、東京の西部に位置する横田基地を中心とした首都圏の上空、いわゆる「横田空域」では米国の管制下にあるため、民用航空機を含む日本の飛行機が自由に通行できない。
それゆえ、日本の各航空会社は東京から航空便を出発する際、この空域を迂回しなければならず、その分、航空運賃も高くなっている。
そんな「空の領域」があることを初めて知ったのは、NHK「プロジェクトX」(第73回/2001年)であった。
1972年、日本への復帰に沸く沖縄で、人々を震撼させる出来事が起きた。東南アジアから恐るべき害虫が飛来したのである。
「ウリミバエ」~体長わずか8ミリのこの虫は、カボチャ、ピーマンなどの野菜に寄生し卵を産み付ける。
野菜には瞬く間にウジが沸き、腐ってしまう。
世界各地で猛威を震い恐れられていた、史上最悪の害虫「8ミリの悪魔」だった。
天敵のいない沖縄の島々でウリミバエは大繁殖し、次第に北上しはじめた。もし、本土に上陸すれば、日本の野菜全体が壊滅的な被害を受ける。
日本政府は「植物防疫法」により、沖縄県からの野菜の持ち出しを厳禁した。
そして、沖縄全域からウリミバエを根絶しようと、沖縄県農業試験場の研究者を中心に、プロジェクトチームが結成された。
そのリーダーは農家の息子である植物防疫官だった。
しかし、農薬を持ってしても根絶出来ない最強の害虫を前に、プロジェクトは行き詰まってしまう。
そんな中、政府から「奇想天外」な根絶方法が提案された。
アメリカの学者が唱えるその方法とは、放射線「コバルト60」をハエに照射して、生殖細胞を破壊。繁殖力を失ったハエを増殖させることで、何十年もかけて撲滅するという作戦だった。
そしてリーダーの植物防疫官の下でスタッフが飼育室に泊まり込んでハエの世話をした。
それは、ハエを駆逐するために、ハエを育てるという、実に奇妙な仕事だった。
そして1974年11月には、100万匹の「不妊虫」が生産された。
これを沖縄周辺の島々に撒いて行って、ひとつの島ごとにウリミバエを撲滅していく作戦であった。
作戦が始まって 1年、2年と過ぎる中、ハエが減り始めた。
しかし本土復帰を果たした沖縄本島には、他の島々にはない特殊な問題があった。
ウリミバエ達はすでに米軍基地にも潜んでいたのだが、そこは日本人には手出しができない「航空上の制約」があったのである。
植物防疫官は、自ら持参したデータを基に、ヘリコプターで基地内に「不妊虫」を撒くしかないと米軍に訴えるが、「調査」だけなら認めるが、上空から「何か」を撒くなどということは、絶対に認められないという回答であった。
しかし幸いにも、米軍兵士の中にひとりの昆虫の研究者がいて、ウリミバエの恐ろしさをよく知っていた。そのアメリカ人研究者に間に立ってもらって交渉したところ、ようやく「許可」が下りる。
基地上空から「不妊虫」をばらまく撲滅作戦が始まって20年以上もかけて、ついに沖縄からウリミバエは根絶される。

最近、沖縄のウリミバエ撲滅プロジェクトの沖縄県農業試験場の青年の一人が、今や世界的な昆虫学者となっておられることを知った。
岡山大学の宮竹貴久教授で、「リアル・ドラゴン桜」とも称されているという。
この宮竹教授のことが知られ始めたきっかけは、「進化生物学」の観点から見たワクチン接種計画への提言であった。
そこには、害虫(昆虫)とウイルスとの違いはあるものの、沖縄で体験した「ウリミバエ」との戦いで体験したことが書かれていた。
宮竹教授のオンラインによると、ウイルス変異株が問題視されている昨今だが、ウイルスに変異株が現れるのは進化生物学的に言えばあたりまえのことで、ウイルスはワクチンに対抗して変異し、「ここから“いたちごっこ”が始まる」と、その可能性を示唆していたのである。
つまりワクチン接種が加速的に進んだとしても、ワクチンに対する抵抗力が少しでもある変異体が現れると、それが瞬く間に置き換わっていく危険性がゼロではないと、早くから指摘していた。
