ウルトラ・バランス

大量に印刷される紙幣と、大量に蓄積される国債。
これではハイパーインフレが起こるか、国債暴落(長期金利上昇)が起こるか、いずれにせよ「やがて悲しき」事態になるのではと思われてきたが、そうはなっていない。
つまり日本は、世界中があんまり経験したことのない事態に対して、誰も予想できなかったようなカタチでバランスを保っている。
ちょうどテーブルの上でトランプを重ねてタワーを作ろうとして、何度か風がふいて崩れたが予想だにしなかったバランスで立ち続けているようなものかもしれない。
このバランスは、それほどモロイものはない。
ところで経済学にとって、マネーサプライと実質経済活動水準の関係は、最大のテーマといってよく、ケインズ経済学とマネタリストと論争の核心もソコニあるといっても過言ではない。
しかし経済学では、「貨幣量」と「実質経済」の関係を理論化する(例えば、マーシャルのK)ことはしても、貨幣がどのような流れ方をしているかソノ「中身」を問うことはしない。
つまり、「貯蓄→投資」という資金が流れの「経路」は問わない。
「問わない」というのは少々語弊があるが、少なくとも「理論」として定式化されたものはナイ。
しかし、同じ現象でも「お金」の流れの中身を吟味・分析すれば、マッタク違った結論が導き出されるのである。
例えば同じ「物価上昇」の対策として、エコノミストによっては正反対の結論を導き出すこともある。
最近、原油価格や穀物価格の高騰を発端として、インフレやスタグフレーション懸念が世界的に大きな問題となっている。
経済学の教科書を紐解くと、インフレは金融現象であると書いてあるが、その場合は、物価が全般的に上昇するはずである。
ところが今回は、個々の商品価格だけがまず急騰し、そこからコスト・プッシュ・インフレが各国に広がるという経路でのインフレになっている。
このようなパターンは、「投機資金」が商品価格を集中的に買い上げていくことによって起きているものであり、マネーサプライがモノに対して相対的に大きくなっておきる「マネー現象」ではない。
アメリカでは、ITバブル崩壊以降、あまりにも民間資金需要が低迷してしまったために、ソレに我慢出来なくなったウォール街の資金運用者達が、通常より高い金利がついているサブプライムの住宅ローン商品ナルモノを創出したのである。
行き場を失ったお金が「集中的」にドコカに投入されて起きている現象である。
したがって、それが世界的インフレに向かっている現象というのは当っていないように思える。
今の経済の特徴を「資金面」から見ると、各国の民間企業がお金を借りなくなった。
つまり「民間資金需要」の低迷が引き起こした「過剰貯蓄」である。
資金の中身は、民間企業が借りなくなったことで「投資先」を失った我々の年金であり、貯金なのである。
ということは、有需需要は縮小しているのでありデフレなのだ。
こういうと、1970年代石油ショック後の「不況下のインフレ」すなわちスタグフレーションを思い浮かべるが、あの時は「民間資金需要」は活発であり、石油供給が意図的に抑えられ値上げとなったことに加え、 民間資金需要が豊富で加速的にインフレーションを起こしている。
ところが今回のインフレ懸念はまったく違う背景から生じている。
日本の1990年のバブル崩壊やアメリカおよびドイツにおける2000年のITバブル崩壊で「資金」が行き場を失い、当初はサブプライム関連の金融商品や住宅などに向かった。
この市場が崩壊した後は一気に、原油をはじめとする「国際商品市場」に向かった。
つまりは、石油の値上がりにせよ、実需を反映したものではない。
すると、原油や小麦・大豆などの商品市場は、投資資金が一斉に入ってきたので価格が急騰し、それを見た投資家が更に資金を投入して一段と価格が上昇するという「バブル現象」が起こり始めたのである。
ということは、米国の住宅・サブプライムバブルの崩壊が、国際商品価格インフレの直接的な原因ということになる。
「バブル現象」ならば、資金の引き揚げによって一気に値下がりが起きるはずだ。
つまり鴨長明「方丈記」にあるような、かつは結びて、かつは消え行く「バブル」でしかない。
このような行き場を失った投資資金が、商品価格を介して世界にインフレをもたらすという構図は、これまで経験したことがない新しいタイプのインフレであるといえる。
そこで、今のインフレを「マネー現象」だと解釈をして「金融引き締め」で対応しようものなら、社会全般に深刻なデフレの種を蒔く事になる。

モウヒトツ「お金まわり」の中身から経済を見ると「違う」結果が導き出せるというケースをあげたい。
一般的には、円高では輸出が伸びないので、ナントカ円安に誘導してして輸出を伸ばせば、「景気」回復ができるというのが常識である。
しかし、資金の流れの中身あるいは「規模」に注目すると、円安誘導が必ずしも「不況脱出」のテダテとはならない。
