聖書の言葉から(イチジクの木に学べ)

イエスの言葉に、「イチジクの木からたとえを学びなさい」(マルコ福音書13章)とある。
「その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる」、つまり「時をよみなさい」という意味だが、イチジクの木については、とても不可解なエピソードがある。
「朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。そして、道のかたわらに一本のイチジクの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。イチジクの実のなる季節ではなかったからだ。そこでその木にむかって、"今から後いつまでも、おまえには実がならないように"と言われた。すると、イチジクの木はたちまち枯れた」(マルコ福音書11章)。
このエピソードが、空腹をおぼえたイエスが実がなっていないイチジクに腹をたて、呪ったというのなら、何をか学ばんや!
ただ、「実のなる季節ではなかった」というのだから、イエスの空腹とイチジクの実を食すことを結びつけるのは、少し違うのかもしれない。
しかも、たかだかイチジクの木に、永遠の呪いをかけるというのは、あまりにも不自然である。
こういう謎に出会うと、聖書のなかに他にイチジクにまつわる話はないかと探すと、結構みつかる。
それは、イエスがイチジクの木の下に”立派な実り”を見つける場面である。
ただし、木の実とは違い、人間だ。
イエスがガリラヤに行こうとした時、湖で漁師のシモン(ペテロ)とアンデレ兄弟に出会う。
そして「網をおいてついてきなさい。人間を捕る漁師にしてあげよう」と彼らを弟子にする。
しばらくして、彼らの知り合いのピリポと出会い、ピリポもイエスに従う。
続いてピリポが知り合いのナタナエルに、モーセや預言者たちが示したナザレのイエスに出会ったと伝えた。
するとナタナエルはナザレからよきものがでるはずがないと疑うので、ピリポは「とにかく来て見なさい」とうながした。
そして、ナタナエルが イエスの方に近づくと、イエスは「あの人こそほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」と語った。
そこで、ナタナエルがイエスに、「どうし自分のことを知っているのですか」と問うと、イエスは「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、”イチジクの木の下”にいるのを見た」と告げる。
その言葉に驚いたナタナエルは、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」と答えた。
最後にイエスは「あなたが、”イチジクの木の下”にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」(ヨハネ福音書1章)と預言する。
このエピソードは、イエスとナタナエルが瞬時に相手の本質を見抜いた印象的な場面であるが、注目したいのは、「ナタナエルがイチジクの木の下に居るのをみた」という状況である。
この状況をイエスが空腹時に見た「イチジクの木」をネガとして重ねると、ナタナエルこそ「イスラエルに相応しい実」ということになる。
随分飛躍した解釈のようだが、旧約約聖書にも、「イチジク」になぞらえた次のような預言がある。
「荒れ野でぶどうを見いだすように わたしはイスラエルを見いだした。いちじくが初めてつけた実のように お前たちの先祖をわたしは見た。ところが、彼らはバアル・ペオルに行った。それを愛するにつれて ますます恥ずべきものに身をゆだね忌むべき者となっていった」(ホセア書9章)。
このなかのバアルオペルとは、出エジプトの時代、イスラエルがシナイ山のふもとで「金の子牛」を造って偶像崇拝の罪に陥ったカナンの神である。
他にもイチジクの木が登場する。「わたしは彼らを集めようとしたがと主は言われる。ぶどうの木にぶどうはなく いちじくの木にいちじくはない。 葉はしおれ、わたしが与えたものは彼らから失われていた」(エレミヤ記8章)とある。
以上から、「枯れたイチジクの木」とは、神の選びにふさわしくないイスラエルそのもの表している。
したがって、イエスが永遠に呪ったのは、イスラエルに相応しくない実をなすであろう”木”ということだ。
こうしてみると、イスラエルにはまるで良し悪しの二つのイチジクの木が生じているかのようだが、それは旧約聖書の預言と合致している。