実際に、「アルファ株」から始まった新型コロナウイルスは、現在はより感染力が高い「デルタ株」、さらにはワクチンが効きにくい南米の「ラムダ株」も発見されている。
宮竹教授は、沖縄にてその“いたちごっこ”を昆虫の世界で体験している。
放射線を当てて不妊化したオスの成虫をヘリコプターで大量に撒き、繁殖を封じ込める。
だが虫を撒くスピードが緩むとメスが学習し、正常なオスを見分けるようになる。
その意味で、プロジェクトは時間との闘いであり、結局21年もの闘いの末に、ようやくウリミバエの根絶に成功したのである。
我々がゴーヤやマンゴーなど沖縄の食べ物を食べられるのも、そのお蔭である。
宮竹教授は、現在進行中の新型コロナウイルスのワクチン接種計画につき、昆虫学者の立場からワクチン接種も「敵」猶予を与えることなく「一気にやるべき」というものであった。
ところで宮竹教授は子供のころから虫が大好きだったのだが、現在の道ににつながった直接のきっかけは、沖縄県職員時代に趣味で始めたアリモドキゾウムシの「死んだふり」(擬死)という行動だったという。
そして、虫の「死にまね」が生き残りに本当に役立っているのかについて、ちゃんとしたデータがまだ存在しないことに気がついた。
自分がそれをやってみようとワクワク感でいっぱいになった。なにしろ、世界でこれに気付いているのは自分だけだったからだ。
そしてアリモドキゾウムを、擬死を行う集団と擬死をしない集団で比較することにした。
その結果、前者の方が生存率が髙いことを実証した。
その後、宮竹教授は、岡山大学の教授に就任し、これまで集めた擬死に関するデータに基づく論文が世界的に権威ある科学誌で紹介された。
そればかりか、海外の名門大学で使われる生物学の教科書で、一章分が「擬死」で占められるほど大きく扱われる。
研究をやり始めたころは「そんなことをやって何になるんだ」と言われたが、世界で誰もやっていないことを公表すると人類の知識が一つ増えることになる。
それは小さくても大事なことなのではないかと思い続けてやっていた。
そして、どんな小さな分野でも、その道を究めてトップランナーとして走ると、見えてくる世界が違う。
最近では、虫の「死にまね」の研究が人間の医療に応用できる可能性も見えてきているという。
出口の見えない「基礎研究」の重要さを改めて思わせられる。
実は、宮竹教授は「リアル・ドラゴン桜」とも称されている。受験勉強を始めた頃の偏差値39からの大逆転があったからだ。
大学受験の頃は「虫ばっかり取って受験勉強まったくしていなかった」とか。
当時の偏差値は39.5で、得意なはずの生物も偏差値41。志望大学はすべてD判定だった。
しかし、好きな生物の比重が大きかった琉球大学にすべりこんだ。
ところが、沖縄で好きな昆虫の研究に没入するつもりが、沖縄の海の誘惑に駆られ遊んでばかり、場末のクラブでバンド活動に明け暮れていたという。
しかし琉球大学3年次に「生物の行動学」に出会い、「世の中にこんな面白い学問があるのか。これは遊んでいる場合じゃないぞ」と一念発起する。
それが、昆虫が死んだふりをする「擬死」という行動であった。
日本では、昆虫の「擬死」について、岡山大学・酒井正樹名誉教授による先駆的な研究がある。
酒井教授を恩師とする北海道大学電子科学研究所の西野浩史助教は、「神経行動学」が専門で、昆虫を実験台にして、刺激を与えた場合の行動や神経反応などを調べている。
西野助教授によると、コオロギの脚の値付け付近を指で押さえながらうごけなくすると、逃げようと暴れていたコオロギが、突然動かなくなる。
逆さづりにしても微動だにせず、死んでしまったように見えるが、指を離してしばらくすると、再び動き始める。
