ゴーゴリ劇場

朝、一人の理髪屋が焼き立てのパンを食べようとしたら、その中から「鼻」が出てきた。
男は「鼻」を捨てるために町中を歩き、ようやく河へ捨てることができた。ソコへ巡査がカケつける。
今度は、その「鼻」の持ち主が自分の「鼻」を求めて旅する話に展開するのだが、トウトウ「鼻」を見つけたと思ったら、「鼻」はナゼカ自分よりも位が上の「お偉方」になっていた。
ソノ鼻は会話もし、立派な馬車にも乗る。
現実の世界なら卒倒しまいそうな話であるが、ペテルブルク(現モスクワ)を舞台とした小説である。
その情景の描き方からして、この小説の書き手が並な作家ではないことは明らかであり、この「鼻」の意味のナンタルカを考えさせられる。
この奇怪な小説「鼻」を書いた作家とは、ロシアの作家・ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・ゴーゴリである。
勝手に「鼻」をイジラレたり触れられたりしたらタマッタものではないし、人の「鼻」ナンテ見つけたりしてもスグニでも捨ててしまいたい。
かといって、その生々しさ故に捨て場にも困る。
この小説を読みながら、モドカシイ気分になる。
キット我々は奥深いところで、こういう「鼻」がハズレたり、イジラレたりするのと「似た」体験をしているからであろうか。
例えば、この「鼻」を「個人情報」に置き換えてみたらどうだろう。
自分はいつどのような形で「個人情報」をイジラレているか、ハダカにされているか、シレタモノものではない。
最近のスマート・フォンのトラブルで見るとうり、ヒョンなことで誰かの個人情報がトビコンデくることもあるが、逆に自分の情報がトビダシで表示されることもある。
特に、ネット社会では「自分にまつわる情報」をコントロールできない存在となっている。
つまり自分という存在の「一部」が極度に「拡張」されたり、「矮小化」されたりする。
名前を「隠し」ていても、情報の断片を継ぎ足していけば、人間を「特定化」し、その生活の足どりさえ「再構成」できるようになる。
自分を離れた「鼻」は肥大化して逆に自分を襲ってくるハナモチならない存在となったりする可能性がある。
最近のネット社会の罠として、何気ない「一言」のツイートが自分の「社会的生命」を奪いかねない事態を引きおこしていることを思わせられる。
一旦トビダシタ「鼻」は抑制が効かない。ネット上に頒布された個人情報を削除しようにも、有効な手段がない。
そこで、最近では「忘れ去られる権利」というものが注目されるようになっている。
ゴーゴリが生きたのは、ニコライ一世統治下のロシアで、官僚主義の強圧性や欲深さ、御都合主義が蔓延している時代であった。 ネットが発達していた時代ではなかったので、上記の「鼻」の解釈はピントハズレと思われるかもしれない。
しかし、1825年の即位前から「反動的」として知られたこの皇帝は、欧州の「自由主義的」な流れに逆らい、「秘密警察」を創設して、自分の意にソグワナイ者を次々と逮捕・弾圧したのだ。
この「秘密警察」下で、個人情報はマサに「鼻」ミタイナものである。

「鼻」というものをサラニ「拡大解釈」すると、自分を離れて勝手なことをする「バカ息子」や「バカ娘」も、「鼻」のような存在ではなかろうか。
だいたい「肉親」というものは、DNAをコピーしたうえで存在するオノレの「個人情報」みたいなものだからだ。
「血肉」は、自分の思いどうりにはならない「歩く個人情報」である。
唐突な話だが、意図的に作りだした「影武者」は「人工鼻」のような存在である。
昨年サダム・フセイン大統領の息子ウダイの「影武者」となった人物の実体験が「デビルズ・ダブル~ある影武者の物語」というタイトルで映画化された。
映画の原作者であるラティフ・ヤヒア氏は、同級生であり「顔が似ている」というだけでウダイの「影武者」になることを強制された。
顔を取り外すことができたならば、モット真っ当な人生がおくれたかもしれない。こうなると、自分の顔を憎むほかはない。
2001年に処刑されたサダム・フセインだが、そのサダムでさえ「生まれてきたときに殺しておけばよかった」と嘆いたのが、この長男のウダイである。
ウダイは単にウザイ存在ではスマナかった。
拷問、殺人、レイプとヤリタイ放題を尽くした。
ラティフ氏は、本当に起きたことをそのまま映画で描けば、観客は5分と座っていられないだろう、とまで語っている。
ところでウダイの弟の名はクサイであるが、ウダイと比べるとカナリましな方であったという。
ラティフ氏自身も、ウダイから日常的に理由もなく拷問を受け、逃亡・亡命を決意するに至った。
ラティフ氏はウダイの「影武者」だった4年半で、楽しいと思える時間は一瞬間たりとてナカッタという。
ところでそういう経験をして亡命したラティフ氏も、アメリカの「大義」などハナから信じていない。
つまり「自由と正義の国」アメリカなどいうのも、鼻シラム話というわけだ。
アメリカが作り出した「サダム・フセインの鼻」は、一人歩きしてしまっている。
アメリカはサダムを一方的に「悪人」と言うが、サダムが国民のために中東一の道路網を作り、住宅環境やインフラを改善し、医療や教育のシステムを改革したのも事実であることを訴える。
イラクの国民は、尊厳と教養を兼ね備え、訪問者を歓迎するのが大好きな幸せな人たちだった。
しかし、2003年の「アメリカの侵攻」でスベテが変わった。
すべてが破壊された今では、わずかな「米ドル」を得るために親兄弟や友人同士が殺し合うようになってしまった。
生まれ育った家も米軍の爆撃でなくなったし、たとえウザイがいなくなっていても、自分がイラクに戻ることは考えられないという。
ラティフ氏は、CIAに協力を「拒否」して拷問にかけられた体験もあり、アメリカ側が意図的作り出した「鼻」にも要注意ということを実体験している。
現在アラティフ氏は、アイルランドで暮らし、「人権擁護団体」のメンバーとして活動を行っている。

