与件の変化

最近、新聞や週刊誌に「大恐慌!」という言葉がヤタラ目に付く。
アメリカのオバマ大統領の経済スタッフにはローマー女史という「大恐慌」の超スペシャリストがいるし、FRB(中央銀行)総裁のバーナンキは「大恐慌研究」の世界的権威である。
アメリカは、そういう点から政府当局が「大恐慌」に到る「同じ徹」を踏むまいという強い危機感をもっているといえる。
一方、日本でも大恐慌の研究が進んでいて、バーナンキ総裁が高く評価する高橋是清大蔵大臣の「リフレ政策」を唱導する経済学者も少なからずいたが、そうした声はカキ消されてしまった。
それどころか、日本の民主党政権の経済政策(またはその説明に)ほとんど、「マクロ的」響きが感じられない。
子供手当に高速道路料金、エコカー減税に消費税増税、そして農家の戸別保障などイクツカの論点があるが、そうした「部分政策」が経済の全体像(マクロ)とドウ結びつくか説明がないから、国民はナカナカ「浮揚感」を抱くことができない。
打ち出す政策はたとえ、「社会保障と税の一体制策」という壮大な政策であっても、やっぱり「ミクロ的」とはいわないまでも、「パーツ的」なものとしか聞こえない。
ところで経済学の世界で「マクロ」の視点が始まったのは、1929年大恐慌の脱出策としてのJMケインズの「有効需要の理論」として登場したのである。
経済を全体像(マクロ)でみなければ、「大恐慌」の説明ができなかったからである。
つまりケインズ経済学は、「不況の経済学」として登場したのだ。
ところが、その大恐慌を救ったハズの経済学が今日では効果が期待できない、もしくはツカエない。
逆に、ケインズ政策を「経済条件の変化」(=与件の変化)にもかかわらず、ソノママ使ってきたことに今日の経済不振の一因があったともいえる。
ケインズの不況脱出の処方箋とは、国債を発行して金を集めてそれを公共事業に使えば、その投下した公共事業の何十倍の有効需要が創造され、それが不況脱出の力となるという、いわば「赤字財政」理論なのであるから。
ところでケインズ理論登場時と今日との間にある経済的な「与件の変化」を考えるために、あらためてケインズ理論の「骨子」を以下に紹介したい。
我々は所得の多くを消費に回し、残りを貯蓄にまわす。
この貯蓄の部分は「有効需要」からの「漏れ」であるが、この「漏れ」の部分が金融などを通じて「投資」に回れば、その所得はすべてその「有効需要」によって実現する。
しかし、ここで投資を決定するのは企業の収益(期待)率であるから、投資が貯蓄に一致する保証は何一つない。
そこで投資が貯蓄を上回れば有効需要が所得を上回り、「貯蓄=投資」となるまで所得が増す。
逆に投資が貯蓄に満たなければ、有効需要が所得に達せず、「貯蓄=投資」となるまで所得が縮小し、不完全雇用(失業)が生じる。
つまりミクロ経済学が「価格決定論」なのに対して、マクロの経済学とは「所得決定論」なのである。
ところで以上の話は経済の「骨格」の話で、もうひとつ経済の「貨幣因子」つまり「血液」に病が生じることによって経済が縮小しっぱなしの状態がおこる。
この貨幣因子が原因で、「投資<貯蓄」状態がいつまでも長引き長期不況となる。
これは、人々が「お金」をまわさずに保蔵しっぱなしの状態である。
金利が低い時には、お金を債権投資に使っても大して収益にならないので、現金のまま後生大切に保蔵しておこうという態度である。
この場合、手持ちの金が増えても、誰も債権を買わなくなるのでこれ以上金利が下がることはない。
金利が下がらなければ、民間投資が増えることもない。
こうした極端な貨幣選好つまり「流動性選好」がおきるときこそ大不況であり、経済政策としては金融政策でドンナに貨幣供給を増やしても、お金が回らずに投資も行われない状態となる。
したがってこのような事態に陥った場合には、政府自ら「建設国債」を発行して公共投資を行い、民間の投資不足を穴埋めして有効需要を増やすのである。
