ルール変更

様々な分野で、「ルール変更」がなされるが、日本に有利に働いたという話はアマリ聞かない。
1971年に突然にニクソン大統領によって、金とドルの交換停止で通貨の交換のルールを変えられてしまう。
これは世界的なショックだったが、アメリカの都合で予告なしで行われた。その結果大幅な「円高」に見舞われた。
1985年に「プラザ合意」では、1ドル=240円代から1ドル=150円代の「円高」にイキナリさせられてしまって、日本を牽引した輸出産業はその後苦境に陥り、工場の海外移転を迫られ、「産業の空洞化」をマネイタことは記憶に新しい。
ビジネスの世界ダケではなく、スポーツの世界もそうで、オリンピックとはマサシク「ルール変更」の闘いだともいえる。
鈴木大地選手がバサロスタートで金メダルを取ったが、しばらくすると「バサロ」が禁止になる。
フィギュアスケートの浅田真央も「新ルール」への適応に血の滲むような努力をしているのがウカガえる。
体操競技の「採点方法」にも様々な変化がおきていて、実際の「演技能力」以外にそれにソッタ「演技構成」というのが、1つの「戦略」であることを思い知らされる。
もちろん「ルール変更」によって有利になれば、「不利」になることもある。最近その「不利」になることが多いことが目立つのだ。
それは「勝つべき」ところ勝つヨウに仕向けられているような感じサエしてくる。
それは日本ばかりではなく、同じように不利になった国も多くあったに違いない。
だから一概に「日本叩き」と断じることはできないが、明らかに日本が「優位」に立つと、「ルール」を変更によってソノ「能力」が封じられたものもある。
スキーのジャンプの「ルール変更」ナンテ日本叩きの最たるものではないか、と思わざるをえない。
長野五輪の栄光以来、スキーの日本ジャンプ陣は、ワールドカップで全く優勝できないという試練を味わっている。
長野五輪で日本は、金メダル2個、銀1個、銅1個と「圧勝」して国民を歓喜させた。
ところが日本がアマリニ強いので、ヨーロッパのスキー連盟は1998年から、スキーの長さを身長の「146%」にルール変更した。
従来のルールではスキー板の長さは身長プラス80センチという決まりだった。
この改正では、173センチを境にして、それより背が高い選手はより「長い」スキー板を使え、低い選手はより「短い」板を使うことを余儀なくされる。
長いスキーは扱いが難しいものの、技術的な問題をクリアすれば、空気の「抵抗力」が大きい分、短いスキーよりも飛行距離は延びる。
つまり「146%」規制は長身選手に有利になるわけである。
これにより、身長185センチの選手は板が265センチから270センチへと5センチ伸び、164センチの選手は逆に244センチから239センチへと5センチ短くなった。
両者を合算して差し引き「10センチ」の差をつけられるのは選手にとって致命的だ。
身長の「146%規則」は、比較的「背の低い」選手の多い日本ツブシのキワメテ巧妙な謀略だったのである。
五輪スキー競技は“ノルディック”というように、北ヨーロッパから始められた。
その「本家」が勝てないで、外国人がメダルを独占するのはガマンならないということかもしれない。
だからといって、日本発信の「柔道」で、日本人はどれくらい「国際柔道」のルール作りに参加しているのかと疑問を抱かざるをえない。
つまり「政治力」がモノをいう世界であり、その「政治力」(発言力)はどのように形成されのかはよくわからない。
ただ卓球の世界で日本は「発言力」を発揮できた部分もある。
世界卓球協会の会長が荻村伊知朗だったことが大きい。
しかし荻村氏の「政治力」は日本選手に有利になるように「ルールを変更」したということではない。
1980年代都会風でリゾートで人気が高まるテニスやゴルフ人気に完全におされ、日本のお家芸であった「卓球人気」の凋落は誰の目にも明白だった。
卓球人気の低落に拍車をかけたのが、フジテレビ系のお昼の番組「笑っていいとも」であった。
タモリは「卓球」はネクラのスポーツと語っていた。
卓球の試合は、白い玉がよく見えるためにユニフォームや会場の色調は「暗め」にする必要があったのだ。
実際、暗幕を引いて試合をするなども行われていた。
それ故か、卓球は文化部とかネクラとか健康に悪いスポーツとなり、それが、卓球のイメージとしてすっかり定着していったのである。
この番組を見ていたのが荻村伊智朗氏で、このままでは卓球人気は凋落すると危機感を抱いた。
そして卓球のイメージを明るくする「イメージ戦略」に乗り出す。
ユニフォ-ム、卓球台、ピンポンの色すべてを明るく斬新なものにかえていった。
そして実際に卓球の試合会場の雰囲気はかわっていった。