拘束中に暴れようとすると、足の筋肉に震えが起き、足の「弦音器官」とよばれる感覚が刺激されて硬直が始まることを突き止めた。
この器官を除去すると、死んだふりをしにくくなることも判明した。死んだふりには外敵に狙われにくくなる効果があるとみられる。
例えばコオロギを食べるカエルは、視界に入った動く昆虫などを狙うことで知られる。
コオロギが外敵から逃げようと石ころの隙間などに滑り込んだ際に、脚が押さえつけられて擬死を起こし、そのまま動かずにいることでヤリスゴスことができると考えられる。
要するに、「動かないもの」は獲物として認識されなくなり、カエルの食欲をソソラなくなる。
ポイントは「死んだふり」とはいうものの、演技ではなく、体のシステム上そうできているということだ。
西野助教授は、コオロギをおさえて動かなくさせる実験を何度も繰り返した。
そのため実験で無数のコオロギに触るうち、アレルギー反応で発疹などの症状がでるようになった。
そんな「コオロギの呪い」に苦しんだ末、研究から撤退したという。
ところが、その研究が注目されるようになり、論文の出版が持ち上がった。
そして、一連の成果をまとめた英語版の専門書がこのほど出版された。
初報告が四半世紀前という、半ば埋もれていた研究成果が、再び日の目を見たことになるのだが、その後押しをしたのが、「リアル・ドラゴン桜」の宮竹教授の実証研究であったといえる。
ところで「死んだふり」があるなら「生きてる」という勘違いもある。
それが、鮮魚の保存方法として知られる「神経締め」というものである。
脳が出す「死にました」という命令信号を、神経を破壊することによって行き渡らないようにする。
死んでいるのに「生きている」と勘違いさせて魚の鮮度を保つもので、いわば人の手で魚の「脳死状態」を作り出す方法である。
手順としては、1.脳を破壊する。2.脊髄を破壊する。3.血を抜く。
この中で、細いワイアーを差し込んで脳を破壊するので、少々残酷な気もしなくもないが、これも魚を美味しく食べるに編み出された人間の知恵である。
魚の旨みは、旨みの素であるATPの量で決まる。しかしこのATP、生きているだけでも消費してしまう。さらに、魚が暴れたり、ストレスを感じたりすると極端に減ってしまう事もある。
この減少をいかに無くすかが、美味しい魚を提供する最大の要因となる。
そこで「神経締め」の登場である。生きているうちに「締める」事によって、暴れやストレスでのATP減少を抑える。
そして、「死後硬直」が進行するよりも先に延髄及び「中枢神経」を破壊することで、ATP自己消化(生命活動で消費するATP)も大幅に少なくなる。
旨みの素をたっぷりと残しているので、寝かせれば旨みたっぷりの魚を味わう事が出来るのである。

2018年、タイとミャンマーの国境の山岳地帯に位置するタムルアン洞窟に、サッカーコーチと12人の生徒が、昼ごろまでサッカーの練習をした後、洞窟探検に出かけた。
ようやく現われた晴れ間をつかっての探検だったが、前日も含め、雨が降っている時間の方が長く、時間をかけて地盤を通ってきた雨水がちょうどこの頃、急激に洞窟内にしみ出し始めていた。
その結果、水位が上昇し、洞窟から出られなくなった。 洞窟前に自転車やスパイクが置かれたままだった事から、すぐに地元警察や家族たちがやって来たが、この日はなす術がなかった。
翌日から、タイ海軍などによる本格的な捜索活動が開始されたが、 降り続く大雨は止む気配もなく洞窟内の水位はさらに上昇。 翌3日目には、タイ海軍特殊部隊『SEALs』も出動し、各国の精鋭が集結した。
その中には、オーストラリアから洞窟ダイビングのエキスパートもやってきたが、彼らが呼ばれる時というのは遺体収容になることの方が多かった。
