賑やかな「ひとり」

菅首相は2021年2月、坂本地方創生相と面会し、「孤独問題」を担当するよう指示した。
新型コロナウイルスの感染拡大で、人の接触機会が減り、社会全体のつながりが希薄化し、その中での孤独や不安への対策ということになる。
もともと、野党議員が「孤独担当相」の新設を要求したのが発端。
従来、自殺防止、高齢者の見守り、子供の貧困など、別々の省庁が様々な支援に取り組んできたが、より総合的に、迅速に対応しようというものだ。
背景のひとつが、「孤独ビジネス」なるものの跋扈。
孤独な老人を狙った「後妻業」や、ひきこもりの若者を狙った「引き出し屋」などで、高額の金を狙ったりする悪徳な仕事である。
「ひきこもり」の我が子を何とかしたい。そんな不安や焦りが新たな問題を招いている。
「ワンオペ育児」などという言葉あるが、「ひとり」で何事もやらねばならぬ孤独や不安の状況からか、幼児虐待などの、心すさむ報道もある。
一方で少しほっこりしたのが「レンタルなにもしない人」。せわしないこの世の中で、自分を「なにもしない人」と”表現”して生きている。
「レンタルなんもしない人」こと森本祥司、30代後半。実は既婚者で一児の父親である。
森本は、一流大学大学院で物理学を専攻し、卒業後は教材系の出版社に就職した。
しかし、組織になじめず仕事を転々とするなかで「なんもしたくない」自分に気がついたという。
会社で黙々と一人で仕事をしていると、チームワークを重視しろ、もっとみんなとコミュニケーションをとれと言われ、毎日同じ人とコミュニケーションをしなくてはいけない“固定された人間関係”が苦手で、徐々に会社に居づらくなり、3年で退職した。
以後はコピーライターを目指したり、淡々と一人で仕事ができそうだと思って編集プロダクションでも働いたが、性に合わず続かない。
やろうとしていたことがことごとくダメになって、何にもできなくなる。「何もできないし、したくもない」。
そのうち、”人は働いてお金を稼がなければ生きていけない”という社会の常識にとらわれず、なんもしなくて生きていけないのか? 
今の自分を、そんな命題の実験の場と考えつつ、自分の心に素直に従っていくうち、「なんもしない自分を貸し出す」というサービスを思いついた。
そんな森本に寄せられる依頼内容は様々。
たとえば、普段は奢ってもらうことが多いという依頼人から、時には奢らせてほしいと、高級鉄板焼き店に行ったことがある。
メジャーリーグ愛好家から、野球のことをよく知っている人と観戦すると、意見がぶつかるので、野球をあまり知らない人と観戦したい、木に登りたいが一人だとおかしな人と思われるので下にいてほしい。
人がいないと片づけのやる気がおきないので、とにかく”居て”欲しい。
依頼者の要望で行った先では、そこに居て何もせず携帯をいじっているだけ。
それでも病院への同行、裁判の傍聴、試験の合格発表見届けなど1日に約20件の依頼が届き、1ヵ月先くらいまでの間で日程を調整している。
組織には馴染めず、社会から外れ気味だが、自分がこの世の中にいてもいいんだ、と思えるようになった。
そして“固定された人間関係“による生きづらさを、実は結構たくさんの人達も抱えていたのだと気づく。
「何もしないこと」がコンセプトなので、交通費以外の費用は受け取らない。
そして、依頼主の許可がおりれば、Twitterに依頼内容を上げたり、気が向いたときには感想をつぶやいている。
今では約11万4000人のフォロワーがこの”活動”報告を楽しみに待っていて、すでに3冊の本が出版され、その収入で生活を支えている。
それによって、思わぬかたちで、人々の不安や孤独の有り様が見えてくる。
TVで見ていると、客との距離感がとてもいい人だと思った。そして彼の存在が”安心感”につながっていることがよくわかった。

岩手県・大槌町の森の中にひっそりと「風の電話」と呼ばれているものがある。
いかなる線にも繋がれていない白塗りの電話ボックスである。
このボックスに入るのは、2011年東北大震災で、生き残ることによって、かえって「置き去り」にされたという思いにさいなまれる人々。
岩手県の一人の庭師が自宅に「震災で突然の別れを強いられた被災者の心の助けになってほしい」と改めて植栽を整備した、
入り口には、「風の電話は心で話します 静かに目を閉じ 耳を澄ましてください 風の音が又は浪の音が 或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら あなたの想いを伝えて下さい」とある。
設置した庭師の佐々木さんは震災前、いとこをがんで亡くした。悲しむ家族を癒やそうと、2010年冬不要となって譲り受けた「電話ボックス」を庭に置いた。
そして、春の訪れを待っていたら大震災が襲い、あまりにも突然、多くの命が奪われた。
「せめて一言、最後に話がしたかった人がたくさんいるはずだ。遺族と亡くなった人の思いをつなぐことが必要と思った」といから電話ボックスを開放した。
受話器を手に静かに話し掛ける人や、泣き続ける人。訪れても、躊躇して電話ボックスに入れない人などがいる。
備え付けのノートの中には、「ようやく別れを告げられた」などという言葉もあった。
さて、人々はこれだけの被害をうけてもなお同じ場所に留まろうとするのかと思わぬでもないが、逆に亡くなった人々を身近に感じたり、魂を鎮めたりしながら日常を生きるのが自然なのかもしれない。
「千の風になって」の歌詞は日本人的な信仰の本質をコンパクトに語っているように思う。
♪私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません、眠ってなんかいません
千の風になって 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています ♪

