「蘭学」のススメ

最近、学生の理科への興味・関心が低い傾向「理科離れ」が指摘されている。
全国学力テストで小中学生とも、「実験・観察」の関する問題で、問題文や図表から情報を読み取って分析し、適切な表現で解答する力の不足が浮き彫りになったという。
こういう「学力」の傾向と最近頻々と報道される「いじめ」問題を直接結びつけることができないのかもしれない。
しかし「陰湿」でさえなく、アマリに「むき出し」のソレをTVで見るたびに、モノゴトの「因果」への想像力や「コトの重大さ」への認識などが欠如しているように思える。
つまり、プロセスを踏んで結論を導き出そうという思考の欠如といっていい。
この「全国学力調査」の結果が、漫画家の西原理恵子さんが最近書いた新聞の記事「いじめられている君へ」と重なった。
戦場カメラマンを夫にもった西原さんによると、大人は残酷な兵士になるけれど、家では「よきパパ」になるが、戦場カメラマンから見て一番恐ろしいのは少年兵だという。
モノゴトの重大さがわからず簡単に人を殺してしまう。
戦場では子供も兵士となり、シバシバ大人よりも残酷になると述べている。
どんな紛争国でも1年間3万人も戦死することはない。
3万人も毎年自殺者を出している日本は、カタチを変えた「戦場」であると述べている。
ブータン王国で有名になった「幸福度」を、「子供」にシボッテ調査した「子供の幸福度」も発表されている。
やや旧いが2007年に発表されたユニセフの「調査報告」で、オランダの子供達が先進21か国中「最も幸せ」という結果が出された。
日本の子供達と比較すると、「時々、またはいつも孤独を感じる」という子どもの比率が、先進諸国では、普通5~10%であるのに、オランダではワズカ2.9%である。
日本の子供達は、オランダのナント10倍の29.8%にも達している。
ユーロ危機の最中、このデータがそのまま今当てはまるとは思えないが、この国の子供達の「幸福度」の差は何が原因かと調べてみると、様々な意味で「縮小」に向かわざるを得ない日本にとって、コトゴトク日本の「半歩先を行く」国の姿が浮かんできた。
変化激しく「羅針盤のなき」時代に、半歩先を歩むオランダが日本が進む道を示唆しているようにも思える。
歴史的に見ても日本はオランダとの親しい関係をもって「発展」したきた時代もあった。
オランダは、日本が「鎖国政策」をとった後も貿易関係を続けた唯一の西洋国家である。
この頃、日本における第一外国語は英語ではなくオランダ語であり、オランダ語を通して学ぶ学問である「蘭学」が確立された。
オランダ商館の医師としてやってきたドイツ人シーボルトは鳴滝塾を開き多くの学徒を育てたが、その収集した標本や資料は現在オランダのライデン大学に収められている。
第二次大戦期に日本の「大東亜共栄圏構想」の実現のため、日本軍は当時オランダの植民地であったインドネシアに侵入した。
2カ月の戦いの後、オランダ軍は降伏し、約4万人の兵隊が捕虜として収容所に入れられ、そこに住んでいた住民は長崎や北九州の炭鉱での強制労働を強いられたという「影」の歴史もある。
戦後、1952年、「風車とチューリップ」国・オランダと日本は国交を正常化し、切り花が輸入されたり、ブルーナの「ミッフィーちゃん」が多くの日本人の心を掴んだ。
1992年に長崎県の佐世保にオープンした「ハウステンボス」は、オランダ国王の宮殿である「ハウステンボス宮殿」にちなんでつけられた名前であり、オランダの有名な建物が原寸大で建ち並んでいる。

先進国で一番「子供の幸福度」の高いオランダの教育の中で、注目すべきポイントは「シチズンシップ教育」と「インクルーシブ教育」である。
またオランダ社会では、「先住」の者も「移民」として入国してきた外国籍の子供達も、互いの「違い」を受け入れ、尊重し合い、民主的な社会にアクティブに参加し、社会貢献する「市民」を育てようという意識が高い。
というのは、「少子高齢化」するオランダで将来を担える人材として積極的に社会参加し働く「労働者」の育成が差し迫った課題として存在するからである。
とするならば、日本もそうした「シチズンシップ」教育観を見過ごすことはできない情況にある。
個人として「尊重され」自律して行動でき、社会参加できる「市民」の育成というのは、少なくとも受験ムケの「学力」を伸ばすだけの教育からは導き出せそうもない。
オランダの「外資」の進出に対する「ホスピタリティ」(もてなし)は、オランダという国の「本質」をよく表している。
オランダ政府は基本的に日本企業や日本人社会が困っていることは出来る限り「改善」しようという意向を示しており、日本企業にとっては心強いものがある。
例えば、ある日経企業が「移民大臣」に半年かかっていた在留許可証の発給方法の改善を要請したところ、特別に「ジャパンデスク」を設置し、発給期間を「2週間」に短縮したりした。
また、日本人学校は、アムステルダム市とロッテルダム市にあるが、両市とも学校の土地を非常に低価格で提供してくれている。
ロッテルダム校が生徒数の減少で赤字になったとき、ロッテルダム市は3年間で約7千万円の「補助金」を支給してくれたり、本人駐在員が多く住むアムステルフェーン市は、日本人幼稚園のために教室を無償で提供している。
さらにオランダは「インクルーシブな教育」という面でも「半歩先」を歩んでいる。
「インクルーシブ(inclusive)」とは、「含んだ、いっさいを入れた、包括的な」という意味で、例えば「障害者権利条約」では、障害者の「自ら選択する自由」が強調されている。
障害者だからといって排除されない一方で、単なる「保護の対象」として扱われることもない。
健常者と同じ権利を持った主体として、社会の一員として参加する「共生社会」を目指そうというものである。
特にユニークなのは「リュックサック政策」で、全国統一の基準で障害の査定を行い、一人一人の子どもが、普通児の教育費「以上」に必要とする「資金」が計上され、ソレを比喩的に「リュック」に背負って、自分が生きたい普通校を「選べる」ようになったのだ。
つまり従来の特殊教育校の対象だった「軽度の」心身の障害を持つ子ども達が、「自ら選択して」普通校に通えるための具体的な「制度」が整備されたということである。

