寛容で合理的な社会

ミハエル・エンデ「モモ」に登場する「灰色の男たち」。人間たちから時間を奪うため「時間貯蓄銀行」に預けることをもちかけると、より豊かな時間が後から返ってくることを信じて預けてしまう。
その結果、人々は1秒たりとも無駄にできないとイライラしながら働くようになり、もっと倹約しなければとますます怒りっぽくなっていく。
「灰色の男たち」は慎重かつ周到に動いているので、いつしか彼らの存在さえも忘れ去られる。
、 最近、並ぶ必要のないコンビニの試行実験が行われている。「顏認証」で棚から品物をもっていくだけで、支払もいつのまにか済んでしまう。「待つこと」への耐性が衰えている現代人にフィットした試みだ。
一方、こんなものが普及すれば、混雑した電車やエレベーターに車椅子の人が乗り降りすることに対して、心優しき人であっても、なんて迷惑なことかとつい思ってしまう度合が大きくなりそうだ。
現代は、反応や動作が遅い人に配慮する余裕が乏しく、いつのまにか「配慮は高くつく」と思わせる社会が出来上がってしまったようだ。
仕事ができるとは、「決まった時間に指定の場所に行ける」「調子の波がない」「誰とでも対話できる」人になっていき、そうでない人は、役に立たないとみなされる。
そんな現状で、コンビニで障害のある人がなかなか雇用されないのは自然なことであろう。
一方、障害者の雇用に対しては、なんらかのハンディキャップを感じる人は、一般の枠で雇用されるかどうか不安なので、障害者雇用枠での採用を望んで障害者認定を取ろうとする。
企業の多くは「法定雇用率」を達成するために、単純労働を集めた特例子会社で障害者を雇っている。
こうして、障害者とされる人を増やしている面があるし、これでは、共生社会の在り様とは程遠い。
その点でいうと、日本人の「外国人労働者」に対する共生意識は、それ以下ではなかろうか。
一国が定住外国人を受け入れるということは、単に入国を許可すれば済むというものではない。当該外国人の入国後の生活に最低限度の見通しがたっていなければならない。
例えば、今の医療保険制度は多くの外国人を対象にすることを想定していない。
「入管法」の改正を含め、難民政策の見直しが必要だ。
結局、日本は難民の受け入れにつては、原則「受け入れない」ことを前提としているとしか思えない。
さて、外国人の近くに暮らすと予測不能のことが時々おきる。それを楽しいと思うか不快と思うかで、随分ちがってくる。
寿司にドレッシングをかけて食べる外国人、天丼にケチャップかける外国人、コーラを飲みながら刺身を食べる外国人。最近、オデンをナイフとフォ-クで切り刻んで食べる外国人をみかけた。
つまり日本文化の変容が仕掛けられている感じさえして不快を感じつつも、反面それが面白くもある。
例えば、カリフォルニアで生まれたアボガドのお寿司なんてものも最初は奇妙だったが、日本文化に新しいヴァリエーションが加わった。
もっとも「伝統美」を求められる分野への外国人の進出については、判断は難しい。日本人にしか、受け継げないものがあり、それを大切にしたいからだ。
例えば、モンゴル出身力士の土俵上の立ち居振る舞いの中に、馴染んできた大相撲の姿とは「異なる」要素を見つけると、そのたびに不快な感じを抱く。
身体能力の高い朝青龍や白鵬クラスになると、ますます気になってしまう。
相撲という日本文化を体現する国技だからである。
10年ほど前に、初の外国人芸者として東京・浅草で活躍してきたオーストラリア出身の女性が、置き屋や料亭の加盟する東京浅草組合に独立の許可を求めたところ、拒否されていたというニュースがあった。
2007年に芸者デビューした「紗幸さん」は、置き屋の主人が病気になり、営業を続けることが困難になったことなどを機に独立の許可を求めたが、認められなかったという。
同組合は、日本国籍を有するという条件が規約にあるが、短期の勉強をしたいということだったので芸者になることを特別に認めた。しかし、独立なんてことは想定していなかったという。
紗幸さんは豪有力紙に「外国人であるという理由だけで認められなかった」と怒っていた。
また、「柔道」はもともと、日本人のメンタリティと深く結びついた「柔らの道」だった。その柔道が無国籍化されて「JYUDO」となった時に、日本人が苦戦を強いられている。
問題は、勝ち負けではなく、美学でもある。日本のゴジラの動きは、「能」の動きから生まれたもので、ハリウッドが創ったゴジラではそれが理解されていなかった。
ここ50年ほどで日本で外国を体験できるテーマパークのようなものが次々とつくられていった。
外国を真似たテーマパークやストリートは、その中で売られている商品も食事も「擬似外国」であり、いかにも雰囲気は「外国らしく」作られているが、やはり「外国」とは違うものである。
そこは、日本人の感性を「不愉快」にするものはあらかじめ排除された「擬似外国」にすぎないからだ。
つまり日本人どうしで「外国する」というだけのことなのだ。
今まで日本では長く「国際化」とはいいながら、「真正の外国」と出会うことは少なかったといえる。
