固い結束力

ロンドンのオリンピックでは、日本が史上もっとも多くのメダルを獲得した大会となった。
そこには、「個の力」を凌駕する「組織の力」のことがあったと指摘されている。
例えば、銀メダルをとった「なでしこ・ジャパン」については次ぎのような記事が目立った。
「フランスとの前回の対戦では、日本は個の力に完敗。フランスの強さと速さ、高さに対応し切れなかった。
しかしそれは、現地パリに到着して3日後の試合で全体的に動きが重かったためである。五輪開幕後のなでしこは、見違えるように軽快にピッチを駆け回り、個の力を上回る組織力を見せている」と。
なでしこジャパンは、ロンドン・オリンピック準決勝でフランスと対戦し、2-1で勝利を収めた。この結果、日本は史上初めてとなる「メダルの獲得」が確定した。
ところで、1回戦で日本に敗れたブラジルのバルセロス監督は「日本が守備的な戦いを続けるならば優勝候補と呼ばれるにはふさわしくない」と試合後会見で吐露した。
「負け惜しみ」とも聞こえるが、素人が見ていて興奮するプロサッカーの「醍醐味」は確かに胸がスクような「個人技」といえるかもしれない。
そこで日本は、あえて「力負け」する個人技を捨て、全員で守って、守って カウンターで決める「戦略」に出て、勝利したともいえる。
見た目に「個人技」が映えるサッカーのプレイだが、フト日本のJリーグに所属するサッカー・チームには、「固い結束」を表すチーム名が多いのではないかと思い調べてみた。
東京ヴェルディは、ポルトガル語で「緑」を意味する「VERDE」から生まれた造語である。
浦和レッドダイヤモンズは、「ダイヤモンド」がもつ最高の輝き、固い結束力をイメージし、クラブカラーの「レッド」と組み合わせた名称である。
京都パープルサンガの「パープル」は前身の京都紫光クラブのチームカラーを引き継いだもので、SANGA(サンガ)は歴史ある寺院を多く擁する古都・京都とつながりの深い仏教用語で、サンスクリット語で「仲間・群れ」を意味し、チーム名はコノ二つを合わせたものである。
サンフレッチェ広島は、日本語の「三」とイタリア語の「フレッチェ=矢」を合わせたもので、広島に縁の深い戦国武将、毛利元就の故事に由来し、「三本の矢」を意味している。
我が地元のアビスパ福岡の「アビスパ」はスペイン語でハチを意味する。
「ハチ」の持つ特性「集団行動性」「俊敏性」が、クラブの目指すサッカースタイルである「軽快で統制のとれた多様なグループ攻撃」を象徴する。
大分トリニータは、クラブ運営の3本柱である県民、企業、行政を表す三位一体(英語でトリニティ/Trinity)に、ホームタウンの大分を加えた造語である。
サガン鳥栖は、長い年月をかけて砂粒が固まって砂岩「サガン」となるように、一人ひとり、小さな力を結集し立ち向かうことを意味し、「佐賀の」という意味にも通じる。
ちなみに全日本サッカーチームのユニフォームカラの「ブルー」は、海に囲まれた日本を表すだけではなく、次ぎのような意味がある。
ちなみに、1890年に来日したラフカディオ・ハーンは、「日本は、神秘なブルーに満ちた国」と絶賛した。
日本の藍色は、庶民に派手なことを慎むよう統制された江戸期を通して発達し町人から武士までさまざまな人が一般的に用いる色になった。
「ジャパン・ブルー」と称されるこの色は、しかし1880年に輸入された化学合成技術によって徐々に衰退し、現在では原材料となる蓼藍の生産が激減し、1970年代には絶滅の危機に瀕した。
藍色は日本に限らず世界的によくみられる色で、アメリカでは「インディゴ・ブルー」と呼ばれ、ジーンズの着色に使われる。
これはもともと、蛇に噛まれないために使われたのが始まりで、原材料の蓼藍には薬用、防虫効果もあるという。
そういえば、オーストラリアに青い色の素材でアズマやを飾るニワシドリという不思議な鳥がいたのを思い出す。
そもそもオス達は、メスに気に入られようと、踊ってみせたり、頭のとさかを広げてみたりと涙ぐましい努力家だが、なかでも「あずまや」と呼ばれる建築とセットになった庭は、汗と涙の真骨頂といえる。
その「あずまや」のカラーこそはこの鳥たちの「青至上主義」を最もよく表している。
「サムライ・ブルー」というのは、妙な呼び方のようで、アリーナ(戦場)にむかう人間の色として、結構「ふさわい」言葉なのかもしれない。
今度のオリンピックの組織の力に、それを支えた精神的な「結束力」があったのも目だった気がする。
そして、その結束力の裏ヅケとなったのは「過去の敗戦」という「隠し味」ではなかったであろうか。

ところで地元・福岡が何であれ「日本一」に輝くのは、「同じような」環境で何事かに励んでいる者に勇気を与えてくれるものである。
例えば我が住居のスグソバにあるブリューワリー「ブルーマスター」(福岡市城南区別府橋)は、1日100本しかつくれないほど小さな工場だが、「日本一おいしいビール」(ビアフェスティバル人気NO1)というニュースがでていた。
