「政策競争」への道のり

事務方トップの現職次官が雑誌に寄稿した内容が波紋を拡げている。
「財務次官、もの申すとこのままでは国家財政は破綻する」と題され、10ページにわたって日本の危機的な状況を伝えている。
その内容は、「数十兆円規模の経済対策や財政収支を黒字化する目標の「凍結」が主張され、衆院選を前に消費税の減税が提案されていることを列挙し、「まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかり」と現状を批判した。
現職次官の寄稿は異例中の異例、一応麻生大臣の事前の承認をうけ、岸田首相は一個人の見解で問題はないとしているが、高市早苗は反対に、「基礎的財政収支にこだわって本当に困っている人を助けない。これほどばかげた話はない」と怒っている。
思い浮かべるのは、最近の自民党総裁選候補での各候補の政策、対抗して野党各党が打ち出した選挙公約など、どれをみても「大型補正」「100兆円の経済対策」「減税・免税」「給付金・手当」、果ては「全国民10万円のベーシックインカム」と「ばらまき」のオンパレードであった。
もちろん、コロナで痛んだ経済を癒し国民生活を守るためどの国も大規模な財政出動をした。
ただ、日本の大盤振る舞いは相当規模に達していることについては、あまり認識されていないようだ。
対人口比の累計患者数や死者数は世界で140位内外なのに、日本の10倍近い患者数が出たアメリカやフランス並みの主要国最大級の経済対策を行った。
にもかかわらず、経済は低迷したまま、しかもコロナで贈収増益になって企業は少なくなく、株高で所得増やした富裕層もいる中、日本のコロナ対策の財源はほぼ全額が国債、昨年度は90兆円を超える赤字公債を発行したのである。
つまり、その負担を次世代に「転嫁」したということだが、それも度を越すと現世代にハネ返ってくる。
「国債暴落→長期金利上昇→大不況または財政破綻」となり、通貨にしろ国債にしろ、無限に発行できるわけではない。
有権者には一見ありがたそうな減税案や給付金案も、裏付けとなる政府の信用維持があってこそのものだ。勇気と見識をもって国民に正論を伝える政治家や日銀総裁のいない国で、そんな信用がどこまで成り立つものなのか。

日本の政府は、これまで「官僚主導」と呼ばれてきた。国民から選ばれた政治家ではなく、官僚が主導権を握っていることを意味するが、なぜそうなるのか。
日本では、国における政策形成の中心は1府12省庁からなる中央省庁である。これらの省庁には、担当とする専門分野が各々あり、その下に関連の業界や企業・団体などがある。
政府の主な仕事は、教育や医療などの政策をつくり、それを実施することであるが、それには法律が必要である。一般には、各省庁がそれぞれの所掌に応じて法律の原案を作成し、閣議決定の後、国会に提出する。
その際に、関連業界などから、現場の情報が吸い上げられ、それに基づいて、各省庁が、審議会などのツールを駆使して有識者や専門家の意見なども織り込んで政策案や法案の「原案」を作成する。
これは政府内での作業であるが、法律をつくるためには、与党との調整も必要である。
なぜならば、陽のめをみない法案をいくら作っても無駄なので、閣議決定の前に、全ての法案は与党の「事前審査」を受ける仕組みになっている。
具体的にいうと、自民党の政務調査会との折衝が起き、これは、長期自民党政権である日本で、政治家と官僚が「癒着」する場面であるといってよい。
なにしろ、自民党内の政務調査会の関係部会の了承と「総務会」の全会一致の合意がないと、政府は法案を提出することができないという慣行である。
法案は政府(役人)が作るとしても、国会で多数を占める「与党議員の協力」がなければ、法律にはならない。
一方で、国会審議は、もっぱら野党が反対するための場になり空洞化する。
もちろん政府提案の法律が、与党や与野党合意で修正されることもあるが、それはむしろ例外に属するといってよい。
要するに、政策や法律の細かい作業は、基本的には官僚たちに任せつつ、「政務調査会」などでそれが政治家の利害と反する場合は、「待った」をかけていた。
ただ官僚は日頃から関係業界との交渉があるので、政府と与党さらに関係業界という「鉄の三角形」において、合意形成や調整を担ってきたのが官僚達である。
その意味で官僚達が、政策形成の軸となっていたことから「官僚主導」といわれるのである。
さて、新しい首相が決まるとさっそく内閣人事が行われるが、それと並行して行われるのが「党人事」。
なかでも「党三役」はいわゆる「党務の中枢」を担う。「党三役」人事のほうが、新内閣の意図がヨミトレルともいわれる。
そこで上述のように自民党の政策決定に重大な役割を果たす、「党三役」つまり、幹事長・政務調査会長・総務会長について以下に敷衍していきたい。
ます、次期総理大臣候補ともいわれる「幹事長」の最大の仕事は、あらゆる選挙を取り仕切ることである。
