民主と共和の出自

新型コロナ下に、自粛で我慢を強いた日本国はオリンピックに突き進んでいる。思い起こせば、このオリンピックにまつわる問題は続発した。
エンブレムの盗用問題、国立競技場の建設費の問題、まともな説明は一度もなかった。
合わせて竹田JOC会長のオリンピック招致を巡る汚職疑惑、森組織委員会会長の「女性は話が長い」発言など、オリンピック開催に水を差す出来事も。
さらには、有力選手を襲った事故や病気に、不吉な感じさえ覚えた。
新型コロナの下でオリンピックを一体何の為に、誰の為にするのか、と改めて政治に自分たちの気持ちが反映されていないという実感をもった人も多いことであろう。
誰がどう議論しようがすまいが、「答」は予め決まっていのなら、どうぞやってくださいという諦観漂うオリンピック。全否定しないのは、やってみたら案外盛り上がるかもという思いもないわけではない。特に、1964年東京オリンピックを知っている者にとって。
こんな日本で政変どころか、与野党の政権交代も起きないのが不思議。安定しているというより、民主主義が機能していないのではないか。
ところで政治学においては、健全な「議会制民主主義」こそ、望まれる政治形態いうのが定説である。
ところが、「代議制(議会制)」と「民主制」とはその出自が異なっていおり、そんなに相性がいいわけではない。
両輪がうまく回るような「健全な」議会制民主主義とはどのようなものなのだろうか。
結論をいうと、参加意識と責任感がうまく醸成されることだ。
ところが意思決定に与れないなら、そこで決まったことを尊重したり守ることに責任も感じない。そんな感覚は官民問わず、蔓延しているのではなかろうか。
その点につき、JJ・ルソーが核心にふれることを言っている。
人民が自分に代わって統治する指導者達をもっているならば、その指導者にどんな名が冠されていようとも、「貴族政」と何ら変わるものではない。
ルソーは、古代アテネで行われていたように有権者全員が政治に直接参加するような政治体制こそが民主政治であって、人々が代表者を選出して行われている「間接民主政治」では、結局は「貴族政」になってしまうという。
日本の国会の「世襲議員」の跋扈をみればそれをいいあてている。選挙では、いつも同じ人が選ばれたり、特定の人たちの中からしか代表者が選ばれていないと感じることが多い。
もともと主婦だったり、会社員だったりした人が選挙に出る場面もあるが、「○○チルドレン」という名前でククられる人達ならば、新しい意見を出したり、発言力をもつことなど、到底期待はできない。
また世の中一般で「貧困の世襲」まで行われていくならば、いかに民主政治をかかげても「貴族政」の色合いが強まっている。
ここで、「そもそも」論を畳み掛けると、「選挙」とは果たして本当に民主的なのかということ。
古くはアリストテレスは「選挙」に反対して、誰もが交代して公職につくような制度を推奨している。
古代ギリシアでは、公職を「くじ引き」にして民主化を徹底したことはよくしられている。
それを「衆愚政治」とみる向きもあるが、成年男子という制約はあったものの、採用されるとは限らなくても、自分の意見を表明するチャンスがあるというのはいいことである。
この実感があってこそ、参加意識が醸成される。
自分達の意思が反映される政治ならば、そのルールは尊重しよう、このような責任感で国がまとまるという好循環がおきる。
ちなみに、日本でも裁判員制度で、「クジ引き」民主主義を一部、採用している。

民主制と代表制では、その出自が異なる。少なくとも18世紀までは別物として育った。
市民の直接的な統治である「民主制」と、選ばれた代表者による意志決定である「共和制」は明確に区別されていたということだ。
「民主制」の発生元は、アテネの民主制であり、そこに代表制という発想はなかった。
対する「代表制」の発生元はローマであり、ローマでは代表制のことを「共和制」とよんでいた。
共和制のポイントは、リーダーはなんらかのカタチで選ばれた者で、その選ばれ方は必ずしも民主的でなくてもよい。
ローマ人は、世襲的な独裁政治を防ぐことが最大の主題だったからだ。
都市国家の時代、アテネとローマは、貴族・平民・奴隷という身分構成をもっていた点で共通しているが、どこから違いが生まれたのか。
アテネは戦争で重装歩兵ばかりか無産市民まで船の漕ぎ手として戦争に参加し、いずれも「市民」として政治参加を求めるようになったこと。
これにより、貴族と平民の垣根が低くなったこと。