これがアメリカのニューディール政策などで生かされた。
ところでケインズ経済学の「欠けた」視点の一つが、投資を消費と並んで「有効需要の一部」としかとらえていない点である。
企業が投資を行う場合、多くはイノベーションをともなって行われるし、それによって登場した新製品にっよって需要も喚起されるのである。
ケインズの理論はあくまで「需要が供給を生み出す」という短期理論であり、「供給が需要を生み出す」という長期的なダイナミズムの視点において、同時代の経済学者・シュムペンターに一日の長がある。

ケインズ理論とて歴史の産物であり、その対象とするのは時代の経済情勢が要請するものである。
したがって、それと異なる経済情勢に対しては、異なる効果しか現われないということである。
例えば「不況の経済学」であるケインズ理論を、そのまま好況期に「逆操作」して望ましい結果がでるか、という問題もある。
しばしば「ケインズは死んだ」と言われるが、それが意味するところは一体何であろうか。
第一にケインズの時代は国際的に「金本位制」という体制がとられていたことがあげられる。
金本位制は金平価という金の公定価格(平価)が定められ、例えば1オンス=1ポンドで要望があればイツデモ、この価格(平価)で金と通貨とを交換しなければならない。
実は国内で金に変えたいとする要望はほとんどないので、外国との国際決済における体制といえる。
従って、国際的により多くの金(ゴールド)を手にしたものがより多くの通貨を発行できる仕組みである。
だから当時、「日の沈まぬ国」イギリスのポンドがその「通用性」をもって世界の基軸通貨になっていたのだが、だからといってイギリスは世界利益をめざしているのではなく自国の利益にソッテ国内政策をしているにすぎない。
逆にいうと、イギリスの国内利益とその他の国の利益が激しく「抵触」しないかぎり、ポンドの基軸通貨としての地位は安泰なのである。
だが一番の不安定因は戦争である。そしてこの金本位制は、戦争になるとしばしば停止された。
敵国がカネを金に変えろといえば変えざるをえず、イギリスの国庫は空っぽになってしまうからだ。
そして平時になると、金本位制は復活する。
ところで、金本位制が停止されている時は、イングランド銀行の「裁量」で通貨が発行されることになる。
意外なことに金本位制は、イギリス政府がイングランド銀行の勢力の伸張に「足かせ」をはめることをネラッて始まったのである。
金本位制下で「金」量に応じた通貨量しか発行できないので、イングランド銀行には大きな「裁量権」は付与されないからである。
実は、イングランド銀行はシティという金融街に位置するが、もともとはイタリアのロンバルディアから移民してきた商人達がつくった商人の為の銀行である。
この商人たちは、オレンジ公ウイリアムに巨額の融資をもちかけ、その見返りに「貨幣発行権」をえた。
その商人たちの足かせとして金本位制は始まったということだ。
ロンバルディアからきた移民達が集まったことから、シティの中心をロンバートストリートが走っている。
ところで、第一次世界大戦に至るまでに、シティは世界の一大金融センターとなったが、イギリスの敵対国にもカネをかすなどして、イギリスの国益にも反する矛盾したことを行うようになっていく。
そこで、イギリス政府が戦争の資金調達を頼ったのが、イングランド銀行ではなく、ナント新興国・アメリカであった。
これが世界経済の重大な「分岐点」であったことを強調するに、シスギルことはない。
基軸通貨がイギリス・ポンドからアメリカ・ドルへ移行する「第一歩」が標されたこととなったからである。
第一次世界大戦当時アメリカもフランスも金本位制を維持していた。
そんな中でイギリスは金本位制から離れたのだが、イギリス銀行は金との交換ができないポンドが地位を失うという「国際的立場」と、戦費調達の為には通貨発行に「足かせ」となる金本位制では、戦争が出来ないという「国内の要望」との間で、矛盾した立場に立たされる。
