聖書の言葉より(パリサイ人のパン種)

紀元前800年代に生きた旧約聖書の預言者イザヤは、来たるべき「救い主」について驚くべき預言している。
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれていく羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを」(イザヤ書53章)。
この世において、イエスが現われた記録を我々は新約聖書でしることができるが、この預言を聞いた当時の人には、まるで「敗残者」にしかみえないソノ存在につき皆目見当もつかなかったにちがいない。
なにしろ、イエスが生きた当時の人々でさえ、全くその存在を理解することができなかったし、イザヤは、そのこと自体も預言しているのだから。
さてイエスの時代における、イスラエルの指導者「パリサイ人・律法学者ら」の姿は、「救い主」とは好対照である。
イエスは彼らについて次のようにいっている。
「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くことや、広場であいさつされることや、また会堂の上席、宴会の上座を好んでいる。また、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする」(マルコ12章)。
さらには、「あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。 だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」とも。
民衆はそれまでパリサイ人や律法学者の「正しさ」を恐れ、苦しめられていた。
ところがイエスはそれを徹底攻撃し、「幼児」こそが天に相応しいという。
民衆からすれば有難いというより、混乱する教えのように受け取ったかもしれない。
また、イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子をみていて、大勢の金持ちがたくさん入れていた。
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨2枚、すなわち1クァドランスを入れた。
すると、イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」(マルコ12章)。
また聖書には、イスラエルの祭りにおける「パン種なきパン」についての記述がいくつか出てくる。
イスラエル民族にとって「過越の祭り」は、エジプトで奴隷であった民が、神の導きにより、モーセを指導者に選び出し、奴隷から自由の民として解放と独立を記念するお祭りである。
つまり「過越の祭り」こそ、イスラエル人をイスラエル人たるものとし、そのアイデンティティーの土台となる二大祭りである。
この「過越の祭り」とワンセットになっているのが「種の入らないパンの祭り」で、「五旬節」の祭りと秋の仮庵の祭りと並ぶ主の三大例祭の一つである。
年に三度、これらの祭りには壮年の男子は必ず集まらなければならず、もし集まらなければイスラエルの民から「切り離される」という定めであった。
なぜ、イスラエルの民たちは「パン種」の入らないパンを食べるのか。
過越の祭りを通して、イスラエルの民が神によってエジプトから贖い出されたのは、傷もなく汚れもない小羊の血によったのであるということを確認した後に、罪から離れて神の民としてふさわしく生きるための方向づけとして、七日間にわたる「種の入らないパンの祭り」が制定されたという。
イエスはまず弟子たちに対して「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです」( ルカ12章)と語った。
また、「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。 新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。 ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか」 (コリントⅠ5章) 。

人間は、自分の利害とは離れた問題につき賛否を問われると、信念をもって一方につくよりも、周りの様子を見ながら 、賛否をきめることが多い。
多数派の方についた方が居心地がいいということもある。また、有力者の発言や芸能人の発言にも影響をうけやすい。
誰がどんな発言をしたかが重要な「閉じられた」世界では、それらが絶対的発言として機能することにもなる。
こうした現象をエコチュンバー現象というが、そういう影響力を持つ人々を「インフルエンサー」という。
そうした「インフルエンサー」が流れを一機に変えることもある。
それは1998年8月16日、全国高校野球大会2回戦の「宇部商(山口)ー豊田大谷(愛知)」戦。
炎天下の中始まったその試合は、「2-2」のまま延長に入ったが、なかなか決着がつかなかった。
迎えた延長15回裏、豊田大谷はヒットと相手のエラーで無死一、三塁と、一打サヨナラのチャンスとした。
ここで宇部商は次打者を敬遠し、満塁策をとる。
ここまでひとりで投げ続けてきたのは、宇部商の左腕のエース藤田修平。細身の2年生投手は無死満塁の絶体絶命のピンチ。
それでも、ボールカウントを「2ストライク1ボール」として、追い込んだ。
そして次の勝負の211球目、キャッチャーのサインを確認しセットポジションに入ろうと、腰部分に構えていた左手を下ろし、右手のグラブに収めかけた。
ところが、藤田はその左手を再び腰へと戻した。左足はプレートから外されてはおらず、明らかな投球モーションの中断である。
「ボーク!」球審の林が両手をあげると、甲子園の空気が一変した。
5万人が見つめる中、林球審はスススッとマウンドに向かって歩を進め、ピッチャーとキャッチャーの間に入って三塁走者を指した。そして、生還を促すジェスチャーを2度、繰り返した。
延長15回、3時間半を超える大熱戦は、あっけなく終止符が打たれた。
この「延長15回サヨナラボーク」は、多くの高校野球ファンには悲劇と映り、300通もの激励の手紙が宇部商に届いた。
試合後、林審判は記者に囲まれ、矢継ぎ早に質問を浴びせられた。
ほとんどが、藤田投手に同情を寄せるような内容で、「注意でも良かったのでは?」という記者もいたが、林球審は、「我々はルールの番人ですから、それはできません」という言葉以外に何も語ることはできなかった。
試合後、藤田投手はずっと球審のことが気になっていた。自分は、ボークでサヨナラ負けしたが、そのことで一度も責められたことはない。
しかし球審の林があのボークの判定で責められていることを知っていたからだ。
なぜなら、世間では「悲劇の藤田投手」とは対照的にまるで"悪人扱い"される林球審がいた。
そして、林球審の「野球人生」について知るものは、観客・視聴者の中にほとんどなかった。
早稲田大学、大昭和製紙では打撃投手、マネジャーとしてチームを支えた。いわば「野球エリート」への道から、裏方へと余儀なくされた苦労人。
そんな林審判をバッシングから救ったのは、NHKの解説をしていた元巨人の原辰徳であった。
原は、テレビのスポーツ番組に出演した際、「あれは完全なボークです。的確にジャッジした審判員を、私は称えます」と語った。この言葉で林への世間の見方が変わった。
、 アノ試合から15年後、明治大学「阿久悠記念館」の来館者3万人を記念して行なわれたトークイベントで、宇部商の元球児・藤田修平は、ボークを宣告した球審の林清一と再会を果たした。
そこで観客の誰も知らない、あの試合での2人の秘密が明かされた。
あの日ボークを宣告された藤田は試合後、持っていたボールを球審の林に渡そうとした。
勝利チームに記念として渡されるのが通例だからだ。
だが、林は「そのまま持っておきなさい」と受け取らなかったという。林も甲子園を目指した高校球児として、藤田の気持ちは痛いほどわかっていた。
だからこそ、投げることを許されなかった211球目のボールを藤田から受け取ることはできなかった。
それが球審林が唯一できた”情け”の慣例ヤブリだった。

