生活と「一体化」したもの

日頃、どうでもいいようなことを真剣に議論しなければならない場合がある。
特に、お役所の仕事には、結構そんなことが多いのではなかろうか。
例えば税をめぐって、この物品は野菜なのか果物かとか、奢侈品なのか必需品かとか、店内飲食かテイクアウトかなど。
特に、コロナ下においては、ある事が「不要不急なのか、必要緊急なことなのか」というのも、線引きはなかなか難しい。
また、オリンピック競技の数は拡大傾向にあるが、ブレイクダンスや「eスポーツ」はスポーツといえるかということまでも議論が起きる。
個人的には、体を動かさずにどうしてスポーツかという気がしてならない。
心ひそかに、「百人一首」でカルタとりをする(ハジキだす)あの瞬発力こそ、よほどスポーツに近いと思ったりもしている。
こういう場合、スポーツか否かにつき不毛な議論をするより、それをスポーツと認めたら社会にとってどんな影響があるかといった観点から、「プラグマチック(実用主義的)」に考えたらどうであろう。
個人的に「eスポーツ」は、ゲーム依存症になるのではないかと思っていたら、そうとばかりはいいきれないようだ。
その点、ニンテンドーやソニーのプレイステーションなどのオフラインのゲームで一歩先んじた日本も、「eスポーツ」に関しては、世界の後塵を拝している。
「eスポーツ」は、個室でひとりでやるゲームではなく、「ソーシアル・ゲーム」であり、ひきこもりの子供たちや認知症の老人たちを救っているというニュースを見るにつれ、もっと前向きにとらえるべき存在という気がしてきた。
権威筋がスポーツと認めれば、それはそれでスポーツと認知されていくにちがいない。
実際、「eスポーツ」は、体を使わないというのは少々誤解で、手指を使うばかりか、動くテーブルを移動させながら、そして知略を働かせながら、アメリカや韓国でスタジアムで熱狂する人々を見ると、一般のスポーツとなんら変わるところがない。
最近、NHKのBSで「天空を駆ける民 ~ウルトラ走力持つ民族 メキシコ秘境を訪ねる~」というインパクトのある番組をみた。
メキシコの山奥、コッパー ・キャニオンに住む「ララムリ」とよばれる先住民族を紹介する番組であった。
彼らは普段の生活で山の中を走っている。「歩く」ことよりも「走る」ことが生活の標準なのだ。そして彼らは「飛ぶ」ように走る。
先んじて同じ民族を紹介した「グレートレース ~走る民族の大地を駆けろ! メキシコ大峡谷250㎞~」では、彼らの住むところを舞台にしたトレランレース(耐久レース)の模様を紹介し、今回観た番組は、このレースに参加したひとりの「ララムリ」に密着したドキュメンタリーである。
彼らは日常、山中で羊や牛の群れを追って生活しているが、とりわけ興味をひいたのが、「ララヒッパリ」というイベントである。
樫の木をソフトボールぐらいの大きさの「ボール状」に削って、これをチームで蹴りながら長距離を走るというもの。
村や集落単位でチームを作り、1チーム10名ぐらいで、複数チーム同時にスタートする。
速くゴールしたチームが勝ちで、優勝の商品は、牛一頭などの食べ物が大半である。
それだけに(?)、女性達もレースの行方に熱い視線をおくる。
「ララヒッパリ」はお祭りを兼ねて、年に数回行われるが、その距離とコースは、今回は総距離48㎞。コースはもちろん未舗装で、坂あり、川あり、石ころゴロゴロのところもある。
長いときは200㎞の時もあり、足腰が強靭になるのはあたりまえ。面白かったのは、彼らが履いているのは「ワラーチ」と呼ばれるベアシューズ。
日本人のはく「わらじ」そっくりで牛革で作る。
走れば走るほど足と一体となり、足の底で地形を感じ取り、足指がでている分、指でバランスをとりながら走れるようになる。
さて番組では、脚力体力自慢の世界的ランナー達が、「メキシコ大峡谷250㎞のグレートレース」に参加してララムリとタイムを競うものであった。
外国人ランナー達は、「ララムリ」と走るのが夢であったらしく、あくまで挑戦者として臨みたいと語っていた。
彼らは世界のグレートレースに優勝したことのある実績のある人々なので、謙遜にいっているのかと思ったら、レース結果は「ララムリ」が上位を独占した。
この番組で一番印象的だった場面は、レースが始まる前にインタビュアーが「世界のランナーが、あなた方と競うがどう思うか」と問うたとき、「ララムリ」の男性は「答え」に困って押し黙ったことだった。
その時、ナレーターが「ララムリはシャイだ」と解説してのだが、少し違和感があった。
なぜなら、彼らが「走る」のは競うためというより、生活そのものだからだ。
彼らが行う「ララヒッパリ」も、競うには競うがそれが一番の目的ではないからだ。
「ララムリ」のプロポーズは、男が女性の前に石を置く。NOの場合は、女性がその石を無視。OKは、女性は石をとって走って逃げる。
男は、その女性を追いかけ捕まえたらカップル成立。