オランダは九州ほどで人口は約1千6百万人ほどの「小国」であるが、世界でもっとも豊かな国のひとつとして数えられる。
そして国民の「幸福度」がその「豊かさ」に支えられていることはいうまでもない。
我々にもよく知っている世界的企業としては、家電のフィリップスと石油のロイヤルダッチシェルがある。
ではコノ国の「経済力」を支えているものは何であろうか。
それは世界中で自在に活躍する「コスモポリタン的」国民性であり、「貿易国家」としての長年の蓄積と伝統なにウラウチされた「商才」などがあげられる。
オランダは、16世紀には優れた造船・航海技術で西欧の重要な漁業資源であったニシン漁を独占するとともに、「ハンザ同盟」の独占を破りバルト海貿易を制するほどの「富裕国」になった。
さらに17世紀には、「世界初の株式会社」である東インド会社を設立し、さらに西インド会社をも設立し、コノ世紀には「世界の覇権国家」となったといって過言ではない。
長崎出島のオランダ商館も、東インド会社のイハバ「日本支店」といえるものだった。
また世界相手のビジネスに不可欠なのは異言語とのコミュニケーションに優れ、オランダ人の80%は英語を流暢に話し、50%ははドイツ語を、25%はフランス語を使うことができる。
一方で、歴史的に見、オランダは思想、信条、宗教(プロテスタント)などで「差別され」国を追われた人々を受け入れ、その「エネルギー」を発展のバネに「転じて」きた国なのである。
オランダ人は、「Doutch Tolearance」といっていい「寛容な」国民性があり、「異文化」や「外国人」への差別をしない国民性で知られている。
EUの調査で移民などマイノリティに対して否定的態度が「最も低い」という結果がでている。
学校では、「インター・カルチュアル教育」が義務化され、異文化を知ることの大切さや意義を徹底して教えているという。
またオランダはサスガ「株式会社」発祥の国だけあって、オランダの経営者は、好不況にかかわらず、ポートフォリオ(=事業構造)の見直しをしている。
つまり、資本を「最大限」生かすことを使命とするオランダ企業の経営は「戦略的」であり、一方で経営の「透明性」を確保するための「企業統治」の仕組みも確立していて、こうした経営面で「半歩先」を歩いているといってよい。
最近日本で、相次ぐ企業の不正発覚で「社外取締役」を義務化することが、財界の反対にあい御破産になったことを多い浮かべる。
オランダを代表する企業の一つであるアクゾーノーベルのSVBのメンバー8人の構成をいうと、半数の4人はオランダ人だが、残りの4人はイギリス人、米国人、ドイツ人、スウェーデン人である。
オランダの「労働生産性」は高く、OECD加盟30ヵ国中9位であり、20位の日本を上回っている。
またオランダ経済のなかで「サービス業」の占める比率が80ぱ%以上と非常に高いのも大きな特徴である。
日本人はオランダ人に勝るとも劣らず勤勉だが、オランダの生産性の高さは、こうした「経営力の差」の表れではなかろうか。
特に高い「付加価値」を生むオランダ農業は日本にとっても啓発的である。
具体的にいうと、付加価値の高い園芸と牧畜に特化して大規模化している。
園芸産業では、最先端のバイオ、環境、省エネ、物流技術を総合したハイテク産業の様相を持ち、切り花・鉢植え植物の輸出で世界1位、チューリップでは世界の88%を生産している。
酪農製品、食肉、鶏卵、家禽も大量に輸出している。
オランダの経営者は、資本を効率的に使ってより大きな価値を生み出すため、常に「ポートフォリオ」(資金配分)を見直し、より競争力が強くより付加価値の高い事業へシフトする「戦略的経営」をスピーディに行っているということである。