一方、ローマでは、貴族で構成する「元老院」が力をもって、独裁者もしくは王の出現を防いだ。
元老院がカエサル(シーザー)を暗殺したのも、クレオパトラの影響か、カエサルが皇帝の地位を望んだからだ。
皇帝や王が誕生すれば一般に世襲される傾向があるため、ローマ人はあくまでも自分たちが選んだ代表者が政治をする体制つまり「共和制」を望んだのだ。
その限りで、貴族で構成される「元老院」の牙城は崩れず、民主制までには至らなかった。
もっともそのローマでも、「平民会」の力が強くなり、平民会の決定が元老院の承認を受けずとも国法となる、まるで「衆議院の優越」を思わせる「ホルテンシウス法」が出来た段階が、ローマが一番「民主制」に近づいた時期といえよう。実際、この時期のローマの体制を「民主共和制」とよんでいる。
まとめていうと、元来「民主制」の側では代表制は期待されていないし、共和制の側では民主制までは期待されていなかった。
このように、別物として育った「民主制」と「共和制」とを結びつけたのが、市民革命時の国民議会や憲法制定議会などの「議会」であった。
これによって「代表制民主主義」(議会制民主主義)が理想の政治形態として定着していく。

現代において「共和制」をとっている国は、国民が選んだ国の代表によって統治される国家体制のことで、平たくいうと国王や天皇がいない国のことである
アメリカをはじめ「共和制」をとっている国の元首は、大統領であることがほとんどである。
英語で大統領を表す「president」は、「前に座る」という意味のラテン語「praesidere」が由来で、アメリカの建国時に初めて採用された。
アントニウスに勝利したオクタヴィアヌスが、あえて皇帝を名乗らず自らを「第一の市民」(プリンケプス)と名乗ったことを思い浮かべる。
「共和制」において代表者たちは選挙に当選しなければ、権力の座から追われてしまう。そのため国民の支持を集められるような政策を掲げることで再選を目指すようになり、国民の側も自分たちの利益にかなう代表者を選ぶことになる。
もともとは君主制の対義語である「共和制」をめざしたのだが、フランス革命とアメリカ独立革命を機に、「議会」が民主化への先導的な役割を果たす。
つまり、権力者が勝手にルールを決めていた時代から、「議会」が立法機関としての地位を確立し、さらには最高機関としての位置づけを獲得していくからだ。
「共和制」(リパブリック)の語源的な意味は、「みんなのもの」ということで、当時の絶対王政と対置されるべきものでああった。
絶対王権は国土や人民は王の私物なので、人が生まれればその存在自体に税金(人頭税)が取られるし、王様の土地を往来すれば通行税を取られても、どこかに居座れば家屋税をとられてもなんら不思議ではない。
それに対して共和制の本質が「皆のもの」というのならば、アテネのように女性や奴隷を排除したかたちの民主制は、共和的なものではないといえる。
とはいっても共和制の最大理念は、「独裁者」を出さないというところにあり、皆が政治に参加することまで言っていない。
ただリーダーを「自分たちの手で」選んでいるという実感がなにより大切である。
それには、参加する権利の拡大が重要で、そうした議会ができてこそ共和制と民主制が結びつく。
移民で出来た国アメリカで、どうしてあれほど長く時間をかけて大統領選挙を行うのか。
それは、大統領選挙をお祭りのように仕立て盛り上げてこそ、我々が選んだ「代表者」であるという実感をもてるからだ。
さて大統領制をとっている共和国の大統領は議会から独立して行政の任を負うことができるため、非常に大きな権限をもっている。
最近、選挙で敗れたトランプ陣営が選挙無効を訴えて議会になだれ込んで死傷者が出る事件があった。
「共和制」においては、選んだ代表者が適切でなかった場合は、選挙で交代させることができるため、一部の勢力に権力が中することを防ぐことができる。
それはあくまでも「平和裏」に行われることにこそ価値があるのであって、共和制の本場たるアメリカにおいて、薄弱な根拠で選挙結果を暴力的に覆そうということが、いかにその理念を裏切る暴挙であったか。

民主主義において、選挙が適切に行われることでよりよい代表者を選ぶことができることはいうまでもないことである。
ただ、民主制はある程度の「国民の同質性」を前提とする。なぜならひとりひとりの違いを無視して「頭数」として捉えるからだ。
