[ bookreader.js

離島から見える「日本」

イギリスで「孤独相」がもうけられ、日本では「孤独担当大臣」がもうけられた。
「孤独」が政策としてもちあがったということは、孤独が個人ではどうすることもできない社会的問題として認識されたということであろう。
その意味では「失業対策」に似ている。
もちろん、世の中には自ら選んで失業する人もいる一方で、孤独を十分に楽しめる人もいる。 そこで問題なのは、「非自発的失業」という言葉にならって、「非自発的孤独」とでも捉えたらよいのだろうか。
まずは、失業が本人のせいばかりではないように、孤独は恥だとか自分の欠点のせいだとかいったような自己認識を払拭することが大切だと思う。
我々は小さい頃から「友達をつくりなさい」と言われ続け、友達がいないと世界が終わるかのようにスリこまれている。
タレントの滝沢カレンさんは、一人で食事している人をみると、「大丈夫だよ ひとりじゃないよ」と優しく声をかけたくなるらしい。
さて最近、新聞で「離島の問題」が掲載されていたが、それは意外にも「孤独」の問題を考えるヒントがあるように思えた。具体的には、孤独と「宅配便(通販)」との関連を考察していた。
離島は、ウイルスから島民を守ることや医療資源の乏しさなど、「未来の縮図」があるようにも思える。
島の場合、「宅配便」は船賃が余計にかかるので値段が高くなったり、食料品は鮮度が落ちたりする。
それでも、売っていないモノを手軽に買えるので、島民にとっては日常生活に欠かせない「社会インフラ」である。
島外に行くのはコロナ禍の今はなおさらである。
水産加工品や地場産品に加え、最近は雑貨やクラフトビールなど離島発の「特産品」が増えている。
宅配便はこれらを支えている。生産者は、直販できるECサイトで、一定の顧客をつかめれば、少量生産でも商売が成り立つ。
島に雇用が生まれれば、都会にはない豊かさにひかれ、IターンやUターンを考える若者も移住を選択できる。
長期的にみて、宅配は島のコミュニティーの維持につながっているともいえる。
ただ、よいことずくめではない。島民が、島でも帰るものを通販ばかり購入していると、地元の商店たちゆかなくなってしまうからだ。
ある島では、「お財布は集落で開こう」という標語をつくって、地元の商店での購入をすすめている。
ゴミの問題も深刻である。ものを買いすぎれば処理施設のない島では処理できないモノがたまり、なんらかの原因で海にながれると、島の環境にも過度の負荷をかけることになる。
宅配のサービスが過剰になり、モノがあふれている。離島の姿は、日本社会の近未来の姿。人口減少や人手不足が進む日本で、宅配は便利である反面、人々をますます孤立に追いやる可能性さえもある。
ヒントはとある離島の取り組みにある。
瀬戸内海にあるこの島では、宅配業者が港まで配達してくれる荷物を住民がとりにいく。
住民にとって不便かもしれないが、届けると、自宅まで、高齢者は外出せず買い物ができるので、歩かなくなり体力も衰える。
一見、不便なようで、人々が支えあうことが健康につながる。
港まで来るのは無理でも、近くの商店まで配送する仕組みにすれば、品物を取りに行くついでに買い物をしたり、世間話をしたりして、孤立をふせげるのではないか。
便利にしすぎないことで人と人とがつながっていける。悩ましいのは便利さと不便さの折り合いをどうつけるか、である。
医薬品など人命に関わるものであれば、ドローンなどの先端技術も使って早く届けてもらう。
そうでない場合は、宅配を我慢して地元の商店でものを買う。
日本社会は、物理的にも精神的にも「疎」に向かっていた。そこについた名前が「無縁社会」であった。「無縁社会」という呼び名はNHKの「無縁死 3万2千人の衝撃」(2010年)という番組の影響がおおきかった。
高齢者が一人で大きな家で暮らし、隣の家は空き家、商店街はシャッター通りになり、小学校は統廃合されて、子供たちの声は遠くなっている。
家族や親戚、友人との往来が少なくなう、地域の行事やお祭りもかつてほど盛んでない。
そんな情勢は各地でみられ、で地域の活性化までは行かずとも、人々が居場所をみつけられるような「孤独対策」はある程度行われていた。
たとえば、離島で「みとり」を行っている柴田久美子さという女性がいる。
柴田さんは専門学校を卒業した後、日本マクドナルドで働いていた。
日々、何万ものマニュアルを読み、大多数を占める男性社員に馬鹿にされまいと毎日必死で働いた。
女性だからとなめられたくなく、自分を見下す男性社員には、見返してやりたいとばかり願い、そんな気持ちで働いている者に、他人を思いやるゆとりはなかった。
そして柴田さんは過酷なライバル競争を勝ちぬき、念願だった「アメリカ行き」切符を手に入れた。
シカゴにある親会社で研修をうけ、さらなる「飛躍」をとげていくはずだった。
はたから見て彼女は、その時確かに、人もうらやむようなチャンスを手中に収めていた。
しかし柴田さんの心は、豊かな暮らしを手に入れればいれるほど、「空しさ」ばかりが込みあげてきた。
そして或る時、店の売り上げを伸ばすことしか考えられない自分に気がつき愕然とする。
自分見失いもがき苦しむうち、いつしか「死」をこころみるようにさえなっていた。
意を決してマクドナルドを退社し、東京と福岡でレストランを経営する。しかしそれも失敗、ついには夫の事故による入院代さえ払うことができないようになった。
そんな不安の中で、どこからともなく「愛こそが生きる意味」という声が聞こえたような気がした。
そして、先のことを何も考えずにレストランをたたんだ。
ある時、近所に住む特別老人施設の女性から声をかけられ、「老人介護」と出会った。
機器に埋められて「延命措置」のうえ、病院で家族でもない医者や看護婦に看取られつつ死んでいくでいく老人達の死をまのあたりにした。
或る日、マザ-・テレサの「死の家」で、愛に包まれて死んでいく人々のビデオをみて釘づけになった。
そして柴田さんは、人は家族や愛するものに見取られて自然死をむかえることこそ大事なことであると悟った。
世界には餓えたまま捨てられるように死ぬ人々が大勢いる。「悼む人」のいない死は、日本とて無縁とはいえない。
「孤独死」に代表されるように、人知れず亡くなる人々の死の「偶然性」や「無名性」に何も感じなくなっている。
大事故や事件に見舞われ、誰が死んでもよかったかのような死を、何も準備されずに強いられる人々。
そのうえ死者数百何十人の一人としてしか扱われないような死は、確かに「悼ましい」と思う。
さて、小説「悼む人」(天童荒太)は、誰かのために悼まねばならないと意思している人の話である。
「悼む人」では、家族や親族の代わりに知人でもない第三者が、あえて見ず知らずの死者のために「悼もう」とするのである。
マザー・テレサの「死を待つ人の家」で働く修道女達は、街角に捨て置かれた人々を介抱ししっかりと手を握り彼岸へとおくる。
看取る人が現場にいて死を用意することにより、亡くなる人の死はかけがえのないものとなる。
現代日本の死は「無名性」を帯びているので、「悼まれぬ死」を悼まねばならぬ、と思う人が居てもいい。
もっとも「悼む人」とは、ひょっとしたら大して「悼まれない」側にまわるであろう「自分」を悼んでいるのかもしれない、とも思う。
「悼む人」の主人公は災難に出会い亡くなった故人のことを知るために、故人の遺族にこう聞く。
「故人は誰に愛されたか、誰を愛したか、誰かに感謝されて生きたか」という問いである。
この問いは、自分を含む各人の生がユニークであり、その生死を愛しむ思いから、自然に湧き出た問いではないだろうか。
そして柴田さんは、日本海の離島・隠岐諸島の南端に位置する知夫里島に「なごみの里」という施設を設立した。
看取りの家「なごみの里」の最大のコンセプトは、マザーテレサの言葉「人生の99%が不幸であったとしても、最期の1%が幸せだとしたら、その人生は幸せなものに変わる」。
「悼む人」の主人公は、凶悪事件や大事故に巻き込まれ亡くなった人を悼む。
本来、もっと悼まれ看取られていいはずなのに、それがなされていないというのは、それは「なごみの里」の問題意識にも通じる。
この島は、かつて「落人の島」で、かつての「企業戦士」から「落人」としてこの島に来たようなものだった。しかし、柴田さんはこの地で「新生」をはかることがきた。
そればかりか、そのコンセプトは隠岐から広がり、柴田さんは「日本みとり士会」会長として活躍しておられる。

