ソフトなインフラ

最近ユーロ圏の信用不安で、ギリシアばかりではなくイタリアやスペインまでも「ユーロ離脱か」という記事が新聞や週刊誌に見られるようになった。
そこで「ユーロ離脱」で何が起きるのか、なかなか素人にはわかりにくいが、ユーロ以前の通貨(ギリシアならドラクマ)に戻ったら戻ったで、その通貨の価値は以前と比べ大幅に下がるために、借金財政は「ユーロ圏」に留まるよりも苦しくなる。
問題は、「金融政策の自由さ」を取り戻すメリットでそれをカバーできるかである。
しかし、政府貨幣が信任を失うと、終戦直後のような「実物経済」に回帰する。
実物経済とは何かというと、物資を調達しようにも相手が「紙幣」を有難く受け取ってクレナクなる世界で、「頼り」は貨幣よりモノということになる。
例えば「刑務所」という閉鎖的小社会をイメージしてみたい。
刑務所は基本的には法と規制の下にある社会であるが、映画「ショーシャンクの空に」とか「大脱走」などで見るのと同じく、実際の刑務所や収容所内ではタバコなどが「貨幣」モドキとなって、想像以上にイロンナものが手にはいるものらしい。
酒だって、タバコだって、服だってソウだし、食器を巧に加工すれば多様な道具になったりする。
囚人が看守の目を盗んだり、逆に仲良しになったりして、とても刑務所に手に入らないシロモノまで手に入って、囚人の「生活の便」に供されることになる。
本来、刑務所は「平等社会」のハズだが、そこでは自然とシャバとは違う「力関係」が生まれ、物品の「調達力」を持つ者が支配者になり、ソコソコの「格差社会」にまでが生じるのである。
そういえば、しばらく前にフィリピンの刑務所の「実態」が新聞にでていた。
「有罪判決」を受けて実際に服役した受刑者には、有力政治家や地方の自治体長、人気俳優、大物政治家の家族、最高裁判所判事の家族などもいる。
裕福な生活をしていた彼らが、貧困層の受刑者が多い刑務所で皆と同じ環境で生活をすることになるのだが、「金の力で」刑務所内で携帯電話、インターネット、冷房などを利用する環境にいるものまでいるという。
このことを問題にしたのは、そうした囚人によって家族を殺された人々であったのだが、法律を作る側の政治家やソノ親族が「刑務所にはいる可能性」を心配マデするようでは、刑務所内の「健全な」改革もママナラヌのは当然だ。
しかしタトエが悪スギルかもしれないが、このフィリピン社会の「刑務所」の話は、社会全般に通用できるアル「原理」をサシ示している。
それはジョン・ロールズの「マクシミン原理」というもので、この原理々は「自分が最低に陥った場合」を想定して、社会の「最低水準」を「最大化」しようとするというものである。
例えば、犯罪を増やさないタメにはシャバの生活と刑務所の生活に「差」を設ける必要があるが、犯罪が増えない程度には、刑務所内の生活水準を上げようとする一つの「社会的公正の原理」といっていいだろう。
コノ原理は、ハーバード大学の「白熱教室」で有名なサンデル教授の「正義について語ろう」に登場する。
サンデル教授といえば、先日「正義か市場か」という論評が朝日新聞に出ていた。
サンデル教授は「市場経済というのはいいが、市場社会となると話は別である」と語っている。
つまり、市場は「ツール」として評価するが、「市場の社会化」には、疑問を投げかけているということである。
サンデル教授は「市場の社会化」の例として、成績が低い学校の生徒の学力向上を目指して賞金を払って読書させたり、病院で並ばないで診察を受けられるチケットをダフ屋が売り出したり、人間の生死や名誉にまで及ぶことなどをアゲている。
日本では、原発マネーが社会を覆い、原発推進派が真の民主主義を歪めたことが、この「市場社会」の一つ「表れ」といってよいだろう。

今日、多くの人々が「最低」に陥る不安を抱いているので、「マキシミン原理」はモット注目をアビテしかるべきだと思う。
民主党のいうような「最低保証年金」が「オカミダヨリ」の人間を増やすダケにならない為の原理といってよい。
金融危機から「預金封鎖」などという事態になれば、人々の生活は様々な意味で「縮小」することはホボ間違いない。