選手のユニフォームが明るく派手になっていたことは誰にも明らかだった。
故・荻村氏はタモリに対して、卓球の現状のイメ-ジを率直に指摘してくれたと感謝していたという。
荻村氏による「ルール変更」はタダタダ卓球のイメージを「明るくする」ことに向けられたのだ。
荻村氏の「政治力」は中国チームや単一韓国チームを世界の舞台に引き出して、「卓球」をメジャーにする点にむけられた。
日本選手を有利にすることに向けられたものではなかった。
こと勝敗に限定するならば、逆に「不利」になる面の方が大きかったのである。
ところで、ルール変更の「言い分」は表向き実に「理」にカナッテいるように思えることである。
そこに欧米の謀略や意地悪ではなく、ソレナリの理念があり、合理性があることがポイントである。
例えば、「減量」が飛距離を伸ばす大きな要因となっており、過度の「減量」が見られたタメであるというわけである。
スキーの「146パーセント」の理念とは、選手の安全や健康を守るという「大義名分」が前面に打ち出されるということであった。

スキーの世界の「146パーセント」ルールを見ると、金融の世界にある「BIS規制」というものを思い起こさせる。
BIS規制とは、国際業務を行う金融機関は、自己資産の総資産に占める割合を「8パーセント」以内に収めるというルールである。
このアメリカ発の規制が日本で適用されるのは1992年、つまりバブルがハジケて日本が不良債権の蓄積に喘いでいた時期なのである。
実際に日本の銀行は、自己資本の「8パーセント」ルールを守るために、サラニ苦闘を強いられることになったのである。
しかし、BIS規制という「ルール」は、イザという時に国民を守るためのルールつまり、銀行がムヤミヤタラと「貸し出し」をしていくと、銀行にモシモのことがあった時に、預金が返ってこない可能性のタメという合理的な根拠がある。
ただ日本経済は、この基準を守るために「貸しはがし」「貸し渋り」で、中小企業にもシワヨセが行き、不況から脱出できない原因にもなっている。
そしてわざわざ「金融庁」といった役所をもうけて徹底させたのだが、そこにはアメリカの「政治力」が働いたことが考えられる。
アメリカは、エンロンやワールドコムといった会社が破綻し、その際に粉飾決算をしたことが明らかになった。
そこで彼らはルールの強化にはしった。他国から文句がつけられようもないように、「ルール」を徹底的に厳しくした。
さらにアメリカにしかできない「域外適用」をおこなった。
つまりアメリカに関係のある企業は、すべからくアメリカのルールを守るべしということである。
現在、日本がグローバル社会で「苦しん」でいるのは、日本でしか通用しなかったルールを国際的な基準に「適合」しなければならなかった点と、ルールを「戦略的」に変えられたことによる部分が大きい。
「BIS規制」が日本に適用サレルという「ルール変更」と同じような効果をもったものとして、国際的な「会計基準」の適用がある。
アメリカの企業は徹底的な「時価会計」を行っている。時価会計とは、毎日保有債券や保有株式の評価をする方法で、うらなくても毎日「損益」がでたりすることになる。
日本の会計は「簿価会計」が多くて、売った時にハジメテ利益を計上したり、損を計上したりする。
つまり「時価会計」では、利益を確定するためにわざわざ株を売る必要はないということである。
会計学の世界では、「原価会計が優れている」ということがあり、原価会計の基礎になっている「複式簿記」の考え方は、人類が生んだ三代発明の1つとも言われている。
しかしこれは、「時価会計」の考え方と大きく異なる。
もちろん、原価会計には弱点もあって、その第一が「粉飾しやすい」という点である。
「含み益」のある債券を売って利益を高上げしたり、含み損を抱えた株式の損失をアエテ認識せずにいたりすることによって、「損益」をゴマカスことができるのである。
もし簿価会計を守りたいならば、簿価会計の枠組みのなかで、「いかに粉飾を防ぐか」という手段を研究・実戦しておけばよかったのである。
アメリカは会長の業績評価を含めて業績評価はすべて時価会計で、簿価会計などというものは存在しないという。
厳しいルールを課すことによって自国企業だけが厳しい「ルール」の適用による損失をこうむらないように、外国企業であってもアメリカとつきあうからには、アメリカのルールを守らないと「大変な」ことになるという方向にもっていった。
「ルール変更」は実に戦略的に行われており、そこにはツネニ「健全な」理念が掲げられるのである。
しかし、結局、M&Aニ都合がいいのが「時価会計」なのではなかろうか。

日本が構造改革から市場万能主義へとカワリ、金融ビッグバンや労働形態がスッカリ変化し、格差社会が広がったのもソノ「健全な」理念の下に起きた変化ではなかっただろうか。
