「行政の歪み」と顔役

最近の国会での東北新社やNTTの官僚接待問題では、「禅問答」のような場面がいくつかあった。
その一つは「記憶がない」の応酬。委員会で役人に対して「記憶がないと言え」という声があがり、その通り役人が「記憶がない」と答えた場面。
吉兆の女将のささやき声を思い出すが、その声の主が監督官庁の武田総務大臣の声のようであった。
そのことを国会で追及されると、大臣は「記憶がないと言えといったかどうかは記憶にない」と答えた。
その後、声紋鑑定の話まで浮上して、ついに武田大臣は自分の声であることを認めた。
もう一つの場面は、東北新社の社長が社員が官僚と会食した目的は何かと質問されると、「顔つなぎ」と答えた。
さらに「顔つなぎの目的は一体なにか」と追及されると、社長は「顔つなぎの目的は顔つなぎ」と応じた。
議場でも失笑が出た問答だが、事情通によると、この答弁はまんざら嘘でもないという。
一般に「許認可」の判断には行政に一定の裁量権がある。法令で定める要件を満たしているある申請について、すんなり許認可を与えることもできるし、難癖をつけて認めないこともできる。
その時、決め手になるのは担当課長がいかにその気になって上司を説得してくれるかである。
そこでいつぞや会食した記憶が最後の大事な「ひと押し」に繋がる。
国会で追及されたような、官僚接待の席で露骨な利益誘導などまず行われないのだという。
そこまで下品な事業者だと、さすがに官僚側も怖くなって警戒心が働くものだ。
だから通常、事業者は個別具体の要望にはふれず、業界事情についての意見交換や世間話で和気あいあいの宴席を終える。
それでも許認可権を握る官僚を2~3時間独占し、楽しいひと時を過ごした印象を持たせられれば十分。
後に、電話や面会依頼をいれても門前払いを食らわせられることはなくなる。
何度も会食を繰り返すのは、むしろ露骨な要求を出せないから、という推測もなりたつ。
これこそが接待の効果であり、許認可により得られる利権からすれば、1人数万円の経費などいかほどでもない。
接待の効用は、そうしたデリケートなものである以上、宴会での利益誘導の有無を追及して、立証しようとしても意味がない。
むしろ「利害関係者と会食を共にした」という”外形的事実”をもってアウトとするべきで、そのために公務員の「倫理規定」というものがある。
しかし、電波行政をめぐって、これだけの接待攻勢が行われる背景には、公務員個人の倫理の問題を超えたものがあるにちがいない。
日本の電波行政について簡単にふれると、目にはみえない電波は空間を自由に飛び交い、国内はもちろん世界中に伝わっていく特性を有している。
そこで電波の発射を放任すると、相互に混じって受信されるなど電波の利用に混乱が生じる。
また使用できる電波は物理的に有限であるので、多種多様な利用分野における電波の旺盛な需要にこたえていくためには、適切な周波数割当、効率的な使用を図らなければならない。
具体的には、「BS/CS/地上波」それぞれに対応して電波が割り当てられる。
今回の総務省幹部への接待問題の背景には、インターネットの動画配信などにより、「放送業界」の危機感があるということであろう。
加えて広告収入の落ち込みが追い打ちをかけている。
「競争原理」を導入すると、非効率な分野から効率的分野に資源(資金)を振り向けようとするために、役人に働きかけてなんとか「既得権益」を守りたいということか。
もうひとつは、BSもCSも[HD(ハイビジョン)化」が国策だが、費用がかかるので適用を先延ばしにしてほしいといううことか。
コンテンツが外国の放送局が製作したBBCのドキュメンタリーなどで視聴率を稼ぐとなると、外国資本が参加することにもなる。
しかし、テレビなど公共放送という性格上、外国資本の影響をうけないように「外資規制」があるのだが、その比率が規定を超えた状態を見逃してほしいということか。
NTTによる高級官僚の接待問題は、最近の「ドコモの完全子会社化」と関係が深いに違いない。
とにかく、日本の電波行政は「電波社会主義」といってよいほどで、それだけ管轄官庁である総務省の許認可権((周波数割り当て、免許交付、許認可、電波料の水準の決定、利用促進など)の大きさをあらためて浮き彫りにした感がある。

今年「チコちゃん」に教えられた言葉で一番印象に残ったのが、「差し入れ」という言葉。
仕事で頑張っている人や憧れの芸能人に物を渡す「差し入れ」だが、チコちゃんは最初に「閉じ込められている人に持っていくもの」と答えている。
「差し入れ」という言葉は「差す」と「入れる」という2つの言葉から生まれた。
元々は「隙間に物を入れる」という意味だったようだ。
これが明治時代に入ると、特定の”隙間”を差す言葉に変化する。
なんと刑務所・監獄といった場所では、ドアに食事用の隙間が設けられていた。