、 1日12時間もの捜索がなされたが、少年隊が語っていた洞窟内の目標は入り口から3.5キロ先にある「バタヤビーチ」と呼ばれる地点に近づくことは難しかった。10日が経ち、世間では少しずつ諦めの声が囁かれ始めていた。
そんな時、プロのダイバーがついに少年たちがいると思われる「バタヤビーチ」に到着。しかし、そこには少年たちの姿はなかった。
「バタヤビーチ」からさらに500m先まで進んだ時に、 少年たちを発見した!少年たちは生きていた。
少年たちがいたのは、岩が積み重なった高台。 そこに12人の少年とコーチは身を寄せ合って避難していた。
入り口からおよそ4キロの、高い場所を目指してい奥に移動し、発見されるまでの10日間、持っていた少しばかりのお菓子でかろうじて飢えをしのいでいたという。
しかし少年たちをどうやって洞窟の外に出すかがさらに大きな難題であった。なにしろ500m潜り続けなければいけないポイントもあった。
そこで、一定期間少年たちに潜水を教えた後、前後にプロのダイバーのフォローを付けて、1人ずつ連れ出すというアイデアが出された。
少年達がどのくらいでダイビングをマスター出来るのかをプールで検証してみた。
ところがボンベの酸素が足りなくなったダイバーが、搬送先の病院で命を落とす事態になり、少年たちが自ら洞窟内を泳いで脱出することは現実的ではなかった。
そんな中、「救出の鍵」を握るとされたリチャード・ハリスという男が現地入りした。
意識ある状態で潜った場合、狭く濁った水流に恐怖を覚える可能性が高くパニックを起こす可能性があった。そこで 少年達をいわば「仮死状態」にさせて運ぶという「賭け」にも似た作戦だった。
保護者たちに動揺が走る可能性が高いため、作戦内容は公表されず、「極秘」で行われることになった。
洞窟内の水位が下がった16日め、ハリスは少年たちに優しく話しかけ、緊張をほぐし、鎮静剤を少年に打った。
そして、眠った少年に酸素マスクを装着し、両手両足を縛り、 最後に特殊なハーネスを装着した。
実はハリスの本業は麻酔科医で、この作戦を実行するには、鎮静剤が打て、かつ少年たちの所まで行ける洞窟ダイバーでなくてはならない。その両方を持ち合わせたのがハリスに外ならなかった。
こうして、3日をかけて少年12人とコーチ全員が無事に救助され、史上空前の救出作戦は見事大成功に終わった。
洞窟ダイバーたちはその後、祖国で勲章を授与されるなど、喝采を浴び続けた。
だが、オーストラリアの麻酔科医であるハリスは、こんな言葉を残している。
「賞をもらった事自体戸惑っています。みんな私たちが謙遜しすぎだと言っていますが、私たちは自分にできることをしただけなんです」。

ところで、2018年最大のヒット曲は髭男デイズム「プリテンダー」。
よく似た言葉に、映画のタイトルにもなった「プレデター」(1992年)がある。
こちらの方が昆虫学にも似合いの「捕食者」という意味である。
しかし、「プリテンダー」という英語はなく気になるところだ。
「インフルエンサー」は秋元康が造った造語かと思ったら、英語にはちゃんと「影響力のある人」という意味があった。
「プリテンド」は「○○のふりをする」という意味。髭男ディズムの歌詞からして、「独り芝居」を演じる人ぐらいの意味だろうか。
つまり恋愛が「男女の共演」ならば、失恋とは相手に「演じる」気を呼び起こさないということか。
この世界は、よくも悪くも「演じるきれる人」が勝ち残れるのかもしれない。
聞いているのか、聞いていないのか、寝ているのか、起きているのか、生きているのか、死んでいるのか、嘘を言っているのか、本当のことを語っているのか。
「役不足」という言葉の裏返しで、様々なレベルでの「プリテンダー」は、やっぱり強い。

