聖書の言葉より(悪しき者の栄え)

今のグローバル社会は、想像を超えた格差社会が形成された。「パナマ文書」に続いて「パンドラ文書」が現われ、多数の政府要人ら所得隠しが発覚。
日本でも金融所得税率が一律のため所得1億円を超えると税負担が下がる「1億円の壁」が問題化している。
そんな中、経産省若手官僚の持続化給付金の詐取などを見て、どこまで”悪徳”なのかと思わざるをえない。
さて、古代イスラエルも格差社会であるが、それは経済的格差というより、精神的な格差といえる。
イエスは、律法学者たちやファリサイ派の人々について次のように語っている。
「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない。そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、また、広場で挨拶されたり、先生と呼ばれたりすることを好む」(マタイ福音書23章)。
さらにイエスは彼らを、「人々の前で天の国を閉ざし、自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」と評している。
自分を飾る生き方もあれば、神を讃える生き方もある。古代イスラエルには、主(神)に向かって賛美する聖歌隊や楽器を奏でる人たちがいた。
その一人アサフは、旧約聖書の詩篇のなかの「50篇および73~83篇」である。
アサフは、神を賛美する人であると同時に、「社会的矛盾」に対して敏感な目をもっていて、神を軽んじながらも経済的に豊かで、何不自由なく生活をしている人々への思いを、その詩の中に注ぎこんでいる。
「神は正しい者にむかい、心の清い者にむかって、まことに恵み深い。しかし、わたしは、わたしの足がつまづくばかり、わたしの歩みは、すべるばかりであった。これは、私が悪しき者の栄えるのを見て、その高ぶる者をねたんだからである。
彼らには苦しみがなく、その身はすこやかで、つやがあり、 ほかの人々のように悩むことがなく、ほかの人々のように打たれることはない。
それゆえ高慢は彼らの首飾となり、暴力は衣のように彼らをおおっている。彼らは肥え太って、その目はとびいで、その心は愚かな思いに満ちあふれている。
彼らはあざけり、悪意をもって語り、高ぶって、しえたげを語る」(詩篇73篇)
この詩は、アサフの神への切実な問いであるが、他の詩篇を見るとアサフは”その答え”を見出している。
このことは後述するとして、仏教の「輪廻転生」について読んだところ、アレと思ったことがある。
「輪廻転生」とは、生前の”業(カルマ)に応じて”六道”という6つある世界のいずれかに生まれ落ちるというものだ。
その世界は、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上」の6つで、総称して「六道」と呼ばれている。
「地獄、餓鬼、畜生」まではなんとなく想像できるが、「修羅界」とは鬼神である「阿修羅」が住む世界で、向田邦子の小説でNHKTVドラマ「阿修羅の如く」で巷間にもしられた。阿修羅は好戦的なため、争いが絶えない世界である。
「六道」の中で少々意外に思ったのは、「人間界」ならまだしも、「天上界」が含まれていることだ。
我々の暮らす「人間界」は楽しみもあるものの四苦八苦の世界である。ただ、人間界の特典は”解脱(げだつ)”するための仏の教えを学べること。
六道の中で、もっとも楽しみの多い世界が「天上界」と呼ぶが、「極楽浄土」とは違って寿命がある。ということはこの享楽の日々も終わりがくるということだから、その分不安がつきまとう。
つまり「天上界」も、解脱より得られる「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」という境地には至らぬ。
キリスト教的にいうと「安息」にまで至らぬ世界といえようか。
世界的富豪の中で、多額の寄付を行ったりするのも、彼らがせいぜい「天上界」にいることの表われではなかろうか。
仏教で寺院の建設などに寄付することを「浄財」というのもシンボリックだ。
パウロは、イスラエルの「出エジプト」という出来事にふれるなかで、「安息」という言葉を使っている。
「きょう、あなたがたがみ声を聞いたなら、荒野における試錬の日に、 神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない。
