聖書の言葉より(悪より救い出したまえ)

聖書に、「主の祈り」というものがある。それはイエスが人々にこう祈りなさいと自ら示したものである。
「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人を赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」(マタイ6章)。
ところで、ドストエフスキーや松本清張が描いたように、人間は善人とか悪人とか簡単に割り切れるものではなく、どんな善良な人でも、機会があれば悪人にもなったりする。
それは、イエスの十字架の前夜「最後の晩餐」の場面にも表れる。
「イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、”よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている”。弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。
弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、”だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ”。
その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、”主よ、だれのことですか”と尋ねると、イエスは答えられた、”わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである”。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
この一きれの食物を受けるやいなや、"サタンがユダにはいった"。そこでイエスは彼に言われた、”しようとしていることを、今すぐするがよい”。
席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった」(ヨハネの福音書13章)。
芥川龍之介の短編「羅生門」は、"サタンがユダに入った"ように、ごく普通の善良な人間に「魔」が入り込む瞬間を、見事に描いている。
一人の下人が門の下に佇んでいる。平安京は衰微しておりその余波からか、下人は主人から暇をだされて、格別何もすることはない。
下人は何とかせねばと思うがどうにもならない。結局、餓死するか盗人になるか、と途方に暮れている。
そんな時下人は、門の階上で死体の髪の毛をむしりとる老婆をみて、ひとかたならぬ嫌悪と憎悪を抱く。
老婆は鬘にして売るのだという。
下人はそれを聞き、あらゆる悪に対する反感が湧き上がり、この時点では、饑死するか盗人になるかと云う問題でいえば、明らかに餓死を選んでいた。
しかし、下人に襟首を捕まえられた老婆は言う。この死んだ女は蛇を干魚だといって売り歩いた女だ。この女のした事が悪いとは思わない、饑死をするのじゃて、この女わしのする事も大方大目に見てくれるであろうと。
皮肉なことにこの言葉は、下人の心に今まで全くなかった勇気を与えた。下人は「きっと、そうか」と確認した上でこう云った。
「では、己が引剥をしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ」。
下人は、すばやく老婆の着物を剥ぎとりしがみつこうとする老婆を振り払い、夜の闇へと消えた。

多くの人が善意で一杯だったのに、いつしか欲望のカタマリと化してしまい、幼い子供達の運命を変えてしまった出来事があった。
1934年、カナダのオンタリオ州カランダーで、ディオンヌ家に五つ子姉妹が誕生した。
周囲は驚き祝福をするものの、父親オリヴァ・ディオンヌは、これから生活費や医療費をどうに払っていけばよいのか不安でしかたがなかった。
ところがそうした不安を解消するような話が舞い込んでくる。それは、”シカゴ万国博覧会に出演する”ということ。ディオンヌ家5つ子の姉妹が博覧会に半年間出演する契約で、契約金は5千ドル。
経済的にいうと願ってもない話だが、後に父は「五つ子を見世物」にすることを後悔する。
しかし契約を取り消すことはできなかったが、オンタリオ州の政府は、”人として正しい考え方ではない” と考え、五つ子の「親権」を2年間限定で州政府に譲り渡すこととし、万博での展示の話はなくなる。
しかし2年後に”保護がなくなってから”の生活のことを考え、両親は「奇跡の5つ子の両親」として、アメリカ各都市を回るツアーを行い、お金を稼いだ。
ところが、この両親の行動が「子供を金もうけに利用している」と批判され、「5つ子姉妹が18歳になるまで政府と後見人が保護する」という異例の法律が議会を通過した。
その後見人とは、5つ子姉妹が生まれるとき看護したデフォー医師で、実の親であるディオンヌ夫妻は5つ子姉妹の「親権」を失ってしまう。
