今ココ主義

日本人の精神構造について思うのは、「過去の経過(=いきさつ)」や「将来の展望」よりも、「今のこの時・この場」を大事にする傾向があるということである。
こうした「今ココ」傾向は、マスコミの状況を思い起こせばコトタリルと思う。
かつて、太平洋をヨットで単独渡航した青年を「不法渡航者」と批判しておきながら、渡航先のサンフランシスコ市長が賞賛すると、一転して「英雄扱い」した。
また、金脈問題を知りながら「今太閤」とハヤシたてた人間を、アメリカの「委員会」の証言をキッカケとして一転して「金権政治家」とタタキまくったこともあった。
自分達が「持ち上げた」プロセスを検証すれば、ソコまで「落とす」のは自らの「過ち」を公言するようなものだから、多少の遠慮の気持ちがハタライテてもいいはずナノニ。
または、自分達の「見方」に誤りがあったと、新聞紙上で「謝罪」することグライあってもイイはずである。
しかし、「風向き」がかわったと見るや、そういう過去のことはすべて「御破算」となったかのように、「今」と「この場」における「空気」を大切にする。
人々も、そんなコンスチュエンシーのない新聞やテレビを、大して抵抗もなく読みつづけ見つづけるで、マスコミはソウすることが売り上げ(視聴率)を伸ばすベストの方法だと、なんらハバカルこともない。
こうした態度が「今ココ主義」であるが、「今ココ主義」の特徴は、「今」と「ここ」が過去とも未来とも「自律」している点にある。

日本の行政府の重要な「政策決定」の過程には、「審議会」というものが置かれることが多い。
いわゆる「行政審議会」というもので、国民各層の利益を代表する事業者や、実務・学識経験者などから組織される。
民主主義を補完する「国民参加機関」として、行政に関する重要な政策方針を策定したり、特定の処分を下す際に「意見の答申」を行うものである。
比較的新聞などに登場する「行政審議会」を参考までに列挙すると、財務省管轄の「財政制度等審議会」、金融庁管轄の「企業会計審議会」、文科省管轄の「中央教育審議会」などであるが、「原子力安全委員会」は行政組織法によって「審議会」と同等の権限をもつとされている。
こうした審議会の「人選」は当該役所がすることであり、広く公平に意見を聞くというよりも、実体をいうと役所の政策を「追認」するために存在する組織ということであるらしい。
ツマリ最初から「結論ありき」で議論が進められ、大概委員に選任される人というのは、ソノコトをこの上なく「名誉」なことだと思っている人が多いらしい。
とするならば、役所の政策決定に協力するかわりに、自分の論文づくりに必要な資料を提供してもらったりする「族学者」ナル人もでてくる。
こういう人が、原発推進の「旗振り役」となったりしたのでしょう。
仮に、役所の「方向性」に異を唱える委員がいたら、役所は逆に「御進講」申し上げてソノ意見を翻させるとか、短期にヤメテもらうように仕組むなどする。
こうした「審議会」でも、「議事録」というものが作られていて、ソレが「公開」してあるならば問題は少ない。
「上から」一方的に政策決定を推し進めていることに抑制がかかるし、第三者が政策の決定過程を検証する「一助」となるはずだからである。
役所の側も話の辻褄が合わない議論はできないだろうし、少なくとも「一方的な」議論は影をヒソメルことになる。
最近、こうした審議会の議事録は、インターネットで公開もされるようになっているが、突然例えば4回目とか5回目からの議事録の「公開」がウチキラレルというミステリーがおきているらしい。
実はソコこそ最も重要な決定が為されるという所に差し掛かったところにカギって「公開されない」ということがおきているらしいのである。
ちなみに我が地元の行政への個人的関心から「福岡県/定例議会/会議録」を検索してみるとインターネット上にシッカリと公開してあった。
またネット上には、「国会会議録検索システム」も設置されている。
ただし、「議事録」というものはマトメ方によってはどうにでもなるものであって、それがどれほど「真」にセマッタものであるかは、別問題である。
日本の役所はオープンにナリマシタを装いつつ、アイカワラズに「秘密主義」なのである。
そしてこのたびの政府の「原子力災害対策本部」の議事録の「大部」が作成されていなかったのも、言い訳はどうあれ、ソウシタ「体質」の延長線上にあるのではなかろうか。

日本国憲法の下敷きとするために、連合軍草案をつくった9日間が「密室」であったため、その真意が充分にクミトレナイということがあった。
この経過が少しでもわかっていれば、その後の「憲法論議」に費やした「膨大な」エネルギーは、半分で済んだことであろう。
それを思えば、重要会議の「議事録」の大切さを強く思わせられるところである。