この歌詞どおり、日本人には根強いアニミズム信仰があり「死者はお墓の中にいる」と思う人々が多いこと、「千の風になって」とはいっても死者の霊が天にではなく「空を吹きわたる」くらいの範囲で見守っていると思っている、ということだ。
民族学者・柳田国男は、日本人の民間信仰は亡くなった人の霊は天ではなくそれほど遠くないところ(例えば山)にとどまっている、それも垂直な方向ではなく水平の方向にいると信じていると指摘した。
つまりは「千の風になってふきわたる」範囲で見守っているということだ。
亡くなった人々の眼差しを感じたり、山川草木の中にもなくなった人の霊魂を感じとったりして生きる、つまり「死者と共存」していくのも日本人の文化なのだろう。
東北といえば、彫刻家であり詩人であった高村光太郎が妻・長沼智恵子と死別しつつも、その後「共棲」でもするかのように生きたことを書いた「智恵子の半生」があった。
長沼智恵子は大学在学中から画家を目指してきたが、その後その行き詰まりに陥り、それを「回避」するような形で光太郎と結婚した。
芸術家同士の共棲の中で、芸術に専念していけたのは光太郎で、生活を背負って夢をあきらめたのが智恵子であった。
当時「新しい女」として域用とした智恵子は、陰日なたに咲いて満足できる女性でもなかった。
そして精神を病んだ智恵子は入院生活を送りながら、1938年52歳の時肺結核で亡くなった。
この時、光太郎は55歳で、24年間の結婚生活に終止符をうったことになる。
高村光太郎の愛の熱唱「智恵子抄」の背景は、このように壮絶な「実人生」があったのだ。
高村光太郎は最愛の妻・智恵子を失い、晩年は山の中での寂寥とした生活を理想とし、岩手県花巻市でに独居自炊の生活をした。
山小屋での冬の生活は夜具の上に雪が降り積もる状態だったという。
東北の花巻の山間に工房を作って一人彫刻に勤しんだ詩人でもある光太郎が、「智恵子の半生」のなかで、智恵子を失うことで、智恵子がかえってどこにもいる「普遍的存在」になったと書いている。
光太郎は山荘での生活の中で、亡くなった智恵子にで「智恵さん気に入りましたか、好きですか」とさりげなく呼びかけるといった具合である。
高村光太郎の日常は、畑を耕し、山の中でのたった一人の生活をして、自然の中に「遍在」する智恵子と向かい合い、語り合おうとした生活であったようだ。
ところで、東北大震災が起きた2011年10月発売のKPOP「少女時代」の世界デビュー曲 「The Boys」は、なかなかの応援歌だった。
この曲の中で、 "brings the boys out" という歌詞が何度も出てくる。
「bring out」の意味を調べてみると、花を開かせる 才能・真価・特徴・秘密などを引き出す、新製品・新人歌手などを世に出す、市場に出すとある。
この歌全体の印象でいうと、「自分の殻に閉じこもっている若者よ、殻を破って出ておいで」というように聞こえる。
♪揺らがずあなたは居場所を守って 元々戦争のような人生を生きる人間だから あなたはどうして?。
まだ どうして?あきらめてOh あなたまだまだじゃない あなたの執念を見せてよ 地球を揺らがしてよ みんながあなたを見られるように 歴史は新しく書かれるようになる?
塞がれてしまっていた未来が 見えなかった未来が あなたの目の前に広がる♪

ところで、東北大震災で家にこもっていた若者が、家が流されたことで、がれきの中で、得意のネット技術を駆使して独自の情報発信を行い、救援活動におおいに役立ったことがあった。
誰も想像できなかった「ボーイズ・ブリング・アウト」。

