ストリート&パーク

1980年代半ば、ソニーのウォークマンで世界中に大ヒット。たまたま滞在したカリフォルニアでは、ウォークマンとリックを身にまとい、スケボーに乗って通学する若者の自由さが眩しかった。
サンフランシスコ北の学生街バークレーの広場では、少年達のブレイクダンスにしばし見入った。
少年達がひとりひとり順番に自慢のパフォーマンスを披露。大音響の日本製ラジカセを持ち込んでのパフォーマンスに思わず拍手。
また、サンフランシスコのチャイナタウン辺りの路地で、広東語を発する少年達がバスケットボールに興じていた。
ルールがあるのかないのか、とにかく楽しげであった。
そんな街かどで見たパフォーマンスやスポーツが、今やオリンピックの追加種目となっている。
一番注目したのは、スケートボードの種目。「ストリート」と「パーク」という種目名。
男子「ストリート」の金メダルは、堀米雄斗(24)。プロのボーダーとしては、すでに知られた存在で、若くしてロサンゼルスで6LDKの豪邸住まい。
父親もプロのボーダーで、子供を練習場に連れて行くうちに、息子の才能を見出し、英才教育をほどこしたのだという。
堀米雄斗の場合、街や公園で技を磨いたボーダーとは趣がかなりちがっている。
一般的に、スケートボーダーやサーフィンの選手は学校の部活でその競技を習っていない。
礼儀正しくとか、先輩後輩の上下関係といった規律化された身体性とは無縁である。
本来「競争原理」「勝敗主義」「結果志向」に反旗を翻す「カルチャー」と共にあったはずだ。
鬼やべぇ、半端ねぇ~ 流石っすね~ 鬼アツイ、ヤバい技ばっかっす、ゴン攻めしてて、などなどのNHKの解説者にあるまじき言語感覚で、そんなカルチャーの一端をはからずも伝えたのが、瀬尻稜(せじりよう)の解説であった。
何よりも「おめでとうっす」と、どの選手にもリスペクトを忘れなかったことに好感をもった。
ただ、ボーダーは本来、自力で都市空間に居場所をみつけてやるのだが、人工的に作られたアーバンパークではどんなものか。
つまりIOCの支配下にある"箱庭"で演技を点数化され、メダルを争うなると、本来の「遊び心」失われて魅力がなくなるのではないかとの心配もある。
女子「パーク」決勝の最終演技で逆転を狙った有力選手の岡本碧優(みすぐ)選手が大技に挑み失敗。結果は4位。
涙を浮かべる彼女に他の選手が駆け寄り、かつぎ上げて健闘をたたえた。勝ち負けも国籍も関係ない。
仲間の優しさに触れ、泣き笑いのヒロインが控えめにガッツポーズをした瞬間は、広く共感を呼んだ。
2024年パリ五輪の追加競技として初採用されたのが「ブレイクダンス」。スポーツとしての認知度はまだまだだが、ヒップホップ文化、ストリートダンスの一つとして若者を中心に支持されてきた歴史がある。
1970年代、ニューヨークの貧困地区で、縄張り争いをしていたギャングが、暴力ではなく音楽と踊りで対決したのが始まりとされ、日本には80年代初めに伝わったとされる。
床に手をついて踊るなど、体のいたるところを使って回ったり、跳ねたりするのが特徴。
1対1の個人戦や複数人での対戦があり、技や表現などを採点して勝敗を決める。
軽快な音楽に合わせて跳びはね、背中や肩、頭を床につけて回転する。片手で逆立ちして動きを止め、再び踊り出す。
このダンスは正式には「ブレイキン」と呼ばれ、踊りを披露し合う「バトル」で勝負をつける。
1970年代初頭「キャロル」(矢沢永吉ボーカル)のロックンロールで燃えた川崎の街は、今やブレイクダンスの「聖地」となっている。
そこに若者が集まり、世界で活躍するダンサーが輩出してきた。
競技の統括団体である日本ダンススポーツ連盟のブレイクダンス本部長を務める石川勝之(39)は川崎市で育ち、「KATSU1(カツワン)」のダンサーネームで活躍した。
現在も地元を中心に活動を続け、同連盟でこの競技を牽引する役目を担っている。
石川は、ユース五輪の最終予選を兼ねた18年世界ユース選手権を川崎市に招致した。
監督を務めたユース五輪では、川崎市内の高校生だった女子の河合来夢選手が金、男子の半井(なからい)重幸選手が銅メダルを獲得している。
日本がアメリカに大金星をあげた「3×3」バスケットボールを見ながら、映画「ウエストサイド物語」を思い浮かべた人も多いであろう。
映画『ウエスト・サイド物語』は、「3×3」ではなかったが、1950年代ニューヨークのポーランド系の不良集団「ジェット団」とプエルトリコ系の不良集団「シャーク団」の対立に、敵同士の恋人達が巻き込まれていく物語。
シェークスピアの『ロミオとジュリエット』をベースに、移民問題に置き換えて描いた傑作ミュージカルといわれている。
「3×3」バスケは、もともと米国の公園や路上で、遊びの延長としてプレーされていたのが始まり。