あなたがたの先祖たちは、そこでわたしを試みためし、しかも、40年の間わたしのわざを見たのである。
だから、わたしはその時代の人々に対して、いきどおって言った、彼らの心は、いつも迷っており、 彼らは、わたしの道を認めなかった。そこで、わたしは怒って、彼らをわたしの"安息"にはいらせることはしない、と誓った」(ヘブル人への手紙3章)。
さて旧約聖書「十戒」の第四戒に「安息日を覚え、これを聖なる日とせよ」とあり、安息日を守ることの祝福を多く告げている。
「安息日」は、神が「光あれ」にはじまる6日間の天地創造を終えて休まれた週の終わりの日に休まれたことから生じたものだ。
週の終わりといえば「土曜日」なので「土曜安息日」が正しい。人が休めば、牛や馬もそれによって休む。それによって自然も休与えられるということだ。
これが神がユダヤ人に与えた戒律だが、何しろその根拠が「天地創造」にだけに、宇宙的秩序といってよく、これを否定する要素は聖書からは見いだせない。
現代は週休二日になった分、かえって「安息日」の意味は失われている。
実は、「日曜休日」は神より与えられた戒律ではなく、ひとりのローマ皇帝、つまり人が創った「休日」なのである。
コンスタンチヌス帝は、キリスト教を公認した皇帝として、キリスト教会からは「肯定的」にとらえられているが、もともとローマの太陽神の神官であったため、太陽崇拝の行事を行う「Sunday」を、キリストが復活した「日曜日」に合わせて休日にしたのである。
つまり週の終わりの日に休みにすべきところを、週のはじめ「日曜日」に休むことにしたのである。
こういう皇帝が現れることは旧約聖書に、「いと高き方に敵対して語り、いと高き方の聖者らを悩まし、時と法を変えようとたくらむ」(ダニエル書7章)と、予言されている。
週単位でみると、まず「休んで」から「働きはじめる」という「奇行」を人類はやっているわけである。そもそも、キリストの「復活」なのだから、「休む」より「働く」ほうが、より相応しいことなのに。
日本人は、ヨーロッパ発のキリスト教をまっとうなキリスト教と思い込んでいるが、それはローマ社会やゲルマン社会にあった地域宗教と「習合」して出来上がったものである。
そのことを教えてくれる最高の教科書が「ダヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン著)である。
エルサレムの「初代教会」では、信徒たちは「土曜安息日」に礼拝をおこなっていた。ローマで人間が「安息日」を日曜日に移したというよりも、「安息日」を消したということだ。
人類最大の「ボタン」の掛け違いといえる。

ブッダもムハンマドも裕福な境遇にありつつも、そんな生活に疑問を感じ、救いもしくは悟りをもとめてそれまでの生活を捨てた。
イスラエルの「出エジプト」において、エジプトの王子として育ったモーセは、自分がエジプト人ではなく、ユダヤ人であることを知って、王宮での空しい生活よりも、たとえ奴隷であっても神に選ばれたユダヤ人として生きることを決意する。
しかし王子様気分が抜けなかったのか、ユダヤ人同士の喧嘩の仲裁にはいって人を誤って殺してしまう。
しかもそれを同胞に目撃されて、この場にいられなくなりミデアンの野に逃れる。
モーセは、自分のミデヤンの地で結婚し、羊飼いとしての生活をして40年という月日がたつ。
おそらくモーセは平安にこの地で暮らし、そのまま終焉を迎えるつもりでいたであろう。
ところが人生も終盤になった時、突然に神の声が聞こえる。
それは「エジプト人の圧政下にあるユダヤ人の嘆き苦しみの声が聞こえるか」という声であった。そして、その民を導き出せというのである。
モーセは、この時、神が発する「エジプト人の罪が満ちた」(出エジプト23章)という聞いている。
モーセはそんなことが出来るハズがないと一旦は拒むが、エジプトのパロ(王)と住民を襲う様々な恐ろしい出来事を通じて、パロはついにイスラエル人の解放を認めるが、モーセの本当の苦難はその後にあった。
「紅海の奇跡」や「シナイ山での十戒」を経てカナンの地に入る際に40年もの間シナイ半島の砂漠をさまようことになるからだ。
聖書には、昼は雲の柱、夜は火の柱が、民を導いた (出エジプト記13章)とあるが、途方もない長い歳月がかかっている。
それでは、その40年という月日にはどんな意味があったのだろう。