民主制は元来「デモスの支配」、つまり「多数の支配」を意味する言葉で、国民が同質でない場合にあえて「民主的なもの」を求めるならば、階級ごとに分けることになる。
かつてのフランスの「三部会」もそれであろうが、イギリスで貴族院と庶民院という2つの議院ができたのも、元々はそういう事情だ。
近代民主政治の原理としてモンテスキュ-の「三権分立」があるが、結論だけみると民主主義を志向しているようだが、かならずしもそうではない。
モンテスキュ-は、権力がひとつに集まると濫用がおこることを懸念し権力を三つに分けたものの、むしろ議会によって締め出された君主にもちゃんと行政権を持たせようとしたにすぎない。
言い換えると、モンテスキューは王政や貴族政を前提にして権力分立を主張したのであり、当時、圧倒的な人数を占める「第三身分」たる平民を中心とした民主政治に対してクギをさしたともいえる。
モンテスキュ-は、社会の上流層に特権を認め、貴族的な身分のものだけからなる議会を作っておくことが現実的だと考えたのだ。
実は「直接民主制」を理想としたルソーは、現実世界に関して民主政治をよしとはせず、むしろ彼のいうところの「貴族政」つまり代議制の方をよしとしている。なぜならルソーは、市民の大部分は選挙すること「選ぶ」ことに関する能力があっても、「選ばれる」に足る能力は持ち合わせていないことを充分に認識していたからだ。
またイギリスで憲法によって王権の暴走を防ぐ「立憲主義」が確立したが、共和制のように王がいない場合、立憲主義とは、「多数派の暴走」に制限をもうけているとみなすことができる。
つまり憲法に予め「普遍的人権を侵害してはならない」と定めておいて、いかに多数派であってもそれに反することはできないという制限をかけているといことだ。
このように制限はあるものの、現代民主政治の実現の代表的な方法として「多数決の原理」があるのだが、「多数決」は近代の発明でもなんでもない。
近代民主主義の理念の多くは、案外と「民主」の理念からはかけ離れたところに出自がある。
日本社会における「多数決」の出自につき、評論家の故山本七平が面白い指摘をしていた。
山本は、日本で民主政治が受け入れられた背景には「多数決」が伝統的に日本で行われたことを示したが、その多数決が意味するところは今日のそれとはとはまったく異なっているということを指摘したのである。
多数決の原理を採用した多くの民族において、それは「神慮」や「神意」を問う方式だった。
古代の人々は重大な決定をする時に、その集団の全員が神に祈って神意を問うた。そうして多数決の方式で評決すれば、神意が現れると信じたのである。そしてその決定が全員を拘束するのである。
その限りでいえば、多数決による決定を「数の論理」がまかり通るといった批判は成り立たない、
そこで大切なことは、あくまでも神意を問う場面で、親の意向はとか、師匠の意向はとかいったシガラミに振り回されてはいけないのである。
あえていえば「自立した個人」であることが必要で、賄賂なんていうのは神仏への冒涜でさえある。
カトリック教会で枢機卿が教皇を選出するコンクラーベにしても多数決がとられるが、祈りつつ行われる投票の結果は「神意」の表れであり、従って教皇は神の意思で教皇になったのであり、誰も文句は言えない。
日本で多数決が行われたのは、比叡山や高野山などの寺院内に限定され、しかも様々な縁を断ち切った「出家」のみが、投票できたということなのだそうだ。
「政治経済」の教科書でいう「民主政治のルール」は、もともと「神政政治のルール」なのであり、アメリカで陪臣員制が正当性を持ちえたのは、ひとつにはピューリタン(カルビン主義)的な「神政政治」の名残なのである。
共和制と民主制は出自が違っていると述べたが、自由主義と民主主義もそれほど相性はよくない。
日本の「自由民主党」とは、「自由党」と「民主党」が合同して「自由民主党」になった党である。
「リベラリスト」あるということと「デモクラット」であるというのは、語源的な意味合いでいえば「相互矛盾」なのである。
「自由主義」は個々人の考え方を重視する考え方である一方、民主というのは「多数派」を重視する考え方なので、多数派の考え方が少数の個々人の考え方を排除してしまう傾向がある。
最近「白人中産階級の列に、黒人や女性、移民、難民などが割り込んできた」という例えが引用されるが、それまではマイノリティーを排除することで成立してきたのも確かだ。
また議会制民主主義が病魔に侵されることもある。科学的な根拠もないことを、市民の感情に訴えて政治を動かすということを「ポピュリズム」という。