2000年代初頭にオランダ経済は、過保護で硬直的な労働慣行、魅力を失った税制などの為、20年振りのゼロ成長に陥り、ユーロ圏の中で最も低迷を続けて、「オランダ病」とまで呼ばれた時期があった。
オランダは、Hollandつまり「窪んだ土地」という意味であるが、このことに取り組んだ歴史こそがユニークな国民経済をつくりあげた。
オランダは石油ショック以降、赤字財政と失業に悩んでいたが、1983年ハーグ郊外の小さな町ワッセナーに労使政府代表があつまり賃金抑制・労働時間の短縮・雇用確保・減税を約束し合意した。
この「ワッセナー合意」以降、財政赤字も減らすことができ、一時「オランダ・モデル」ともよばれたが、「インフレ連動型賃金」が廃止されたために労働者の収入は実質的減少し、国民全般に大きな痛みをもたらす結果となった。
そして1994年の選挙で新たに連立政権の中心となった労働党は、前政権(キリスト教民主同盟)とは全く異なるアプローチで経済問題を解決しようとした。
政府がまず目をつけたのがパートタイマーの多さで、正社員一人一日がかりでやっていた仕事を半分にして二人のパートタイマーにやってもらうなどして、徹底的な「ワーク・シェアリング」を行った。
1996年にはパートタイマー労働を通常の労働と差別するのを禁止する画期的な法改正を行い、パートタイマーでも社会保障制度に加入できるなど「正規雇用」と同等の権利を保障した。
ワーク・シェアリングが浸透するにつれて、オランダ経済はミルミル好転していった。
一人一人の収入は伸びていないものの、共働きが当たり前になったために「世帯当たり」の収入が増加したため、家計支出が増えこれが消費全体の拡大を促し、やがて「経済の活性化」につながったのだ。
こういうオランダの復活も、昔から干拓と治水という苦しい事業を続けてきた歴史があってのことだ。
オランダ人つまり「窪んだ土地」の住人達は、長年その事業を通じて「自治」と「協働」の思想を育んできたのである。
またオランダ政府は、経済の活性化のため外資の導入を非常に重視している。オランダは経済省に「企業誘致局」を設け、積極的な企業誘致活動をしている。
日本には東京、大阪の2箇所に拠点があり、中国拠点を強化中であり、中国にも2箇所の拠点を置いて積極的な企業誘致活動を行っているという。
つまり、オランダは法人税をきりさげるなど外資に「魅力的な条件」を整備し、外資を引き付けている。
巨額の外資ひきつけるのは、優れた「物流インフラ」の存在が大きな要因となっている。
ヨーロッパにおいて3つの大河、ライン川、マース川、スヘルデ川の河口にあるという「地勢的優位性」を最大限に生かすため、物流インフラを国の「基幹的競争力」と位置づけ、国を挙げてこれを整備強化してきた。
ロッテルダム港は、ヨーロッパ最大の港湾であり、アムステルダム近郊にあるスキポール空港は、機能的で利用しやすいとの定評がある。
またオランダの鉄道システムはヨーロッパの鉄道網と完全に統合されており、全国に張り巡らされている「無料高速道路網」がある。
オランダの「セーフティネット」は手厚い。社会のセーフティネットが手厚く整備されているため生活の不安は少ない。
退職時給与の70%水準がモデルとされる手厚い年金制度のおかげで、老後の経済的心配もない。
オランダでは、子供が自立した後、自分のライフスタイルを保ちつつ自律的な生活を続ける人が多い。
自殺率は、西欧先進国の中では低く日本の半分以下で、耐えがたい病になった場合には「安楽死」も認められている。

オランダも今、ユーロ危機のサナカにある。
オランダはこれまで危機もうまく切り抜けてきたが、それでも人々の生活、子どもたちの教育に経済危機が大きな「影」を落とすようになっている。
「移民排斥」や「右傾化」の懸念がないわけではない。
しかし、オランダの本質は、コスモポリタン的国民性と「闘うことによって現れる」という進取の気性にある。
そして何より変化を恐れず、変化をチャンスにする機転である。
それは、 ベアトリックス女王の施政方針(2005年)スピーチによく表れている。
「オランダの力は、変化する能力にある。 今オランダ人の力が試されている。変化こそ力の源泉だ。変化と革新の能力が未来の成功に欠かせない」。
オランダと日本は、海洋国家・貿易立国・少子高齢化などの点からみて、「対極」にある国家ではない。
オランダ人が「進取の気性」に海洋国家である点で、日本人との共通点も多い。
実は日本人は鎖国直前まで東シナ海の波頭を超えて勇躍していた「冒険心」に溢れた時代があったのだ。
幾つモノオランダ語が日本語として定着している。
両国は似かよった条件の下で「同じ課題」に向き合っているという意味では、「対偶」に位置する。
だからこそ、その「半歩先」にある「問題解決策」に目をムケたい。
グローバル社会で確実にいえることは、変らなければ「立ち枯れ」は避けられず、ソレが「企業レベル」でなく「国レベル」で起きウルということだ。
というわけで「オランダ学」再びのススメである。