1980年代ごろ、アメリカはもうフェアな市場競争では他の国、特に日本企業には勝てなくなったのでルールを変えさせることで自国に有利にするという戦略をとり始めた。
1990年代では、お互いに関税を引き下げて公平に経済競争していこうというのではなく、今度は「非関税障壁」と言われるものにシフトしていく。
国際貿易では、関税がかかる物品だけじゃなくて、サービスとか金融とか投資とか政府調達とか広範な領域にソノ範囲を広げていった。
相手の国の制度やルール、法律を自国の企業に有利なように変えさせる交渉に変わっていった。
それが1980年代の「日米構造協議」であり、近年の「構造改革」「金融ビッグバン」へ一連のナガレである。
アメリカは経済力が落ちたとはいえ、軍事力を背景としてその「政治力」は依然として強い。
どちらの国の制度にあわせるかといった場合に、どちらの国の制度に合わせるかといえば、両国の「政治力」で決まるというほかはない。
そのタメに、日本政府の役人とか外交の担当者がアメリカに留学して、グローバルな思考、自由貿易の正しさナドアメリカに都合のいい考え方を摺りこんで日本に「送り戻せ」ばこれでもう完全にアメリカの意のままに動くという戦略である。
充分に議論されずに乗っかったTPP受け入れもその流れにあるのは明らかである。

アメリカ野球と日本野球のストライク・ゾーンは、少々違う。
日本野球ではベース上を通るビールがストライクと決められているが、アメリカ野球の場合はソレよりも「外角寄り」に決められている。
優秀な打者ほど厳しいコ-スを攻められるのは、日米野球で共通しているが、アメリカのもっとも優れた選手ほどデッド・ボールの危険性が増すことになる。
デッドボールによる怪我は、本人の野球生命に関わることばかりではなく、球団の興業収入にも関わってくることである。
また数年前にボール1つ分「ストライクゾーン」が広がったことが話題になった。
つまりピッチャーに有利になったわけだが、野球はファミリースポーツであり、遠くから球場へ車で足を運んでいる観客が多い。
そんな中、2時間半を超えるナイトゲームは問題がある。
そこで早く決着がつくようにピッチャー優位のルールに変えたのである。
日本人、ストライクゾーンといえばベースの幅と胸と膝の高さで囲まれる「四角」を絶対的なストライクゾーンとする傾向があったが、ルールをある目的にソッテ柔軟にアルイハ「戦略的」に捉えるのが、アメリカ野球なのである。
そもそも法律というものは、市民達が自分達の権利を侵害されないように国王の権限を制限するためのものであった。
立ち上がった市民達は、国王に「ルール」の制定を要求し、法律をつくって自らの権利を守るようにしたのである。
つまり法律もルールも市民達を守るための武器であるはずなのに、日本では「神棚」に飾ってアガムベキ存在になっているようなカンジさえある。
コーポレートガバナンスにせよ、経営者に対する警戒心がある。経営者は会社をスベテ牛耳っているので会社という組織を使って何をしでかすかわかったものではない。
会社という組織を使って危ないことをされたら、会社の危機に直結する。そこで経営者を統治しようということである。
欧米を中心とした国際ルールの変更の「言い分」は誰がみても正論に見えるようにキチットとしている。
スポーツの世界ならば見る側を楽しませるため、国際経済ならば「フェア」な世界を築こうとしてしているように見えるのがポイントである。
しかしIBM会長のパルサミーノは、「ゲームのルールを変えた者が勝者になれる」と言っているが、絶対に勝てない相手に勝つ方法は、「ルール」を変えることに優るものはない。
あらゆる競技はルールの中で競われる。ルールを変えることは、いままでの努力も実績もすべて無しにするに等しい。
日本人は近代国家形成の過程の中で「ルール」の主人公タリエタことがない。
憲法でさえGHQ草案を元に作成している。
「憲法前文」が想定している「諸国民の公正と信義」への信頼を前提とした世界観と今という時代の現実とのズレも強く感じるところである。
日本を支えてきた能力はモノヅクリであるが、「技術の高さ」が必ずしも世界市場の売る上げの拡大に繋がらないという広い意味での「ルール変更」がおきているように思う。
シャープが得意な「液晶」の分野で韓国に敗れたのも、そういう点にある。
さらに、世界中の企業が情報通信物流コストをカナリ安く出来るようになったために、海外に労働を「アウトソーシンング」している点である。
こういう広い意味での「ルール」変更に日本はドウ対応していくかがポイントとなるが、「ルール」の従僕であり続ける限り、セッカクの努力も無にされる世界になっている。