候補者の選定から、広報のやり方、そして実際の選挙期間ともなれば誰をどこに応援演説にいかせるかなどを取り仕切る。
当然に、どこに重点的にお金をつぎ込むか、ということも担っている。
まさに、選挙の実務者で、もし選挙で敗れれば幹事長は一番に責任をとらされる。
さて、1990年代前半、政治改革が問題化したことにより、中選挙区制から小選挙区制へと衆議院の選挙方式が変わった。
中選挙区制のもとでは、同一選挙区で同じ党の複数の候補者が出ることが当たり前であったから、各候補者が頼りにするのは党ではなく、自分の所属する「派閥」であった。
しかし、小選挙区制のもとでの選挙は「個人vs個人」ではなく、「政党vs政党」の戦いとなり、政策競争という観点では前進である。
どんなにいい政策でも選挙で勝たなければ実現しないので、自分の所属する政党からどれだけ支援を受けられるかが大事になる。
そのためには党からその選挙区の代表としての「公認」をもらわなければならないが、その「公認」するかどうかを左右するのが、幹事長なのである。
これだけ重要なポストであるだけに有力者でなければ選挙で勝てない。
首相にとっては、有力者というのはライバルでもあり、このバランス感覚が求められる。
安倍首相は、最大のライバルである石破茂を幹事長から目立たない大臣ポストへと異動させたりもしている。
菅首相と二階幹事長のような朋友関係であればうまくいくというわけではなく、選挙でかてないという逆風が吹き始めると共倒れになってしまう。
幹事長に次ぐ重要ポストが「総務会長」である。
自民党には総務会という、意思決定機関があり、ここでの議論と採決を経て、それぞれの法案に対して党としてどのような態度で臨むかを決める。
ここで決まったことについては、各議員は必ず従わなければならず、国会で採決にあたって党として統一的な行動をとる「党議拘束」のベースになるのである。
というわけで、総務会長が総務会の意見をまとめられないと、政党として一致した行動ができなくなってしまう。
しかもそこでは全会一致が慣行となっているため、反対者を事前に説得しておく根回しが総務会長の腕の見せ所である。
第三に政務調査会長(政調会長)であるが、各国会議員は本会議では全ての法案の採決に関わるもののそれ以外の時にはいくつかの委員会に属して分野ごとの法案審議に携わる。
そのため、議員ごとに専門分野があり、専門分野を同じくする議員が集まって議論をしたり、意見調整をしたり、外部から専門家を招いて勉強会をしたりするのが、政務調査会の「専門部会」なのである。
ここが政治家が「政策」を学ぶ一番の場面であるが、こうした専門家集団を合わせてとりまとめるのが政調会長である。
上記したように、政務調査会は「与党議員・官僚タッグ」のカナメになるといってよい。
以上のように「党三役」は、それなりの経験を積んだ実力者しか務まらないということは明白である。
今回の岸田新内閣では幹事長(甘利明)、総務会長(福田達男)、政調会長(高市早苗)が就任している。

最近、「三本の矢」「働き方改革」「一億総活躍」「人生100年時代」など、看板のとりかえばかりが目立つが、官邸の限られた者によって先に結論が決まっている。
選挙を意識して、社会保障や岩盤規制などの構造改革には後ろ向きである。
なぜ政策過程が劣化したのか。その背景の1つが、2014年の国家公務員制度改革である。
官邸に「内閣人事局」がおかれ、審議官以上の幹部公務員を任命する際には、首相・官房長官・閣僚による協議が必要となった。
幹部公務員を政府全体で横断的に人事管理するという当初の目的は正しかったが、今は「忖度政治」という「副作用」が生じている。
要するに、強い官邸が官僚を「政治化」させているといえる。政策過程で政治家や業界との利害調整を担ってきた官僚が、上司の忖度政治の犠牲となって「公僕」としての一線を踏み越えてしまうことがおきる。
その典型が、近畿財務局の自死をまねいた「森友学園事件」の文書改竄事件であろう。
さて、日本の高度経済成長時代、「所得倍増」にみられるごとく国全体の方向付けや政策づくりは、社会の問題に関する情報収集やそれらの問題への対処・処方箋をつくることなども含めて比較的単純なものであった。
その当時は、日本はキャッチアップ段階(追いつけ追い越せ)にあり、日本が進むべき先進事例が海外にたくさんあり、優秀な官僚がそれらを日本に適合できるように調整することで、日本で活用できる政策などを比較的容易につくることができた。
ところが、日本が経済的な発展を遂げ、それなりに豊かになってくると、社会におけるニーズや価値観が多様化してきた。
日本的経営慣行(終身雇用・年功序列賃金)が崩れ始めた1990年代にはいると、中央省庁を中心に情報を収集し、海外などの先進事例を日本国内に持ち込んで政策をつくり、問題に対処することだけでは十分でなくなってきた。