それは、それはエリートが動かす政治に対する反発として起きる。
最近では、日本でも「一級市民」や「二級市民」などという言葉が使われるようになった。
人はしばしば「努力すれば成功する」との信念を口にするが、人の様々な能力は生まれや環境によって大きく左右されることに気がついている。
その意味で、出自主義や縁故主義のカウンターとして登場したはずの能力主義も、実際には「不公平」であると同時に、社会的不満の温床となる。
「白熱教室」のサンデル教授は、トランプ現象は「差別主義者の反動」とか「グローバリズムへの抵抗」といった説明では適切でなく、「リベラル」「エリート」の掲げる「能力主義」への反発こそが核心であるとみなした。
また日本の議会制民主主義の下では、女性や若者の声が政治に反映されていないといわれている。
宇野重規という政治学者の提案によると、現在の選挙は地域別で選挙区が作られているが、地域ごとに選挙をして、その地域の代表者を決めている。
しかしこれでは、数が少ない20代の意見はどうしても「少数派」とみなされ、採用されづらくなる。
それならば、選挙を年代別にすればいい。20代の議席数は少ないかもしれないが、少なくとも20代が選んだ代表者が国会に議席を持つことができる。
それによって幅広い年代層で、参加と責任が両輪となってまわるというものである。

日本は天皇制でしたから、人々が力を持つと天皇主権とぶつかるという考えもあったのでしょう。どこか危険なものとして“民主主義”が明治の日本に受け入れられていったわけです。
しかし、“みんなで考えて相談して物事を解決する”ということは何も特別なことではなく、日本では古くから行われてきた方法です」
そんな中で、世界に比べれば、日本は民主主義が比較的安定しているといえるそうです。
「安定というよりも、もしかしたら“停滞”という言葉の方がしっくりくるかもしれませんね。世界的には政治が左右に分極化して不安定な状態が続いていますが、日本ではむしろ自公政権(自由民主党・公明党による連立与党政権)が長く続きました。しかし、少子高齢化への対応や財政再建などの問題は解決していません。安定してはいても、民主主義がしっかり機能している、と言えるかは疑問も残ります。
政治に関心がない人も多く、20世紀終わりには国民の半分近くが無党派層となりました。関心を持てない理由のひとつには、きっと代表者たちがうまくやってくれるから大丈夫だろうという意見もあるかと思いますが、むしろいつまでたっても政治はよくならず、期待しても無駄という諦めの気持ちも多いのではないでしょうか。
また、日本は“先進国”とは恥ずかしくて言えないほどジェンダーギャップ指数の順位が低く、報道の自由も低下し続けています。そういう国のあり方に若い人は不信感を持ち、代議制(間接民主主義)への不信を募らせていると言えます」
コロナの時代、リーダーの質が問われた。たとえばニュージーランドのアーダーン首相は、毎日のようにコロナ対策について会見して説明しただけでなく、その場で視聴者からの意見にひとつひとつ答えていました。
国民が、自分の意見が聞いてもらえていると感じた瞬間であり、提案や意見を積極的に受けつけている姿に安心感があったと思います。
また、台湾のデジタル大臣であるオードリー・タンは、インターネットで世論調査を行い、一定数の意見が集まったものを行政や議会に提出して議論しています。
本書は〈辛抱強く並んでいたこの分断を前に、なにを、どのような仕方で「共通善」にできるのかという具体案は書かれていない。
仕事のことや暮らしのことに悩みがある方は、それは自分のせいなのだと思いがちですが、そうではなく、社会的な背景があることを知ってほしいのです。
自分だけの問題だと思って自分だけで解決しようとせず、社会問題だと思って周りを頼っていい。
たとえばシングルマザーの貧困率が高いという問題では、自分が離婚したからだとか、勉強してこなかったからだ、能力がたりないからだ、と自分を責めてしまうかもしれません。
このような思考になるのには、“やってこなかった自分が悪いのだ”という社会からの無言の圧力もありますよね。でも、同じ環境の方がこれだけの数いるわけですから、もうその人個人だけの問題ではないのです。
次に、それが自分だけでないことを知ったら、同じ環境の人と手を取って変えられる仕組みを考えてほしいのです。
地域の人とおしゃべりする時間を持つことや、近所で物事を解決する手段を考えることも大切です。