インクルージョン

東北の人々の心は、なかなか「瓦礫」から解き放たれないようである。
100年以上も前の関東大震災の折には、家も船もエコに出来ていたので、片付けるのも簡単であった。
だから人々の傷も早く癒えた面もあったかもしれない。
しかし高度文明の下で壊れたものは、ソノ処理にもダイヘン手間取る。
その代表格が40年から50年もカカルといわれる「原子炉の廃炉」である。
「町の瓦礫」を見れば、心はいつまでも「3・11」にトドマリ続け、次の自分に行けないということもあるだろう。
ところで、モノの崩れ方には、「インクルージョン」と「エクスクルージョン」というのがあるのだそうだ。
「インクルージョン」は周りに迷惑がかからないように「内側」に崩れ、「エクスクロージョン」は周りを巻き込んでドハデに崩れる。
ちなみに崩れ方ならば、「上から」圧し潰されるというものもある。
考古学は、聖書に登場する「エリコ(ジェリコ)の要塞」が上から(天から)「一瞬」にして押しツブサレタたことを明らかにしている。
ところで、北朝鮮で金正日が亡くなった際に、北朝鮮の国民がアラワした哀しみは、とても「エクスクルーシブ」な泣きクズレ方であり、大震災の「一周忌」で慰霊する東北の人々の「インクルーシブ」な哀しみの表し方とは、強いコントラストをみせた。
もちろん、二つの出来事の「文脈」はあまりにもカケハナタレてはいるが。
最近タマタマ報道された高齢者親子の「孤独死」においても、この「インクルージョン」という言葉が思い浮かんだ。
なぜならこの親子は、できるカギリにおいて「内側」に崩れようとした人達だったからだ。
その死が、誰の目にもふれず、誰の助けを求めることのなく、「待つだけ」の死であったかのように見えたのは錯覚かもしれないが、その死がとても「インクルーシブ」な印象を与えるのは、その「結び目」のツヨサによるのかもしれない。
「真空管」は、周りが傷つかないように、壊れた時に外側にガラスが飛び散らないように設計してある。
森の木々は、「葉っぱ」が雨水を内側(根元)に集めるかのように「傾いて」いるという。まるで、「哀しみ」を内々に溜め込むように。
ビルを爆破する人は、あるゆる構造物が内側に倒れるべく「仕掛ける」能力と経験が必要となる。
だから「原子炉の廃炉」だってソレダケ時間を長くかけないと、「エクスクルージョン」にナリカネナイということであろう。
さらに「崩壊」の問題を大きくして、ドコカの国家の「体制」が倒れるにせよ、その倒れ方が「エクスクルージョン」か「インクルージョン」かは、近隣の国々にとっては大問題である。
難民の流入だけではなく、暴動や反乱だって波及しせかねないからだ。
「ユーロ圏」の経済危機が教えるとうり、グローバリゼーションの世界とは、一言で言えば「エクスクルージョン」の世界である。
一つの国家は絶対に「内向き」には倒れられないということである。

「インクルージョン」を「崩壊」の話からはじめたので、次に「建設」における「インクルージョン」の話をしたい。
「建築用語」が一般化した用語として普及したものとして「バリア・フリー」が有名だが、この「インクルージョン」という言葉は、建築用語としてもシバシバ登場する言葉である。
「インクルージョン」とは、 ラテン語の語源によれば「中に招き入れて入口を閉める」という意味があり、単純に和訳すれば「包摂」と訳される。
一方、「エクスクルージョン」は 戸を閉ざして建物の外に締め出す、つまり「排除」するという意味である。
何かを形作る時には、 一度「枠」に入れて固めるとノチの手直しは極端に難しいものがある。
つまりそういう建物が「エクスクルーシブ」な建物であり、こうした建物は「必要」に応じて手を入れていく方向には発展しにくい。
いわば「完結」した建物である。
その反対に、新たな「追加」や「修正」が自然に可能な建築物こそが「インクルージブ」な建物といえる。
建築家の隈研吾氏は「負ける建築」という本で、突出し勝ち誇るような建築とは、「正反対」の「インクルーシブな建築」のコンセプトを明らかにしている。
そこで、様々な「外力」を受け入れながらも 地べたにハイツクバリ、 しかも前向きさ(発展性)を失わない建築があり得ると、インクルーシブな「建築概念」を提起した。
例えば「木造」はコンクリートのように液体状態の「自由度」を持つでなく、突然強くなることもない。ソコソコに不自由でソコソコに弱いのだが、大工の「補強」によって相当堅固で長持ちするモノともなる。
ソレは、建物が「完成」した後ですら、ソノ建物に人々は手を加え続けられウルという意味では、「可変性」に富む素材である。
ただソコに住む人々が、そこそこに自由であり続けられることが. サラニ大事だというコンセプトである。
インクルージョンを「工法」や「素材」からではなく「構造」から見ると、個々の優れた要素を取り出して合体したところで、実際の現場では機能的でも美しいともカギラナイということである。