特に従来の「鉄の三角形」の枠内にはいらない、たとえば非正規雇用者、高齢者、仕事をする女性(特に非正規でない雇用の女性)、外国人などの人々の数が急激に増大した。
彼らのニーズや価値観などは従来のチャネルやルートからでは把握できなくなってきた。
それは、「少子化担当大臣」や「孤独担当大臣」などの新設などにみられる。
、 日本がある意味で世界の先端を走ることによって、海外に先進事例は存在しておらず、日本が独自に新しい方策やモデルをつくっていかないといかなくなった。
その意味で、政策形成過程における多元性をもてるようにするために、民間独立系の政策研究機関(いわゆるシンクタンク)や新しい政党の構築(あるいは既存政党のつくり直し)などが必要になってきている。
今「新しい公共」というコンセプトがある。
内閣府によると、「20世紀は、経済社会システムにおいて行政が大きな役割を担った時代でした。しかしながら、経済社会が成熟するにつれ、個人の価値観は多様化し、行政の一元的判断に基づく「上からの公益の実施では社会のニーズが満たされなくなってきました。そして現在、官民の役割分担の見直しが行われ、民間企業や個人と並んでNPOなどの民間セクターが重要な役割を担いつつあります。これまでの行政により独占的に担われてきた「公共」を、これからは市民・事業者・行政の協働によって「公共」を実現しなければなりません。これが「新しい公共」の考え方です」。

日本は1990年代に、政権交代が可能な「二大政党制」をめざした。
派閥政治の解消、カネのかからない政治、「政策を競わせる」などのネライであった。
民主党の失敗もあって、せっかく「小選挙区制」という改革にもかかわらす、国会で「政策本位」の議論があまりみられない。
国際比較して政党としての自民党の特徴は、議会外の党組織が弱いことがあげられる。
議会外とは議員ではないメンバーのことで、党員や政策スタッフが少ない。
政策本位の実現には、政策を生み出すシンクタンクのような人材や機能が必要だが依然手薄である。
しかも現状で自民党が勝てている以上、政策本位への転換は期待が薄いといわざるをえない。
最近「彼岸花が咲く島」で芥川賞をとられた台湾出身の作家・李琴峰の新聞寄稿文によれば、台湾では政府の失政などで8年ぐらいごとに政権交代が行われるという。
日本では、55年体制が出来て以来、自民党が与党でなかったのは4年くらいで、これほど強固な一党優制は民主主義国家ではめずらしいと述べている。
台湾には、「換人做做看(ホァンレンズオズオカン)」という言葉があり、「違う人にやらせてみよう」という意味なのだそうだ。
日本のリーダー達が説明責任をほとんど果たさず、文書改竄・暴言・失言を重ねても、国民にそれほど「違う人(政党)にやらせてみよう」という気持がおきないのは、もはや「惨状」というべきだろう。
日本で考えられないことだが、イギリスでは「野党を支援する」システムが根づいているという。
英国には、野党にだけ配られるお金がある。野党の議会活動を支援する公的な資金援助で、野党が政策を立案したり政策づくりの調査をしたりするために使われる。
具体的には、調査研究を担当するスタッフへの給与や出張旅費、事務所の維持費などにあてられる。
なぜ野党のみを援助することにしたのかというと、与党と野党がフェアに競争できる環境を作る出すためである。
与党は、巨大な官僚機構を自在に活用しうる立場にある。官僚から情報を引き出したり政策提案を受けたりしやすい点で優越的な立場にある。
一方の野党は「社会を変革しなければならない」という立場にあり、強い自己主張と理想主義、原理原則などを全面に打ち出さなければならない。
日本のような「世の中を大きく変えなくてもいい」という国民感情からすれば、マイナスのイメージを醸し出してしまう。
野党は野党たる故に、様々なハンディを担っている。
イギリスでは、与野党のフェアな「政策競争」を促すためには、野党に政策立案のための補助をした方がよいという発想がある。
あくまでも政策づくりへの補助なので、選挙活動には使えないが、この制度は1975年に導入され、以後も段階的に拡充されているという。
与党と野党が時に立場を入れ替えつつ競争的に政策を出し合うと、政治全体がだんだんよいものになっていく、そういう共通理解があるからである。
日本人の国民性は「反対されることが嫌い」、特に「公の場」で反対されるのは絶対にイヤ。それは英国と日本の「野党観」の違いとして現われる。
日本ではそもそも「野党は重要な存在だ」という考え自体がほとんど希薄である。したがってどうすれば野党が十分な政策能力を持ちうるか という国民的な検討作業も、ほとんど行われていない。
岸田首相率いる「宏池会」は、吉田茂の直系の弟子である池田勇人によって創立されて以来、大平正芳・鈴木善幸・宮澤喜一らの首相をだした「政策集団」の印象が強い。
クリスマスキャロルが聞こえるころには、岸田首相が自負するところの「聞き上手」の本当の意味がわかるだろう。