政府は「孤独担当大臣」の新設を考えている一方、世間では「孤独礼賛」とまでもいかなくても、孤独を前向きに受け止めようというような本がよく売れているようだ。
その典型として、「孤食」をテーマにしたアニメ「孤独のグルメ」がある。
テレビ実写化されて、シンプルさと軽快なここちよさが予想外の視聴率をかせいだという。
ただし、タレントの「滝沢カレン」さんのように宇宙人的に「孤食」を捉えている人もいる。
あるテレビ番組で、ひとりで食べるとすると、「そこまでして食べたいのか」「そんなに(コーヒーを)飲みたいのかコイツは」と思われていないか心配になってしまうと語った。
「一人焼肉などはもってのほかで、お腹が空いたことを一番に優先した欲望の強い女と思われそうで」と、独特な滝沢ワールドを展開した。
その一方で滝沢は、一人で食事している人をみると、「大丈夫だよ ひとりじゃないよ」と優しく声をかけたくなるらしい。
しかし、滝沢から突然に肩をたたかれ、「ひとりじゃないよ 仲間だよ」なんてと声を掛けられたら、どう反応したらよいのだろうか。
キャピキャピの滝沢にはひとりの気軽さやひとりの時間はとっても大事なんて感覚はあまりないようだ。
一方で人生のキャリアを積んだ下重暁子の「極上の孤独」、上野千鶴子「在宅ひとり死のススメ」、伊集院静の「ひとりをたのしむ 大人の流儀」などが話題となっている。
あの伊集院さんでさえ、悲しみが去ったあとは、「ひとり」も悪くないと思うようになったという。
下重暁子は、「孤独は品性に繋がる」と語り、一例として「最後の瞽女」と呼ばれた小林ハル(1900-2005)についてふれている。
「瞽女」というのは目の見えない女の旅芸人のこと。
ハルさんは筆舌に尽くせないような壮絶な人生を送った人だが、はじめてお会いしたときに、いままで見たことのない凛とした気品を漂わせていたという。
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業」と口癖のように言ったが、ハルさんはその意味で「修業」に近いものがあった。
個人的に、大衆演劇の「佐賀にわか」で有名な筑紫美主子さんに会った時の凛とした姿に重なった。
ハルさんや筑紫さんのように、本当の孤独を知った人にしか持ちえない「突き抜けた明るさ」があって、目が見えなくても、針仕事も料理も何でもひとりでできてしまう。
自分自身を見つめることから生まれた内面の美しさが、自然とにじみ出ていた。
下重によれば、ハルさんは品性とは育ちや環境によってではなく、自分自身と対話を重ねてきたかどうかによって決まると背中で教えて下さったと書いている。
確かに、スノーボードの平野歩夢君のように、怪我をして一気に成長したと感じる人もいる。
さらに下重は、孤独な老後なんてマイナスな言い方ばかりされるけれど、本当に悲惨なのは、「孤独になることからいつまでも逃げ続ける人生」を送ること。
確かに人間は、若いうちはべつとして、他人と接するより、孤独によって磨かれるという気がする。
特にそれを思うのは、旧約聖書の預言者達で、自分自身と対話したというより、ひとり神と向き合った。
預言者エリヤは、迫害を恐れひとりホレブ山の洞窟近くに逃れ、「もうたくさんです。私の命を取ってくださいと」と祈ると、その時、神の細き御声をきいた。それはまだやるべき使命があること(Ⅰ列王17章)。
孤独も、ちょうど失業に「自発的失業」と「非自発的失業」があるように、「自発的孤独」と「非自発的孤独」というのがある。
政府の対策が必要なのはもちろん後者である。
前者を英語で「ソリチュード」、後者を「ロンリネス」といいかえてもよい。
その点、堀江健一の「太平洋ひとりぼっち」という本は、ロンリネスとソリチュードが対比してある。
1962年、ヨットで太平洋を単独横断した堀江謙が、94日間の冒険の記録したこの本のなかで次のように書いている。
「嵐と船酔いで迎えた17日目は寒さと心配と孤独のため、発狂しそうだ。それが72日目になるとまわりに人がいないというだけの孤独なら、いつかは我慢できるようになる。出てくる前のほうが、よっぽど、ぼくは孤立していた」と。
この堀江の快挙からおよそ30年後の1994年に史上最年少でヨット単独無寄港世界一周をなし遂げたのが、白石康次郎である。
白石は、この3度目の挑戦で当時の世界最年少記録26歳10か月で、単独ヨット無寄港世界一周を達成した。
白石もひとりで海を渡る孤独について語っている。
その時、キーとなるのは自分軸か他人軸かということであるようだ。
「孤独っていうのは、本物の自分と乖離しているサインじゃないか。本当にやりたいことと、やっていることがズレている。だから、寂しい、つまらないというサインが出る。
一致するとわくわくのサインが出る。自分軸。認められたり、同意がないと幸せではないというのは他人軸。他人軸の人だと、意見が違うと寂しい思いをする。
かといって一緒にいたら幸せかと言ったら、そうじゃない。ひとりになったらと思って失うことを恐れる。他人軸ではいつまでも寂しい」という。
さて、新型コロナは人々を苦しめている反面、これまでの「過剰接触」をも教えてくれたような気がする。
最近、「ひとりこそが賑やか」という詩人をみつけた。2007年TVドラマ「3年B組金八先生」でも、その詩がしばしば登場した芝木のり子である。
きりっとした孤独、さんざめく孤独、そして「夢がぱちぱち はぜてくる」と、孤独を詠んでいる。
「一人でいるとき淋(さび)しいやつが/二人寄ったら なお淋しい/おおぜい寄ったなら/だ だ だ だ だっと 堕落だな」。

平野歩夢の画像