死んだふり」で生き残る!?  生命の危機を回避する為の行動として、「死にまね=擬死」は、人間においては現実的ではないが、昆虫や魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類のあいだでは広く捕食者から逃れる防御行動として用いられている。この行動は捕食者から逃れるだけでなく、抵抗する際の無駄なエネルギー消費や負傷を避ける意味でも、対捕食者戦略として有効に働いていると北海道大学の西野浩史助教は言う。  北海道大学の西野浩史助教は、ニュージーランドに棲息し原始的な巨大キリギリスであるウェタが擬死をすることなどから、哺乳類が繁栄する前の恐竜全盛期からすでに「擬死」が有効な防御行動として機能していたと推測する。西野助教は「擬死」において体がまったく動かない状態へと硬直する「不動化」のメカニズムに迫るため、昆虫のフタホシコオロギを使ったある研究を進めていた。 擬死中の筋肉の特殊な動き  擬死中のフタホシコオロギの呼吸運動の様子を調べると、興味深い現象が浮かび上がってきた。擬死による体の不動化が始まる直前に、コオロギの大腿部ではある特殊な筋活動が起きており、これによってコオロギは条件反射的に擬死に陥っているというのだ。さらに擬死中のコオロギの覚醒レベルはあきらかに低下していることも観察され、この研究は将来的に、昆虫のような単純な神経系をもつ動物にも、意識のようなものがあるのかを探る研究モデルになると西野助教は考えている。 「ファーブル昆虫記」に始まった擬死研究  生き物の「擬死」に関しての科学的な最初の記述は、ファーブル昆虫記で有名なアンリ・ファーブルによる、ゴミムシダマシの擬死の観察だ。それ以降、擬死についての科学研究は進展がなかった。そんな中、岡山大学の宮竹貴久教授は25年前、アリモドキゾウムシという昆虫の死にまねが、非常に独特な姿勢をとっていることに興味を持ち、研究を始めた。 擬死は進化において適応的か?  擬死することは、生物にとって最も重要な生存や繁殖において、本当に有利な形質なのだろうか。それを調べるため、宮竹教授はコクヌストモドキという昆虫を20年にわたり研究室内で交配させ育種を重ねた。一匹ずつ擬死する長さを計測し、それをもとにかけ合わせていくものだ。「死にまねをするコクヌストモドキ」と「死にまねをしないコクヌストモドキ」とを育種によって作る、いわば進化の模擬実験だ。そしてこの2つの系統がいるシャーレに、コクヌストモドキの捕食者であるハエトリグモを入れて観察をすると、ある面白い現象が確認された。 死んだふりを制御する遺伝子群を発見!  コクヌストモドキにおいて、「擬死する・擬死しない」を決める体内物質に宮竹教授は迫っていた。そこで、コクヌストモドキの脳を摘出して解析すると、われわれヒトの脳にも発現する「ドーパミン」が見つかり、その発現量によって「擬死する・擬死しない」が左右されていた。さらに、それぞれの系統からRNAを抽出して次世代シーケンサーを使って調べると、ドーパミンの発現におおきく関わる遺伝子群に518におよぶ差異がみつかったのだ。ヒトのドーパミン異常に関する疾患には、パーキンソン病等もあり、この研究は今後の応用に期待ができるという。 主な取材先 北海道大学 西野 浩史さん 岡山大学 宮竹 貴久さん 北海道大学電子科学研究所の西野浩史助教らの研究グループは昆虫の擬死についてのモノグラフを出版しました。 動物の中には予期しない強い刺激を受けると,突然身動きひとつしなくなるものがいます。この行動は擬死(いわゆる死んだふり,死にまね)と呼ばれています。 西野さんはコオロギを軽くつまんで死んだふりをさせる「指わざ」を動画サイトにアップしている。  今回、再発掘された研究は20年以上も前、西野さんが主に大学院時代に取り組んだものだった。恩師の岡山大学の酒井正樹名誉教授(神経行動学)が見つけたフタホシコオロギの「擬死」、つまり「死んだふり」について、そのメカニズムを解明したものだ。  具体的には、コオロギの脚の…