しかし、東北大震災における「意思決定」における「議事録」への認識と姿勢は、日本とアメリカとの差をマザマザト見せつけた。
「原子力災害対策本部」を含め東日本大震災に関連する政府の重要会議のうち合わせて10の会議で「議事録」が作成されていなかったことが明らかになったからである。
特に事故直後の1週間について、経済産業省原子力安全・保安院の担当者は「メモの情報もほとんどない。当時は切迫した状況で、資料を集めきれたか確証はない」「録音がなく、これ以上詳細に復元することは難しい」としている。
だが逆に、「切迫した」状況であったからコソ、そういう「議事録」が必要であったともいえる。
日本の「公文書管理法」では、政府の「意思決定の過程」を検証できるようにするため、重要な会議の記録を残すよう定めている。
議事録がナイでは済まないので、お茶をにほすかのような「議事概要」を震災から一年目にしてようやく明らかにした。
とはいっても、「あの時」の記憶をメモしたものや記憶をツナギ合わせて列挙したもので、わずか70ページ程度のものでしかなかったという。
一年前の震災では、政府の意思決定を担った原子力災害対策本部の対応や「避難区域」の設定など様々な問題点が指摘されてきた。
政府から逃げろ言われた場所に逃げたら、その避難地の「放射線量」が、以前いた場所より高かったという住民もたくさんいる。
したがって、こうした意思決定を担った会議での「記録の保存」と「情報の公開」は、国民に対する「責務」であるといえる。
にもかかわらず公表された「議事概要」は、「発言内容の要旨」を箇条書きで羅列するだけで、発言者が特定できず、政府の意思決定が、どのような議論に基づいて判断されたか、不明な点を多く残したままである。
会議の「議事録」を通じて「問題点」を明らかにして、それを「将来」の危機管理に生かすべきなのに、アエテそれを不問にしようとするかのようで、政府自身が「原因究明」を阻んでいる印象をマヌカレナイ。
中には公開そのものが、当事者にとってはツライものもあろう。
例えば、1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、パイロットと管制センターとのヤリトリを記録した「ボイスレコーダー」などの公開がそうであったが、将来の「危機管理」に生かす方が優先されるべきことである。
一方、アメリカの「原子力規制委員会幹部」と日本政府とのヤリトリが公表されたが、3000ページ以上にわたる記録となっている。
アメリカ当局が事故の発生直後から独自に情報の収集や分析に努め、対応を検討した経緯が詳細に記されている。
これは、「録音」に基づき作成され、委員同士の生々しい会話や、発言の言い回しまで正確に再現しているという。
アメリカでは、1950年に施行された「連邦記録法」という法律で公文書の保存や管理を定めていて政府機関の会議などのやり取りは「議事録」として残すことになっている。
最近では、オバマ大統領がインターネットのツイッターでつぶやいた内容も保存の対象となるなど、時代に合わせ公文書の保存を「徹底」して行ってきているという。
アメリカ側の「記録」からアメリカ当局が事故後早い段階で、「最悪の事態」を想定して避難などの対応を検討していたことが明らかになった。
さらに、議事録と合わせて、事故発生直後の電話会議のやり取りを録音した「音声」も公開された。
例えば、事故から5日後の3月16日の議事録で委員長は「現時点で考えられる最悪のシナリオ、それは3つの原子炉がメルトダウンを起こすこと。圧力容器が破壊され、放射能が漏れ出すかもしれない。そして、6つの使用済み燃料プールで火災が発生するおそれがある」という発言をしていた。
また事務局長も「同じ事態がアメリカ国内で発生すれば、原発から50マイル以内には避難勧告を出すのが妥当だ」と発言している。
このとき日本政府が福島第一原発の付近の住民に出していたのは半径20キロ圏内の避難指示と20キロから30キロ圏の「屋内退避」指示であった。
これに対し、アメリカ当局は、少なくとも1つの原子炉がメルトダウンしているという分析をもとに、原発から50マイル=80キロ以内の避難勧告を決め、さらに2つの原子炉もメルトダウンするような事態に陥ればサラナル対応が必要になるとして、「最悪の事態」を想定して避難などの対応を検討していた。
さらに、「報告書」にはアメリカが独自に情報収集を進めていた様子も残されている。
、原発から185キロ離れたところにいた空母「ロナルド・レーガン」から寄せられた重大な情報も記されていた。
報告書には「空母で通常より高い放射線量が検出された」「185キロ離れた場所で通常の30倍もの放射線が検出さた」「事故の規模は想定より相当大きいことになる」といった情報もあった。