タダ、政府保証の貨幣が信用を失ったとしても、前述の刑務所の例のように「貨幣の代替物」というものは各地に生まれることであろう。
こうして一部「実物経済」へ回帰する時、社会で最も「頼りになる」基盤というものは、一体何であろうか。
最近37年前に書かれた「日本の自殺」という論文が文芸春秋にトップに「再掲載」され話題をよんでいる。
1975年といえば、イマダ繁栄を謳歌した時代で、この論文はインターネットもない時代に書かれたものとは信じがたいホド、「現代」を言い当てている。
この論文では、過去の「文明の没落」を研究した結果、文明の没落は外部の力によって生じるのではなく、内部から「自壊」していくものだということを明らかにした。
この「自壊作用」のメカニズムとは、繁栄と都市化が大衆社会化状況を出現させ、それが大衆の判断や思考力を衰弱させることを通じて活力なき「福祉国家」へと堕落し、エゴと悪平等の泥沼に沈みこんでいくという恐るべきメカニズムである、という。
最近思いアタルことをいえば、政治レベルでは、任期中には消費税を上げないと国民の人気トリに終始し、国債発行では公約を破り、アメリカに気に入られるためにアメリカの国債を買いまくるなどのことなどが脳裏に浮かんでくる。
また、フリーターがニート族といわれる教育をウケズ働いてもいない者が何十万人もいる。
また就職しても1年未満で会社を辞めるものも数多く、一方で老人は手厚い年金をもらい、何度も海外旅行を楽しんでいる。
仕事をしない人々は、「オレオレ詐欺」で老人世代から、莫大な金を巻き上げている。
官僚は、天下りをハシゴして国民の税金を貪っている。
文芸春秋に掲載されたこの「日本の自殺」の筆者は「グループ1984」で、ジョージ・オーエルの近未来小説「1984」をナラッタものとされている。
「グループ1984」は各分野の専門家20数人による学者の集まりで、中心人物は香山健一元学習院大学教授だった。
この論文の中で、政治家やエリートは「大衆迎合主義」をやめ、指導者としての誇りと責任を持ち、ナスべきこと、主張すべきことをすべきだと「戒め」ている。
人々は 自己抑制を行い、人の幸福をカネで語るのをヤメ、国民が自分のことは自分で解決するという「自立の精神と気概を持つべきだ」とも「戒め」ている。
経団連の土光敏夫会長はコノ論文と絶賛し、コピーしては知り合いに配ったという。
ところで「ローマ没落」の理由を一言で表現するなら「パンとサーカス」で滅びたということである。
パンとサーカスとは、今でも「ガス抜き」や愚民政策のタトエしてしばしば用いられる言葉でもある。
地中海世界を支配したローマ帝国は、広大な「属州」を従えていた。
それらの属州から搾取した莫大な富はローマに集積し、ローマ市民は労働から「解放」されていた。
そして、権力者は市民を「政治的無関心」の状態に留めるために、「パンとサーカス」を市民に無償で提供した。
「サーカス」は現代人の考えるサーカスではなく古代ローマの競馬場における馬車である戦車競走で、サーカスよりも「サーキット」に近い。
この言葉はサラニ拡大して闘技場での剣闘士試合などを含めた「娯楽一般」の意味で用いられている。
我々は秀越な二本の映画、「ベンハー」では戦車競争を、映画「グラディエーター」では剣闘士の試合を、カナリ具体的なイメージとして思い描くことができる。
さてローマ市民は、広大な領土と奴隷によって次第に働かなくなり、政治家のところに行っては「パンよこせ、食料をよこせ」と要求するが、「大衆迎合的」な政治家はソレに与え続けたのである。
食糧に関しては、穀物の「無償配給」が行われていたうえ、大土地所有者や政治家が、大衆の支持を獲得するためにしばしば「食糧の配布」を行っていた。
処刑した富裕市民の「没収財産」を広く分配したネロ帝や、文字通り金貨をバラ撒いたカリグラ帝の例がある。
今日本で「パン」から連想するのは、失業給付金の受給者の急増にある。
もちろん、正当な受給者もたくさんいるが、一度コレで生活すると、就職難でキツイ仕事が多い状況の中で、職を探す意欲を保つのが難しくなる。