それは個々の現場の文脈を無視した「勝ち誇る」 建築のように提示されることが多い。
インクルーシブな建造物は、「夢を具現化」するような「魔法のの力」は秘めてはいないものの、周りをも生かしていくという意味で「負ける建築」なのである。
まもなく開場する東京スカイツリータワーが、アソコに在ることの(個人的に感じる)「違和感」は、そういうことかもしれない。
何かをデザインする時、「その後」 の手直しの「余地」をも残しておく観点があってもよいのではないか。
特に「人間」を相手にする「教育」の場合は、ナオサラである。
1994年のユネスコの「サラマンカ宣言」で「インクルーシヴな教育」の概念が打ち出された。
神奈川県でも、「教育ヴィジョン」 に「インクルージョン」が位置付けられている。
障害者の教育などが「特別支援教育」 という文脈で語られていているが、ソレは「特別なニーズを持っているとみられている生徒」という発想であり、問題の提起が「彼ら/彼女ら」 でしかない。
もし「彼ら/彼女ら」 がいるなら、 「私たち」 へと転換する必要があるということなのだそうだ。
医学的には「障害がある」と診断された子どもがいると、子どもは周囲にとってトテモ「困った子ども」となる。
ある体験談では、一緒に散歩中に犬に出会い異常に怖がって手を握ってきた姿に、「困った子ども」とは実は「困っている子ども」であることに気づいたという。
この体験者によれば、以後「困った子ども」が「困っている子ども」 に転換し、一緒に困ることができる立場にいることになったということである。
この発見(気づき)によって、同じ支援でも、「支援の方向性」が全く違ってきたのだ。
認知症になりかけた老人を正そうとするのではなく、一緒にその語っている「世界」を遊ぶようにすると、老人のこころがホグレ、認知症が改善されたという話がある。
教育界を中心にここ数年間で広がってきた概念としてのインクルージョンは、「本来的に、すべての子どもは特別な教育的ニーズを有するのであるから、さまざまな状態の子どもたちが学習集団に存在していることを前提としながら、学習計画や教育体制を最初から組み立て直そう」、「すべての子どもたちを包み込んでいこう」とする理念である。
とすると、エクスクルージョン(排除)の数だけインクルージョンがあるともいえる。
個々の現場に存在する可能性がある多様なエクスクルージョンを見出して、 それを「最小限化」していく努力のプロセスを教育における「インクルージョン」ということができるのかもしれない。
ところで、人間関係における「インクルージョン」は「ソーシャル・インクルージョン」として位置づけられるようになってきている。
「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合う」という理念である。
「ソーシャル・インクルージョン」は、格差社会の進行する日本社会において、職場の福祉や労働施策の改革とその「連携」にもカカワリの深いテーマである。
この「ソーシャル・インクルージョン」を職場に実現したといえる、ある「チョーク工場」を思い浮かべた。
「日本理化学工業」は、1937年に設立されたチョークを生産する会社である。
当時白墨を使用している教師に肺結核が多いという報告があり、「ダストレス・チョーク」の国産化に初めて 成功した。
この会社が生産する「ダストレス・チョーク」は1953年にわが国唯一の文部省斡旋チョークとし て指定されている。
「ダストレス」つまり「ホコリなし」のチョークとは、いかにもインクルーシブな製品である。
実はこの会社の社員のうち70パーセントが「知的障害者」であり、シカモ業界トップを走る会社である。
この会社は1960年に大きな転期をむかえていた。会社の近くの養護施設から二人の若い知的障害の女性 が体験的に働きに来たのが、キッカケである。
彼女等は、チョークのはいった箱にシールを貼る仕事がとても楽しげで、昼休みの食事の時間も早々に切り 上げてシールを貼り続け、その手ギワもミルミル上達した。
そして、二人が明日も会社に来れたらいいのにと語りあうのが、周りの社員にも聞こえた。
その働く姿を見た従業員の全員が、大山泰弘社長に彼女達も一緒に働かせてもらえないかと頼み込んだ。
大山社長はその真摯な気持ちを受けとめ、彼女達を正社員として採用した。
喜びをもって一心に働く彼女らの姿が、逆に従業員の働く「誇り」を目覚めさせたのだという。
会社は知的障害者の採用を増やし10人を超えたころ、彼らをヤヤ知的能力が必要な作業に振り向けざるをえ なくなった。
ところがそうした作業のなかで、彼らが数をかぞえらない、重さをはかれない、目盛りを合わせられない、 などの問題が次々と露呈し、作業が停滞していった。
作業効率が悪くなって、生産量も落ちていった。
先輩従業員が丁寧に仕事を教えていったが、なかなか仕事を覚えることができず、集中力がキレて持ち場を ハナレる者まで出はじめた。
