聖書の言葉から(みつばさの陰に)

「寄り頼む者をそのあだから右の手で救われる者よ、
あなたのいつくしみを驚くばかりにあらわし、
ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、わたしをしえたげる悪しき者から、わたしを囲む恐ろしい敵から、のがれさせてください」
(詩編17章)。

ナポレオン後の「ウィーン体制」は、旧勢力がフランス革命の自由への動きを力で押さえつけようとしたため、1820年代に当体制に反発して自由や民族独立を求める運動が起こっていく。
この時代のサマを描いた「レ・ミゼラブル」のユーゴーと、「晩鐘」の画家ミレー。
ユーゴーは都市生活を文筆をもって、ミレーは農村生活を絵筆をもって、当時の社会を描いた。
二人の芸術家にはいかなる接点もないが、旧約聖書「ルツ記」からインスピレーションを得ていると推測される点で、交差しているように思える。
「レ・ミゼラブル」では、ジャン・バルジャンが妹の子を助けるためにパン一切れを盗んだ罪で投獄される。
何度も脱走を企て刑期が19年と伸びたが、仮釈放後そのまま逃げてしまい、刑事のジャベールに一生追われる身となる。
逃亡中、親切な司教が、宿と食料まで与えてくれたものの、バルジャンは司教の善意さえ裏切り、銀の燭台を盗んで逃げ出す。
バルジャンはすぐに警察に捕まるが、司教は「銀の燭台は彼にさしあげたもの」、さらに別の燭台までも「忘れていったのであろう」とバルジャンに与える。
バルジャンは司教の心に打たれ、真人間として生まれ変わることを誓う。
その後、必死に働いて工場をつくり、町を発展させた功績で市長となる。
しかし或る時、工場で、ファンティーヌという女性に私生児がいるのが分かって騒ぎがおきる。
それは周囲の彼女への嫉妬が原因だったが、バルジャンは、自分の正体が「発覚」することをおそれ、このトラブルを工場長にまかせて行方をくらます。
しかし下心をもってフォンテーヌに近づいた工場長は拒絶され、彼女を工場から追い出す。
結局、フォンティーヌは娘コゼットの養育費を稼ぐために娼婦に身を落とし、まもなく病床に伏し亡くなってしまう。
すべてを知ったバルジャンは フォンティーヌからコゼットを託され、私欲だらけの宿屋夫妻に預けられていたコゼットを引き取り、限りない愛をもって美しい娘に育てあげる。
時を経て、「父親代わり」となって育てたコゼットにマリウスという恋人がいるのを知る。
しかし、追われる者が近くにいてはと、コゼットのもとを去る決意をする。
そして自分の正体をマリウスに明かし、マリウスにコゼットの未来をゆだねる。
マリウスは、暴動の日に瀕死に陥るが、一人の男に背負われて助かったことがあった。後にその男こそがバルジャンであることを知る。
バルジャンの改心と自己犠牲の姿に「レミゼラブル」がキリスト教の影響下に書かれたものであることは、明らかであろう。
特に、世間の荒波に孤立無援となったフォンテーヌとコゼットを助けようとしたバルジャンの姿が、旧約聖書の「ルツ記」において、母・娘(嫁)を支えようとした年長のボアズの姿と重なる。
「旧約聖書」において、ナオミとルツが生きていたのは、荒涼たる「士師の時代」。
そして、二人が貧窮の中で生活の拠り所としていたのが「落ち穂拾い」であった。
「ユダヤ法」の中には、様々な「恤救制度」(弱者保護)がある。例えば「安息日」は、奴隷や牛馬の消耗を防ぐ意味合いもあったし、7年目ごとに「安息年」をもうけて畑の耕作を休んだりする。
また、50年めごとに債務を帳消しにして奴隷を解放する「ヨベルの年」とかもあった。
さらには、収穫のすんだ畑に残っている「落穂を拾う」のは寡婦や孤児の権利で、誰もそれを邪魔してはいけないことになっていた。
そのほか、外国人(異邦人)労働者にも一定の保護が与えられていたのである。
ちなみに、西洋絵画の傑作「晩鐘」には、落葉拾いをする女性が描かれているが、この「ルツ記」がモチーフになっているといわれている。
さらに「ユダヤ法」では、夫を無くした寡婦を夫の一族のうちの誰かが娶る権利を有するという「レビート婚」の慣習があったことや、跡継ぎがいなければ「その土地」を夫一族の誰かが「買い戻す」権利があった。
いずれも一族の血と土地を存続させるための慣習法である。
さて、イスラエルの地に飢饉があり、ベツレヘムからモアブの地に「寄留」したエリメレクの家族がいた。
モアブの地は、アブラハムの系図にはない「異邦人」が住む。詳らかに言うと、この世から滅び去ったソドム・ゴモラの町から脱出したアブラハムの甥・ロトの子孫にあたる。
エリメレクの妻はナオミといったが、モアブの地で夫が亡くなり寡婦となった。
また二人のの息子は、モアブ人の女性を嫁として迎えたが、10年の歳月を過ごした後、ナオミは、二人の息子にも先立たれてしまう。
残された姑ナオミと二人の嫁の心境はどのようなものであっただろう。
