オールジャパン

最近よく聞く言葉の一つに「オール・ジャパン」がある。
しかしコノ言葉、スポーツの世界では馴染みの言葉だが、産業の世界で新しく響く言葉である。
日本は、「ものつくり大国」として、自動車や電子機器で世界をリードしてきたが、近年競争力に陰りが出始め、新しい「基幹産業」を模索している。
それはちょうど、今度のロンドンオリンピックで、日本の「お家芸」がなりシフトしていることをも想起させることである。
「オールジャパン」とホボ同じ意味で「日の丸連合」という言葉も使われるが、後者では「官」主導のニュアンスが含まれているように思う。
しかし今のところ、残念ながら「日の丸連合」による基幹産業の確立は失敗が続いている。
それはエルビータ・メモリの経営破綻やルネサスエレクトロニクスの工場閉鎖に見られるが、ソノ「失敗の原型」は戦後初の国産機生産に取り組んだ「日の丸連合」にスデに表れていたという指摘もある。
ところで、ロンドン・オリンピックでメにツイタことといえばカツテの「お家芸」の柔道が破れ、フェンシングやアーチェリーなど日本人にとっては疎遠とも思われた競技で、メダリストが誕生したことである。
カツテの「お家芸」であるバレーボールはようやく復活の兆しを見せたが長年低迷を続けた。
一方で外国人とは太刀打ちできないかと思われたサッカーが男女ともメダルが取れる力をもったというのも大きな変化であろう。
1964年の東京オリンピックの当時とは日本人の体型も随分変ったし、「道を極める」といった精神的「価値観」はモハヤ薄れている。
となれば、ソノ表現たるパフオーマンスやワザにも様々な変容が起きるのは自然なことであろう。
柔道を例にとれば、心と体と技が一体となっていてハジメテ「柔道」なのだが、国際版柔道「JYUDO」はモハヤ日本的精神を脱ぎ捨てて「一人歩き」してる。
具体的にいうと、「柔よく剛を制する」といった「柔らの道」の本髄は見られなくなっている。
そういえば、格闘技のブラジリアン柔術は、「柔道」をルーツとするものらしいが、その原型の精神とはホド遠いものとなっている。
「国際化」したら「日本の心」が失われることについては、国際化した「日本アニメ」のキャラクターの変容にモットモよく現れている。
アメリカナイズされた「ゴジラ」はマルデ爬虫類だし、セーラームーンはワンダーウーマンだし、鉄腕アトムも「日本カワイイ」を喪失している。
「国際化」をもう少し広げて言うと、アボガドの握り寿司をコーラを飲みながら食べても、誰にも顰蹙をかうことはナイということだ。
オリンピックで「日の丸」を背負っているのは、ドノの競技だって同じである。
卓球の発祥地はイギリスで生まれたが、イギリス人は卓球でメダルを取れないことを全く問題としていない。
柔道だからといって、金メダルじゃなくてスイマセンというのは、もうヤメヨウといいたい。

かつての「お家芸」にいつまでもコダワって失敗するのは、スポーツだけではなく産業の世界にも見られる。
過去の栄光をもう一度ということで、「オールジャパン」でノゾンデ失敗した「エルビータの教訓」がある。
「エルピーダ」という会社はアマリ聞き慣れないが、DRAMという半導体をつくっていた日本のメーカーの事業をヒトマトメにしてできた会社である。
政府の支援も受けていて、マサニ官民を挙げた「日の丸半導体」とも呼ばれていた会社である。
半導体といっても様々な「種類」があり、いわば「頭脳」に当たるCPU、自動車など向けに様々な制御機能を備えた「マイコン」、情報を記録するための「フラッシュメモリ」など多様である。
エルピーダが手がけてきたDRAMは、情報を「記憶」するための半導体である。
汎用性の高い製品で、80年代後半のピークには、日本のメーカー各社が世界のシェアの80%近くを占めていた。
そして、「産業のコメ」とも呼ばれ、「モノツクリ日本」のシンボルであったといってよい。
しかし世界市場におけるシェアを韓国勢に逆転されたのが、エルピーダ発足のキッカケであった。
1999年、ライバル韓国に対抗しようと、「国の主導」で日立製作所とNECが事業を統合し、その後、三菱電機の事業も引継ぐカタチで、エルピーダが「国内唯一」のDRAMメーカーとなったのである。
その後、一時期シェアを挽回したものの、リーマンショック後、再び沈下した。
2009年には「公的資金」を活用した国の支援を受けて、経営の立て直しをハカッタが、「低迷」が続き大幅な赤字を計上することになった。
国は、エルピーダの「発足」を主導しただけでなく、「公的支援」に踏み切ったという経緯がある。
国が一企業に資金を投入してイイノカという声にもカカワラズ、最大280億円分が「国民の負担」になる可能性がある。
エルピーダが、国の支援を受けながらも、ワズカ3年で破綻に追い込まれたのは、「円高」ダケで説明できるものではないし、シテハいけない。