我々は、コロナ危機で様々なことに気づかされた。通勤や通学がかならずしも必要というわけでもないとか、料理はテイクアウトの方が落ち着くとか、医療従事者がこんなに少なかったのか、などなど。
また、人間は、非日常や危機に直面すると、隠していた顏を見せること。
それは家族もしらない自分自身も気が付かなかった一面であるかもしれない。
そして強く感じたのは、人々が普段なら抑えている攻撃性で、それはとりもなおさず善悪の主人になった人間の暴走の危険性といえる。
コロナウイルス感染拡大防止のために、外出や営業の「自粛」が広く要請されるようになってからというもの、感染者や医療従事者に嫌がらせを行ったり、営業を続けるライブハウスや飲食店に苦情の電話を入れたりするなど、「自粛警察」といわれる行為が多発している。
その原因は何よりも、政府が「自粛要請」という曖昧な形で危機をやり過ごそうとしたことにある。
「自粛要請」というのは、個々人の自助努力と自己責任に対応をゆだねるということである。
それは、充分な休業補償が提供されず、従わなくても処罰されるわけではないので、生活のために仕事や外出を続ける人も当然出てくる。
そうすると一部の人たちの間に、自分は自粛しているのにあいつは自粛していないじゃないかという不公平感が生じる。
今後日本各地でばらばらに「自粛要請」の解除が進んでいくと、そうした不満はますます増大することになるだろう。
みんなで力を合わせて危機を乗り切ろうとしているときに、自粛していない人は勝手な行動をとっているように見える。
そのような人を懲らしめてやれという他罰感情に対して、政府の「自粛要請」はお墨付きを与えてしまうことになる。
「自粛警察」のような行動に出る人たちは、政府の要請を錦の御旗にして他人に正義の鉄槌を下し、大きな権威に従う小さな権力者として嬉々として力をふるうことになる。
さてイエスは、「自ら背負いきれない重荷」を貧者に担わせながら、みずからを「律法」を立派に守って神に仕えていると自認する律法学者を厳しく批難した(ルカ11章)。
今日、自宅で悠々とコロナが過ぎるのを自宅で待って自粛できる人もいれば、リスクを冒しても外に出て働かざるをえない人が存在する。
政府という大きな権威に従うことで、自らも小さな権力者となり、存分に力をふるうことに魅力を感じるようになった。「権威への服従」がもたらす暴力の過激化といえる。
権威の後ろ盾のもとで異端者に正義の鉄槌を下すことで、こうした権威への服従と異端者の排除を通じた共同体形成の仕組みを「ファシズム」とよんでよい。
「一体感が優先されていって、自分たちを批判する者はすべて許せなくなる」ことの怖さ
差別発言を繰り返す人たちが、なぜここまで言葉の暴力をエスカレートさせることができるのか。彼らは彼らで、独自の「正義」をふりかざす。
はたして本気で信じている「正さ」なんてあるのだろうか、と思うことがある。例えば、「原発推進派」はどれほど原発の知識をもって賛成しているのか。
ただ単に、正しさを主張する集団に、自分のアイデンティティーを重ねて、自己肯定感を得る。一体感の快楽に酔いしれるために暴力的な発言を繰り返すということではないのか。
「正しさ」を求心力につながる一体感。そこから生まれるのは高揚と自分たちは絶対に間違っていない、という感覚だ。自分たちは本当に正しいのか。少しでも疑問を挟むと、一体感はなくなる。ならば、間違っていないと信じたほうがいい。
最近、テレビの露出が多い中野信子は、「人は、なぜ他人を許せないのか?」で正義は中毒になるといっている。
人の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできている。
加えて「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになる。
こうした状態を、中野は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼んでいる。この認知構造は、依存症とほとんど同じなのだという。
ところでイエスが気をつけよと語った「パリサイ人の種」、形式的な基準で人を貶める。その基準の本来の趣旨を問うことはなく、その基準を当てはまるのがふさわしいケースなのか、想像力に欠けている。
イエスはそのことをモーセの律法に関わって次のような譬え(マタイ12章)を語っている。
イエスの前に、片手の萎えた人が現われた。
人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。
そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている」。
そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。
パリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。
イエスがまるで「安息日の主」であるかのような発言をしたからである。
最近、SNSの世界を中心に、言葉の貧困が世界観の貧困に繋がって、世界はどれほど「色」を失っているか、ということを思わせられる。
次のような金子みすずの詩を読めば、逆の面から、そんなことを実感するのではなかろうか。
「だれにもいわずにおきましょう。
朝のお庭のすみっこで、
花がほろりとないたこと。
もしもうわさがひろがって、
はちのお耳へはいったら、
わるいことでもしたように、
みつをかえしにゆくでしょう」。

イエスはその教の中で言われた、