付加価値「日本」

グローバル社会において、ものをつくる現場は労働賃金の安い国に移りつつあるために、日本はものつくりの拠点を失いつつある。
ただ日本が高品質・大量生産方式で世界を席巻した時代は去ったとしても、ものつくりの「遺伝子」まで消え去ったわけではなく、もっと違う形で「付加価値」をつけうる可能性はいくらでもある、と思う。
今や大量生産ではなく、「多品種・少量生産」を、顧客の「ニーズ」に合わせてフレッキシブルに価値を実現する、新たなビジネスモデルが求められている。
今まで資源小国日本は、機械・機器の「ハード」に対して人間の知脳や情報を「付加価値」にしてグローバル社会への適応を図ってきたのだが、ソレナリの付加価値をもつ「自動車」や「家電」でさえ世界市場での後退が目立ち、世界最先端を行く「介護ロボット」などは、高い技術を実現しながらいまだにビジネス・モデルとして確立していない気がする。
「ガラパゴス携帯」に典型的に見るように、「高い付加価値」あっても、それを世界の市場が求めているとは限らないからだ。
昨日、トヨタがインドで50万円台の新車を売り出すという発表があったが、クルマなら乗れればよく、テレビなら映ればよく、音源ならばが聞こえればよいといった新興国市場・中進国の市場に対して、日本の技術はソコマデ「優位性」を発揮できるとは思えない。
つまり、台頭著しい現地の国産車に対抗できるかということである。
最近のニュースでは日本の「国産旅客機」の生産が始まったというニュースもあった。
国産旅客機といえば、YS11以来の出来事で感無量の思いにカラレル人々も多かろうが、今度の国産機生産は比較的小型の飛行機生産であると聞いた。
これも、そうした新興国市場をターゲットとした生産になるのだと思うが、世界市場にどこまで食い込めるかは未知数である。
ソコデこれからは、「知識・情報」のソフトに加えて「文化」を加味した付加価値で世界にウッテ出たらどうかと思う。
これは、世界で「ジャパン・クール」として評価が固まっている分野を積極的に賦活していくことに、「活路」を見出そうというものである。
つまり最大の付加価値は「日本製」ということではなく、「日本」ソノモノということである。
日本には長年培ってきた茶道や華道、伝統工芸、洗練されたデザイン、現代アートや建築、独自のファッション、マンガやアニメなどがその資源である。
また、海外の若者を魅了する「OTAKU文化」もある。
結局、付加価値として「日本」を組み込むとは、家電、車、ファッション、家電、家具や建築などの製品において「デザイン性」が重要になることを意味する。
その代表的な例が「キティちゃん」である。
ハロー・キティは近年よく登場する「日本KAWAII」の一つの代表で、この「キャラクター」を帯びた製品は通常の「何倍もの」売り上げを見せているという。

今「クリエィティブ産業」という言葉が登場している。
独自のアイデアによって、新たな価値を作り出す経済行為だが、そのビジネス・モデルをどう「構築」するかが問題である。
「ビジネスモデル」とは、要するに「儲ける仕組み」のことである。
英国は、1997年の労働党政権誕生の時に、「クール・ブリタニア政策」を掲げて、こうした「知的産業」を次世代の重要な産業に位置づけ、「創造産業」という言葉を広めたのがハジマリである。
その英国には、「文化・メディア・スポーツ省」が設けられている。
日本において、創造的なコンテンツを通して、日本特有の「ブランド価値」を創造しうるアニメ、ゲーム、映画等コンテンツや、ファッション、デザインと言った「価値創造に関する産業」と思えばよい。
麻生太郎政権でソノ流れに乗って秋葉原にそうした「メディア施設」を国の予算で作ろううとしたが、麻生首相自身が「漫画好き」だったせいか、逆に国民の理解を得るまでには至らなかった。
しかし、日本の「伝統文化」や「オタク文化」が製品に付加されて、多額の「外貨」を稼ぎウルということをケシテ軽んじるべきではないし、それを国が推進することはまちがっていない。
そして、これらのコンテンツの「輸出」がブーメランのように海外から「観光客」を呼び起こせることになる。
ちょうど日本の「冬のソナタ」で撮影スポットのツアーで沸いたように、日本の「アニメ」は、どの場所でそのシーンが描かれたのか、ソノ場所を確認する若い外国人を招き寄せているのだ。
だから従来、マッタク陽があたらなかったようなクスンダ場所が、「聖地」と化し、観光地化されていっている。
そこで思い出すのは、映画「サウンドオブミュージック」のモデルであるトラップ・ファミリーのことである。
ヒットラーの侵攻を逃れて、アメリカに渡ったトラップ・ファミリーだが、1939年トラップファミリー合唱団がアメリカを演奏旅行していた際、故郷オーストリアに似た山間の美しい自然が残る場所を見つけ、その土地を購入し自給自足の生活を始めた。
その場所は、マサチューセッツ州の北隣バーモント州のストウにあり トラップ・ファミリーの10番目の息子が経営するロッジとなっており、現在は一般の方も宿泊できるロッジになっている。
ボストンから車で4時間のところに位置し、ロッジにはマリアの肉声が録画されたビデオやゲオルグとマリアの墓もある。
また夏にはタングルウッドのように野外音楽会が開かれているという。
トラップ・ファミリーのように「映画化」までサレズとも、多くの読者を獲得したアニメが登場すれば、何の変哲もない学校や公園や神社が「聖地」となりうるため、それを見込んで市や町と漫画家がコラボして、たくさんの土地の風景を漫画に描きこんだりするようなことが起きているという。
観光客は宿泊施設、飲食業、乗り物などに利用料金を払い、それが社会全体の大きな「収入源」になるから、ソノ「経済効果」は大きく広いのである。