事故発生から6日後、水素爆発が起きた3号機と4号機では、使用済み燃料プールの温度が上昇したため陸と空から冷却のための水が注入されたが、その「経緯」についてもこの米側「議事録」から読み取ることができる。
日本側は燃料プールを冷やす方法について助言を求めたが、日本側の誰かが「砂を入れてはどうか」と聞いてきた。
しかしアメリカ側にとっては答えは明白で、「水」以外には考えられないと応じたという。
以上、米側の「議事録」からは事故後の対応を巡って日米の間で「危機意識」にカナリの差があったことウカガワれる。

日本人の「危機管理」や「議事録」不作成のニュース聞きながら、加藤周一の「日本文化の時間と空間」の論考を思いおこした。
日本人は「今=ここ」に生きている、つまり、時間においては「今」に、空間においては「ここ」に集約される世界観に生きているということである。
例えば、ユダヤ・キリスト教的世界における歴史的時間は、始めと終りがある時間、両端が閉じた有限の直線(線分)で表現される。
古代ギリシャの時間は、始めも終りもない無限の時間であったが、「無限の時間」の表現には2つあるという。
1つは、一定の方向をもつ直線で、時間はその直線上を無限の過去から無限の未来へ向かって流れる。
もう1つは、円周上を無限に「循環」するという時間である。
仏教の「輪廻」の思想で、生死は限りなく繰り返されるから、時間は無限に循環するものである。
「古事記」の時間は、始めなく終りのない時間意識であり、無限の直線としての時間は、分割して構造化することができない。
すべての事件は、神話の神々と同じように、時間直線上で、「次々に」生れるものであるから、そこでは人は「今」に生きることになる。
日本人の「時間意識」をもうひとつ加えると、四季の区別が明瞭で、規則的であり、その自然の循環するという"農耕社会"の日常的な時間意識を決定したと考えられる。
かくして、日本文化の中には、3つの異なる「型」の時間が共存したとする。
歴史的時間としては、始めなく終りのない「次々に」の直線的時間であり、日常的時間としては、始めなく終りない円周上の(四季折々)の循環的時間であり、人生の普遍的時間としては、「花が咲き散る」始めがあり終りがある。
加藤氏によれば、この3つの時間どれもが、「今」に生きることに向かったという。
加藤周一氏は、この「今」に生きる態度を、「連歌」から明らかにしている。
連歌の流れはあらかじめ計画されず、その場の思いつきで、主題を変え、背景を変え、情緒を変えながら、続くのである。
その魅力は、作者にとっても、読者にとっても、当面の付句の意外性や機智や修辞法であり、要するに今眼の前の前句と付句との関係の面白さである。
「今眼の前の前句と付句との関係の面白さである。
ソノ面白さは現在において完結し、過去にも、未来にも、係わらない」と。
連歌とは、過ぎた事は水に流し、明日は明日の風に任せて、"今=ここ"に生きる文学形式である。
その文学形式こそが、日本文学の多様な形式のなかで、数百年にわたり、史上類の少ない圧倒的多数の日本人の支持を受け続けたという。
「今ココ」を生きる日本人は、その精神的態度として、過去は水に流し、明日のことは「風まかせ」という態度で生きるとになる。
日本の絵画などは、「構造的」なものではなく、瞬間的な「変化」を捉えていているものが多い。
時空間の「今=ここ」を、それ自身として完結した部分の洗練へ向う。
そこには過去や未来に繋がる「何か」からほぼ脱しているといってよい。
都市の景観作りも全体から考えるのではなく、「建て増し」の傾向をもち、シンメトリー(左右対称)が生まれない。
昨日、タマタマ見た建築家の安藤忠雄氏と桂三枝の「対談」で、安藤氏が色紙に「前を見て歩け」と書いていた。
その意味を問われて安藤氏は、前とは「前方の前」だけはなく、少し「後ろの前」をも含んでいると答えていた。
つまり日本人は、「微分的」に生きているのだ。
ところで、政府「原子力災害対策本部」が原発事故に関わる会議の「議事録」を作っていないことが判って批判を浴びている。
確かに、「事故」を検証する重要なテガカリを喪失せしめた重大な「過失」なのかもしれない。
ただ役所の体質として、重要会議の「議事録」をタトエ残しておいても、誰かの責任や過誤を明瞭化することをセマラレルかもしれない「検証」をドレホド真剣にする気持ちがあるのだろうか。
サラニ、その結果を「公表」してドレホド将来に生かそうとするか、少々疑問を感じるところである。
「今ココ主義」では、過去は過去のコトとして、「過去ソコ」は充分に生かしきれない傾向があるからだ。
とするならば「議事録」を残すもうひとつ意味は、不合理なものに縛られやすい「当時の空気」ソノモノを伝えるということだが、「当時の空気」とは怒号とかザワメキとか、議事録から「削除」された部分にコソあるのではないかと推測する。