企業年金消失

アメリカは信仰と自由を求めたピューリタン達によって建国された国だから、本質的には「社会主義」というものとは縁遠い国である。
しかし「経営の神様」ピーター・ドラッカーは「見えない革命」という本の中で、アメリカはソ連(当時)にも為しえなかった「社会主義国」になったと書いている。
果たしてコレは一体、どのような意味であろうか。
ドラッカーは時々「すでに起こった未来」という言葉を使うが、未来の「種子」は今の時点でマカレテいるので、ソレに気づけば未来は「見分け」られるとした。
ドラッカーが未来を指し示す「素早さ」と「的確さ」において、「現代の預言者」といわれる所以である。
日本のケースで見ると、「人口構造」などから、公的年金の給付額がカナリ「先細り化」するのは、誰の目にも見えていたハズである。
しかし政治家も官僚も眼前のことばかりにカマケて、「すでに起こった未来」を政策の中にホトンド生かすことなく今日に至っている。
例えば、デフレになったら年金給付額を「下方スライド修正」スベキだったが、それをヤラナかった。
給付の「インフレ調整」はヤルのに「デフレ調整」はヤラナイでは、「理論的」にも矛盾している。
ドラッカーは1976年という早い時期に、冒頭の「見えない革命」という本の中で「企業年金が経済を支配する」という点を指摘している。
この本の内容は、今日の日本のAIJの「年金消失」問題にアテハメテみても、「啓発」に富む内容となっている。
ところで、「企業年金」とはどういうものだろうか。
「個人年金」は個人が保険料を支払い、積立てられた資金を元に年金(分割支給)で受けとるものだが、「企業年金」は企業が保険料を支払い(一部を従業員が支払う事もある)、退職後に従業員が年金として受け取るものである。
企業年金では、「厚生年金基金」や「税制適格年金」等が代表的である。
一方、「公的年金」には、国民が保険料を支払い、一定年齢時より国から年金を受け取るもので、国民個人が保険料を支払う「国民年金」と、会社と従業員が「折半」して保険料を支払う「厚生年金」とがある。
混乱がおき易いのは、この公的年金たる「厚生年金」と、(私的)企業年金である「厚生年金基金」である。
この「厚生年金基金」の仕組みは少々複雑である。
アメリカ型のように単純に公的年金への「上乗せ」ではなく、厚生年金基金の中に公的年金の一部を「代行」する形になり、厚生年金基金と併用する場合には公的年金から支給される金額から減らさることになっている。
この企業年金の「基金」こそは膨大な「原資」を形成し、「企業年金が経済を支配する」ようにナッタのである。
そしてドラッカーは、アメリカでは労働者が企業年金による「退職給付原資」(=基金)を通じて「資本を支配」するという意味で、「社会主義国」になったという「斬新な」視点を提示したのである。
ドラッカーの「本領」は、現実世界をツブサに観察し、通説に対しても常に疑いの目を持ち、通説に替わる「新しい論点」を提示するところにある。
事象の中の「真のパターン」を導き出すことで、人々に通説とは違う「何か」を気づかせるということだといってよい。
ドラッカーは、アメリカにおいて、1950年代より企業や公務員の年金が著しく成長したことで、アメリカ企業の最大の所有者は、「年金基金」になったとことを「重大視」したのである。
実際1970年代当時、すでにアメリカ企業の株式のうち、約1/4を「年金基金」が所有していたのである。
1990年代には「年金基金」の持株比率は3割近くに達しており、さらにアメリカはこれを「原資」として、日本でいう「投資信託」のようなミューチャル・ファンドにも多くの株式を保有している。
投資信託は、多数の投資家により販売会社を通じて出資・拠出されてプールされた資金を、資産運用の専門家(アセット・マネージャー)が、株式や債券、金融派生商品などの金融資産、あるいは不動産などに投資するよう「指図」し、運用成果を投資家に「分配」する金融商品で、その運用による利益・損失は投資家に「帰属」することになる。
ファンドや投資ファンドとも呼ばれるが、それにアタルのが今「年金消失問題」で人々の大顰蹙をあびている「AIJ投資顧問」である。
この一連の出来事見ると、ドラッカーのいう「年金が経済を支配する」という視点は、現代日本では皮肉にも「年金破綻」を通じて浮かび上がってきたという感じがする。
そしてドラッカーのいうアメリカの「社会主義化」の指摘から、アメリカの経営が「株主重視」で、日本の経営が「従業員重視」であるという「単純理解」は幾分修正する必要があるように思える。
アメリカの「株主重視」は、我々が一般抱いているロックフェラーにような「大資本家」あるいは「創業者」の利益保護のイメージとは全然異なり、「年金基金」が大株主となった場合には、「株主重視」はサラリーマンや公務員といった「年金加入者」の利益の保護にツナガルことなのだ。