「バビロンの王ネブカデレザルがユダの王エホヤキムの子エコニヤおよびユダの君たちと工匠と鍛冶をエルサレムからバビロンに移して後、主はわたしにこの幻をお示しになった。見よ、主の宮の前に置かれているイチジクを盛った二つのかごがあった。 その一つのかごには、はじめて熟したような非常に良いイチジクがあり、ほかのかごには非常に悪くて食べられないほどの悪いイチジクが入れてあった。 主はわたしに、"エレミヤよ、何を見るか"と言われた。わたしは、"イチジクです。その良いいちじくは非常によく、悪いほうのイチジクは非常に悪くて、食べられません"と答えた。主の言葉がまたわたしに臨んだ、"イスラエルの神、主はこう仰せられる、この所からカルデヤびとの地に追いやったユダの捕われ人を、わたしはこの良いいちじくのように顧みて恵もう。わたしは彼らに目をかけてこれを恵み、彼らをこの地に返し、彼らを建てて倒さず、植えて抜かない。わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。主はこう仰せられる、わたしはユダの王ゼデキヤとそのつかさたち、およびエルサレムの人の残ってこの地にいる者、ならびにエジプトの地に住んでいる者を、この悪くて食べられない悪いイチジクのようにしよう。 わたしは彼らを地のもろもろの国で、忌みきらわれるものとし、またわたしの追いやるすべての所で、はずかしめに会わせ、ことわざとなり、あざけりと、のろいに会わせる。わたしはつるぎと、ききんと、疫病を彼らのうちに送って、ついに彼らをわたしが彼らとその先祖とに与えた地から絶えさせる"」(エレミヤ24章)。
そしてイスラエルの歴史は、エレミヤの預言を裏付けるように、進展している。
ユダ王国のユダヤ人たちは、BC586年に新バビロニアによってエルサレムが陥落したあとバビロンに移される(バビロン捕囚)。
このバビロンは、かつてカルデアという国があったので聖書では「カルデア」とよばれる。
BC539年、ペルシャによって新バビロニアが滅ぼされ、捕囚民のエルサレムへの帰還が許されるが、一部のユダヤ人は優遇され繁栄していたためにそのまま残る者も多かった。
遠くペルシアの首都スサにあってネヘミヤも、アケメネス朝ペルシャの王であるアルタクセルクセス1世の献酌官という名誉ある地位に就いていた。
しかし、ある日エルサレムから尋ねて来た親戚の話に心を痛める。「かの州で捕囚を免れて生き残った者は大いなる悩みと、はずかしめのうちにあり、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼かれたままであります」(ネヘミヤ記1章)。
BC445年、ネヘミヤは、「王の献酌官」という高位を捨てて、ユダヤの総督として任命してもらう。
スサからエルサレムに行き、城壁の再建工事を呼びかけ、様々な反対や問題にあいながら、優れたリーダーシップを発揮して、ユダヤの民の復興を助ける。
城壁の再建だけでなく、民の中の貧富の格差が広がって、貧しい農民が借金で苦しんで、子どもを奴隷に売ったり、神殿の下級祭司が給料の遅配で逃げていたり、様々な問題が出てくる。
ネヘミヤはその一つ一つに取り組み続けて、ユダヤの復興のリーダーとなった。
一方、新バビロニアに連れて行かれたイスラエル人の中から、ダニエルやエステルなど異邦の地で王に重く用いられた人物がでて、その苦難の中から「ユダヤ教」が確立していったのである。
この点につきパウロの言葉が思い浮かぶ。
「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊い」(第一ペテロの手紙1章)。
ところで、イエスが「イチジクの木」を枯らした地はどのあたりであろうか。
それは、「オリブの山に沿ったベテパゲ、ベタニヤの附近にきた時」(マルコ11章)という記述からその場所を確認できる。
「ベタニア」は「苦難の家」や「貧困の家」を意味するアラム語かららきていて、これらの地域の住民が新バビロニアに連れて行かれることを免れた人々が多くいた可能性が高い。
実は、イエスが復活させたラザロやマリア・マルタ姉妹は、この「ベタニア」の住人である。
イエスは、このベタニア近くのイチジクの木を枯らした後、エルサレムの会堂にはいって怒りを露わにしている。
「イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。 そして、彼らに教えて言われた、"わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである"と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」(マルコ11章)。
イエスがベタニア近くで空腹を感じて見えた「イチジクの木」とは、こうした悪しきイスラエルの姿をシンボライズしているのではないか、イエスが感じた空腹とは空虚さのようなものだったのかもしれない。
それは、新バビロニアから帰還した者達とは対照的で、預言者ネヘミヤに託されたイスラエル再建とはそんな腐りかけたイスラエルではなかったか。
この点につき、イエスが後に語った「旧いパン種」の話を思い起こす。
「あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです」(第一コリント人への手紙5章)。

紀元7世紀末にローマに滅ぼされたイスラエル人(ユダヤ人)は世界に離散する(ディアスポラ)。
新バビロニアからの帰還から約24世紀、澎湃と「シオニズム運動」がおこる。
「シオニスト」とは、旧約聖書の予言にもとづいて、世界に散ったユダヤ人の祖国復帰を信じた人々で、ユダヤ人の聖地であるシオンの丘がエルサレムに戻ることからそうよばれた。