多分、そのまま女性が逃げおおせてカップル不成立ということにはならないのであろう。
さて、我が地元福岡県北九州のスペースワールドが2017年をもって閉園となったが、その前身は近代日本の支柱ともなった「八幡製鉄所」である。
それを記念する溶鉱炉は園内に保全されてあったが、その形骸さえも失われるとなれば、「時代の遺産」を失ってしまう気がする。
そんな思いとともに、最後の「残り火」が燃え上がるような「異常な強さ」を示したラグビー軍団の雄姿が蘇ってきた。
1973年に八幡製鉄は「新日鉄」として生まれかわり、フィールドを縦横に駆け巡って鮮烈な記憶を留めた「新日鉄釜石チーム」である。
「新日鉄釜石」は、岩手釜石を本拠地として、ラグビーの日本選手権で1979年から85年まで7連覇を達成した。
当時、新日鉄釜石は、学生チャンピオン・チームを問題にしなかったが、「全日本選手権」で対戦した学生チ-ムの監督が語った言葉を思い出す。
「我々にはかなわない。あの人たち(釜石チーム)は、生活のすべてがラグビーと一つになっている」と。
例えば学生が、勉学を部活に切り替えて練習するようなものではなく、生活そのもののリズムの中にラグビーが収まっているということであろう。

最近、最高裁が「儒教が宗教かどうか」を判断するという注目の裁判があり、どんな判決がでるのかが注目された。
しかし、最高裁は重大裁判であればあるほど、「核心」にふれるのを避けたがる傾向がある。
その内容は、儒教の祖・孔子を祭る「孔子廟(びょう)」に那覇市が敷地を無償で提供しているのは、「政教分離」の原則を定めた憲法に反するとの判断を最高裁が示したもの。
政教分離を巡る最高裁の違憲判決は3件目となるが、「儒教施設」に関する判断は初めてとなる。
争われたのは那覇市内の公園にある孔子廟だ。琉球王国時代に中国から渡来した人らの子孫でつくる一般社団法人「久米崇聖会(そうせいかい)」が2013年に建てた。
体験学習施設として申請を受けた市が「公共性」を認めて土地使用料を全額免除した。これを問題視した住民が「違法確認」を求めて市を訴えた。
なぜなら、憲法20条には特定の宗教団体に対して国が公金を支出するなど、有利なはからいをしてはいけないことになっているからだ。
それはかつて「国家神道」が軍国主義を支えた戦前の反省から、憲法は国や自治体などが宗教と関わりを持つことを原則として認めていない。
今度の判決は儒教の施設であり、「孔子廟施設」特有の性格や経緯をつぶさに検討し、土地使用料の全額免除は許されないとした。
先例となったのは、地域の神社への公有地の無償提供が争われた「空知太(そらちぶと)神社訴訟」で、外観などから社寺との類似性があると指摘し、違憲判決をだした判決。
那覇の「孔子廟」においても、正会員が限定され、供物を並べて孔子の霊を迎える祭礼も宗教的意義を持っていると認定したのである。
さらに問題視されたのが、免除されている土地使用料は年間576万円に上るため、「社会通念」からして、市が特定の宗教を援助していると評価されてもやむを得ないと結論づけ「違憲」とした。
中国から伝わった儒教は、宗教というより学問や思想体系として位置づけられてきた側面が強い。
江戸時代には、儒学(朱子学)が幕府の官学として奨励され、その精神は道徳規範となる。
実際、「論語」は教養として今も親しまれていて、多くの人々が「座右の銘」とする言葉も多いだけに、宗教としての認識はしてない人が多い。
裁判でも原告と市側は「儒教が宗教か否か」について激しく争っていたにもかかわらず、最高裁は「儒教一般」についての評価や孔子廟を管理する「崇聖会」が宗教団体かどうかの判断はしなかった。
つまり、宗教として判断せざるをえない「行為」のみに焦点をあてて判決を下したのである。
今回の判決は、原則に基づくけじめを示しており、現実的な裁きともいえようか。

日本の裁判史上、「神道が宗教か否か」を問うた裁判が行われた。
1965年の「津市地鎮祭裁判」である。
この裁判では、市の体育館を建設する際に地鎮祭を公費(当時の金額でおよそ7000円程度)で行うのは、憲法20条が禁止する「政教分離」に反するのではないかとという訴えが起きた。
最高裁においては、地鎮祭は宗教ではなく「習俗」に近いもので、地鎮祭を公費で行うことは政教分離に抵触せず「合憲」であるという判決が下った。
判決文を紹介すると次のとうりである。
「(地鎮祭)は、社会の一般的慣習に従つた儀礼を行うという専ら世俗的なものと認められ、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるものとは認められないのであるから、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動にはあたらないと解するのが、相当である」。
ある意味この判決は裁判所が出したものとはいえ、日本人全般の「宗教意識」を垣間見た思いがする。