そればかりか、五つ子が得た収入は、彼らが成人するまで「信託基金」として政府が管理することとなった。
この「ディオンヌ家の五つ子後見法」により、五つ子の家の道を挟んだ場所に、生活するための保育所と病院がつくられ、デフォー医師の監視のもと、3人の教育係と専用の保育所で育つことになる。
五つ子は欲深い両親から引き離され、デフォー医師のもとで五つ子は幸せに暮らしているt、誰もが信じ感動した。
しかし、その実態は人々が想像するものとは随分と異なっていた。
五つ子は、五つ子は珍しいということで研究対象にさえなった。
毎日決まった時間に起床、夕食は6時などと決められていて、自分が誰か示すために色付きの物をさえ持たされた。
そして、さらにコーンシロップやシリアルなどの広告モデルに使われ、デフォー医師は五つ子のビジネスにより裕福になっていった。
地元の遊園地がリニューアルすると五つ子はマジックミラーの部屋に展示され毎日6000人もの見学者が来たという。
後見人や政府も五つ子を「金のなる木」とみるようになり、そのことは実の親の性格をさえ変えてしまったようだ。
保育所の道を挟んだ場所にディンヌ夫妻が住んでいて、父はお土産品を販売していて、5つ子姉妹のサイン、カップ、皿、書籍、ポストカードなどで、売り上げは相当なものであった。
このエリアを「クイントランド」と名付けられ、当時 カナダ最大の観光地として話題となった。
5つ子姉妹が18歳になるまで政府と後見人が保護するはずであったが、父はメディアを使い、「子供に会えなくて寂しい」と訴え続けた。
デフォー医師が病気で亡くなると、見世物にしていたオンタリオ州に批判が集まったことから、5つ子姉妹が9歳のときに実の父母と暮らせるようになった。
1943年、五つ子はようやく両親のもとに戻ることになる。成長するにつれ五つ子への人々の関心も薄れていく一方、両親は愛情を示さず父親から暴力さえ振るわれることもあった。
そして五つ子は19歳で家を出て、両親との連絡を一切絶つことにした。
ただ、異常な子供時代を送っていたため、精神的な問題など様々な問題を抱えてしまった。
1954年、20歳の時4女のエミリーがてんかん発作で亡くなったものの、姉妹は21歳になり、政府が保護していた「信託基金」のお金が使えるようになった。
そのお金は8億円あり、4人で2億円ずつ平等に分け、そのお金を元に、それぞれの道に進むことになった。
しかし、長女イヴォンヌは、看護学校で勉強するものの、外の世界に適応できずに、看護師の夢をあきらめてしまう。
次女のアネット、5女のマリーと大学の共同宿舎で生活する。23歳で結婚するも39歳で離婚。
3女のセシルは、看護師になり23歳のときに結婚。5人の子供が誕生している。しかし旦那はセシルの大金をあてにしていて働かなかったため、30歳のときに離婚する。
5女のマリーは、大学卒業後、花屋を開業するも1年で閉店。
24歳のときに結婚し、2人の娘が誕生するが、32歳のときに別居。
うつ病で悩んでいて薬を飲んでいたが、1970年に脳血栓により35歳で亡くなった。
結局、気が休まるのはやはり姉妹と共にいることが何よりということになった。
60歳の時、長女のイヴォンヌ、次女アネット、3女のセシルと同居を始める。
その後、3女のセシルの息子がこんな貧乏な生活をするのはおかしいという提議で、姉妹の信託資金の使い道を調べると、「州政府のお金の使いこみ」が発覚した。残った3人の姉妹は1997年にオンタリオ州政府に対し、幼少期の搾取に対する損害賠償請求の裁判を起こし400万ドルの和解金を受け取ることになった。
州政府は謝罪し、3億円で和解。5女のマリーの遺族と7000万円ずつ平等に分けた。
その後、セシルは息子と共同名義で家を購入。72歳のときに、息子の提案で老人ホームに入る。
しかし、78歳になったセシルにまさかの出来事が起きる。
母親を助けようと、州政府の不正を明らかにした息子が、共同名義の家を売ったまま消息不明になる。再び、お金がなくなったセシルは老人ホームを出て、次女アネットの援助を受けながらケアハウスで生活している。
TVのドキュメンタリーで、一番信用していた息子に裏切られたセシルが、自分の生涯を振り返ってこう語った。
「皆、善意で始めたことなのに、自分たちがやったことが、五つ子にどんな運命をもたらすのかということにつき、想像力を欠いていました」と。
2021年現在、87歳であるセシルが、その運命の過酷さを鑑みれば、なかなか言える言葉ではない。

数年前、アメリカ・ニュージャージー州の大学でひとりのコンサルタントが「倫理」についてのある講演を行った。
聴衆は警察官や裁判官を志望する学生だったが、彼が語りはじめたのは、「マイケルダウト」という史上最悪といわれた腐敗警察官についてだった。
1980年代、理想に燃えてニューヨーク市警に入ったマイケルだが、 彼は治安の悪いブルックリン地区に配属された。