歴史は繰り返す。イギリスにワイズマンというユダヤ人化学者がいた。
1914年に第一次大戦が勃発すると、軍事物資となるアセトンの製造工程を確立し、連合国の勝利に多大の貢献をなした。
ワイスマンは、彼の科学研究の関係で、いく人かのイギリスの指導的政治家と密接に接触するようになり、ワイスマンが熱心なシオニストだということを知っていた外務大臣のバルフォアは、「もしも連合国がこの戦争に勝ったら、あなたにエルサレムをさしあげましょう」と語った。
さらに数ヵ月後、軍需大臣になっていたロイドジョージは、ワイスマンをねぎらい、総理大臣を通じて国王らあなたに何か栄誉をいただけるようにお願いすると語った。
そしてロイドジョージ内閣のもとで、指導的なユダヤ人と長い折衝がくりかえされた後、1917年に有名な「バルフォア宣言」が発表された。つまりユダヤ人のイスラエル帰還が承認されたのである。
しかし、パレスチナには多くのアラブ人が住み着いていたため、る多くの戦闘の後、ユダヤ人は1948年パレスチナに新しい国家を確立した。
彼らはこの国を「イスラエル」と名づけ、最初の議会で、ワイスマンはイスラエル国初代大統領に選ばれた。
そしてワイズマンは「現代のネヘミヤ」と呼ばれた。「ユダヤ教」を含むイスラエル再建のために、尽力したからである。
ユダヤ人帰還の歴史から、日本の戦後再建から高度経済成長に至る過程が思い浮かんだ。
思い浮かべるのは、ソニー元会長の盛田昭夫の本「メイド イン ジャパン」の中にある一枚の写真。
東京品川の御殿山にて創業された「東京通信工業」(現ソニー)時代の工場の庭で、井深大社長を中心とした従業員約50人ほどの写真がある。
その写真に写る全員の表情の中に、かすかな曇りや翳りを探してみたが、一切見出すことができなかった。
たとえ貧しくとも人々の「目の輝き」のなかに迸る命の力強さと希望が漲っていた。
しかし今やそうした気概が遠のいて、日本社会に対して「劣化」という表現が使われるようになった。
ネヘミヤやワイズマンのように、再建のビジョンをもって説得力をもって国民をひっぱていくリーダーが現われない。
新型コロナ下では、ドイツのメルケル、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン、台湾の蔡英文などの女性首相や大統領が、説得力をもって国民をリードした。
そもそも、女性国会議員の比率を比較すると、台湾では女性議員4割、韓国で2割、日本では1割でしかない。
人権に関わる司法制度改革、夫婦別姓や性的少数者への取組、外国人の入管制度などは、ほとんど進展がみられない。
東京オリンピックと関わったクリエーターたちが相次いで辞退した事態は、世界の失笑を招いた。
日本は、海外で多くを学ぶことによって知識や技術をとりいれ、世界でトップクラスの技術大国になった。
しかし 今や労働生産性はOECD諸国の低位に位置し、平均賃金は35か国中で22位で、韓国より下である。
世界に名だたる企業の不祥事、技術面での検査の不正など、もはや技術大国の名はすたれた感がある。
日本型日本主義は、護送船団方式とか談合体質などという批判もあるが、少なくとも弱者を支える仕組みが備わっていた。
株式の持ち合いで経営者と従業員の共同体としての企業が確立し、公共事業や業界の保護は利権政治ではあるものの、都市に集中する雇用を地方に再分配していた。
政治面でもモリカケ問題や通信事業者による官庁接待からうかがえるのは、権力者に近い、強い人をより強くするような利権政治の広がり。
グローバル化による低コスト競争の時代とはいえ、数値をねじまげてまで基準を満たす偽装がまかりとおる。それも人間の命にかかわるところまで。
最近、市場の信頼を失墜させる不祥事を引き起こしたのは、システム障害の「みずほ」といい、検査不正の三菱電機といい、不公正株主総会の東芝といい、いずれも日本を代表する名だたる企業である。
結局、社外取締役の「機能不全」の問題が解消されていないことが浮き彫りになった。
日本は明治維新、戦後改革で大きな改革を行ったが、黒船やGHQの圧力でようやく改革をしたにすぎない。
日本は、内発的に自らを変えることができない国のようだ。それがカルロス・ゴーンのような存在を許すことになる。
世界には、「選挙権」与えられたことに涙をながす人々もいる一方、日本では誰がやっても変わらないと、選挙権を行使しない人が多いようだ。
これでは日本は、自ら立ち枯れしていくほかはない。
イチジクの木の話に戻ると、イエスはエルサレムの会堂で商売人を追いだした後に、律法学者や祭司長から「何の権威でこのようなことをするのか」と問われている。
イエスはそれに答えなかったが、後にパウロは手紙の中で次のように書いている。
「神は、この力ある業をキリストの内に働かせ、キリストを死者の中から復活させ、天上においてご自分の右の座に着かせ、この世だけでなく来るべき世にあるすべての支配、権威、権力、権勢、また名を持つすべてのものの上に置かれました」(エペソ人手紙1章)。
また旧約聖書には「幻なき民は滅びる」(箴言29章)ともある。
権威や信頼の喪失に加えビジョンなき日本社会に、「イチジクの木」に学べ。