日本人があなたの宗教は何ですかと聞かれ、「無宗教です」と言う場合、その多くは「神は絶対にいないと思う」という「無神論」を意味するわけではない。
これをもし外国人に伝えたら、生きる世界観も原則もないニヒリストと受け止められても仕方がない。
日本人は、宗教というとキリスト教やイスラム教のような、創造主としての唯一絶対神を崇める信仰だという意識がある。
しかし日本にも古来、神道というのがあって、その後に仏教というものがはいってきた。
そうして、両者の間でいわゆる「習合」がおきて、本来なかったようなものが生み出されていく。
この独特な習合が日本文化を形成していったといっていいくらいだが、その典型的なものが「お盆」である。
先祖の霊がお盆の時期に帰ってくるので、先祖供養をするというのが「お盆」である。
我々は、先祖供養の際に「お坊さん」を呼ぶので、お盆はすっかり仏教の「祭祀」の一つと思っている。
「無神論」を自認している人が、実は「アニミズム的」意識にドップリ浸かっているのをしばしば見かける。
「信じる、信じない」を超越した「無意識領域」の信仰者であるということである。
子供の遺影をもって卒業式に連なる親は、単なる写真の入った額縁をもっているのだろうか。
あの額縁の中にその子の霊が宿り、亡くなった子をつれてきたのだ。
津波で被災した子供のランドセルを探す親は、単にランドセルというモノを探しているのだろうか。
きっと子供の霊が宿る「カタミ」をさがしているのだと思う。
日本人のほとんどがこのようにモノに「霊」が宿ることを無意識で信仰している。
つまり徹底的に「アニミズム世界」の住人なのだ。
また「言葉」のなかにも「霊威」が宿ることを無意識で信仰しているのだ。
死者のことを悪くいうことを恐れるだろうし、「言霊」信仰をもっているので、不吉なことはできるだけ言ったり、予測さえしないようにしているだろう。
こういう心理的傾向は、「最悪」を考えることを拒絶させ、大災害への準備を怠らせる結果にもなる。
またケガレ意識は日本人一般にあるもので、葬式などにいった後などには「塩」をまいたりするのである。
では、日本人は自然宗教を持っているにも関わらず、自分は「無宗教だ」と標榜するのはなぜだろうか。
近代において、諸外国精力と対等に渡り合うために文明が発達している必要があった。そこで明治政府は、天皇を中心とした立憲君主制に基づく民主主義を樹立させようとした。
そのために政府が全国に広めたのが神道で、全国の神社に神官としての官僚を送り、天皇の祖先であるアマテラスオオミカミを崇める「神道」を広める。
しかし同時に、「政教分離」を主張する勢力や、「信教の自由」を認めてキリスト教を布教させようとする西欧から圧力があった。
そこで、明治政府が持ち出したのが「神道非宗教論」である。
その裏付けとなるのが、宗教は「内と外」に分けられるというもので、「内=個人の信仰心」と「外=布教や儀式」とは別物であり、神道は儀式や慣習に過ぎないので宗教ではないと主張したのである。
このような明治政府の「神道非宗教論」により、日本人は、自分達が信仰しているのは宗教ではないと自覚するようになったのである。
室町時代になると、それまで神仏を尊崇することを勧めていた武家の家訓に、儒教の徳目、すなわち「仁義礼智信」を守ることが加わってきた。
神仏を頼むのではなく、「仁義礼智信」という、現実世界・日常世界における人間関係の理想的なあり方を追求していくことが重視されるようになる。
本来の仏教では、人間は六道(天道/人間道/修羅道/畜生道/餓鬼道/地獄道)を輪廻するという考え方があり、これを「輪廻転生」と呼んでいる。
人間は死んだら「六つの世界」に、別の形出生まれるというのがその考え方で、もともと霊などというものを認めない。
「鎮護国家」思想のように、仏教が怨霊を鎮めるというのは矛盾そのものだが、この辺に日本仏教の特質が現れているのかもしれない。
日本人の仏教は、中国経由で伝わったので、先祖供養というものは実は「儒教」の影響である。
「輪廻転生」とは違い、儒教は「霊」の存在をちゃんと認めている。だからこそ「祖霊信仰」というものが前面にでると「宗教性」を帯びてくる。
儒教のなかでも、御先祖に対して「孝」をつくすことが重要である。先祖様を大切にして「祈り」をささげなければならないのなら、子孫を絶やさないということも「孝」の一面である。
日本人の信仰は、土着信仰をベースに神道、仏教、儒教が混成している。それは、「教義」を土台としないがゆえに無自覚信者多いのも特徴的である。
つまり、日常生活と分かちがたく結びついている信仰は、宗教として切り離すこと自体が難しい。
ちょうど、「ララムリ」のイベント「ララヒッパリ」のように生活と密着しており、それをスポーツ(競技)として切り離してしまうことはできないのと似ている。
インタビュアーに、外国人ランナーと耐久レースを競うことについて問われた時の、「ララムリ」のあの困惑した表情が思い浮かぶ。