というのは、前述のようにアメリカでは、サラリーマン・公務員といった多くの「年金加入者」こそが、「積み立て」によって企業を「間接的」に保有していることになるからである。
さらに数兆円から数十兆円単位の資金を擁する「年金基金」は、簡単には投資先の株式を売却できない。
なぜなら大量の株式を売却することは、「株価の下落」につながる可能性があるからだ。
そこで彼らは、投資対象の企業に対して、「経営の透明性」を求め、長期的な「株価値向上」を促した。
そうすることで、アメリカ企業の社員は、年金という名目で、株式の値上がり益も企業の利益の一部(配当)も手にすることができる。
従って、アメリカが社会全体で株主を重視することは、年金加入者と非加入者の「格差」の問題は残るもの、社員自身の利益の確保にもつながるというわけだ。
「株主保護」=資本家保護、という図式は単純すぎる。
となると、アメリカの「モノ言う株主」のイメージも従来とは全く異なるイメージが表れ出でてくる。
巨大な資金を擁する「年金基金」は、サラリーマンの「虎の子」を守る必要上、簡単には投資先の「株式」を売れないので、「モノ言う株主」となっていく「必然性」があるのだ。
「モノ言う株主」とは株主総会で会社側の提案議案に反対の議決権行使をしたり、独自の議案を提出したり、役員を送り込んだりして「経営改革」を迫ることサエもある。
例えば、アメリカの「カルパース」は「モノ言う株主」の代表格で、GMの経営トップを退陣に追い込んだことがある。
「カルパース」とは、カリフォルニア州の公務員の米国最大の公的「退職年金基金」であり、総資産は円換算で26兆円にも達するという。
その運用スタイルは「年金基金」としては異例なほど「積極的」であり、新興国の株式やヘッジファンドへの投資なども行っている。
その優れた運用手法や突出した資金力から大きな影響力を持っており、全世界の金融関係者から常にその動向が注目されるほどの存在である。
彼らが、「モノ言う株主」としてコレダケ強硬に要求を行うのは、年金基金の運用者は年金加入者に対して忠実に「責任」を果たさなければいけないからである。
ただ、アメリカの企業年金や公務員年金は、積極的に「株式投資」を行ってきたが、日本の公的年金たる「国民年金」と「厚生年金」は、資産の7割弱を「国債購入」にアテテいる点で全く事情が異なる。
日本でサラニ高齢化がすすめば、年金の積立金は徐々に取り崩されていき、マイナスの資本形成になっていく。
従ってこのことは、日本では「国債消化」の問題にもカランデ、「国債の引受」がなされなければ、国債は大暴落していくことになる。
しかしドラッカーが「見えない革命」を書いてから30年以上が経過して、「積極的な資金運用」の流れは海を越えて日本にも押し寄せてきたといってよい。
というのは、1990年代後半以降、銀行・企業間の持ち合い構造が崩れる中で、日本の株式市場においても、外国人投資家が増加した。
1993年には、「カルパース」が、株式を保有するいくつかの日本企業の株主総会において、経営陣が提出した議案に「反対投票」を投じ、企業の経営にたいして積極的に発言する姿勢を見せた。
その流れに乗るカタチで、今では国内の年金基金・投資信託の中にも「モノ言う株主」として活動するところが多くなっていったのである。
これが、AIJ「年金消失問題」の伏線だが、問題は基金はAIJを信用した上で完全にオマカセ状態で、監督官庁のチェックもはいっていない。
誰もモノイワズの中で「年金消失」がおきたというわけだ。
「年金が経済を支配」すると、「法人税」の上げ下げも違った「意味合い」を持つことになる。
そこでドラッカーは「法人税の増税」について、次のような見方を提供した。
企業は、税金を払ったあとの「税引き後」利益の一部を「配当」として株主に払う。
そのため、法人税が増えることは、配当の源泉を減少させることにより、一般のサラリーマンや労働者の生活へマイナスの影響を及ぼすことになる。
だから法人税を上げることは、企業の経営ダケの問題ではなく、一般的生活者への圧迫にも繋がってくるわけである。
ただし、日本の場合はアメリカと事情が異なる。
アメリカでは前述したように、年金基金がが積極的に株式を保有しており、「年金積立」を通じて「配当」を受け取ることができる。
一方、日本では「年金基金」は7割近くが国債に投資しており、国内株式への投資は11%に過ぎないし、「年金基金」が株式投資しても、日本の場合、「内部留保」が高く企業の「配当性向」低いということもある。
「配当性向」とは「配当の純利益に対する割合」で、日本の配当性向は2割程度で、アメリカの3割強程度、EUの4割程度と比べて低い水準にある。
とはいっても、アメリカの会社も様々である。