今、スマートフォンの利用が拡大が勢いを増してイいる。
スマートフォンは電話というよりポータブルな小型パソコンで、携帯よりずっと大きな画面でインターネットや音楽、動画を外出先で手軽に楽しめる。
情報通信のビジネスの面から見ると、単に電話をしたりメールをしたりするだけではお金が取れなくなり、次の有力な「ビジネスモデル」として脚光を浴びている。
ソフトにあたるアプリケーションがビジネスからゲームや音楽、電子書籍と豊富で自由に取り込むことで、自分にあった機能を拡大できるのが魅力の一つである。
2007年にアップル社のiPhone発売で一般の人たちの間でもブームとなった。
また「アラブの春」と呼ばれる中東アフリカ諸国の民主化運動やイギリスで起きた若者の暴動で、スマートフォンを使ったメールやツイッター、フェイスブックといった交流サイトが連絡手段に使われたのも記憶に新しい。
いい意味でも悪い意味でもコミュニケーション手段として「強力なツール」という認識が浸透している。
インフラが整備されれば将来的にスマートフォンは飛躍的な普及が期待されるところである。
ところで、アップル社の「スマートフォン」は、マズ「こんな生活ができたらば」ということを起点に、様々な技術を「寄せ集めて」生まれたものである。
生まれた技術をたまたま使って、生活が変っていったというものではない。
ステイーブ・ジョブスは、ソニーの盛田会長を深く信奉していたようだが、盛田会長もヘッドフォンでステレオが聞ける生活ができたらとイメージして「ワォークマン」を創ったのである。
だから、ドンナに高い技術があっても、ソレを市場が望んでいなければ、言い換えると「そんな生活」を国民が望んでいなければ「売れ筋」にはならないし、ましてソレが「生活」を変えるマデには至らない。
そして世界市場は何を望んでいるかということは、日本が世界と共有できるドノヨウナ価値を提供できるかという意味で「日本」を再発見することにもツナガル。
ところで、スティーブ・ジョブスがヒッピーをやっていた時代から、日本文化特に「禅」に心酔していたようだが、彼の生み出す製品にも「ジャパン・クール」を感じ取るのは私だけでしょうか。
また、日本人がマッタク注目していなかった青森県の農村のツギハギでつくった野良着である「BORO」の美が、今や世界で高い評価をうけている。
さらに東北の南部鉄器を注目する現代人は多くはなかったと思うが、日産のカーデザインの世界的に知られた人物が、自身の出生地である山形での活動に力を入れており、自ら立ち上げた山形工房ブランドを中心に家具(天童木工)や照明、急須等のデザインも手掛けており、シンプルな形態を保ち素材の持ち味を活かすデザインで話題を呼んでいる。
長年海外を舞台に活躍してきた奥山清行氏は、日本人で唯一「フェラーリ」を手がけた人物である。
奥山氏は「地元山形の高い職人技術と工業デザインの融合をはかり、付加価値「日本」の先蹤となったように思える。
また日本文化の発信地としてホテルやレストランなども観光客にとっては大きな魅力で、ここにも日本文化が発信される可能性を秘めている。
それどころか、日本人の「接待法」つまりイタレリ・ツクセリの「おもてなし」も注目され、台湾のホテル の現地従業員に対して、石川県の超人気和風ホテルの「おもてなし」を徹底的に仕込んでいるそうだ。
しかし結局あのような和風ホテルも加賀100万石の伝統があってのことだと思う。
そういえば、原発事故の一年前に道路に水をまいて夏の暑さを凌ごうという運動が各地で広がっていたのを思い出す。
あれも、何かのムシの知らせだったのかと思うのだが、そうした運動で注目されたのは、単なる水をまく行為ではなく浴衣姿の女性達であった。
実際に今、江戸時代の人々の「フルマイ」がいま見直されつつあるのだ。
今の時代には、「外交」の世界にも、ソフトパワーと言う言葉がある。
これまでは、経済力や軍備などのハードな力によって、「国益」を守ろうとする考え方が一般的であった。
これに対し、芸術・文化、政治・経済に対する理解を促進し、共感を醸成するという、よりソフトな方法で国際社会における支持や信頼を得ていこうという外交手段が考えられるようになってきている。
つまり、日本ファンにさせれば、普通では困難な交渉も容易になる、かもしれない。
日露戦争を仲介して日本に勝利をもたらす結果となったローズベルトは、ハーバード時代に日本の政府の要職にあった金子堅太郎と同級生であったことはよくいわれるが、実は柔道にハマッタ「日本ファン」であったことはあまり語られないようだ。
ローズベルトが柔道を始めたのは、ナゼカ「忠臣蔵の訳本」を読んだタメといわれている。
さて日本の「文化立国」とは大袈裟かもしれないが、これからのビジネスモデルに「日本文化」を組みこんでいくことを推進するためには、今までのように芸術振興は文化庁、観光客誘致は観光庁、文化交流は国際交流基金といった分断化された省庁間の壁を取り外すことも重要である。
つまり、政府が日本文化の「プロモーション」の「担い手」となるべきではないのか、ということである。