一般的に先進国が戦争中に、「金解禁」(=金本位制復活)と「金輸出禁止」(=金本位制停止)の間をイッタリキタリするのは、この「戦争資金調達」(戦時要請)と「通貨の国際的地位の確保」(平時要請)との間をスウィングするからだ。
この矛盾した立場を解決したのが、後述する「ブロック経済圏」の形成である。
そして一旦は金本位制を復活させるが、アメリカ発の世界恐慌があり1931年に金本位制を再び停止した。
これがイギリスにとって、金本位制との「永遠の別れ」となった。
当時、金本位制以外の方法で経済の経済運営ができるなどナカナカ考えられていなかった。
しかし金本位の復活に反対し、「完全離脱」をイチハヤク説いたのがケインズであった。

ところでケインズの経済学が登場したのは世界恐慌後、いずれの先進国も「ブロック経済」を推し進めていた時期にあたる。
その時代、イギリスはポンド価値の低下を防ぐためにオセアニア・アフリカ・アジアにいたる広範な「スターリング・ブロック圏」を形成していた。
これらの国々では獲得した外貨をポンドに転換し、シティに預金した「ポンド預金」を国際決済に用いたのである。
各国は通貨をポンドに替えるわけだから、ポンドの価値は維持され、イギリスの戦費をまかなうに足りるだけの価値が蓄積されたからである。
ところでケインズがその著作を「雇用と利子および貨幣の一般理論」として提示したものは、案外と 限定的な経済、つまりこうしたブロック経済時代の経済学であったことは、今日のグローバル経済になってからコソ、かえってよく理解できる。
当時の経済では、資本移動が規制され、各国の投資家は自国の企業か自国植民地の企業に投資するしかなかった。
外国の企業がどんなに魅力的でも国内投資に専念するしか道がなかったのである。
もちろん、輸出入も規制され、安い外国産の商品は自国にはいってこなかった。
つまり、結局対内投資プロパー・資本規制・保護貿易の経済だったのである。
このような「閉鎖経済」の下では、外からの影響が極小化し、自国経済圏は中央銀行のもとにピラミッドのような統制秩序を作り出すことになる。
中央銀行が政策金利を操作すれば、物価は上昇しインフレになった。逆に中央銀行がマネーサプライを減少させれば、物価は下落しデフレになった。
中央銀行の金利調節機能は「貿易障壁」と一体となって、強い効果をもって作用していたのだ。
2000年初頭の日本の状況では、日銀が景気を回復させたくてゼロ金利や量的緩和で必死にマネーサプライを増やそうとした。
低金利に誘導して景気を下支えしたのだが、グローバル化した多国籍企業は安い生産コストを求めて海外に進出し、そこで安く製品を作り、日本に大量に輸入するようになった。
中国やアジア諸国で安価で生産された商品が100円ショップや食料品を中心に日本に大量におしよせるようになった結果、量的緩和・ゼロ金利政策を継続しているにもかかわらず、インフレになるどころか、逆にデフレになってしまったのだ。
しかし、企業がグローバル化し、自由貿易が極限まで発達した21世紀の社会ではケインズ政策の効果はキカナクなったということである。
また「円キャリートレード」の存在もある。これは世界のヘッジファンドなどが「超低金利」の日本で資金調達をしてドルで運用し利ざやを稼ぐというものである。
資本移動規制がかかっていない現代では、キャリートレードの存在がさらに中央銀行の「政策金利」の自由度を奪ってしまってるのではないだろうか。
日本の「ゼロ金利政策」または「超低金利政策」というものが、本当に日本の景気対策としての政策なのかと疑問をいだく。
さらに、戦後のブレトンウッズ体制は「自由経済」に移行したとはいえ、アメリカが一定価格の金との交換を保証し、世界の通貨はドルとリンクするという「固定相場制」をとった。
