ジェンダーギャップの背景

「おしん」の脚本家・橋田寿賀子さんが亡くなった。思い出すことがある。
1980年代の半ばごろ、東京の丸の内のビル地下街を歩いていると、昼休みの時間帯に人だかりができていた。
当時の地下街にも冷房はかかっていたと思うのだが、あの生暖かさは人いきれのせいだっただろうか。
その時、中高年サラリーマンがワイシャツを肘までも捲り上げて、ハンカチで襟元をあおぎなが集まっていた。
一体何事かと近づいたら、広場に設置されていたテレビに見入っている。
そこに見えたのは、NHKの昼のドラマ「おしん」。
東京「丸の内」といえば日本で「超」がつくほどのエリート・サラリーマンが集まる場所である。
彼らこそ、当時、絶好調の日本の経済力を牽引していた人々だった。
彼らがまだ幼少の頃、日本は貧しく、過去における自分の境遇と「おしん」のそれとを重ねたのかもしれない。
あるいは彼らの幼少の頃、テレビ放映が開始され「街かど」でテレビを見ていた世代なのかもしれない。
いや、過去の境遇などではなく、当時彼らが中間管理職として、上司と部下の「板ばさみ」で悩む気持ちは、いつも「おしん」状態であったのかもしれない。
要するに「昭和」という時代の深淵をみた忘れがたき光景であった。
おしんが生まれたのは明治34年、それは 昭和天皇が生まれた年で、橋田が語り継ごうとしたのは、日本人が歩んできた道のりであった。
主人公は食べる物にも事欠く山形の農村で貧しさゆえに過酷な運命を背負わされた少女が大人になっていく物語。
今も語り継がれ場面がある。真冬の最上川で7歳のおしんが米1俵と引き換えに、いかだに乗せられ奉公に出される場面である。
このシーンの撮影現場は、真冬での極寒の最上川で、母娘を演じた女優達にとっても過酷なものだった。。
それだけに、悲劇的な真実を伝えようと女優達の演技は鬼気迫るものがあった。
「おしん」のオーディションで100名を超える子役の中から選ばれたのが、当時無名の小林綾子。
「おしん」のプロデューサー小林由紀子がおしん役に求めた条件は、「あんまり美人ではいけないし、自分の役をよく理解できること」。
撮影が始まるまでに小林綾子は自分だけではなく相手のセリフまで頭に入っていたという。
だが撮影が始まると小林を試練が襲った。ひどい風邪をひいたのだ。この時 小林は子役とは思えないほどの「女優魂」を見せて 周囲を驚かせた。
また母親役を演じた泉ピンコは、歌謡漫談で世に出たが、 「おしん」への出演は女優人生をかけたものだった。
橋田が脚本を務めた「おんな太閤記」での泉の人間味あふれる芝居を気に入っていた。橋田が「母親役」を打診し、泉はすぐに引き受けた。
泉は全身全霊でおしんの母親役を演じた。代役が考えられていたが、泉はそれを断り自ら川に入っていく。
1月下旬、 川の水は 身を切る冷たさの中で、撮影は6時間に及んだ。
橋田は、自分が聞いた話を忠実に再現することにこだわった。
それは、台本に書き込んだ一文字「筏(いかだ)」。
しかし当時この地域で「いかだ」は使われておらず、スタッフは地元の人に頼み撮影の40日前から準備して当時と同じ材料で いかだを作った。
その撮影現場に、橋田自身もいた。スタッフ50人以上が見守る厳戒態勢のなか、本物の「いかだ」を使った命がけの撮影が行われた。
「おしん」が放送された1983年はバブル景気直前、お金や物があふれ始めた豊かな社会。
そんな時代に、どのテレビ局もこの企画に手を出そうとしなかった。
橋田が脚本家として第一歩を踏み出したのは、戦後まもない1949年で、最初に就職した映画会社では初の女性脚本家ともてはやされた。
しかし現実には男社会。女だからとほとんど書かせてもらえず10年間仕事らしい仕事はできなかった。
そんな折、橋田は運命的な出会いをする。橋田と「渡る世間は鬼ばかり」で名コンビを組むことになるTBSのドラマプロデューサーの石井ふく子。
すでに第一線で活躍していた石井は橋田と共に作りものではない人々の日常に、テーマを探していった。
石井との出会いが 女性の目線で家族の日常を描くというスタイルを橋田にもたらした。
そして橋田を「おしん」制作へと向かわせる一通の手紙が届く。
「かつて若い頃には米1俵で何度も奉公に出されその後 女郎に売られた」とあった。
やがて そこから逃げ出しミシンを習って自立したという。そこに綴られていた壮絶な人生に橋田は深い衝撃を受け、いつの日か映像化したいと願い続けていたのである。
そして 手紙を受け取ってから3年後、橋田はようやく「おしん」のテレビドラマ化を勝ち取った。
橋田は、戦争中に海軍の経理部で働いている。日本がいい戦争をしていると思い込み何の疑いもなく お国のために働いた。
しかし 突然の終戦の知らせ。戦争を後押ししていた大人たちが何事もなかったかのように態度を豹変させたことが橋田には 腹立たしかった。