DRAMという技術は、優れた製造装置サエあれば、誰でもドコデモつくることができる「汎用品」なのであり、韓国メーカーがDRAM事業で大胆かつスバヤイ経営判断で、次々と大型の投資を続た。
韓国勢のシェアは、二社だけで世界の70%を占めるまでになって、圧倒的な差をつけられていた。
そしてエルピーダで「半導体日本」の巻き返しをネラウ戦略は、「過去の栄光」にスガッタ「大失敗」となった。
円高やコスト競争が続く中、同じDRAMを国内でつくって、海外に輸出する事業構造には限界があり、結果は、一時の「延命」となったにすぎない。
過去の栄光にスガリ、イタズラに国民のカネを浪費しただけとなった。
このところの「日の丸連合」としては、海外での原子力発電所建設をめざす「国際原子力開発」(2010年10月設立)、海外での高速道路建設をめざす「日本高速道路インターナショナル」(2011年9月設立)、中小型液晶パネルの開発製造販売を行う「ジャパンデスプレイ」(2012年4月設立)、さらには日本発のリチウム電子の開発すなわち「日の丸電池」などの例がある。
「エルビータの教訓」を生かして、オールジャパンとしてドノ分野で生き残りを図るべきかを明確にし、そこに官民の資源と人材を振り向けるベキということだろう。

戦後「オールジャパン」で国産旅客機に取り組んだ体制も、「失敗の教訓」として学ぶ必要がある。
日本の航空機産業は、第二次世界大戦後、航空機の研究や製造が禁止されたため、大きく後退した。
しかしその間、航空機の技術者たちは自動車や家電産業の中でカロウジテ技術をつなぎ、加工技術や、材料技術を育てそれらを生かして、再び「国産旅客機」に挑戦しようとしているからである。
ところで「航空機」は高度な技術のカタマリで、部品数も、自動車の100倍の300万点もあり、技術的、経済的「波及効果」が極めて大きいといわれている。
そのため航空機産業を国家の「基幹産業」と位置付けようとしている国も多い。
戦後日本は「国産機の生産」を連合軍により7年間止められていたが、「YS11」は日本の国産機生産の再起を期待して官民が協力して開発した64人乗りのプロペラ旅客機だった。
「YS」という言葉は、開発のために組織した「輸送機設計研究協会」の略である。
日本の航空機生産は1952年の解禁後もアメリカからの技術導入による「ライセンス生産」が主だった。
しかし多くの技術者達には「自前」の飛行機を作りたいというのが夢が膨らんでいった。
そして1959年に官民共同出資で日本航空機製造が設立され、「YS11」事業のまとめ役になった。
生産は三菱重工が前部と中部胴体、川崎重工が主翼、富士重工が尾翼というように「分担」して行った。
しかし結局は採算の悪化のために負債がふくらみ「YS11」の生産は182機で打ち切られた。
日本の航空機製造はドコカ一社が経営を主導したわけではない「寄り合い世帯」で、参加企業は自社の利益を優先しがちで、生産コスト全体の管理が緩んだということである。
つまり各社の綱引きの結果、コストが膨らんだということだ。「オールジャパン」とはいいながら、内情はバラバラだったのだ。
そして今、三菱航空機が開発を進めている日本初の国産ジェット旅客機である。
MRJは「三菱リージョナルジェット」の意味で、座席数も100未満の小型ジェット機である。
開発の拠点は三菱重工の名古屋航空宇宙システム製作所の工場で、かつて「ゼロ戦」の設計拠点になった「時計台のある建物」が残っている。
ここで2015年納入をめざす「MRJ」の国産旅客機計画が進んでいる。
航続距離はおよそ3300キロで、東京からはグアム、台北、上海、北京をカバーでき、世界各国の大都市の拠点空港と地方空港を結ぶことができまる。
燃費が良く、室内も広いため、アメリカや香港、そして国内の航空会社から、130機の「受注」を受けている。
大型機・中型機のシェアは、アメリカのボーイング社と、ヨーロッパのエアバス社が独占している。
そのため、日本は今まで、機体をマルゴト作ることはせず、ボーイングやエアバスの機体の一部を「受注」してきた。
しかし、日本の部品製造レベルは次第に向上し、最新のボーイング787では、全体の35%を占めるまでになった。
新興国も部品製造の技術力を高め日本を激しく追い上げており、日本はイツマデモこの形にトドマルわけにはいかなくなった。
そこで今後大きく成長すると予測される座席数百以下の「小型機ゾーン」が、ターゲットとされるのである。
ただ国産機をマルゴト作るのは、部品製造とは比べ物にならない難しさがある。
機体のすべての部分をスリ合わせ、統合していく能力が必要である。
だから真の技術力の証明にツナガル意味を持っているといえる。
旅客機は、「技術的」に優れていることはモチロンだが価格を安くしたり販売後のサービス体制などの充実がなければ、世界市場で勝ち残れない。
日本初の国産プロペラ機「YS11」を開発した時、当時の技術を結集した優れた航空機であったが、利益を生み出す価格設定や、ユーザーへのサポート体制がうまくいかず、182機製造した時点で360億円の赤字となり、生産中止に追い込まれた。