その隙間から食事や物を渡していたことから「差し入れ」という言葉が使用されるようになった。
そこから芸者さんたちの花柳界、寄席や役者などの芝居小屋にも広まったという。
さて看守と受刑者にも、長年ともにいると「癒着」が生じるようだ。実際、茨木県水戸刑務所の看守長が受刑者と仲良くなりすぎて減給処分になっている。
映画「ショーシャンクの空の下で」は、実際のアメリカの刑務所におきた実話を映画化したものである。
この映画で悪徳看守と受刑者との癒着がでてくるが、看守は少ない努力で受刑者を監視するために、受刑者の中でも「大御所的」存在に、物品(たばこや娯楽品)などを差し入れして、その見返りに、受刑者内の細かい動静や人間関係などの情報を得るのである。
「行政の歪み」で問題なのは、各業界や地域には必ず一人や二人の「顔役」もしくは「顔きき」という存在である。
役人が公共事業などを進める場合には、そういう存在を介した方が住民との話し合いなどがスムーズに運ぶことが多い。
建設業界では、公共事業の談合を差配した自民党の金丸氏のようなフィクサー的存在がいたことが記憶に新しい。
建設業界は、大手ゼネコンから末端まで「業界丸抱え」の「集票マシーン」みたいなところだから、モロ「政治力」に繋がる。
当然ながら「市場の歪み」「行政の歪み」「税金の無駄使い」が生じるのはいうまでもない。
各業界に「顔役的」存在がいるように、各地域にも「顔きき」的存在というものがいる。
高浜原発が立地する福井・高浜町の“ドン”で元助役の森山栄治(2019年3月死去)がその代表であろう。
20人の関電幹部らは2017年までの7年間で計3・2億円もの金品を受領している。
森山は高浜原発の警備を行う警備会社の取締役も務めていたばかりか、関西地方の原発プラント関連会社でも一時期、相談役として迎えられていた。
おまけに、1987年に助役を退任後、なんと2010年まで教育委員会に所属「人権教育」に貢献した。
そして関西電力の八木誠会長は06~10年にも森山から商品券などを受けていたことが発覚した。
八木会長が「返そうとすると激高されたため、自宅で保管した」と釈明している。
森山の自宅は、広大な敷地を取り囲む高さ約2メートルの塀が、周囲に並ぶ古い日本家屋や小さな旅館の中で異彩を放っている。
土地は約1000平方メートル。コンクリート造の建物は1階部分が同151平方メートル、土地を取得したのは、森山が高浜町役場に入ってから4年後の1973年。高浜原発1、2号機の建設が着手されたタイミングだ。
豪邸建設の原資が“原発マネー”だとしたら、森山は相当な悪党だが、地元では意外に評判がいい。
大きな仕事を地元に持ってきてくれていたのに、特に偉ぶった様子もなく紳士的だったという。
元建設土木会社から手数料として計3億円を受領している。手数料は、関電の事業を優先的に特定の業者に受注させた見返りとみられ、それ以外の複数社からも、手数料を“徴収”していたようだ。
森山は、町の発展のために力を尽くしてきた人なので、町人は知ってか知らずか見逃した部分がある。
古い話だが、地元の有力者を激怒させ、中央政府との”戦争”にまで発展したケースがある。
その戦場となったのが、大分県の「下筌(しもうけ)ダム」。
下筌ダムは、山林地主・室原知幸のダム建設反対の戦い、すなわち「蜂の巣城の戦い」で有名な場所である。
室原の山林を流れる津江川の下流にある久留米がしばしば大水害に見舞われており、この地の「ダム建設」に当初から反対したわけではなかった。
国の役人が、小学生を諭すように「建設省は地球のお医者さんです。信頼して任せて下さい」といったり、一方で「日本は戦争に負けたんです。それを思えばこれくらいの犠牲を忍ぶことが何ですか」といった高飛車な態度に出た。
その「横柄」さのひとつひとつが室原の逆鱗に触れたといえるが、室原の妻が「大変なことになった」と日記に書いていたのは、室原の性格を熟知していたから。そして、実際にその予想は正しかった。
早稲田法学部卒業の室原は、地元では「大学様」とよばれていた。
すでに60歳を超えていたが、国との戦いに備え自宅にこもり「六法全書」を片手に憲法、土地収用法、河川法、多目的ダム法、電源開発促進法、民事訴訟法、行政訴訟法までをも跋渉した。
そして、国相手の訴訟は75件を超えるに至った。
室原は国との戦いで「智謀」の限りをつくした。
たとえば国は土地収用法14条の適用にあたり、測量に当たって已むをえない必要があれば障害となる伐徐を県知事の認可で出来ることを定めているが、その障害物を「植物若しくは垣、柵等」と限定している。
これを字義どおり解釈すれば、小屋は厳然たる構築物として伐除の対象外となるはずだと考えた。
住民等は民法上の権利を居住性を具備した小屋を次々に増やす戦術にでた。
つまり実用ではなく、「法的戦術」のために小屋をつくりはじめ、いつしか黒澤明の映画「蜘蛛の巣城」にちなんで「蜂の巣城」とよばれた。