夫も子どもをも失う、ナオミは涙も涸れはて、守られる盾さえない境涯に立ちすくんだにちがない。
そんな折り、故郷ベツレヘムから「豊作」の知らせが届き、食べることだけには困らない故郷ベツレヘムに戻る決意をする。
だがナオミにとって気がかりなのは、モアブ人の二人の嫁のことであった。
イスラエル人は排他的なところがあって異邦人(モアブ人)である嫁までも連れて行くことに気がひけ、ナオミは、二人の嫁にそれぞれ自分の実家に帰り、再婚して新たなスタートをきるようにすすめた。
そこで弟の嫁のオルパは、この勧めに従ったが、兄の嫁のルツは、ナオミの勧めを受け入れず、あくまでもナオミについて行くことを希望した。
その時語った、異邦人ルツの言葉は心に心に響く。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」。
はたからみれば孤立無援とみられる姑と嫁の心の内は、信仰の光で照らされていたのだ。
そして、姑ナオミは堅く離れようとしない嫁ルツを受け入れ、二人はナオミの故郷ベツレヘムへとむかったのである。
そして、そこには「はかりしれない」神の恩寵が待っていたのである。
二人がベツレヘムに到着したのは、大麦の刈り入れの始まった頃であり、ナオミの旧知の人々はナオミに「お帰り」と声をかけた。
しかし、ナオミは、「楽しむもの」を意味する自分の名で呼ばれることを拒み、苦しみを意味する「マラ」と呼ぶようにと答えるほどだった。
それまですべてを失ったナオミだが、「主の御手が私に下った」「全能者が私をひどい苦しみに会わせたからだ」と語り、一言も神をのろ言葉を発することはなかった。ちょうど「ヨブ記」のヨブのように。
ところで亡くなった夫エリメレクは土地を所有していたが、「跡継ぎ」がいないままであり、その土地は売られて他人の手に渡ろうとしていた。
しかしユダヤ法には夫がなくなるとその兄弟が優先的に土地を買い取る権利を有するという規定があった。
ベツレヘムには、エリメレク一族に属する遠縁にボアズという金持ちがいた。ボアズもその土地を買い戻す権利を持つ一人だったのである。
また前述のとおり、ユダヤでは、貧しい者と寄留者には、収穫後の「落ち穂」拾いの権利が与えられていたのだが、ルツは「はからずも」ボアズの畑へと導かれていたのである。
ボアズは、働き者のルツに好意を寄せ、落ち穂を拾いやすいように、畑の若い者たちに邪魔をすることがないように命じた。
ボアズのルツに対する好意を知った姑ナオミは、前述の「レビート婚」の権利に訴えて、自分ではなく異郷から来たルツの将来を保証しようとした。
そこには、神がそのように導いておられるという確信めいたものがあったように感じられる。
そして姑ナオミは、嫁ルツに具体的な指示を与えた。からだを洗い、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に下って行くこと、ボアズが寝る時に、その足のところをまくって寝ることである。
これは、当時のユダヤの「求婚の習慣」に従ったものであり、ルツはただその指示に素直に従った。
ボアズは、そんなルツの姿を見て、その心根にある優しさと真実味に心をうたれた。
ユダヤ法では、結婚にせよ土地の買い戻しにせよ権利を持つ者は他にいた。ボアズは遠縁なので、それを行使しようという優先度が高い者が一族にいれば、ナオミの「願い」は実現しない。
そこで、ナオミはルツに言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい」。
ナオミは貧しいどころか、信仰に富んでいた。
ボアズは、他の買い戻しの権利を優先的に持つ者全員にそれを行使しようとする者がいないことを確認の上その権利を譲りうけ、ナオミとルツの幸せのために、ある意味では「犠牲」の大きい結婚を承諾したのである。

旧約聖書には、ひとりの娘を「父親代わり」に育てた人物がいるが、「レ・ミゼラブル」どころではない、”民族の存亡”の展開を生むこととなる。
BC8C頃、ユダヤ人は大国アッシリアやバビロニアによって攻められ多くの民が捕虜として強制連行された。そして、ペルシア王国の領土内にコミュニティーをつくっていた。
ペルシア帝国が台頭し、バビロン帝国が滅ぼされると、強制連行されたユダヤ人達も解放され、国を再建することが許されたものの、異国の地に留まり続けなければならなかったユダヤ人も大勢いた。
旧約聖書「エステル記」の時代に、老年のモルデガイがエステルの「養父」になったのも、そんなユダヤ人コミュニティーの特殊な事情があったためであろう。
さてペルシア・クセルクセス一世は、ペルシアの首都スサで王位に就き、その3年後に180日に及ぶ「酒宴」を開き、家臣、大臣、メディアの軍人・貴族、諸州高官などを招いた。
その後、王妃ワシュティも宮殿内で女性のためだけの酒宴を開いていて、最終日に王はワシュティの美しさを高官・市民に見せようとした。