さてゴーゴリには、「検察官」という作品がある。
最近、日本の検察サイドの「ストーリー」作りが社会的に批判を浴びているが、この東京地検「特捜部」が1947年に発足した「隠退蔵事件捜査部」を前身としていることを思えば、ゴーゴリの「検察官」の世界と案外と近い状況がある。
今日の「特捜部」の仕事は、いきなり「トップ」をターゲットとするため、華々しく映るのかもしれない。
特捜部」の捜査で、昭和電工事件(1948年)はじめ1976年のロッキード事件や88年のリクルート事件など政界を揺るがす「大事件」を手がけている。
しかし、それはトカゲの尻ポきりや「証拠隠滅」の時間稼ぎを避けるため、マズはトップを先に逮捕することを「最優先」せざるをえない必然性がある。
しかし「特捜部」は本来、集めた膨大な量の資料に「文献学者」の緻密さや粘り強さ、慎重さをもって眼を通す地味な仕事でなのである。
当初の「特捜部」の設立目的は、戦後の混乱期に旧軍部や政府関係の財産を不当に奪った者の「摘発」であったにスギナイ。
さてゴーゴリの「検察官」(1836年)は、ニコライ一世統治下のロシアで、官僚主義の強圧性や欲深さ、御都合主義が蔓延している時代を背景として書かれたものである。
ニコライ一世といえば、「皇太子」時代に滋賀県大津を訪問し、警備中の巡査がキリカカルという事件が起きた(大津事件)のを思い浮かべる。
ニコライ一世は、国内を管理するため、強固な「官僚機構」を整備したものの、「近代化政策」はハカバカシイ成果を得ることはできず、ロシアは発展からとり残される。
また一方で、そうした「強権的な体制下」では、当然ながら、不正や腐敗が横行する。
小説「検察官」はロシアの田舎町に、検察官がサンクトペテルブルクから行政視察にやってくるというウワサが広がるトコロから始まる。
そんな折、旅館で料金を払えずに四苦八苦しているフレスタコーフと名乗る一人の男いた。
各界の「名士」である彼らは、フレスタコーフが「検察官」であると「誤解」し、それぞれが賄賂をフレスタコーフに差し出す。
町長や判事、慈恵院主事、校長、郵便局長等「お偉方」は賄賂や横領などでサンザン甘い汁を吸っていたヤカラばかりだから、追求の矛先がむけられる前に、アノ手コノ手で彼にとり入ろうとする。
そして、互いに悪口を言いあって自分を正当化する。
はじめは何のコトヤラ状況がノミコメなかったフレスタコーフも、ドウヤラ彼らが自分を「検察官」と誤解しているのに気付き、イッソ「検察官」になりすまして「賄賂」をマキアゲようとはかる。
そして、たっぷり「賄賂」を受け取ったフレスタコーフは足早にこの市を立ち去っていく。
フレスタコーフは旅立つ直前にペテルスブルグの友人あてに手紙を出していたが、好奇心と用心から郵便局長があソノ手紙を「違法に」開封してみた。
手紙の内容は、町の「名士」連中を散々コキオロシていたばかりではなく、検察官だと思っていた男がタダのプータローであることが判明した。しかし、時すでにオソシである。
事実を知って青ざめていた町の人々に、本物の「検察官」の到着が告げられるのであった。
この作品、出版時に印刷工や校正係が「笑い」で作業が進まなかったというエピソードが残っている。
ゴーゴリは、1835年発表の「死せる魂」では、死んでしまっているのに課税台帳には「生存者」として記載されている農奴の土地を買い集める話ナドを書いている。
今の日本で、死んだ人を「生きた人」として装って年金を受け取っていたというケースを思い浮かべる。
さて以上の「ゴーゴリ劇」に、数々の思い当たるフシに出会った人も多いだろう。
「利権」にむらがって、国民の税金や年金をを貪りうまい汁をスッテきた人々。
その始末を「公的資金」やら「増税」でナントカ覆いカブセようととしている人々。
国民との「公約違反」の政策に「政治生命」をカケルといってのけたり、「公約違反」のツジツマ合わせに奔走する政党。
一方で、自分達の「不逞」のシリヌグイをしている政党を「マニフェスト違反」と非難する政党。
企業社会においても、粉飾決済に放射能隠し、企業年金のトンデモ運用などなど「ゴーゴリ劇」はマサニ「日本社会の縮図」を見るようだ。