「おしん」のインパクトは、日本国内を超えた。日本に住むイラン人が語った。
「おしん」が放送されたのはイラク・イラン戦争当時、イランは重い空気に包まれていた。
その頃のイランは まだまだ男社会。女性たちは 社会で活躍するおしんの姿に夢中になっていった。
このドラマの主人公は女性。家族は女性が多かったのでみんなで一緒に「おしん」を見て学んだ。
「おしん」は私たちに希望を与えてくれ、女性だって家を守るだけではなく社会に出て働くことができるんだと。そして「おしん」は世界80か国以上で放映された。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」というたとえがある。
その国独自の家族関係の在り様は、社会ばかりか国の制度にも影響をあたえないではおかない。
実際、「家父長制国家」という言葉さえあるくらいだ。
最近知ったフランスの人類学者であるエマニュエル・トッドが提唱した「家族人類学」という考え方に、目からウロコが落ちたこという感じがした。
ひとつの国家の体制は、自由主義であれ共産主義であれ専制主義であれ、その地域の家族制度の「反映」であるという見方示したのだ。
それによれば、世界を主要な家族制度は世界的に見て4つ(直系家族・共同体家族・平等主義核家族・絶対核家族)存在している。
なお、共同体家族はさらに外婚制共同体家族と内婚制共同体家族に分けられる。
まず「直系家族」と呼ばれるものは、一家の中でも父親の権威が大きく、長男のみがその財産を相続し、原則として家に残ることになる。
エマニュエル・トッドによると、日本は「直系家族」に属し、ドイツや韓国も同様となる。
もちろんこれは伝統的な分類なので、現代の日本が直系家族制度であることについては疑問が残るが、かつての「直径家族」の名残を十分に残した社会である、というのはある程度納得できる。
家族人類学の2つ目の分類は「共同体家族」と呼ばれる制度で、父親の権威は直系家族同様に存在するものの、財産の相続権は兄弟姉妹に「平等」に存在する。
「共同体家族」に属するエリアとしては中国やロシア、東欧などに多く、旧共産圏に多く見られるが、その中でも嫁を一族とは別のところから探し出す、「外婚制」共同体家族と呼ばれる地域がある。
それに対して中東や北アフリカなどのエリアの場合は、いとこ同士での結婚など一族の内部で婚姻関係を結ぶ「内婚制」共同体家族に分類される。
つまり、「外婚制」共同体家族と「内婚制」共同体家族の違いは、結婚相手を一族の外に求めるか、内に求めるかの違いである。
家族人類学の3つめの型は「平等主義核家族」と呼ばれるもので、直系家族のように子供が家を継ぐのではなく、成人した段階で子供たちは長男も次男も全て家を出て独立し、親が亡くなった時に兄弟姉妹の間で「平等」に財産が分与される。
イベリア半島やイタリアの北西部や南部、ヨーロッパのパリ盆地等にこの制度は見られ、「ラテン系核家族」とも呼ばれる。
最後の4つ目となるタイプは「絶対核家族」で、平等主義核家族と同様に子供たちは家を継がずに独立するが、財産は親の意向によっ「て不平等」に分け与えられる。
この絶対核家族制度に該当するのは、イングランドやデンマーク、オランダ、そしてオーストラリアやアメリカ、カナダといった国々である。
直系家族・共同体家族(外婚制共同体家族と内婚制共同体家族)・平等主義核家族・絶対核家族の4つのタイプのどれに当てはまるかによって、その地域の文化ばかりではなく、政治体制まで決まってくるというのだ。

先ごろ世界経済フォーラムが発表した男女の平等度を表す「ジェンダーギャップ指数」において、日本は156カ国中120位でG7の中では最下位となった。経済分野についても117位とかなり低い。
経済、特に労働市場における男女格差を捉える代表的な方法は、賃金に着目するというものだ。
OECD平均でみると、女性は男性よりも13%低い賃金を受け取っているが、日本では女性の方が24%も低い。
男女間の賃金格差の理由には様々なものがあるが、重要なものの一つに「競争心」があるとされている。
競争に積極的な人ほどリスクを引き受け、結果的に高い報酬を手にする傾向がある。
そして、男性は女性よりも競争に対して積極的なのだ。
関連があるとされているのが男性ホルモンだ。そうなると、男女間に賃金格差が生じるのは仕方がない、むしろ、「自然な男女差」とさえ感じられるかもしれない。
ところが、経済学を含む多くの科学研究が明らかにしたのは、「自然な男女差」のかなりの部分が、特定の文化や社会で人工的に作られたものに過ぎないことがわかってきたのだ。
ある経済学の研究では、二つの全く異なる社会に注目した。ひとつは圧倒的な男性優位であるタンザニアのマサイ族の社会。もうひとつは女性が一家の長であり、女性が優位なインドのカーシ族の社会だ。