昨日のニュースによれば、アップルは株主に17年ぶりの「配当」の決定したという。
スティーブ・ジョブスは「配当」をせず膨大な資金を新機軸の開発にムケ、それによって「株価」をたえずツリあげることによって株主に利益をもたらしてきた。
しかしステーブ・ジョブスの死後、株主からタメコンだ資金を「配当」として分与してはどうかという要望が高まり、それに応えるカタチとなった。
アップルは、こうして「脱スティーブ・ジョブス」をはかることにしたが、今までのような「快進撃」をドコマデ続けられるかが見モノである。
今の日本で、お金を「ため込んでいる」のは企業なのだという。
投資機会があるなら「配当」などせず資金を投資に向けるベキであるが、ソウデナイならばお金をタメこまずに、配当支給で株主に還元すれば、消費も活発化して、それが「景気回復」につながるのではないかと思うのだが。

AIJ投資顧問が運用していた「年金消失」問題は、今の日本社会の様々な問題を「浮き彫り」にした感がある。
デフレが長期化して世界的に不安定な取引が続く金融市場で、多くの「年金基金」は想定している「運用実績」が上がらない状況にある。
少しでも「高い利回」りを投資顧問会社から提示されれば、ワラをもつかむ思いで運用を任せていた年金基金が多いのだ。
ところで、英領ケーマン諸島のようなタックスヘイブンは、どこの監督権も及ばず、会計基準その他が緩くなっており、それを狙ってペーパーカンパニーを設立することが多いが、次のような興味深い記事があった。
//年金資産約2千億円を消失させた投資顧問会社AIJ投資顧問の浅川和彦社長は国内の大手証券会社出身で、オリンパスの損失隠し事件で逮捕された中川昭夫容疑者ら指南役とされる同じ大手証券OBと関係が深かった。オリンパス事件ではタックスヘイブン(租税回避地)の英領ケイマン諸島に”飛ばし”を行って損失を隠したが、AIJもケイマンを通じて年金資産を運用していた。//
実際、今回のAIJの問題では、監督官庁の「金融庁」が資産運用の実態を全く把握していなかったことが明らかになった。
厳しい規制がある銀行と違って、「投資顧問会社」は規制が緩やかなため、金融庁の厳しいチェックが入らなかったのである。
金融関係者は、この「超低金利時代」にあってAIJのいうように年7%とか8%とかの高い「運用利回り」はアリエナイといっている。
そして、厚生年金基金の運用を委託していた多くの企業が、経営難に陥るのではないかとの不安が高まっている。
厚生年基金は、前述のように企業年金のほかに公的年金の厚生年金の一部の積立金を借り、国に代わって運用している。
それは、企業年金の運用成績が「厚生年金」の想定利回りを「上回れ」ば、その分を「企業年金の利益」にできたからである。
しかし、バブル崩壊後の景気悪化で運用実績が「想定利回り」届かず、その分が「損失」と化している。
多くの企業が損失分を穴埋めする余裕もなく、だからとって解散もできず、損失が膨らむ危うい状況に置かれているといっていい。
そこで損失が膨らみ、借りた部分の返済を迫られて「基金」が存続できなくなれば、「企業年金」も受け取れなくなる人々が沢山出ることになる。
実際に、AIJに委託していた84企業年金のうち、中小企業などでつくる厚年基金は74で、約2000億円の委託資産の大半は既に消失したため、「厚生年金基金」は資金の大部分を返してモラエナイ公算が大きいという。
厚生労働省は、全国の「厚生年金基金」に天下りした旧社会保険庁(現・日本年金機構)など国家公務員OBの役職員が、2009年5月時点で646人に上ったことを明らかにした。
当時あった614の厚年基金のうち399基金に国家公務員が天下っていたのだ。
天下りで「税金」をムサボリ、保険金の運用失敗で一般庶民の「老後」を奪い取るという「罪深さ」である。
さらに、公的年金である「国民年金」や「厚生年金」の原資は保養施設などの「ハコモノ」ヅクリに運用され、それが建設業界や開発業者の利権とも繋がっていることは、周知のとうりである。
こうなると、年金の「運用」を国に任せるのはドーカという、ソモソモの話になってくる。
自分で運用した方が安心だし、失っても納得できるので、年金制度なんてヤメテしまえということになる。
ドラッカーは、アメリカが年金基金が経済を支配するというカタチで「社会主義的」といったが、それは年金基金の「株による運用」と「モノ言う株主」とを前提とした社会であるということである。
日本の場合、そういう前提を欠いているので、タトエ「厚生年金基金」が膨大であっても、ソレはあてはまらないのではないだろうか。
ムシロ、こういう問題に関与し「企業年金」を消失せしめた官僚OBが、かつて社会主義で跋扈し体制を崩壊せしめた「赤い貴族」を連想させる、ということはいえるかもしれない。