禍い転じて福となす

青森県といえばりんご。特に南津軽郡藤崎町には618軒のりんご農園があり、世界で最も生産量が多い「ふじ」の発祥の地として知られている。
今から30年以上も前、この町でりんご農園を営む平田博幸は、丹念に育ててきたりんごの成長を見守っていた。
待ちに待った収穫の時期まで、あと2ヶ月という頃、予期せぬニュースが飛び込んできた。
この年、広い範囲で猛威をふるった台風19号が、沖縄県を通過したのち、九州、中国、四国地方に甚大な被害を及ぼしていた。
この日の昼には、最大風速50km以上を記録。その勢いを保ったまま、北陸を通過していき、東北地方に向かっていた。
予報通りに進めば、台風は平田が住む藤崎町を直撃してしまう。 とはいえ、収穫時期の2ヶ月も前、まだ成熟していないりんごを収穫しても、そのままでは売り物にならない。
できることといえば、農園に風よけの網を張ったり、りんごの木を支柱で支えたりするくらいしかなかった。
予報通り、台風19号は青森を直撃! 瞬間最大風速53mの強風が県内に吹き荒れた。
藤崎町では、予定収穫数の9割が落ち、残ったのは、わずか1割程度。
それだけではない、台風のダメージを受けた周辺の施設や器具、復旧にかかる費用などを含めると、被害額はおよそ26億円。
この台風19号は、のちに「りんご台風」と呼ばれるほど、農家に大打撃を与えたのである。
多くのりんご農家が存続の危機に直面した。 来年以降も栽培を続けるためには、どうにかして収入を得なくてはならない。
だが、台風で落ちてしまったりんごは、未成熟で傷が多いため、そのまま店頭に並べることはできない。
落ちなかったりんごは、たったの1割、しかしこれでは焼け石に水でしかなかった。
数日後、平田は、りんごとは関係のなさそうもない意外な場所に相談にいった。そこは「青森神社庁」。
平田が出した提案に、担当者はこの案件、一旦預けて欲しいという返事をもらった。
その担当者は「神社本庁」の役員でもあって、青森以外の場所でも、その「アイディア」が実現できるように口を利いてくれた。
青森以外の場所とは東京の明治神宮や湯島天満宮、神奈川の鶴岡八幡宮など、実8箇所の有名神社。
それらの神社は、青森のりんご農家の希望をうけいれ、正月に境内で”りんご”を販売したのだ。
しかも、本来1個100円のところを、1000円という高値で。
そのアイディアとは「落ちないりんご」。強風でも落ちなかったりんごの強運にあやかって受験生用の縁起物としてはどうかというアイディアだった。
藤崎町では、「落ちないりんご販売実行委員会」を組織。役所と農家が協力して、台風の2ヶ月後、落ちなかった1割のりんごを収穫し、みんなで箱詰めした。
さらに、パッケージに台風19号の強風にも耐えた強運なりんごであるという証明書も添えた。
そして、翌年の正月、藤崎町のりんご農家たちが直接出向き、協力してくれた神社などで「落ちないりんご」は販売された。
1個1000円と高額ではあったが、彼らの狙い通り、受験生や受験生の家族に大反響。
なんと、6万個も売り上げ、損害の穴埋めに大きく貢献したのである。
しかも、その年の春、藤崎町の農家に、受験に合格した学生や親から届いたたくさんの手紙だった。
落ちないりんご販売実行委員会もこの年限りで解散のはずだったが、受験生たちからの販売を続けて欲しいという声が多数寄せられた。
その反響を受け、台風から2年後、若手のりんご生産者たちで、「有限会社 落ちないりんご」を設立。
毎年、収穫後、「落ちないりんご」を販売。
このアイデアを出した平田は、現在、藤崎町の町長を務めており、また違った立場からりんごの生産を見守っている。
青森市藤崎町が「ふじ」が名産なら、横浜市子安(こやす)町の名産といえばアナゴ。
神奈川県横浜市の首都高速横羽線を海岸線に走ると、その脇に「子安浜」という小さな船溜まりがある。
水上に家屋の足場が組まれ、水面にせり出すように軒を連ね、トタンと木材で造られた家が、岸壁にずらりと並んで建っている。
まるで東南アジアの写真で見たことのある”水上家屋群”の風景だ。
漁師たちは、筒を使いアナゴを獲るためにワナを作る。そして日の出前の東京湾に繰り出し、前の日に仕掛けた筒を引き上げる。
砂地に潜むアナゴはレーダーに映らないため、長年の経験と勘だけが頼りだという。
ここ子安の漁師達はどうしてアナゴを獲る様になったのか。青森県藤崎町と同じように、災い転じて福となす発想があった。
「子安浜」は江戸時代から続く幕府お抱えの漁師町であった。
この界隈には、東海道五十三次の三番目の宿場町「神奈川宿」があったところだが、横浜が国際港として発展していくのにつれ、子安は高度経済成長とともに取り残されていく。
ところで現在スマホのマッチング・アプリを使った「シェアリング・エコノミー」が拡大しているが、「シェア」自体は新しいものではない。