別府橋のたもとに日本一小さなビール工場で、ご夫婦と社員1名の3人のみで運営されている。
店舗の横、ガラス張りの向こうでビールを生産されて多種類のフレバーがあるのがユニーク。
中でも「ハニー&カボス」は香り・味・コク・甘い酸味がもっとも深くて想像以上に美味しく、マンゴービールやチョコレートビールも独特の旨味がある。
さらに今年5月の西日本新聞には、我が地元福岡市博多区箕ノ島の日本タングステンという会社が「日本一」固い金属を作ったというニュースがでていた。
この会社は、希少金属(レアメタル)の精製加工会社で、宇美町と基山と飯塚に工場がある。
電球のフィラメントの材料などタングステン製品や電気スイッチの接点の材料、超硬合金の金型などを製造している。
フジテレビの番組「ほこ×たて」で、 日本タングステンは、番組内の企画である「絶対に穴の開かない金属VSどんな金属にも穴を開けられるドリル」において「絶対に穴の開かない金属」を作る会社として名を馳せた。
創業約80年の堅実な実力派企業は、バラエティー初出演し、番組では厚さ20ミリの同社製「NWS超硬合金」に穴が開くか、切削工具メーカーのドリルの刃がつぶれるまで無制限に戦う。
2010年10月以来、国内4社を相手に4勝1引き分け。
会社の誇りをかけた真剣勝負が視聴者を喜ばせ、番組の名物企画となった。
これまで「タンガロイ」、「アライドマテリアル」、「古河ロックドリル」との勝負に勝利し、「オーエスジー」との勝負では提供した金属が割れて引き分けとなったものの、2012年4月15日の「再戦」で割れることなくドリルの貫通を阻止して勝利した。
この時のことがニュースとなったのである。
日本タングステンは、硬くて熱に強いタングステンを中心に金属加工を手掛け、その製品は自動車やコピー機、パソコンの部品から、オムツ製造の型抜きまで、さまざまな産業分野で活用されている。
NWS超硬合金は、基山工場(佐賀県基山町)の超硬部品部主任を中心に3カ月がかりで作り上げる特製品だそうだ。
この技術主任氏は業界内で一躍、有名人となったばかりでなく、「お茶の間の人気者」となり、新卒予定の大学生の就職希望者数は3割増えたという。
日本経済を支える「縁の下の力持ち」に思わぬスポットライトが当たり、大学生の就職希望者数ばかりではなく「株価」にも好影響が出ているという。
ところで、この会社の合金の「硬さ」の基礎になるのは、タングステンと炭素を化合した炭化タングステンで、ダイヤモンドに次ぐ硬度をもつ金属の粉末に、コバルトなどを加えて焼き固める。
最近は切削工具メーカーのNWS研究も進んでおり、“隠し味”として、「秘密の金属」の粉を加え、進化させている。
日本タングステンの作る日本一固い金属には、企業秘密である「隠し味」たる金属の粉というものがあるという。
つまり、結びつきの力といっても「ほころび易いモノ」から「固い結束」まである。
例えば民族の結束の証しは、「苦難の歴史」によって確かめられていくことが多い。
ユダヤ人の「過越祭」はその代表例であるが、ユダヤ教の結婚式において今でも二人で交互にワインを飲み干した後に、グラスを割るというものがある。
理由は、紀元前6世紀のバビロン捕囚後にエルサレムの神殿が破壊されたことを忘れないためだという。

1952年1月19日、韓国の李承晩大統領が国際法を無視するかたちで一方的に設定した水域境界線を「李承晩ライン」という。
それまでのマッカーサーラインよりも日本に近かったため日本側は抗議したが、韓国側は受け付けず域内に入る日本漁船を次々ととらえ漁民を抑留した。
この時代は日韓基本条約(1965年)により日韓関係が正常化される前で、抑留された漁民は帰国の見込みもなく収容先で不安な日々を過ごすことになった。
ちなみに日韓基本条約締結前の日本人抑留者・総数3929人、拿捕された船の数が328隻、銃撃された死傷者が44人となっている。
我が地元の福岡県の糸島で、韓国に拿捕された漁民の話を「直接」聞いたたことがある。
その漁民達が収容所で編んだ「刺繍」を見たのがキッカケである。
こうした事件を調べる内に「福岡水産試験場100年史」の記録の中に、韓国艦船に拿捕抑留され収容所から脱出した漁船民の河井作男(仮名)氏の「74時間の脱出劇」に出会った。
河井氏は1955年2月8日、漁船筑紫丸にのって操業中に韓国艦艇に捕獲されすべての財産を没収されたうえ釜山海洋警備隊により取り調べをうけて6ヶ月の刑をうけた。
6ヶ月がすぎ「満期」という嫌な言葉の響きに、何ゆえにコウシタ汚名を着ねばならぬかとの無念をかみしめる一方で、故郷や家族と会えると思うと青空にむかって叫びたい気持ちがあふれてきた。
しかしそれもツカの間、今度は釜山の外人収容所におくられた。