それが2016年、TPP参加を契機に大きく変わりつつある。

日本人にとって、国の創成は自然生成的なものだが、アメリカ合衆国の根底にあるのは「契約」なのである。その最も初期のものが「メイフラワー契約」。
それを抜粋すれば次のようなものであった。
「神の栄光とキリスト教信仰の振興および国王と国の名誉のために、バージニアの北部に最初の植民地を建設する為に航海を企て、開拓地のより良き秩序と維持、および前述の目的の促進のために、神と互いの者の前において厳粛にかつ互いに契約を交わし、我々みずからを政治的な市民団体に結合することにした」。
そしてメイフラワー号に乗船してやってきた101名のうち40人が契約書に署名したという。
この中には、船で仕事をするなど様々な人々が乗船していた。
この契約の前提に聖書があるのは一目瞭然で、新大統領が就任の際に聖書に手をおいて宣誓をするのは、「政教分離」の原則に反するのだが、この「メイフラワー契約」の中身を知れば納得できるものがある。
最近、国際政治学者の森本あんりがその著書「不寛容論」の中で、この「メイフラワー誓約」を徹底的に批判する人物のことを紹介している。
その人物は後述するとして、アメリカの国の始まりはイギリスで迫害されたピューリタンが渡ってきたことからだが、アメリカで自分たちが主流派になると、今度は逆に迫害をする側に回ってしまう。
なぜかというと、彼らの社会は、地縁・血縁のつながりを超えて自分たちの共通の目的を掲げて、それに賛成した契約社会だったからである。
そういう社会では必ず不寛容が含まれることとなる。
例えば、友達どうしで草野球のチームを作ろうとするとそのチームには、野球を絶対やりたくない、自分はテニスをやりたいという人は、入れない。
だから不寛容というのは、自発的な選択をして作っていく近代の社会(契約)には、つきまとうものだといってよい。
したがって、自由を謳歌するために、「不寛容」が生まれ、そのうち紛争が生まれる。
こういった「紛争」を防ぐために、中世ヨーロッパでは寛容をめぐる長い苦闘があった。
そして行き着いたのは、大きな悪を防ぐために「是認しないが、許容する」という、「寛容」を紛争を防ぐための便法としたのである。
日本人には「和の精神」が根付いているので、そんなのあたりまえと思いがちだが、西洋の場合、日本人が感じる「快/不快」のレベルではない。
それは、生き方の「根本原理」が違う人に対する「寛容さ」なのである。
カトリック教会の法学者たちは、キリスト教こそが正しくそれ以外は間違いだと確信していたが、異教徒への寛容を説いて「共存」を図ったのである。
我々の印象では、十字軍をはじめ異教徒との激しい戦いを思い起こせば意外とも思うことだが、実は多くの紛争は宗教に名を借りた領土獲得競争なのだ。
十字軍はエルサレムという聖地をめぐる経済利権を取り戻すための戦争であり、「宗教的理由」は後付けと考えた方が理解しやすい。
実際、中世の「寛容」の伝統は以後も引き継がれ、キリスト教布教を口実としたスペインによる「新大陸」征服事業を批判する宣教師も少なくなかった。
森本は、こうした中世以来の寛容論の流れの中に、1630年にイギリスからアメリカに渡ったピューリタンの神学者、ロジャー・ウィリアムズを位置づける。
ウィリアムズは植民地の既存勢力と衝突し、先住民の権利を主張し、イギリス人こそ異教徒だと糾弾した。
アメリカが先住民を追放して発展していった歴史に鑑み、なにしろ“ぶっ飛んだ人”といえる。
「アメリカの土地を所有しているのは先住民だ」と。
だからイギリスの王様がそれをイギリス人に分け与えるなんていう権利はない。
前述の「メイフラワー誓約」にはまったく欠如した視点である。
今でこそ「先住民の権利」ということがいえるが、日本が鎖国に入った時代に、ウィリアムズは徹底して「先住民の友」であり続けた人なのである。
ちなみに、日本でアイヌ文化の保存を訴えた松浦彦四郎の北海道探検は1870年代のことであり、それも人権意識にまでには至っていない。
ウィリアムズは燃えるようなピューリタンの信仰の持ち主で、だからこそ、自分と違う信仰を持った人々にも徹底して寛容を貫いた人であった。
普通は信仰心の強い人は、自分の信仰だけが正しいと思い込んでいるから不寛容になりがちだが、ウィリアムズの場合はちがった。
彼は、ユダヤ人でもイスラム教徒でも、あるいは反キリストの人でも、それでも一緒に暮らすことができるような社会を作ろうとしたのである。
やがてウィリアムズは己の理想を実現すべくロードアイランド植民地を建設する。無宗教者も含め、あらゆる宗教・宗派を受け入れたことで多くの混乱が生じたが、それでも寛容の基本線は貫いた。
彼の理念は合衆国の「政教分離」を先取りするものだったといえる。
同じピューリタンでもカルバンがスイスのジュネーブで展開した「神政政治」とはなんと大きな開きであろうか。
ウイリアムズは、先住民から正式に土地の利用を認めてもらうべく、その社会に溶け込み、彼らの信頼を得て、ついには正式の契約も結んでしまう。