先輩従業員にとって、彼らの仕事を手助けしながら、自らの仕事をコナサなければならなくなり、日に日に 負担は大きくなり、疲労度が増していった。
また先輩従業員と知的障害者との給料が同じであることにも不満が高まった。
社長は知的障害者の採用をトリヤメルべきか決断をせまられた。
だが社長は知的障害者達を見ていて、ドウシテモ分からないことがあった。
おこられても、おこられても、彼等はメゲズに出社してくる。高熱がでても彼らは休もうとはしない。
毎日のように怒られながら、誰一人不満をいわず「黙々」と働こうとする。
大山社長は、このことを知り合いの僧侶に聞いてみた。
すると僧侶は、意外なことを言った。
その僧侶によれば、人間には「究極の幸せ」が四つあるという。
「人に愛されること」、「人にほめられること」、「人の役にたつこと」、「人から必要とされること」の四つである。
そして働くことによって、「愛される」こと以外の三つの幸せが得られるという。
大山社長は僧侶の話を聞いた時、世間からどんなに不可能といわれようと、知的障害者を今後も雇用しくことを決断した。
ここからが、「インクルージョン」物語の始まりである。
社員達は生産性が落ちているのにサラニ知的障害者を雇って、会社は一体ドウナッテしまうのかという反対の声があがった。
大山社長の夢はツイエタかに思えたが、社長は「誰も」が働き安い職場を皆で作っていこうと訴えかけた。
そして知的障害者達が仕事をどれほど粘り強く「一心」にコナスかを思い起こさせた。
作業工程や道具を変えていけば、知的障害者でもやヤレないことはないのではないか、みんなで「職場」を改良し ていこうと呼びかけ、自らも頭をヒネリつづけた。
そしてある日、知的障害者が信号を渡る情景が思い浮かんだ。作業工程を「色」で表わせばナントカやれるのではないかと思いついた。
原料の量をおぼえられないなら、赤い色の粉は赤いおもりと同じ重さだけ秤に加えるようにし、青い色の粉 は別の重さの青いおもりと「対応」させた。
品質管理のために計測機器が使えないなら、あらかじめチョークの大きさと同じぐらいの枠を三段つくり、 真ん中の段にとどまったチョークは大きすぎず小さすぎず「適正な」大きさということになるようにした。
数がカゾエラレナイなら、必要な数の溝をそなえた箱にチョークを並べるようにすれば「数える」必要がなくなる。
知的障害者ではデキナイと思われていたことは、「実は」仕事の与え方が適切ではなかった、ということが日に 日に明らかとなっていった。
つまり、工程に人を合わせるのではなく、人に工程そのものを合わせるのだ。
職場を変えていこうと、「大量のアイデア」が社員自身から提案されていくようになり、驚くべきことにそのアイデアが先輩従業員の「作業能率」をも上げていったのである。
また知的障害者がガラスにチョークで文字を書いている行動から、ガラスに自由に書けるチョークのアイデ アが浮かび、「大ヒット商品」となった。
この商品は、その年の「文具大賞」を受賞している。
ホワイトボードやパソコンの普及でチョークの使用量が減っているが、クレヨンとチョークとマーカーの利点を組み合わせた新しいチョーク「キットパス」を開発することにも繋がった。
そして、会社が「インクルーシブ」な生産のあり方を追求する中で、多くの知的障害者が人が喜ぶのを自分のことのように喜べる「才能」を持った人々であることがわかった。
そして、かつて僧侶が社長に語った「四つ幸せ」の最初にある「愛される喜び」をも知っていったのである。

前述のとうり、英語の「インクルード」 という動詞の名詞が「インクルージョン」で、「包摂」という意味である。
「インクルージョン」には名詞としてサラニ、「内包物」という意味もある。
宝石の業界で明治初期より、ルーペを使って「キズ見」ということがよく行われていたそうである。
キズ見といっても、宝石の「破損部分」を探し出そうとするものではない。
キズが意味するところは、「内包物」つまり「インクルージョン」を見つけるということなのだ。
宝石は、鉱物の中のごく一部をさしており、その鉱物の中に、それ自体とは異なる構造形態の物質があり、肉眼もしくはルーペ等によって、認知できるものを 「内包物」という。
時にその形態が、固体・液体・気体そして、それらの混合という場合もある。
本来こんなものナイほうがよいと思いがちだが、「拡大検査」をしてソレを発見するとチョト不思議な感覚におそわれるという。
体験者によれば、ソレヲ発見をした時に、嬉しい気持ちになってしまうところが不思議なのだそうだ。
この「内包物」は実利もあって、それにより「原産地」がわかったり 「光」との関係において、美しい「効果」を呈することがあるという。
「傷」(=スカー)がナイ、つまり「スカー・フリー」で万事ヨシというものではなく、ムシロ「傷」が重要な要素なのだと教えられる。