いま東南アジア、中国を席巻しているのが韓国で、「クールコリア」という言葉も見られるようになった。
ドラマや映画、ファッションだけでなく家電、自動車と人気の対象が幅広いのが特色で、「韓流指数"」呼ばれる指標まであるそうだ。
これは、韓国の映画、放送番組、音楽、ゲームが外国でどれほど人気があるかを示すバロメータで、3年前を100として、去年をみると、中国や日本はやや下がったが、東南アジアと台湾では盛り上がりを見せているという。
クールジャパンは、少なくとも東南アジアでは「クールコリア」に押され気味なのだ。
その「火付け」役となったのは、2003年秋に放送された歴史ドラマ「チャングムの誓い」である。
宮廷を舞台に、ひとりの女官が陰謀や辛い経験に遭いながら、料理や医学の分野で活躍する波乱万丈の物語で日本でも放映され人気を博した。
世界65カ国に輸出され売り上げは10億円、視聴率もイランで86%、香港で47%を記録した。
ドラマがきっかけで、韓国食や韓国語講座もブームになり、スポンサー企業の家電や自動車の売れ行きも飛躍的に伸びたという。
文化的な商品を、有力な輸出商品、ブランド力拡大の武器と位置づけ、国が民間企業を支援する体制を整えている事も大きい。
1990年代中頃から歴代大統領が、「文化産業」の経済性に注目し、2000年代には「五大成長産業」の一つとし人やお金を投入してた。
代表的な政府系の支援組織が「韓国コンテンツ振興院」である。
まずドラマや映画、音楽を輸出して韓流ブームを起し、関連するファッションや化粧品、スマートフォンなどを売って韓国ブランドのイメージを上げ、観光産業にも波及させる。
こうしたビジネスモデルがクールコリアの底流にある。
そして、韓国企業や韓国政府が積極的に「ブーム作り」を仕掛けていることがいえる。
例えばベトナムやカンボジアなどは、韓国の番組を買う資金的な余裕が乏しい。
そこで韓国側が、ドラマの放送権を現地テレビ局にタダで提供し、見返りにCM枠を韓国企業用に確保している。
ベトナムでは韓国の化粧品メーカーが、この方法でドラマの主人公をCMに起用した。
ドラマはヒットし、若者の支持を受けて化粧品のシェアもフランスや日本をしのぐ70%を達成したという。
もうひとつの「注目点」は国民感情や両国の外交関係にも影響を与えたことである。
韓国はアメリカを支援するためにベトナム戦争に派兵した歴史がある。
そのためベトナムでは反韓国感情が根強いとされたが、韓国ブームで、こうした感情が「和らぐ」効果が生まれたという。
アジア市場において、アニメやゲームは日本がいまだ「主導権」を握っているが、ドラマや映画、音楽は韓国の人気が上回っている。
例えば日韓の人気俳優を比較しても、日本では木村拓哉しかランキングの上位に入っていないという結果がでている。
日本は市場が大きいので海外進出に消極的、価格や放送の条件が厳しいこともあってどうしても腰が引け、いわば守りのビジネスになった。
一方、韓国は輸出に積極的、テレビ局だけでなくネット展開にも前向き、つまり攻めのビジネスを展開した結果といえそうだ。
ソレは文化産業ばかりではなく、製造業でもあてはまることである。

実は世界の中の民族の中で、日本人ほど己のルーツを知らない民族はいないといわれいている。
一方、世界にはイスラエル10の部族など歴史的に行方不明となった民族もある。
日本人は自らの文化を発信するプロセスの中で、「ソレって我が民族とツナガル」と気がついてくれる民族もあるかもしれない。
ユダヤ人ラビであるM・トケイヤー氏がその著「日本買いませんか」(1976年)で明らかにしていることだが、マッカーサーが日本で「イスラエル十部族の痕跡を追え」という極秘指令を受けていたことはあまり知られていない。
「オタク」や「ボロ」というマイナスの響きの言葉が世界で「プラス評価」に転じたように、まだ他に日本人の知らない価値が海外で「発見」される可能性もある。
世界で認知された「Mottainai」「Kawaii」につづき、「オモテナシ」「フルマイ」「シグサ」なんかも、今後注目されるべき付加価値「日本」の有力要素ではなかろうか。
そう考えるならば、グローバリゼーションとは、日本人が自らの価値を「見出す」絶好の機会でもある。