ゴーゴリの一番の名作は、「鼻」でも「検察官」でもない。
まちがいなく「外套」である。少ない世界文学の読書経験でも、個人的に一番好きな作品である。
実際にゴーゴリの「外套」が1842年に発表されたころ、ドストエフスキーは「貧しき人々」を書いていたが、「私たちはみんなゴーゴリの外套の中から出てきた」と書いているほどである。
貧しい小官吏のアカーキー・アカーキエヴィッチという「風采のあがらない」人物像がなんともイイ。
男は、五十の坂を越した役所に勤める万年「九等官」である。
ボロボロの外套を着て、口さがない若者たちから、いつもカラカラワレている存在である。
しかし、本人は一向に気にかける風でもない。
何十年もの間、与えられた仕事である「書類の写し」を完璧にコナスだけの人生である。
一度、男を「優遇」したいと思った上司が別の仕事を与えてみた。
それは、報告文書の表題を書き「改め」て、何カ所かの動詞を一人称から三人称に変える仕事であった。
しかし男は、ハラハラしてしまい、とても自分には無理だと、「元の」単純な仕事に戻してもらう。
ペテルブルグに冬が来て、男は外套を着ていても背中に寒さを感じた。
ツギハギだらけの外套を、仕立て屋に持ち込むと、直しようがナイと断られた。
そこでついに、貯めていた金と大めに出た賞与で、外套を新調する「一大決心」をする。
「書類写し」が人生のスベテであった男の中で、「外套の新調」という言葉が、エモいわれぬ響きを持ちはじめる。
男は食費をケズリ、空腹サエ心地よい楽しみになっていった。
毎月仕立て屋を訪れ、生地はどうするか、色合いはどうするかと相談を重ねる。
一度たりとも尊敬を受けたことがなくて、誰からも顧みられたことがなかった男の生活に、充実をもたらした。
他人からみればとるにたりない「外套の新調」が、男にとっては、カケガエのない「ハリ」となった。
そして、外套が出来上がる。ところが、その外套を最初に着た夜に、男はペテルブルクの暗い街角で、何者かによって外套を剥ぎトラレてしまう。
男は上司にツテを頼って警察に、真剣な「捜査」を頼もうとする。
しかし上司はそれを聞くことなく、逆に男をシカリつけ、男の「要求」を言下にシリゾける。
男は絶望して、悲嘆のアマリ死んでしまう。
その後、ペテルブルクには夜な夜な街区をウロツク幽霊が出るというウワサが広まる。
そのウワサの幽霊は、アノ男の上司の「外套」を剥ぎとっていった。
この「外套」とは、男に初めて生まれた「ささやかな希望」であった。
それは人間にとって必要なモノだが、「執着」ともなった。そしてそれは、結果として大きな「失望」のモトとなった。
外套は奪われても、「執着」までは剥ぎ取られてはおらず、それが「幽霊」として彷徨うことになる。
この「外套」を読んで、貧しき人々に「ささやかな希望」を与える約束をしながら、その希望のメを摘み取ってしまうことの「罪深さ」を思わせられる。
それは沖縄の基地の移設問題や、ダム建設が中断されたまま一向に事態が進捗しない中で、ササヤカナ「希望」を抱いた人々のことを思わせられる「図」である。

最近の政治情勢で特徴的なことは、「政局」という言葉が「政策」という言葉よりもハルカに頻繁にきこえてくるということである。
政局と政策はどのように違うかといえば、国民に目が向いているか、「権力抗争」に重きがイッテいるかではなかろうか。
だから、政策でさえも「政局」の具になってしまっている感じがある。
そもそも「マニフェスト」というのは、政策実現についての国民との「約束」だったはずである。
しかし政権をとるための「方便」であると解釈を変えたほうがイイ。
ダガ、「方便」を「マニフェスト」とよぶわけにはいかない。
そして最近目にヤタラと目にツクのが、権力への「執着心」というのものである。
もうイイカゲン「退く」ことコソ、国への一番への「ご奉公」と思えるような人が、いつまでも権力にシガミつこうとしている。
ところで日本は、13年間連続で自殺者が年間3万人を超える国である。
つまりこの10年アマリで、中堅都市の一つが消えてナクナッタことになる。
亡くなった人がスベテ「政治」が原因というつもりはないが、不幸の原因たる年金崩壊やら長期の雇用不安は、「国の政策」のイタラサナやアヤマリに起因するものが大きい。
多くの人々が「外套」を剥ぎ取られたままである。