裁判費用は室原一人の拠出であったにせよ、一般の村民は「監視小屋」につめることなどにより、長期の闘争は日稼ぎに頼っている者にとっては深刻だった。
イツ終わるともしれない戦いに、住民達が生活の糧をこの地以外に求めるにつれて、「蜂の巣城」も縮小して室原の孤軍奮闘の様相を呈していった。
そして皮肉にも、山森を守るための費用捻出の為に山林を売らねばならなくなっていった。
裁判では国側が勝訴し、下筌ダムはついに建設の運びとなり、室原は訪れる人々に「ダム反対」を逆さに「タイハンムダ」と読ませた。
1970年春、下筌ダムは完成。室原は自宅に闘争本部を移し、最後まで反対を叫び続けたが、この年の6月28日に来客を送り出した後「気分が悪い」と言って、翌日に死去した。
享年70。葬儀にはすでに村を出て行った人、建設省関係の人も参列した。涙ながらに弔辞を読んだのは当時の九地建の所長だった。
その時、「公共事業、それは理に叶い、法に叶い、情に叶うものでなければならない。そうでなければ、どのような公共事業も挫折するか、はたまた、下筌の二の舞をふむであろうし、 第二の、第三の蜂の巣城、室原が出てくるであろう」と結んだ。
室原が語った「公共事業は法にかない、理にかない。情にかなわなければならない」は、ムダどころかその後の行政闘争の基本原則として生かされていった。

最近「役人の裁量権」が注目されたのが、国際芸術祭「あいちトリアンンネール展」。その中の「表現の不自由展」は、文化庁の補助金の不交付という“おまけ”まで付いたことで、波紋の輪をいっそう広げた。
裁判になれば文化庁の「裁量権の逸脱」ということにもなりかねないが、思い浮かべるのが、戦後の重大裁判「朝日訴訟」である。
この朝日訴訟の「背景」を簡単にいうと、溯ること3年の1954年に防衛庁が設置され、社会保障予算がほぼ半減されたことにある。
結核療養中の患者の6割が病院から追い出されることになり、診療報酬はマイナス改定され、医師の自殺が相次いだ。
この事態を何とかしたいと、医師約80人が予算復活を求めて日々谷公園座り込みを開始した。
8日間続くことになる医師の座り込みを支援したのは、テントや鍋釜を下げて駆けつけた労働者達。
その座り込み開始の2日後、岡山の朝日茂さんなど500人の患者さんが県庁へ陳情に行き、知事室前で10時間も座り込みをする事態となった。
やがて東京では2300人の患者達が都庁で3日間座り込んだ。
このような国民の「抗議行動」が繰り返し行われたにもかかわらず、「社会保障予算」は増やされなかった。
、 さて、「朝日訴訟」を起こした朝日茂さんは、重度の肺結核患者で、国立岡山療養所に入所し、退職金も使い果たし、1956年当時「生活保護」の医療扶助と月額600円の入院患者日用品費の支給を受けてた。
その朝日さんに実兄が見つかったという朗報が届き、月額1500円の仕送りが届くようになった。
しかし、津山福祉事務所は、それまで支給していた600円の生活扶助を打ち切り、さららに医療費の一部負担900円を負担させるというあまりに無情な「保護変更決定」を行ったのである。
月額600円という基準の中身は、「肌着2年に1枚、パンツ1年に1枚、ちり紙1日1枚半」といったものであった。
朝日茂さんは、仕送りの中からせめて1000円残してほしいと、生活保護基準に基づく処分は「憲法25条」に反するものだと提訴した。
この訴えに対し、1960年東京地方裁判所が「憲法25条1項は、単に自由権的人権の保障のみに止まらず、国家権力の積極的な施策に基づき国民に対し、”人間に値する生存”を保障しようといういわゆる生存権的基本的人権の保障に関して規定したものである」という画期的判決が出されたのである。
しかし、国側の控訴によって朝日さんは引き続き戦うことを余儀なくされたが、病状は悪化、危篤が伝えられるようになった。
そこで、この「訴訟」の成果を守り発展させるため、争訟運動を続けたいという声が大きくなり、やがて日本患者同盟の常任幹事となっていた人物が、朝日茂さんと「夫婦養子縁組」をし、訴訟上告審を「訴えの利益」が失われないように承継したのである。
この朝日健二さんが、岡山県津山市の戸籍係で「養子縁組」の届出を終えたのは、朝日茂さんが永眠するわずか1時間前であったという。
国立岡山療養所の講堂で開かれた告別集会はそのまま決起集会となった。
3年後、最高裁は「承継」を認めないとする判決を出し、裁判は終結したものの、保護基準は朝日訴訟一審勝訴をきっかけに、その翌年から23年連続して引き上げられている。
最高裁判所では憲法25条は「プログラム規定」にすぎない、つまり「政府の方針」を示すものにすぎないとして、朝日さんの兄の所在が判明後の「生活保護減額は裁量権の乱用」という訴えについては勝訴することはできなかった。
しかし、室原知幸いうところの「情」の部分での成果は得ることができたといえる。