ある意味で、アメリカは最後の「金本位制」を維持するのだが、世界中でドルを使いすぎてドルがあふれ、日本(円)やドイツ(マルク)の台頭で基軸通貨としての地位も揺らいだ。
そうしたことから、ドルを金に替えておこうという動きが強まり、1971年の金ドルの交換停止(ニクソン・ショック)で、世界は完全に「金本位制」から離脱したのである。
そして、1973年には「変動相場制」に移行したのである。
この変動相場制におけるケインズ政策は、固定相場制の時とは、また違った効果を生むことになる。
財政政策を実施するために、政府は国債を発行し民間にそれを売り資金を集める。
国債を売るということは、日銀の政策でいえば市中のお金を引き上げることで、金融の「引き締め」と同じ効果を生む。
市中のお金が減れば金利があがる。金利が上昇すればドルを円に変えようとする動きが強まり円高になり、その結果輸出が減る。
その結果、内需による有効需要創出効果は輸出減(=外需減)によって相殺され、結局残るのは国債発行による「国の借金」だけになる。
結論をいえば、大規模な公共投資を行うと雇用も内需も拡大するが、一方で円高圧力によって輸出が減少し、経済政策を帳消しにしてしまうということだ。
変動相場制に移った後も、日本では公共投資が一番という幻想が残っていた。
というよりも、政治的要請(選挙対策としてのハコモノつくり)として、「公共投資」があったのだ。
またタイの洪水で思い知らされた日本企業の世界に広がる「サプライ・チェーン」の存在もある。
ある一定の「内需増」が国内の中小企業に波及していけば、投資は何倍もの有効需要の創出を生むというケインズの「乗数理論」も、その需要が海外に逃げてしまうのでは、それもあまり期待できなくなってきている。
またケインズの時代と、労働市場にも大きな隔たりがある。ケインズは非自発的失業の原因を「貨幣賃金の下方硬直性」に求めたが、多くの割合が派遣社員で「労働層の分解」も起きており、貨幣賃金は下方に対しても、カナリ弾力的になっている。
それが、雇用をなんとか確保するものの、働いても働いてもなかなか豊かになれない「ワーキングプア」の存在として表れている。

JMケインズが生まれ育ったイギリス・ケンブリッジのハーベイ・ロード6番地に住んだ。
ケインズは、一般民衆に比べてより深い、より正確な知識と判断能力をもつ知的エリ-トの集団が存在して、政府に対する賢人の役割を果たすという前提をとった。
これを「ハーベイロードの前提」という。
ケインズ派と対抗したミルトン・フリ-ドマンは、ケインズとは違い貧しい階層の出身であり、マネタリストを補強する合理的期待形成学派の人々は、一部のエリ-ト(賢者)が正しい情報を握り人々をコントロ-ルするのではなく、人々ひとりひとりは誤りを犯すにせよ、確率分布(期待値)として正しく経済値予測して行動するとすることができ、そうすると政府の経済政策はすでに「織り込み済み」となり、ほとんど効果をもたなくなるという結論を導いた。
つまり経済政策は、賢者と一般人との間に知力なり情報なりの格差があり、賢者が一般人を「びっくり」させることができるという「ハ-ベイロ-ドの前提」に立ってはじめて効果をもつのである。
しかし、一般人が平均値(全体)として賢者と同じような質の情報を得・高い見地から賢い判断から経済値を予測するならば、経済政策は功を奏しないという興味深い結論が導かれたのである。
「科学的理論」は一般に「普遍的」なものとして作られるが、背後に必ず「与件」(与えられた条件=パラメーター)というものがある。
その「与件」が変れば、「理論」は当てはまらなくなる。
ケインズ政策の効力にみるとうり、政府当局の「賢者達」?が、その「与件の変化」を見落とすのはしばしば、過去の「成功体験」による。
つまり、「成功は失敗のもと」であり、こうなると「賢者の存在」という「与件」自体が、修正を迫られているのかもしれない。