しかし、なぜかワシュティは王の命令を拒んで、宴席にさえ出ようとはせず、王はすっかり腹を立ててしまった。
王は側近から、こうした噂が広まると女性達は夫を蔑ろにするという助言をうけ、王妃ワシュティを追放する。
そして王は大臣の助言により「新たな王妃」を求めて全国各州の美しい乙女を一人残らず首都スサの後宮に集めさせた。
スサは紀元前500年頃から大きなユダヤ人コミュニティーがあり、そこに美貌のエステルがいた。
義父モルデカイはエステルを応募させ、エステルは後宮の宦官ヘガイに目を留められて王妃となり、誰にもまして王から愛された。
しかしエステルは、自分の出自と自分の民族つまり「ユダヤ人」であることは誰にも語ってはいなかった。
彼女の本名は「ハダサ」であり、エステルは実はペルシア名であった。
エステルはバビロン捕囚時のユダヤ人の子孫だったため、二つの名を使い分けて生きてきたのである。
一方、王の下での最高権力者ハマンは、宗教的な儀式の場面などで自分に従おうとしないモルデカイに対する恨みを抱くようになった。
そしてハマンは、ユダヤ人全員の殲滅計画をめぐらせ、王にユダヤ人への中傷を繰り返し述べて、その計画を着々と進めていった。
そしてクジで選ばれた日に、すべてのユダヤ人を抹殺することが決定したのである。
これを聞いたエステルとモルデカイは悲嘆にくれ、そしてほとんどのユダヤ人は、自分達にやがて降ってくる災難を嘆くほかはなかった。
そこで義父モルデカイは養女エステルに言った。「この時のためこそ、あなたは王妃の位にまで達したのではないか」。
エステルはスサの全てのユダヤ人を集め、三日三晩断食するように命じ、その後、意を決して王に直接会いに行った。
その時代、王妃といえども「召し」なくして近づくことは許されなかったが、王は上機嫌でエステルとの面会を許し、エステルは王に最高権力者ハマンと共に、酒宴に開きたいという旨を伝えた。
そして当日の宴席で、エステルは王に自分がユダヤ人であること、およびユダヤ人殲滅計画が信仰していること、さらにはその首謀者がハマンであることを伝えた。
実は、その宴会の前日、なぜか眠れない王は、宮廷日誌を持ってこさせて家臣に読ませた。
するとモルデガイがかつて王の暗殺計画を察知し、王の暗殺を未然に防いだ記録をはじめて知り、さらにはその「恩賞」さえ与えていないことを知った。
このこともあってモルデガイと養女エステルへの信用度をあげていた王は、ハマンの計画を追及し、ハマンを柱にかけて処刑した。
実はこの柱、ハマン自らがモルデカイ殺害用に立てたものであった。
そして、首謀者ハマンの死とともに、「ユダヤ人ホロコースト計画」は寸前で阻止された。
その後、王妃エステルの義父モルデカイは、処刑されたハマンの空席を埋めるかのようにハマンの財産と地位を譲り受け、宰相となる。
また、シュワティの座にエステルが座り、ハマンの座にモルデガイがすわった。
実は「エステル記」には、神もその言葉もでてこない、「旧約聖書」の中でも”特異な書”である。
しかし、その事実こそが、旧約聖書の登場人物が、「神と人とサタン」との関係を示す「型」であることを示している。
そして、神に訴えるものサタン(つまりハマン)との間に立つ仲保者たるイエス・キリストの「型」(つまりエステル)、さらにモルデガイは「みつばさの陰」に庇護せんとする"父なる神"の「型」を示している。
ところで、ボアズとルツから出た系図は、その後、オベデからエッサイへ。
そこからなんとイスラエルの王ダビデと続き、さらにはダビデの系図から「イエス・キリスト」が誕生するのである。
全てを失ったかに見えたナオミと嫁ルツは、神が仕組んだようなボアズとの出会いにより、単なる庇護者との出会いどころか、とてつもない祝福の中に取り込まれたことを意味している。
さらに、ボアズの系図を逆に遡れば意外な事実が浮かび上がる。
「サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベデを」(マタイ福音書1章)とある。
この系図にでてくる「ラハブ」とは”遊女”(神殿娼婦)であり、ボアズはその子供。そんな人物が土地の有力者になっていること自体が、母ラハブに約束された"神の祝福"であるのかもしれない。
それは「レ・ミゼラブル」において、囚人から市長にまでなったバルジャンの人物造型とも重なる。
ラハブは、ヨシュアの斥候がカナンの視察にやってきた時に、追っ手から亜麻布の中に二人を隠した女性。
ラハブに助けられた二人の斥候はイスラエルの攻撃の際に、あらかじめ指示した「赤い糸」を目印にラハブの居場所を攻撃することはなかった。
この赤い糸は、「出エジプト」の際に疫病が襲った際に、イスラエルが災いを避けようと鴨居に羊の「赤い血」を塗った場面とも重なる。
聖書はイエスの十字架の千年を超える前から、救世主による”血の贖い”のメッセージを伝えんとしてきたのである。