口先だけではなく、本気で異質な隣人への寛容を貫いていった。
ウイリアムズは、自分にとって自分の信仰が本当に大事なものだとよく分かっていたので、ほかの人にとっても、その人の信仰はその人にとってかけがえのない尊さがあるのだろうと想像できる人だった。そんなスタンスで思い浮かべた言葉が「他人の靴をはく」ということ。

イギリス在住の介護福祉士のプレディみかこさんが書いた「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で、「他人の靴をはく」という言葉がでてくる。
多様化するイギリスに暮らす親子の成長物語を描いた本の主人公は母プレディみかことアイルランド人の夫との間に生まれた男の子。
公立中学に通う息子が人種差別 貧富の格差などによる子ども同士の分断を乗り越え、成長していく姿を母親の視線で描いている。
この本は これから 日本が迎える多様性社会に対応するための教科書であると幅広い層の読者から多くの反響を呼んだ。
著者のブレディみかこは、1965年福岡市生まれ。1996年からパンクロックに魅かれてイギリスへの旅をし南部のブライトン在住。
アイルランド人男性と結婚し、長男が生まれたのを機に保育士の資格を取得。貧困世帯の利用が多い「底辺託児所」で働きながらライター活動を始める。
ある日プレディの息子は家が貧しく 裾がギザギザになっている制服を着た友人 ティムを家に招いた。
リサイクルして作ったきれいな制服を渡そうとする息子。自尊心を傷つけずにどうやって渡すかを考える。
プレディは、 紙袋に入れるが、どうしようと悩む。
なんで、この子にこの服をあげようとしてるか、つまりは自分の息子の友達にあげようとしていることは、すごい 身内意識なんじゃないかと息子に問う。
その子以外にも たくさん学校にはそういう子がいるからだ。
すると 息子は「だって友達だから」と返した時、プレディは何か基本を忘れてるのではないかと、自分自身教えられたという。
実はこうした問題の背景に 「シンパシー」と「エンパシー」の違いがある。
ある日の授業中プレディの息子が、先生から「エンパシーとは何か?」と問われ、「自分で誰かの靴を履いてみること」と応えたという。
シンパシーは同情や共感をもって何かをすることだが、エンパシーは、 自分と同じ意見を持ってない人、同情するような関係性もない人でも、その人の立場になったらどうかと想像することである。
日本ではコミュニケーションとは、すぐ仲良くなれることと捉えがちだが、”揉めた”時になんとかする力が問われるということである。
日本の教育も「相手の立場で考える能力」エンパシーをどうしたら伸ばせられるかが問題。
なにしろ、この場合の「相手」とはが自分たちとは違う文化・風土・宗教を担った多様な人々だ。
相手のことが嫌でも仲良くしよう。だが「寛容」にも限度があって、人間はそれほど理性的でもない。ではどうするか。
1980年代末、サンフランシスコの北方の町バークレーで1年暮らしたことがある。当時街角のはやっていたのがオリンピックの追加競技となったブレイクダンス。
1970年代、ニューヨークの貧困地区で、縄張り争いをしていたギャングが、暴力ではなく音楽と踊りで対決したのが始まりとされ、日本には80年代初めに伝わった。これは「紛争」を避ける手立てといえる。
また、バークレーの町を歩いてブレイクダンス以上に印象に残ったことは道行く人の中に車椅子の人が実に多いことであった。
アメリカななんと障害者が多いのだろう、ベトナム戦争のためかなどと思っていたが、帰国後テレビでバークレーの町が「バリアフリ-発祥地」でもあることを知った。映画「卒業」の舞台バークレーは、「学生運動の発祥地」ばかりではなかった。
この街では80年代に、公共施設には緩やかなスロ-プがついていて、すべてのバスには車椅子をもちあげる機械が備え付けてあった。
障害者がバスに乗り込む時には、運転手は機敏に運転台をはなれて、乗客4~5人が誰ともなく自発的に車椅子を機械まで持ち上げるのを手伝ってあげる、その連携ぶりに感心した。
かといって障害者が杖をもってあまりに定まらぬ歩き方を見た時、日本人ならつい手助けをしたり誘導もしたくなるが、そういう時には助けたりはしない。というより、へたに誘導なんかすることは相手にかえって不安を与える結果になるのかもしれない。
そこでは障害者の支援と自立が絶妙に按配されていた。
地域限定とはいえ、そんな見事なバリフリー社会を生んだアメリカが、今や分断の危機にある。
今年1月、アメリカでトランプ大統領の敗北を認めたがらない共和党員が議事堂になだれ込んで死傷者がでたことは、アメリカ民主主義の汚点ともなった。
多様な人々に「配慮すること」にはコストがかかる。しかし寛容のコストは国家的分断という不寛容のコストと比べると、安いものかもしれない。

さて、プレデイがその著書で指摘したように、シンパシーの対象は限定されるが、エンパシーは他人の立場を理解することで、対象は限定されない。