ルールも特になく、日差しがまぶしかろうと、強風でボールが流されようと、「そこにリングが一つさえあれば」をコンセプトに広がり、2007年国際バスケットボール連盟(FIBA)が共通ルールを整備した。
偏見かもしれぬが、どちらかといえば、居場所を失った少年少女達の遊びが、今後「脚光」をあびるスポーツとして認知されるようになる。
メダルを競う社会には「格差」がもちこまれ、本来の精神が失われないことを願う。

スケートボーダー達には、トップ選手の技を動画投稿サイトで見て、独学で習得する人が多いらしい。
その話に、世界コンクールで優勝した女性バーテンダーのことを思い浮かべた。
その圧倒的な技を磨いたのは動画サイト、そして長く滞在した公園だったからだ。
富田昌子の職業は「フレアバーテンダー」。「フレアバーテンダー」とはボトルやシェイカー、グラスなどを使ってバーテンダーが曲芸的なパフォーマンスでカクテルを作るスタイルである。
映画『カクテル』で、トムクルーズがフレアバーテンダーを演じたことで一躍に有名になった。
ちなみに、「フレア」(flair) は、英語のスラングで主に「自己表現」と訳される。
富田昌子は新潟生まれで、父親は高校教師、母親は日本舞踊の先生という堅実な家庭であった。
しかし、母親が病気になり、3歳から習っていた日本舞踊も中学に入る頃には身が入らなくなった。
以後、周囲に流されるまま、ギャルになってしまう。学校をサボり、 雑居ビルの屋上で昼寝をして時々、補導されたりした。
高校生の時、日帰りのひとり旅で初めて憧れの東京を訪れた。
渋谷109で撮影をやっていて、「写真を撮りませんか?」と声を掛けられ、単なる記念写真だと思いつつ撮影してもらった。
しかし、その写真がミスコンにつながっているとはつゆ知らず、勧められるまま応募すると通過してオーデションに出場することとなった。
しかし、特技が思い当たらず、とりあえず「逆立ち」をしてみた。失敗してごまかしたところ、その明るさが気に入られたのか、ある芸能事務所に所属することが決まった。
アイドル活動するなら東京に行けると思い、1年だけだと父親を説得して上京する。
しかし母親が病に倒れ、介護のため新潟と東京の往復を繰り返す生活となった。
アイドル活動もままならず、極貧フリーターの生活を強いられるようになる。
或る有名ストランで働き始めるが、サラダの名前がおぼえられない。
そこで富田は、お客さんに何か聞かれると「しゃきしゃきサラダです」と応えて切り抜けた。
すると、お客さんは「シャキシャキしてるんだって」と応じ、一度も問い返されることはなかった。これでお客様も嬉しいし富田も嬉しい、とは本人の弁。
ところが「しゃきしゃきサラダ」の命運も尽きる時がやってくる。
いつものように、「お客様 お待たせ致しました。シャキシャキサラダです」といってもっていくと その人が「え?」と反応したので、もう1回 「シャキシャキサラダです。新鮮なうちにお食べください」といったら呆れた顔をしている。
その客はなんと一般客を装った会社の幹部だった。
そこでホールをクビになり、バーテンになりなさいと異動させられる。
最初は受付の仕事をしていたが、ある日「バーテンダーをやってみないか?」と声を掛けられたが今度はカクテルがおぼえられず、客には冷えたグラスがあるなどといって、ビールを注文するよう仕向けた。
或る時、フレアのパーフォーマンスを見て、これができればカクテルの名前を覚えずとも、お客さんを喜ばすことができると思うようになった。
そんな矢先、母親が亡くなって落ち込み、父親もふさぎ込んでいる。富田は再起をかけて東京に戻ってきたものの、頼るものもなく、ホームレスとなって公園で暮らすことになる。
その公園はとても大きく、先住の方々が森の中に居で暮らし、ちゃんと縄張りがあった。
富田が、空いたベンチに座っていると、話しかけてくれたり、チョコレートくれたり、何曜日に新宿行くとご飯もらえるよとか教えてくれた。
ただ、女性としては結構きついものがあり、シンプルに 水道の水で頭というか体をを洗ったりした。
ホームレスの始まりはすごしやすい5月であったが冬をどう乗り切るか、なにしろ新潟の冬にミニスカートで暮らしていたので東京の寒さぐらい余裕。
ここで、ここでコギャル時代に、雑居ビルの屋上で寝ていた経験が生きる。
そして空き時間は、フレア練習に大半の時間を使うことができた。
ビンで生傷だらけだったが、何かほかにすることもなく、目標のワザができるように、1日15時間も練習したりすることもあった。
富田とって”ビン”はお金と一緒で宝物のように大事にしまっていた。
しかしある時 ゴミ収集屋さんに回収されてしまい、ショックで警察に届けようと思ったりした。
しかし、警察にいってもそのビンが自分のものと証明するスベがないので、諦めた。