収容所では粗食と重労働に耐えつつなすスベもなくボロ糸を集めて編み物などをしたという。
そのうち友人と収容所脱出計画を思い立ち、収容所に出入りしている人夫と親しくなり多少の金を渡して小船の入手と脱出経路の情報を得ることができた。
毎日脱出の機会を狙っていたが、10月20日、警備員詰所で酒盛りがはじまり、月夜のなか這うように各棟の間をクグリぬけ友人の肩を踏み台にして塀をのりこえた。
有刺鉄線で衣服と体はボロボロなりながらも海岸までたどりついたという。
そして計画どおり海岸に小船を見つけたつけた時にはさすがにほっとしたが、一刻もはやく釜山を離れようと二人で必死に櫓をカイテいったのである。
海は大変静かであったが、そのことがむしろ前途の多難さを予告しているように思えたという。
午後3時ごろになると対馬の北端と思われるもの島影が浮上した時には二人で肩を抱き合って小躍りしたという。
しかし、次の日の午前4時に漁船をみつけ近づくとそれは韓国の漁船であった。
韓国漁船もこちらに近づいてきて、全身の力がぬける思いであったが、意を決して化粧品の密輸の帰りだというと「嘘をつけ」と殴打された。
じっとがまんして金を少し渡しなんとかその場を切り抜けた。
しかし夜が明けてみると対馬の島影はもはや見えず、いつしか日本海に流されていることに気づいた。
無動力船の悲しさで、再び奈落の底につきおとされた気持ちであったという。
針路不明のまま山口の漁船と遭遇し事情を説明するが、密輸か密航の船と思われ救助を拒否された。
天候もしだいに悪くなり、真夜中午前三時には、小船が波浪に耐え切れずに浸水をはじめ、船は転覆、船底に這い上がったが死の恐怖で一杯であった。
漂流数時間、寒気と疲労で睡魔に犯され意識が薄れていく中、200m先に船影をみつけ、大声で助けを求め救助されたという。
映画並みの脱出劇である。
ところで糸島の港近くの民家で部屋に掲げてあった「刺繍」を見かけてソノ由来を聞いた際に、同じような「体験談」を聞くことができた。
その刺繍は韓国艦船に拿捕された福岡県・糸島郡の加布里漁港の漁民達が韓国の釜山の収容所で編んだものであった。
加布里漁港がある前原市の「前原市史」をみてこの出来事が「福洋丸事件」(1955年)であることを知った。
そしてあらためて加布里漁港の福洋丸の複数の乗組員の御宅を訪れ、そうした刺繍をみせてもらったのである。
最初に行った西川(仮名)さんから当時の話を聞き、収容所で編んだ「大漁旗」をかかげた漁船のデザインがほどこされた刺繍をみせていただいた。
西川さんを含む漁民達は、収容先で釈放の見込みもナイままに2年間以上を過ごしたそうである。
さらに西川さんは、当時の記録をよく保存しているという石塚(仮名)さん宅に連れていってくださった。
そして石塚さんのお宅にもやはり額縁にはいった「バラの刺繍」がかかげてあった。
石塚さんは、2時間ばかりの間、網の修理をしながら生き生きと当時の事件の様子を話してくださった。
大塚さんの話の中で一番印象に残った事は、収容所で苦しみを共にした漁民達の「絆」はいまでも深いということであった。
そして福洋丸の29人の乗組員の絆がそれぞれの「刺繍」に編み込まれているようにも見えた。

戦後の日本の成長は「個人の力」よりも「組織の力」によってなし遂げられたと思う。
そして日本は聖徳太子の時代より「和をもって尊しとなす」を旨としてその「組織力」を発揮してきたのだと思う。
現在の日本では、「犠牲を払いたくない」カワリニ誰かに「犠牲を払わせるのも気の毒」、というグライの「和」のムードでしかない。
こうしたユルイ和の雰囲気が、「決められない」政治というものに繋がっているのではないだろうか。
つまり国民の心情を「政治」は反映している。
これまで今に似た時代が全くなかったわではない。
その結果、「決定力」を軍部にタヨッテて道をアヤマッタ。
「決められない政治」「先おくり」政治の原因は、社会の隠し味たる「共通の苦難」の体験が失われているということがあるのかもしれない。
黒澤明監督の「名もなく貧しく美しく」は、戦争の時代に人々がいかに身を犠牲にして美しく生き働いたかが描かれていた。
日本人は伝統的に「和の伝統」あったのだが、戦後は「敗戦」というミジメな体験があった。
共通の「敗戦体験」は単なる「組織の力」だけではなく、精神的な「結束力」を生んだ。
最近では、「ナントカ政経塾」出身の政治家達も増え、「敗戦」という「共通の苦難」という体験が失われつつある。
「結束力ある社会」が単なる「和の社会」と違うのは、個人が「犠牲を払う」ことを厭わないということではなかろうか。
「リーダー不在」ということは、政治家の中にも命をハルだけの人間がいなくなったということだろう。
昨今の外憂に対して日本政府は、極寒地でペンギンが身を寄せ合って嵐が通り過ぎるのを待つように、リスクを恐れて「固まって」しまいそうな気配もナキにしもアラズ。