ところで食のために困ることがないローマ市民は暇をモテアマシ、円形競技場における「サーカス」にウツツをぬかすようになっていく。
「コロッセオ」様々な「猛獣の行進」に始まり、猛獣対猛獣の試合が行なわれた。
次に闘牛が行なわれ、最後には「人間同士」の殺し合いが行なわれる。
その選手はたいてい「死刑囚」だったが、死刑囚が不足している時には、軽微な罪の者が死刑を宣告されて、選手として登場する場合もあったという。
「パンとサーカス」はローマ帝国の東西分割後も存続した東ローマ帝国ではしばらく維持されていたが、7世紀のサーサーン朝やイスラム帝国の侵攻によってエジプト・シリアといった穀倉地帯を失うと穀物の供給を維持できなくなり、終焉した。
この時点でローマ市民が、再び懸命に働くことはなく、「自壊作用」に身をユダメル外はなくなっていることはいうまでもない。
「パンとサーカス」という言葉の出所であるユウェナリスによれば、「我々民衆は、投票権を失って票の売買ができなくなって以来、国政に対する関心を失って久しい。かつては政治と軍事の全てにおいて権威の源泉だった民衆は、今では一心不乱に、専ら二つのものだけを熱心に求めるようになっている―すなわちパンとサーカスを」と述べている。
さて我々の年代には、フェリーニ監督の映画「サテリコン」に登場する肥満したローマ人の姿が印象に強く残るが、ローマの宴会は夕方に始まり深夜にまで及ぶものであったという。
給仕が配った「嘔吐薬」を飲んソレを吐き出しながら、何時間も延々とオイシイものを食べ続けるわけである。
コノ話はI・モンタネツリの「ローマの歴史」に書いてあった。
この本はイタリアのジャーナリストが現代的視点からローマ人を描いたものであるが、難点は「面白すぎる」ことにある。
たぶん史家はこの本を推奨するものではないであろう。
この本では「子供の養育」についても書いてあり、現代社会を彷彿とさせるものがある。
「子供の養育はかっては国家と神なへの義務であり、後生を弔う子孫なしではあの世の平安も得られぬと信じられていたが、今や子供は面倒に過ぎず、妊娠中絶が流行し、中絶し損ねて生まれると、「乳の出る円柱(コルメン・ラクテウス)」のもとへ捨てられた。そこでは国費で雇われた乳母がいて、その捨て子を哺育した」。

以上に見る如く「ローマの崩壊」は自壊作用によるが、その「表れ」の一つとして「インフラの崩壊」ということがあげられる。
インフラとは一般に、主に道路、鉄道、港湾、水道、ガスなど生活・産業発展に必要な基盤的なものを指すものである。
ローマ帝国は最も古くから「インフラ整備」で輝かしい「業績」を残した帝国であることは間違いない。
しかしそのローマ帝国も、末期にはそうした大規模インフラの維持コストが高まりのため、「財政危機」と 「軍事力」衰退をまねき、帝国滅亡の「引き金」の一つとなったとされている。
例えば、水道管として使われた鉛管から、水中へ溶け出した「鉛イオン」が、市民たちの体内に長年蓄積した結果、市民の「健康被害」が広まり帝国衰退の原因となったといわれている。
一般の市民レベルで考えてみると、極端な消費経済は「ストック軽視」になる傾向がある。
イツデモ新しいモノが手に入ると思うと、手持ちのモノを大切にしなくなるからである。
となると水道の「鉛イオン」も身からでた「サビ」といえるだろう。
しかし、このような「ハード」としてのインフラは、その貧困さも充実度も、体験的にも視覚的に知ることができるため、その整備や維持手間と時間をカケさえすれば、ナントカなるものだ。
しかしモット深刻なのは、「不可視のインフラ」の危機とでもいうべきものがアリソウダということだ。
この「不可視のインフラ」が貧弱であったり痩せ衰えてしまったことコソが、「国の存亡」にカカワルことではなかったかということである。
そしてこれは、前記の論文「日本の自殺」の根底の考えにも通じるものではないだろうか。