歌謡曲「花」といえば、大概の人は"アノ名曲"を思い浮かべるに違いない。
アノ名曲「花」といっても、三世代に分かれるようだ。
我が世代では、♪花は流れてどこどこ行くの♪の「花」(喜納昌吉作詞・作曲)である。
上の世代では♪春のうららの 隅田川♪の「花」(瀧廉太郎)、下の世代ではオレンジ・レインジ♪花びらのちりゆく中で♪の「花」。
我が世代の「花」(喜納昌吉作詞・作曲)で心がやすらぐのは、「泣きなさい~ 笑いなさい~」というフレーズ。人間の泣き笑いをすべて受け止めて癒してくれる沖縄の懐の大きさのようなものを感じる。
新約聖書のパウロの言葉にも、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12章)とある。
沖縄の懐の深さとは何か、それはひとことでいうと島全体の「共同体」の力とはいえないだろうか。
我々が気付きにくくなっっている「共同体の力」、それは「精神的なインフラ」のようなものかもしれない。
最近、新聞に法政大学元学長の田中優子が、水俣の石牟礼道子さんとの出会いを書いていた。
「苦界浄土」は頭で考える暇もなく瞬間的に苦しみが乗り移ってくる。天草・水俣の言葉で「もだえる」という感覚がよみ手の身体に響いてくる。
田中女史は、石牟礼の『苦海浄土』には若いころから大きな影響を受け、実際に水俣のひと人との関わりをもってきた。
ところが、田中女史が石牟礼に実際に会ってみると話しぶりも視点も表現の仕方もとても面白い。
作品にもそれが表れていて、『苦海浄土』なら、水俣から上京した患者の人たちがチッソ本社にこもった場面は、深刻な状況なのに、「落語」みたいなやりとりがあってつい笑ってしまう。
田中女史は「あの面白さ」は何だろうと考えるうち、「共同体の力」という問題にたどり着いた。
共同体は、個人を縛り付ける半面、みんなで笑いながら、共感しながら、何となく生きていく大切な場所。
それは、江戸の長屋の軒先にも存在したにちがいないもので、そのことが現実感をもってわかった気がしたという。
それは同時に、日本社会が近代化と引きかえに失ったものでもある。沖縄の海も基地によって分断され、諫早の海も埋め立てによって分断された。
水俣の共同体の力について、元上智大学教授・宗像巌氏は、宗教学者の観点から次のような報告を書いている。
「不知火海を中心とする漁民の世界に継承されてきた見えない宗教世界の中から、この受難史を貫いて表出される人間精神の昂揚とそのすぐれた成果を読み取ることである。悲劇の渦中に置かれたにも関わらず、水俣漁村の人々の日常生活には、生きる生命の充実感が満ち溢れている。
家族の中の被害者を中心とする助け合いの生活に接すると、この人々の深い悲しみにもかかわらず、ときおり意外なまでの明るさをそこに見出すのである。
家族や漁村共同体の多くの人々をつつみ込んだ悲しみの共同体験は、人々の間に一時的な不安と緊張を起こしたにもかかわらず、やがて人々の心の奥に流れる生命の連続環を媒介にして、純度の高い愛の共同体験として展開されている」と。
児童文学者の灰谷健次郎は1971年ごろ、大坂で17年間勤めた教師をやめ、沖縄を南西諸島をめぐった。
当時身内を相次いで失い、自責の念に駆られていた灰谷を救ったのは島の人々が語った「生者も死者も繋がっている」という世界観だった。
自分よりもはるかに悲惨な体験をした人々の心に宿る大きな生命力に心を動かされる。
「この前向きな人達が、かつてどれほどまで虐げられ、傷つけられていたのか」と。
そして、その生命力が、かつて教師として出会った子供たちの中にも宿っていたことを思い起こす。
そして書いたものが「兎の目」や「太陽の子」であり、児童文学の範疇を超えて、多くの読者をえて異例のミリオンセラーとなった。