つまり「技術で勝ってビジネスで負けた」といわれ、日本の弱点が露呈した形となったのである。
国産ジェット機MRJは、「YS11撤退」の教訓を生かしての「ビジネスモデル」の確立が肝要である。
航空機産業は、経済、政治、安全保障、生活などが融合した分野で、各省庁がバラバラの形で関わっている状況では、「オールジャパン」体制というまでには至っていない。
同じ空の分野でも、日本の宇宙開発は、2008年に施行された「宇宙基本法」によって、「全体の方向性」を決める組織や体制が整いつつあり、それは「超小型衛星」の開発に見ることができる。
2000年以降、いくつかの日本の大学では教員と学生の手で超小型人工衛星が開発され、打ち上げられてきた。
2002年の千葉工大による鯨観測衛星、2003年の東大、東工大の1kg衛星CubeSatを皮切りに、さまざまな大学や高専で合計15機の衛星が開発・打ち上げられ、成果をあげてきた。
それらの衛星開発は、モトモト学生が宇宙工学・モノ作り・プロジェクトマネジメントを学ぶ「題材」として行われてきた。
しかし、リモートセンシングや宇宙科学などの分野で、十分「実用にも使えるレベル」の衛星へと発展しており、「超小型衛星」を利用した新しい宇宙開発・利用の世界が切り開かれようとしている。
さらに「超小型衛星」は、これまでの莫大なコストと長い開発期間のかかる宇宙開発・利用に見られる高い「しきい」を徹底的に下げ、新しい宇宙利用方法とプレーヤーを呼び込むことにある。
現在の莫大なコストの衛星では、利用者はほとんど国ばかりで、その利用法非常に限定的であり、まだまだ宇宙の「潜在的能力」を十分に活用してはいない。
超小型衛星の大きな特徴は、コストが中・大型衛星の1機数百億円に対し、1機2~3億円、開発期間も通常の4~5年に対し、1~2年ほどと極端に「安く、早い」ことにある。
もちろん中・大型衛星と同じレベルの機能は期待できませんが、この「しきい」の爆発的な低下が新しい利用法を生む可能性を有している。
従来、宇宙に全く見向きをしなかった個人・大学・研究機関・企業・自治体などが、自分でお金を出して衛星を作ろうと考え、「マイ衛星」「パーソナル衛星」が生まれる期待さえもある。
2010年、内閣府の「最先端研究開発支援プログラム」という超小型衛星の研究プロジェクトがスタートした。
このプロジェクトでは、大学・中小企業の連携による「オールジャパン」体制で、日本が世界一の「超小型衛星大国」になることを目指しているという。

さて「オールジャパン」はヨシとしても、それで「グローバル化」への対応がなければ、生き残れないことになる。
一番重要なのはドノ分野に得意分野を見つけ、どういうカタチで「大きな価値」を生み出しうるか、ということにかかっている。
しかし最近の「日の丸半導体」とか、液晶パネルの「日の丸連合」リチウム電池の「日の丸電池」ナドという言葉は、クシクモ日本人が手を組む際の「純血主義」を表している。
こういう製品をまさか国内市場を目指して開発しているわけはないハズだ。
国際市場では、あたかも日本柔道のようにソノ精神に則った「正しい」ワザで挑んでも、イキナリ「掟破り」の張りの手、跳び蹴りを浴びて敗北をナメルようなこともおきる。
そういえば13世紀元寇の際に、九州の御家人達の戦いがモンゴル人の集団戦法に悩まされた姿も思い出す。
ところが最近、「新しい流れ」を予感させるニュースがあった。
韓国サムスン電子は、トヨタ自動車と協力して、車内でスマートフォン(スマホ)を安全、かつ快適に使える システムを開発すると発表したというのだ。
カーナビとサムスンのスマホを接続し、カーナビ経由で、通話や電子メールなどのスマホの機能を利用できるようにするという。
ところで世界に取り残されない「オールジャパン」体制を築くのは、国内の省庁を取りまとめる「政治」の力も大きい。
日本的組織には、今日も明日も昨日の続きであって欲しいという「慣性の法則」が働きやすい。
成功している組織ほどこの「慣性の法則」が強く働く。
既得権益を持つ人達の力が強化され、抵抗する人々の力を押しつぶすからである。
民間企業はイノベーションを繰り返さなければ生き残れないので、まだ環境への適応を余儀なくされるが、独占体企業や官僚組織は「慣性の法則」がもっとも働くところといえる。
アメリカは、マネーの暴走を許し、住宅バブルが行きつく果てまで放置しておくような国ではあるが、この国の強みは失敗したあと「解決策」を見出してそれを乗り越える力をモッテいることである。
そこが10年以上前からヤルベキことが判っているにもかかわらず、「政治的なリスク」をオソレて改革が出来ない日本とは決定的に違うところである。
日本は今、「変る」能力が試されているのだが、歴史的に見て「変りたくない」力が強すぎる。