また、公園での縄張りが荒らされることもあった。富田は、先輩方の縄張りを侵したりしないように マナーをしっかり守ってきた。
ただ、ある時パン買いにいくと、自分のベンチに知らないおじさんがご飯食べていたりしている。
公園だから仕方ないといえばそのとおりだが、住処が奪われたような気がした。
また広い公園なのに、なぜか自分のベンチの近くでイヌに排泄させるおじさんがいた。
なぜここを選ぶんだと抗議すると、おじさんは「君の家じゃない」の一点張り。会う度にけんかしていた。
ついに公園生活をやめようと思ったきっかけは、日照り。森は先住民に取られてるので、かつて働いていた漫画喫茶が近くにあったので駆け込んだ。
すると元バイト仲間が2番の席 空いてるから使っていいよと優しく言ってくれた。
ただ、シャワーを利用し寝る時はお金を払った。
富田はそんなめちゃくちゃな生活をしながらも毎日10時間近くのフレア練習を欠かさなかった。
ユーチューブをよく見て今はこういう事をやってるんだということがわかった。
独学でひたすら練習し続けるうちにその実力は とんでもないことになっていたのである。
2009年、グアムで開かれた世界大会で世界中が衝撃を受けることになる。
会場全員がナメていた無名の若い日本人女性が、人々の目をくぎ付けにして、フレア界初の女性優勝者となったのだから。
5本のビンを使って行う「カスケード」というワザができるのは世界で4人しかおらず、女性は富田だけが出来るスゴワザである。
2016年にはショービズ界の登竜門ニューヨークのアポロシアターに出演するなど、「美しすぎるバーテンダー」として世界的に活躍されている。

熊本出身コロッケこと滝川広志がモノマネ形態模写を始めたのは姉の影響である。
姉はモノマネですでに高校の大人気者であった。あの姉の弟ならということで入学前から滝川を皆が待ち構えていた、というから姉の影響力はスゴかった。
母親はホテルの活花係りとして女手一つで姉と広志を育て上げた。
母親が仕事を遅くなると、二人でモノマネをして互いに批評などをしたりした。テレビの音を消して画面に合わせて即興のモノマネをし二人で芸を磨いていったという。
高校の文化祭で滝川は桜田淳子のモノマネをして学校開闢以来の爆笑を引き起こし、ひとつの事件となる。
先に芸能人になりたいとい言い出したのは姉の方だった。滝川は母と共に「そんな無理バイ」と反対し姉の上京を引き止めた。
滝川は、新聞配達の後、熊本市内の「水前寺公園」で一人、形態模写の技をみがいていった。
モノマネのレパ-トリ-を広げていくうち、ついに意を決して近くのスナックで大人達にその芸を披露する。
自分の芸が大人にも通じることを知るや芸能界への夢が広がり、今度は家族にウムを言わせず上京する。
「お笑いスタ-誕生」で10週勝ち抜きモノマネ形態模写の第一人者となっていく。
共に技を磨いた姉がいたこと、スナックのママとの出会いなど、滝川という「コロッケ」が焼きあがるためには良い油に恵まれていたとは、友人の武田鉄矢の弁である。
母から滝川が教わった忘れえぬ言葉がある。それは“あおいくま”。「あせるな」「おこるな」「いばるな」「くさるな」「まけるな」の言葉それぞれから頭文字をとったものである。
滝川が「パーク」で技を磨いたのに対して、「ストリート」でものまねのワザを磨いたのが松村邦洋。
松村の生家は山口県でもともと江戸時代から商取引をしており、一方で戦前までは質屋をしていた。
田布施農業高等学校時代、ラジオ番組にアルバイトでADをしていた頃、たまたまモノマネをしたところ人気者になり地元山口や広島のラジオに出演した。
有名人となるや、地元の暴走族のリーダーに気に入られ追いかけ回された。
ゾクのメンバ-を避けて日頃とは違う次の駅で降りると、バイクに乗った族メンバ-が「先回りして」待ちかまえており、早速モノマネをやらされた。
メンバ-は松村の芸を細かく批評し「次は四分にまとめて来い」などという課題までださてしまう。
また自分の地の声をちゃんと作っておけ、そうすればものまねした時とのギャップが生まれてもっとウケる、などといった玄人はだしのアドバイスをもらったりもした。
高校を4年かけて卒業後、九州産業大学に進学した。
テレビ西日本でアルバイトをしていた時、エンタの神様が微笑んだ。その特異なキャラクターとものまねの才能に注目したのが片岡鶴太郎だった。
それが松村を後押しして、大学を中退して上京する。
フジテレビの「オールスター・ものまね王座決定戦」の常連として、ビートたけしや掛布雅之を真似た絶妙の演技で人々に知られていった。
貴乃花親方や小泉純一郎など現在もモノマネのレパートリーは増え続けていった。
ところで松村の父親は大の阪神ファンで、松村も高校時代は軟式野球部に入る。
「デブはキャッ-チャー」の方針の下、キャッチャ-を務めるが1試合で27盗塁を許した実績は今も語り告がれている。