昔から山や川や海などは共有され、その利用権はいわば「慣習法」のカタチで出来上がっていた。
山が「入会権」なら、海なら「漁業権」、河川なら「水利権」などある。
現在の法律における「漁業権」の要件に、「定置漁業権」というのがある。海上に定置網と漁具を設置して魚を捕獲する漁法である。
1960年代広範、東京湾の埋め立てにより公害問題が発生。海も川も汚染され、未来に希望を見つけ出せない子安の漁師たちは、保証金と引き換えに「漁業権」を放棄することを選択した。
これにより、生業としていた「底引き網漁」ができなくなってしまった。
ここで暮らす若者にとって、実質、漁師になる夢が断たれたことを意味する。
多くの漁師たちは丘に仕事を求めたが、目標を失って荒れた生活をおくるものも少なくなかった。
漁師の仕事に戻って、漁業権がなくてもできる「刺し網漁」で再起を図るものも現れた。
大きな転機となったのは「バブル経済」、魚が驚くような高値で取引されるようになった。
一昔前はシャコ漁で賑わっていたが、アナゴは「江戸前」の中でも、子安産は格別で「身に脂がのっているので、値が張っても買いたい」と市場価値が高まった。
このチャンスを逃す手はないと、中古船を買い、遅咲きの漁師になるものさえもあらわれた。
そしてバブル崩壊後には、子安の漁師たちは”一点集中型”でアナゴ漁を始める。
といいうのもアナゴ漁は、網を使わずに漁具もいらない。「筒」を設置しておいて引き上げるため、手放した「漁業権」に抵触することがなかったからだ。
こうして、"子安といえばアナゴ"、といわれるまでになったのである。

新型コロナウイルスの影響により海外旅行に行くことが難しくなった今、海外旅行への思いを募らせる人も多いことであろう。その「募る思い」を利益に結びつけた会社がある。
そこには、対象顧客を逆転する大胆な発想があった。
2020年、韓国食材や雑貨を取り扱うスーパー、「YESマート」がオープン。
場所は福岡空港に近い博多区百年橋通りの空港へと向かう榎田1丁目の交差点を右折すると、「EISAN」の看板が飛び込んでくる。
この店では、韓国食材をはじめ、マッコリやソジュ(焼酎)などの酒類、韓国スキンケアなどを扱う。
ちょうど東京の新大久保のコリアンタウンの店に行ったような気分、つまり「韓国気分」を味わえる。
福岡にも韓国食材を扱うお店は至るところにあるが、「YESマート」は今までの福岡の韓国SOPの中でも圧倒的な敷地面積で、バリエーション豊か。
そして韓国レストランも隣接している。
以前はこの場所に「永山福岡免税店」があり、今でもその名残りとして看板と建物ロゴが残っている。
この店は元々免税であるため、主に韓国人が九州の名産を買って帰国する店であった。
なにしろ、九州地方の中でも旅行先として人気の高い「福岡」。博多ラーメン、明太子、もつ鍋など豊富で、九州国立博物館、太宰府天満宮などのアクセスは良好。
外国人観光客にとって、もうひとつの福岡観光の楽しみは「永山免税店」であった。
しかし日韓関係の悪化の影響や新型コロナウイルスで日本を訪れる観光客は激減、永山福岡免税店も閉鎖になるのは時間の問題となった。
しかし、この店を経営する韓国人経営者は、日本人が時折、韓国の食品を求めてやってくることに目をつけた。
そこで考えを転換した。韓国人が日本に来れれないなら、日本人も韓国に行けない。そこでこの店を、旅行に行けない日本人に「韓国旅行気分」を味わってもらう店へとコンセプトの転換。
免税店を閉鎖し、韓国スーパーとして、日本人向けに韓国の食材や酒、化粧品などをそろえることにしたのである。
すると、韓国に行きたくても行けない多くの日本人がこの店を訪れ、店の経営は黒字へと転換した。
最近、この店にいくと日韓合同ユニットの女性グループNIZUのポスターが入口に貼ってあり、老若男女多くの客で賑わっていた。

新型コロナウイルスの影響下で、航空会社の明暗が分かれてきた。
日本を本拠とする日本航空(JAL)やANAホールディングス(HD)の4~6月期決算は赤字が続く。
アジアや欧州も厳しい一方、アメリカではワクチン接種が進み、4月に国内旅行時のウイルス検査や隔離などのルールが緩和されて旅行者が増えた。
その結果、コロナ下で初めて黒字を計上する大手も出てきた。
アメリカでは、鉄道による人の移動がもともと少なく、航空会社の売り上げに占める国内線の割合が高い。
そのため、政府による手厚い支援も奏功している。
日本でも検疫体制確保のため、航空会社ごとに国際線による入国者の上限が国によって設けられているため、新興国も含めた世界でのワクチン接種の進展が、航空会社の先行きを左右する状況にある。
とはいえ各航空会社は手をこまねいているわけにはいかず、様々なアイデアで業績回復を図っている。