「日本の自殺」では、1970年代当時の豊かさを享受しきっている日本人が心はスサミきって病み、個性を失って呆然と立ち尽くし「自壊」に向かっていると見て、カツテ栄華を誇った古代ギリシャ、ローマ帝国の衰退と没落と「同じ道」を歩いている指摘しているからである。
人間はソノ「存在」を堀り下げていった時に、他者との共通の「基盤」みたいなものがあって、その「共有」する部分が人との交流の中で感情のやりとりや言外の言葉の意味を探ったりする、豊かな「情動」の部分を形成しているのである。
こうした「不可視のインフラ」を目に見えるハードのインフラに対して、「ソフトのインフラ」とよぶことにしよう。
そして日本の荒廃の要因の一つが、誰かと共有できるような物語を生みだす「ソフトのインフラ」がとても貧弱になりつつあるのではないか、という気がしてならない。
このことを「国民単位」で考える時に、人々がその国の成り立ちである「神話」は、「ソフトのインフラ」の最も典型的なモノではなかろうか。
日本の場合、「古事記」や「日本書紀」というと、戦前の軍国主義教育を思い浮かべるために、アマリよい印象をもたれていないことが残念だが、実はもっと「素朴」な形で記紀神話の神々は、軍国主義の時代以前から各地の鎮守の森の「祭神」として築かれていていたのである。
ちなみにローマ人は、その建国の起源をオオカミとしていたのに対し、日本の場合は天照大神としていたの である。
「オオカミ」と「オオミカミ」では名前は似ていても、ドエライ「違い」がある。
さて、「ソフトのインフラ」つまり目には見えない心のインフラストラクチャーにドレ程の価値あるのかは、ハ-ドのインフラの価値と比べて、測りがたいものがある。マシテその「経済価値」ナンカを問題にしてはいけない。
この種の「インフラ」が姿を表すのは、人々の「受難」の時である。
例えば、我々は軽々しく「水俣病」を語ることはできないが、不知火海の漁民の受難にあって、「ソフトのインフラ」がシッカリその姿をあらわしたことが、人々を慰め悲惨に陥ることから救った面があったという。
前・上智大学教授・宗像巌氏は、水俣について次のような報告を書いている。
「不知火海を中心とする漁民の世界に継承されてきた見えない宗教世界の中から、この受難史を貫いて表出 される人間精神の昂揚とそのすぐれた成果を読み取ることである。悲劇の渦中に置かれたにも関わらず、水俣漁村の人々の日常生活には、生きる生命の充実感が満ち溢れている。
家族の中の被害者を中心とする助け合いの生活に 接すると、この人々の深い悲しみにもかかわらず、ときおり意外なまでの明るさをそこに見出すのである。
家族や漁村共同体の多くの人々をつつみ込んだ悲しみの共同体験は、人々の間に一時的な不安と緊張を起こ したにもかかわらず、やがて人々の心の奥に流れる生命の連続環を媒介にして、純度の高い愛の共同体験と して展開されている」と。
これが、石牟礼道子女史がいう「苦海浄土」なのかもしれない。
水俣病多発地帯には、浄土真宗の源光寺や西念寺の門徒が多くいたことを付言したい。
水俣の住民の戦いは、「有機水銀」という近代の異物を放出した企業体は、水俣の受難体験を経てきた人々の苦しみと悲しみをすべて法律問題に還元し、もっといえば「金銭」の問題として解決しようとするきわめて人間味に欠けた集団を相手にする戦いでもあった。
そして人々は深刻な病には侵されたが、その精神までもが蝕みつくされなかったのはこの地域に根付いてい た「ソフト」のインフラではなかったか。
それは昨年の東北を襲った津波の際にも「姿」を表したものだったに違いない。
冒頭にフィリピン社会の刑務所の「腐敗」をあげたが、フィリピンの治安のワルサが原因で海外からの直接投資も少なく貧困からの脱出もママナラヌ中でも、家族のために出稼ぎしてに働く女性たちのケナゲサに心打たれるものがある。
ヨーロッパの信用危機は、実物経済と乖離したマネーの奔騰の中で起きたものであり、仮に崩壊が起こったとしたら、その「自壊の」プロセスにおいて最期にモノいうのは、こうした「ソフトのインフラ」の強さと質ではなかろうか。
コノ世界から貨幣が剥がれる時、人間も素に戻るということか。