聖書は、モーセがシナイ山で十戒を受ける際に、麓で「偶像崇拝」に陥った人々をカナンには入れないとして、彼らが死に絶える時間だとしている。
そして年老いたモーセが亡くなり、後継者であるヨシュアが故郷カナンの地(パレスチナ=ペリシテ人の地)に攻め込むだんととなる。
それから遡ることおおよそ15世紀、神はアブラムに驚くような預言を与えている。
「あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを4百年の間、悩ますでしょう。しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出て来るでしょう。あなたは安らかに先祖のもとに行きます。そして高齢に達して葬られるでしょう。4代目になって彼らはここに帰って来るでしょう。アモリびとの悪がまだ満ちないからです」(創世記15章)。
アモリ人とは、ユダヤ人がエジプトに寄留している間に、カナンの地に住み着いた人々の総称で、彼らの罪が満ち満ちるまで、イスラエル人が、アモリ人を攻め滅ぼすことを許されなかったのである。
つまり、神は”悪”をいちはやく滅ぼすのではなく、あえて生かしておくというのだ。
それは、イエスの語った次のようなたとえ話からもわかる。
「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
僕(しもべ)たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
主人は言った『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。彼は言った『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」(マタイ福音書13章)。

聖書には、悪行ここに極まれりといった出来事がいくつか記されているが、「サロメ」という女性のことが思い浮かぶ。
イエスの12弟子のヨハネとは別に「洗礼者(バプテスマ)のヨハネ」が、あたかもイエスの”露払い”であるかのごとく登場するが、ヨハネは自らを「イエスの靴のひもを解く値さえもない」としている。
一方、イエスは「人間の中でヨハネ以上に偉大なものはいない」と評している。
このヨハネは、ヘロデ王の結婚につき律法に反すると批難し、ヘロデ王もヨハネを恐れていた。
それでもヘロデ王はヨハネの首をきるという悪行を行うが、そこに至る経過は次のとうりである。
ヘロデ王は、美しい王妃ヘロディアの連れ子サロメに、自分の前で踊るように命ずる。
サロメは妖艶な踊りを披露し、すっかり興に入ったヘロデ王が「お前の望む物はなんでも与えよう」と言うと、サロメは洗礼者ヨハネの首が欲しい、と申し出る。
ヘロデはその要求に驚くが、客のいる前でサロメに約束した前言を翻すわけにもいかず、獄にいるヨハネの首を獲らせ、盆に載せてサロメに与えられる。
そのサロメがなんらかのカタチで悲惨な人生を歩んだという記述は見当たらない。
ところで、イエスの言葉に「のち悟らん」(のち悟るでしょう)という言葉がある。目立たぬが、含蓄のある言葉である。
イエスが弟子達に洗礼を授け、足を洗おうとしたところ、ペテロの番になった時、ペテロは自分にはそんな資格はない、とんでもないと引きひきがろうとするとイエスは「もしこれをなさななければ自分とあなたとの関係はなくなる。このことの本当の意味は後になって悟るでしょう(のち悟らん)」と語り、足までをも洗ったというものであった。
とはいっても「のち悟らん」のもっと典型的な事例は、イエスの弟子達が「イエスがメシア(救世主)」であることを本当の意味で悟ったということだ。
ユダヤ人はイエスを救世主(メシア)として誕生したと期待した。しかしユダヤ人が思った「救世主」は、あくまで(ロ-マの支配からの)「ユダヤ人の解放者」としてのメシアであった。
だからローマ兵に身をゆだね十字架に付けられるイエスに大失望し、「イエスかバラバか、どちらを許して欲しいか」と民衆に尋ねると、扇動者にすぎないバラバを許すことを願うのである。
さらに、エルサレムにおけるローマ総督の庭で行われた裁判で、総督ピラトが「この人に何の罪も認めない」といったにもかかわらず、民衆は激しく十字架につけよと叫んだのである。
ピラトはそれに押しきられ、自分とイエスの血はなんの関わりもないと手を洗っっている。