ANA(全日空)は2021年4月、「翼のレストラン HANEDA」を計11日間実施した。
同社国際線用機材ボーイング777-300ER型機を、駐機状態のまま期間限定でレストランとして解放した。
「翼のレストラン」は、平時では長距離国際線に乗らないと体験できない、個室型が特徴のANAファーストクラス・ビジネスクラスに座りながら、食事やCA(客室乗務員)の接遇とともに体験できるイベントである。
全日とも昼の部と夜の部の2部制となっており、機内レストランに入る前は、羽田空港の国内線ANAラウンジの利用も可能。
利用料金はファーストクラスが税込5万9800円、ビジネスクラスが2万9800円で、専用サイトから申し込みができまる。
食事としてはリッチではあるものの、ビジネスクラスであっても、普通に搭乗すれば50万円を超えることも珍しくないシートやサービスを体験できることから、この初回実施分は開始数日で完売となっている。
ANAは、「自分へのご褒美におひとり様でのご利用や、記念日やちょっと贅沢なお祝いに、ご家族、ご友人とお楽しみいただくなど、様々なシーンで皆様のご利用をお待ち申し上げております」としている。
こうした各航空機会社の苦心の中、逆境をものともせず、好業績をあげているのが「大韓航空」である。
今年4月~6月期の売上高は、前年同期比の12%増で、純利益は1168億ウオン(約109億円)の黒字を確保している。
営業利益の8割が貨物事業で、ほとんどが国際貨物である。コロナ前は2割程度なので大幅なシフトを行っている。
「大韓航空」といえば、これを傘下におく韓進グループは財閥大手だ。オーナー家の副社長が客室乗務員のナッツの出し方に激怒して、搭乗機を引き返させた事件(ナッツ・リターン事件)で批判を浴びた。
19年4月に2代目の会長が死去。後を継いだ40代半ばの3代目は経営陣を一気に若返らせた。
財閥の統治については企業の私物化との批判がつきまとうが、意思決定を迅速に行えるというメリットもある。
国際貨物への大胆なシフトは、オーナー経営者の指導力のもと、若い経営陣による果敢な決断あってこそだったと指摘する。
実は国際貨物の国際環境はコロナによってプラスになっているのだ。
旅客機にも貨物スペースはあり、多くの貨物が運ばれていいたが、旅客便の減少で運べなくなった。
一方で自動車や電子機器の部品、さらに防疫で使うマスクや医薬品などの需要は強い。
韓国は半導体大手のサムスン電子を擁し、世界的な半導体不足の中で輸送の需要も高い。
航空業界関係者によると、貨物単価は数倍に跳ね上がることもあるという。
欧米ではDHLやフェデックスなど国際貨物に特化した大手があるが、大韓国空は旅客業務をしながら貨物専用機を20機あまり運行するなど、国際貨物に力をいれるユニークな会社だった。
昨年9月には旅客機の座席をはずし、貨物専用に改造して飛ばす事業を開始した。
社長は、「乗客の代わりに貨物を運ぶ。逆転の発想で危機を克服できた」とメデイアに語る。
韓国は市場が小さく、グロール化しないと生き残れない。KPOPや韓国ドラマの奮闘もそこにある。
南北分断で国土も狭く、大韓国空のコロナ以前の国内線への依存度は1割にも満たない。それだけに「国際貨物事業」の黒字化への貢献が大きい。
また、コロナ禍で国際線のほとんどの路線が中断する中、韓国国土交通省が航空や免税品の業界を支援する目的で認可したのが「無着陸フライト」。
それは、昨年12月に、仁川国際空港から始まった。
手続きを終えた人のチケットを見ると、出発地も到着地もソウル。一応、福岡上空まで行き、引き返す。
なんだか虚しい気もするが、一応「国外」に出るため、出国手続きをして「免税品を買える」というのがポイント。
いわば「疑似」海外旅行だが、利用者は新型コロナで自由に旅行に行けない中で、夏休みの思い出に喜ぶ子供たちも多い。
同省によると、無着陸フライトは7月末までに、格安航空会社(LCC)を含む7社が200便あまりを運行し、約2万人が利用した。
防疫のため座席の間隔を空け、利用できる座席数から見た搭乗率は約75パーセントと、国際線平均の23パーセント前後より高い。
2021年5月に金浦や大邱などの地方空港にも拡大。出発地とは別の国内空港に着陸しても旅行を楽しめるようにする路線も認め、9月から始まる。
「免税品」の売れ行きはどうかというと、5月末までで約228億ウオン(約21億円)。搭乗者一人あたりの平均で約142万ウォン(約18万円)だ。
無着陸フライトの免税品業界への恩恵は全体から見れば「限定的」で、そこまでするのは痛々しいという評価もある。
しかし、操縦士の資格や技術の維持に繋がるということもあり、どんなカタチであれ、フライトの灯を消さないことは、航空会社の組織にとって大切なことであろう。