この両極端な社会において、研究者が経済実験を行うことで人々の競争に対する積極性を測定した。
男性優位な社会では、やはり男性の方が女性よりもはるかに競争に対して積極的であった。これはアメリカのような先進国と変わらない。
しかし、女性優位な母系社会においては、女性の方が競争に対して積極的だったのだ。
この発見は、競争に対する積極性の男女差は「自然な男女差」ではないということを示している。
今日のジェンダーギャップを、江戸時代から官学として学んだ「儒教」に求めるのはムリであろう。
ところで、日本の戦時下、妻はどんな時にも「貞節を守るべき存在」であらねばならぬとして、「一人の夫を一生涯愛す、貞節な妻」のイメージ作りが国策として推進された。
そうして満州事変後に銃後を守る女性のファッションとして広まったのが、「割烹着」である。
割烹着はもともと料亭で着物が汚れるのを防ぐために着用されていたのだが、大日本国防婦人会が「貞節な妻」のユニフォームとして定めた。
この思想は、戦後も企業戦士の「出社後」を守る女性の理想像として生き残ったのである。
男は企業に滅私奉公して尽くし、専業主婦がその家を守るというのが、高度経済成長時代の政府・経済界推奨の夫婦像となったのである。
こうした「性別分業」が日本社会を強く縛っていることを指摘するのが、北海学園の中村敏子名誉教授である。
日本のジェンダーギャップ指数の低さを、女性の地位の低さからではなく、家庭における女性の地位の高さから説明している。
第二次世界大戦後、日本国憲法に「両性の平等」が定められたが、企業と家族を合わせて「大きな家」を構成する男性と女性の「性別分業」の構造は維持された。
それどころか経済の進展に伴って、女性の「専業主婦化」すすんだ。
女性は結婚して主婦という役割に「永久就職」することが主流となったといってよい。
さらに、こうした「性別分業」にもとづく社会が円滑に機能するように、仕事を担当する男性には、家族分も含んだ「家族賃金(世帯賃金)」が支払われた。
また、これと対になる主婦たる女性に対しては、「配偶者手当」や「配偶者控除」などのさまざまな優遇策がとられた。
このような中で、女性の仕事はあくまでも「補助的」なものと考えられるようになる。
それゆえ女性はパートや非正規の労働者として働き、賃金は低く抑えられて、男女の「賃金格差」が当たり前となったのである。
こうした体制は、「高度成長」を支えるためにはとてもうまく機能した。
それが可能だったのは、日本の主婦が、欧米の主婦に比べて「居心地」のいい立場にいたからといえる。
身近なことをあげると、主婦が家族における「財布の紐」を握っていたということだ。
日本の家族では、夫の稼ぎは彼個人の所有とはならず、家計に計上され、それを使って主婦は家計のやりくりをした。
1980年代、カップめんのコマーシャルで、女性が「わたしつくるひと」、男性が「わたし食べる人」とかけあうのが批判されたが、家計に関しては、「夫は稼ぐ人、妻は使う人」である。
日本の「家」の役割分担からいえば、これは自然のことであったといえる。
もうひとつ日本で主婦の地位が高いのは、日本では子供が大事にされ、その世話をする母としての女性の「役割」が重要視されたこと、なにしろ夫にとっても妻は「母親化」しているのが実態ではなかろうか。
異論も出そうだが、日本では「主婦」の相対的に地位が高く、主婦がその役割に誇りを感じられることが、皮肉にも「性別分業」により女性が担当してこなかった政治経済分野では、平等化が進まなかった。
特に政治の分野への進出の遅れは驚くべきで、結局現在の日本では、経済や政治という重要な社会的事項を決定する場面に女性がいない。
家庭において男女はある程度協同的であるが、大きな社会的な領域においては、男性が様々なことについて決定権を握っている。
仮に「家父長制」という言葉を、男性が権力を持ってさまざまなことについて決定し、それに女性が従うという体制を意味するとするならば、今の日本は、政治や経済分野で「家父長制」が成立しているといえる。
そこで思うことは、エマニュエル・ドットのいうところ、かつてあった「直径家族」に沿って「家父長的国家」をつくってしまったのではないか。
橋田寿賀子が「おしん」で訴えたのは、豊かさの陰で 何か大切なことを失っているのではないか、という思いだった。
そこには、何の苦労もなく豊かさを享受していることへの疑問があった。
もし日本社会で女性が失ったものがあるとするなら、女性が家族における協同的な「性別分業」に安住している間に、大きな社会構造としての「家父長制」が成立してしまったということだ。
ただし、グローバル化と少子高齢化がもたらす社会の変化には、このような「家父長性国家」ではますます適合しにくくなっているのも確かだ。
それは何よりも、女性達が中心となって作った「おしん」の世界的大ヒットが物語っている。