最近ではそうでもないが、日本は長く貿易黒字国であり、輸出で稼いだお金を「取り立てず」に資本輸出している国である。
貿易黒字は円高に導くが、資本輸出をすれば「円高」にならずに済むというわけである。
この「資本輸出」とは、例えば日本の会社がアメリカのロックフェラーセンタービルを買ったり、アメリカの会社が日本のシーガイヤを買ったりするもので、輸出や輸入のように物品にともなうお金の支払いではなく、長期に及ぶ投資収益を目的に行われる「お金」の国際的な流れのことである。
日本の場合はアメリカとの関係で、貿易と資本収支は密接に結びついてきて、「対米貿易黒字」即「対米資本赤字」となった。
最近で目立つのは、日本国政府は米国債をたくさん購入している点である。
具体的にいうと、トヨタやホンダなどの輸出メーカーが米国に輸出して得たドル建ての代金は、賃金など日本国内の支払いに充てるために円に転換され、代金は回収される。
しかし、日本は「輸出超過」が続いている場合には、海外にある円は少なくドルが多い。
このため、輸出代金のドルを円に替えると少ない円にドルが殺到して「円高」になってしまう。
円高になると日本の輸出が難しくなることを嫌って、資本輸出で円安を維持する構図となっている。
円高に歯止めをカケ円安を維持するために、輸出した代金を米国に置いておくというわけだ。
しかし、それは本来日本に持って帰らなければいけないお金が「資本輸出」をすることで米国にトドマルことになる。
輸出メーカーは日本の銀行や生保にドルを売って円を手にする。
そして銀行や生保はドルのママ持ち続けて資本輸出とするが、そのドルの裏打ち資金は日本国内で集められた預金や保険料である。
ドルに転換されていなければ、その預金や保険料は本来、円で日本国内で「貸し付け」に向けられていたハズである。
これが行なわれずに米国に資本輸出されたことになる。
その分、日本国内では資本不足となり、日本のデフレの大きな要因となるというワケである。
その金額が小さければデフレの要因になることはないが、経常収支の累積額は200兆円に上っている。
そのかなりの部分が「資本輸出」でドルのままアメリカに留まるとなると、日本のマネーサプライが600兆円規模であることから、最大限3分の1が日本国内では使えないお金になってしまうというわけである。
円の預金で集めたお金を銀行がドルに転換するとソノお金は国内では循環しないのはアタリマエである。
もし、この200兆円が円建てで国内で使われているお金だったら、国内でお金がぐるぐる循環しているハズである。
結局、お金の流れに注目すれば、資本輸出での「円安誘導」は景気拡大どころか、ソノ規模が大きい分「デフレ要因」になっている。

最近、金融の「量的緩和」の話をよく聞くが、日銀がこれだけ大規模の資金を大量に市場に投入しても、どうしてインフレが起きないのだろうか。
そういえば、少し前には「ゼロ金利」政策というのがあった。「量的緩和」と「ゼロ金利政策」は、等しく「金融緩和」らしいことは判っても、両者の違いが判然としない。
さらには、これだけ金融緩和しているのなら、タイガイ不良債権処理「終結宣言」らしきものが出てよさそうだが、あいかわらず企業や銀行は「不良債権処理」に手間取っているようである。
その答えは結局、「景気低迷」ひいては「民間資金需要」の低迷に行き着く。
景気がよくならないから、貸し出し先の企業の経営が日々悪くなっていく。
加えて、担保不動産の価値もサガっていくから、担保を処分して融資を回収することもママならない。
そのうち、それまで健全だった融資が新たな「不良債権」に変っていく。
この新たに発生する不良債権の額が、処理している金額よりも多くなってしまい、不良債権は一向にへらない。
ひと昔前は景気を刺激する時には、「公定歩合を下げる」ということを意味したが、金利が自由化した今、「公定歩合」を政策金利とするわけにはいかない。
銀行間の資金の短期資金の貸し借りの利率コールレートは他の様々な金利に影響を与えるので、この「コールレート」こそが「公定歩合」に替わる「政策金利」となている。
ところで金融には二つの市場がある。インターバンク市場とそれ以外の市場だが、市場にお金をつぎ込んでもインフレが生じない理由は、この両者にちょっとした「垣根」があるからだということができる。
「インターバンク市場」は文字どうり、銀行同士が資金のヤリトリをしている市場である。
日本国内では、実質各銀行が日銀に預けているお金をやりとりしているが、この市場に資金を投入することが「量的緩和」の中身である。
これまでのように金利そのものをコントロールするのではなく、市場に供給する資金量をコントロールすることにした。
金利の決定を市場にユダネルことにしたのである。
それによって、銀行間の資金の短期の貸し借りたる「コールレート」を下げようとしてるわけである。
2001年3月、日銀は思い切った「量的」金融緩和を行うと宣言した。
これは「ゼロ金利政策」を追加する形でとられた政策が、歴史的・世界的にも例がない「量的緩和政策」である。