近年、多発する災害、ウイルスの蔓延と、人々のつながりを断ち切ろうとする試練が続く。
アメリカでは、バイデン支持の州とトランプ支持の州では、「接種率」に明白な差がでているという。
しかし、すべてが分断の方向に向かっているわけではない。
近代化により共同体はうしなわれつつも、「シェアリング」という経済がうまれてきている。「シェア」とは、誰かが持っているモノ、場所、時間、経験まで貸し借りしたり売買したりする概念である。
テクノロジーの発展によって、個人と個人がインターネットを通じて直接つながることができるようになった。
そのおかげで、空いている部屋を宿泊場所として提供したり、自分の車や駐車場を貸したり、ご近所さんの家事を手伝ったりといったことが簡単にできるようになった。
もらう側も与える側も潤うしくみ。たくさんのモノであふれる社会から、「必要なモノだけあれば十分だ」「家も、仕事も、子育ても誰かと共有すればいい」という価値観が生まれ、支持されつつある。
現在、「Cift(シフト)」という仮想のシェアハウスで生活をする試みがある。「意識でつながる家族」を掲げ、約100人の人たちと一緒に暮らしている。
弁護士、お坊さん、美容師、料理研究家、ミュージシャン、画家など、さまざまな肩書きをもった大人と、子どもたちがいる。
一緒に暮らしながら子育てに関わったり、何か困った時は、それぞれの得意を持ち寄りながら、ネットを通じた助け合いが日常にある。
年齢や性別、あらゆる違いを超えて、繋がりを感じられれば、「この先何があっても大丈夫」と心から安心できる、かけがえのない場所になっている。
何より、自分が孤立を感じる時、時間を惜しまず、手を差し伸べてくれるつながりのある生活に、かつて「共同体の力」を蘇らせようとしている。
つまり田中優子女史「推し」の江戸の「長屋文化」、日本にもお醤油の貸し借りがあった頃が、現在は「インターネット」によって復元できるということである。
そこでの繋がりは、ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友人よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれるものであればよい。

>