しかし逃げ去った後の弟子達は、あの十字架にかけた人物が「旧約」で預言されていた、人類のメシアであることを「後になって悟る」のである。
そこには、相当な飛躍があるようにも思えるが、なんといっても「使徒行伝」にあるように「復活のイエス」と出会ったことが決定的である。
イエスは、十字架の死の直前に「聖霊はあながたにすべてを教え、また私が話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。私は平安をあなたがたに残していく。私の平安をあなたがたに与える。私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる」(ヨヘネ福音書14章)と語っていた。
さらに、イエスの死後50日めに聖霊が降り、人々は「あのイエス」が膨大な旧約の預言に応じた「救世主」であることを、そしてその一つ一つの行動が「預言の成就」であったことをベールがはがれるように理解しはじめたのである。
ところで、キリスト教の救いにとって「復活」が核心的であるが、「ある者は祝福ため、或る者は裁きの為に蘇る」(ヨハネ福音書5章)とある。
それと関連して、「金持ち主人と貧民ラザロ」(マルコ福音書16章)の話が思い浮かぶ。
ラザロは天に迎えられ、金持ちは地獄で苦しんでいた。
金持ちがこんな苦しい思いをするなら、ラザロをこの世に送って家族にここに来ないように伝えてくれというと、神様は「もし彼らが、モーセと預言者に耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう」と、つっぱねる話である。この金持ちにとって、「のち悟る」では、遅すぎたということだ。
というわけで、神が悪しき者を「罪が満ちるまで」生かしておくのなら、順風満帆な「栄え」はかえって目くらましとなる。
「栄え」が去っておれば、目がさめたであろうに。
詩篇の作者アサフは、「定まった時」に訪れる出来事のことを、次のように詠っている。
「主の手には杯があって、よく混ぜた酒が泡立っている。主がこれを注ぎだされると、地のすべての悪しき者はこれを一滴も残さずに飲み尽くすであろう。
しかしわたしはとこしえに喜び、ヤコブの神をほめうたいます。悪しき者の角はことごとく切り離されるが、正しい者の角はあげられるであろう」(詩篇75篇)。

週の初めが日曜日で「休み」であることはどうもオサマリが悪い。そうは思いませんか。
週のはじめから休んだのでは、気持ちの引き締まりにかけるし、何かお天道様に申し分けない気がする。
日曜日から六日間働いて週の最後の日、土曜日に「休み」というのならまだわかる。
何でこういう「週」なったのかというと、ローマ皇帝コンスチタンティヌスが「太陽崇拝」の神官であったために、 太陽の日(Sunday)に思い入れが強く、キリスト教を受け入れる際に、「キリストの復活」が日曜日だったことにカコツケて、「太陽の日」すなわち日曜日を「聖日」としたからである。
ところが、キリスト教の本来(初代教会)の聖日はあくまで週の終わりの「安息日」すなわち「土曜日」であり、それは「天地創造」の秩序に従ったものである。
またこのことは、キリスト教の母体であるユダヤ教と共有することである。
そんな天地の秩序というべきものを、一人の皇帝が勝手に変えてしまい、我々がオサマリ悪い思いをするわけである。
もっとも旧約聖書のダニエル書7章にこういう皇帝が現れることは、「いと高き方に敵対して語り、いと高き方の聖者らを悩まし、時と法を変えようとたくらむ者」と、予言されている。
この予言の「時と法」とは、モーセの十戒の「第四戒」安息日を守ること、をさしている。
ローマはもともと「多神教」の社会であり、人々の間で広まりつつあったキリスト教は、在来宗教と様々な妥協を繰り返すうちにようやく成立した宗教なのである。 そして聖書のいう「安息日」という「大切にすべきもの」を失ってしまったのである。
百歩譲って、日曜日がキリストの復活日だからと「理由づけ」して民衆に「聖日」として布告するにせよ、やっぱりナンカおかしい。
日曜日がキリストの復活の日ならば、日曜日を「活動の日」とすべきであって、それを「休む」のはやっぱり神様(またはお天道様)に申し訳ない気がする。
ともあれ、週休二日制によって「土曜日」が休みとなったことは、「天地創造」の秩序からすれば歓迎すべきことである。