ところで日銀が金融機関に供給するお金の量を「マネタリーベース」という。
一般にソノお金が金融機関から世の中に「預金通貨」として貸し出されるが、この「信用創造」のプロセスを通じて膨張しながら世の中に出回るお金の量をマネーサプライという。
そしてマネーサプライがマネタリーベースの何倍に膨張したかを示す指標が「貨幣乗数」である。
つまり「貨幣乗数」が大きな値だと、信用創造が活発に行われていることを示す。
日銀当座預金は銀行が現金で引き出す分を除けば、それ自身を企業や個人が使えるわけではない。
あくまでそれを核にして銀行が信用創造を行って初めて民間で利用可能な預金が創りだされるのである。
「量的緩和政策」において、銀行預金の総額は約700兆円なので、「支払準備」として法律で義務づけられている「日銀当座預金」の残高はセイゼイ6兆円程度である。
「量的緩和政策」とは究極的に、日銀当座預金の残高をこの6兆円をハルカに上回る水準に押し上げる政策のことである。
そのために日銀は、銀行から積極的に国債を買い上げる一方で、新規に発行される国債を毎月1兆2000億円ずつ購入することにした。
日銀当座預金は最終的には30兆円以上、つまり必要量の5倍以上にも達したのである。
6兆円の日銀当座預金は700兆円の預金総額を持つのに必要な額だから、30兆円の日銀当座預金があれば、銀行は3500兆円の預金が もてることになる。
700兆円の預金総額を3500兆円にまで増やすには、新たに2800兆円の「貸し出し」をすればよいわけである。
つまり量的緩和政策は、お金の借り手である企業や個人に十分な「借り入れ需要」があれば、可能性として銀行が最大で2800兆円も「貸し出し」を増やせるほどの環境を作り出した歴史上マレにみる金融緩和政策だったのだ。
ところが皮肉なことに、「貸し出し」は増えるどころか減少し続けたので、量的緩和政策は本来の政策目的からすれば、まったく効果がなかったということである。
何はトモアレ、民間に資金重要がなく「借り手」不在のなかで銀行システムの外へは出られず、信用創造は作動せず、言い換えると「貨幣乗数」は低く、物価も景気もマネーサプライもそれにマッタク反応しなかったというわけである。
ジャブジャブになったのは、日銀当座預金をヤリトリするコール市場(インターバンク市場)ダケで、これは一般の企業や個人は参加できないものなのである。
実際には貸し出しは減少したのだから、日銀当座預金をいくら増やがしたところで、市中のお金の増加にはつながらなかった。
民間の資金需要がなければ、どんなにマネタリーベースを拡大しても、信用創造は作動せず、「預金通貨」を含めたマネーサプライは拡大しないので、仮に今インフレがきたとしても、「マネー・インフレ」ではないことは確かである。
「民間資金需要」がナイ時には、どんなにしても「金融緩和」の効果はない。
ヒモで引っ張ればモノを動かせるが、ヒモで押してもゆるむばかりで、モノは動かない。
というわけで「量的緩和」でドンナに資金を市場に投入しても、ハイパーインフレが起きないのである。

ところで銀行はどんなに貸し出しを増やす気があっても「民間資金需要」がないので、「貸しつけ」のかわりに国債を買うことにした。
預かった預金を「何か」で運用しなければならない時に、国債を選んだのである。
国債は国にとって借金だから、国にとっては引き受けてがあることで、とても有難い結果となった。
どんどん借金が増えていくから誰かに買ってもらわなければならないからだ。
その国債を銀行が、個人から集めたお金でドンドン買ってくれた。
銀行だけではソウソウ国債をサバキきれなきなったので、「禁じ手」ともいわれた日銀も手伝って国債を買ったのである。
日銀は一生懸命に紙幣を刷る一方で、国債を買うことも行っている。
1997年の「銀行発行高に見合うだけの優良資産の保有を義務づけた法律」の国債ルールは実質御破産になっているとみていい。
日銀はカツテの金ではなく、政府の「徴税力」に裏付けられた健全なる国債という資産をバックに紙幣を発行してきた。
かつての金本位制にナゾラエテいえば、いわば「国債本位制」なのである。
ところで、現状ここまで低金利にすれば、経済活動が活発化するのが常識である。
しかしこれだけ低金利を続けても「民間資金需要」が少ないのは、人々に「奥深い不安」が根付いているのかと思わざるをえない。
だからこの「奥深い不安」が取り除かれた時ようやく経済は活性化するが、それに応じて「民間資金需要」が増していけば、バルブが弾かれたようにインフレが加速化する懸念がナイわけではない。
しかし今のところ、その「奥深い不安」の中で、日本経済はカタチを歪めながらもバランスを保っている。
それはウルトラ・バランスとでもいった方がよいかもしれない。
それともうひとつ、日本の経済情勢は悪いには違いないが、外国はそれ以上に悪いということが、このウルトラ・バランスを可能にしている。