80年代当時、マイケルが配属された地区は、1日に200件もの殺人事件の通報が寄せられる過酷な場所で、ドラッグ関係者などと敵対する日々。
無事に家に帰ることができれば何よりといった心境だった。
マイケルは24歳で結婚し息子も授かり、傍目には幸福に包まれているように見えた。
だが実際には、家のローンを抱え、 満足な昼食を食べる金も持っていなかった。
そんな彼を支えていたのは、市民を守るという警官としての誇りと正義感だった。
しかしあるの日を境に、運命の歯車は狂いだす。
ナンバープレートのない車の取り締まりをしていた時、運転手から賄賂を渡されたのだ。
これは自分へのご褒美だ。このくらい良いだろう、と思った。
そしてその日、麻薬取引のアジトで起こった発砲事件の現場に、真っ先に到着。現場にあったお金を自分のポケットに入れてしまった。
その後、上司が現場に到着するが、マイケルはポケットに入れたお金を出し、自分が保管していたと嘘をついた。
しかし、その日の深夜、上司から「俺が着く前に お前が現場で何をしていたかなんて俺にはわからない。うまくやれ、そして山分けだ」と言われた。
その時、マイケルは「承認」を得たと思った。
そもそも現場にある物は正当な方法で得られた物ではないので、奪ったところで正しい人間は誰も傷つかないと、自分の行為を正当化するようになった。
さらに、マイケルは取得した「麻薬」の横流しを始め、それによって大金が簡単に手に入った。
ちょうどその頃、汚職警官13名が逮捕されるという出来事が起こり、当時のニューヨーク市警はこれ以上逮捕者を出したくないとマイケルの汚職の報告に蓋をし、マイケルが逮捕されることはなかった。
そしてマイケルの暴走がはじまった。
マイケルは部下を相棒とし、NY最大の麻薬組織のボス・アダムと手を組んだのだ。
人間は戦う「相手」に似てくるというが、理想に燃える新人警官の面影はもうどこにもなかった。
マイケルはアダムに捜査情報を流し、マイケルはアダムから大金を得ていた。そればかりか、より多く稼ぐために、自ら麻薬ディーラーとなって密売を始め、この頃にはマイケル自身も麻薬の常習者となっていた。
最新の高級車に別荘、手に入らないものは何も無かった。しかし、ついにマイケルと相棒が逮捕される日がやってきた
彼が麻薬を売った客が逮捕されたのをきっかけに、全てが白日の下にさらされたのだ。
2人は罪を認めたため、裁判が始まるまでは「保釈」された。
しかしマイケルが「史上最悪」といわれるのは、ココからの展開からだった。
マイケルはある麻薬組織から、ある計画を持ちかけられていた。
それは、敵対する麻薬組織を襲い、ボスの妻を誘拐、引き渡すというものだった。しかも その際、ボスの妻の生死は問わないという企てだった。
ここで得られる報酬は莫大で、それだけあれば海外に高飛びできると考えた。人の命を金に替えるまでになっていたのだ。
しかし1992年7月30日、誘拐実行当日、 家の前にFBIが待ち受けて、マイケルは逮捕された。
実は、相棒が計画に恐れをなして密告したのだ。
その後、盗聴器を身につけ、マイケルと会っていたのだ。
マイケル・ダウドは麻薬流通の共謀罪、誘拐未遂などで「懲役14年」の判決を受けたが、相棒は「司法取引」で免罪された。
NY市警の調査委員会を発足し、マイケル・ダウドも招集されたが、彼は、逮捕当日が最も安堵した日だったと振り返っている。
彼は自らの行いについては証言したが、相棒とは違い同僚たちの汚職については、完全黙秘を貫いた。
実は、マイケルがどんなに警官として腐敗していようと、根っこには善良さが残ていたようだ。
当時、マイケルには6歳の息子がおり、息子は父親が手錠をかけられた姿を目の当たりにした。そのすぐ後、他の子に悪影響があるという理由で、所属していた野球チームを退団させられた。
父マイケルは、自分の信頼の失墜が、自分や周囲にとってどんなにか痛手であり、多くのものを失うかを思い知った。
それにもかかわらず、成長して面会に来た息子はマイケルに、早く一緒に暮らしたい、そして父親の生きる姿を見たいといった。
その言葉で、マイケルは生まれ変わったという。
さて、この講演会を締めくくるにあたって講師であるコンサルタントは、驚くべきことを語った。
「この史上最も腐敗した警察官マイケル・ダウドこそ、私なのです」と。
ところで、冒頭の「主の祈り」にある”悪”とは、人の"心の内なる悪"を指すのであろう。
さて日本で、官僚のトップが、利害関係者により宴席を設けられた件は、役人の明白な「倫理規定違反」。厚くもてなされまつり上げられて心が歪むのは、誰しも同じ。故に、最初から断ることが「試み」に打ち克つ最善の方法だが、首相の息子がいる会社とあっては断ること自体が「試み」だったのにちがいない。
今後、裾野の広がりそうな事件で、背景を調べた上で、「行政の歪み」を正すべきだが、うやむやにする"悪弊"はなかなか治りそうもない。