士気高揚ソング

朝日新聞の「be」の記事で知ったのは、体育祭などで集団で歌いダンスする「マイム・マイム」がユダヤ民謡であることである。
そして、その「マイム」の意味が「水」だったとは迂闊だった。手をつないで輪を狭めていくのは、「井戸」を掘り当てた喜びを表現している。
それは国を失ったユダヤ人達によるパレスチナ「入植」の歴史が秘められていたのだ。
イザヤ・ベンタソンが40年ほど前に語った「日本では水と安全はタダである」といテーゼを思い起こすが、それもスッカリ過去の話になった感はある。
意味を知らずにナントナク歌っていると曲といえば、「国歌」から「校歌」から「わらべ歌」まで様々であるが、何事もチャント「意味」を知った上で、歌ったり踊ったりした方が、喜びも哀しみもカミシメることができ、気持ちが豊かになるのではないだろうか。
日本の「わらべ歌」には、楽しげなメロディーでも、案外と怖いものがある。
たとえば♪~ずいずいずっころばし、ごまみそずい。茶壺に追われて、戸ぴっしゃん~♪ナンテ歌はサッパリ意味不明だが、調べてみると結構「怖い」歌だった。
もっとも、あんまり深く「意味」を追求しないで、とでもイイタゲな歌もないではない。
しかしサスガに、「社歌」や「軍歌」は分かり易く出来ているようだ。
「歌」によって集団の気持ちをマトメ、士気を盛り上げる実際的効果をねらっているからであろう。
とはいっても「社歌」すなわち「会社の歌」なんて、当の「所属」メンバー以外にホトンド知るものではない。
最近では「社歌」とはいわず、「グループソング」とよぶそうだ。
では、実際の「グループソング」はドノヨウに歌われているのだろうか。
パナソニックの朝会(朝礼)は、前身である松下電器が創業した翌年の1933年から連綿と続いている。
国内のみならず、世界100カ国ほどあるそれぞれのオフィスで、約33万人の社員が参加しているという。
本社での模様は次の通りである。
午前8時50分 英語版グループソング「Shall be done」が流れる。
午前8時55分 起立して、日本語版グループソング「この夢が未来」を斉唱する。
午前9時「所感」の発表。所感とはスピーチのことで、社員が持ち回りで自由なテーマで話をする。その際に英語での「所感」が奨励される。
午前9時10分 同社が掲げる「私たちの遵奉すべき精神」を唱和する。
「多様性月間」では、英語で唱和したりもするという。
ところで大阪・通天閣の胴体にデカデカと掲げてある「文字広告」は、関東圏企業の「HITACHI」である。
この広告をめぐって、松下と日立とはひとつの「因縁話」がある。
地元の松下電器や三洋電機、そしてシャープが幅をきかす関西への進出を狙っていた日立製作所と、資金調達のために「長期契約」を欲しがっていた通天閣側の意向が一致して実現したとしたという。
松下幸之助は若き日、通天閣の電灯工事に大阪電灯の「配線工」として参加していたことがあって、松下電器の社長になった後に通天閣への広告を断ったことを、後々まで悔ヤンダといわれている。
大阪のシンボルに「MATUSHITA」または「NATIONAL」と煌くことは、広告宣伝としてばかりではなく、社員の「士気向上」の上でもハカリ知れない効果があったかもしれない。
ところで、その日立の「社歌」の一部を紹介すると次のとうりである。
♪♪~鉄(くろがね)をつらぬく誠 たゆみなく励めりわれら
 難に耐え茨ふみ越え こぞりゆく日立だましい
民族を背負いて立てリ、すでにして世界の日立~♪♪
というわけで、日本民族の運命を「背負わん」バカリの日立の「心意気」を歌っている。
しかし「社歌」の中にも、実にユニークなものかある。
個人的に「傑作」だと思ったのは、「日本ブレイク工業」(本社:東京中央区)の社歌である。
♪♪~ブレイク ブレイク あなたの街の
解体 解体 一役買いたい。
耐久年数過ぎていくコンクリートが朽ちていく。
地球の平和を はばむ奴らさ BreakOut。
日本ブレイク工業 スチールボール DADADA!
家を壊すぜ 橋を壊すぜ ビルを壊すぜ 東へ西へ。
走る走る~日本ブレイク工業~♪♪
この歌聴いて、コの会社にはいりたいと思う人はいるかもしれないが、コノ歌を毎朝歌う会社の風景はアンマリ想像したくない。
メロディからいうとアニメソングの「マジンガーZ」と思っていただければよい。

人間は生活のために「労苦」するであるが、「喜び」や「生きがい」のためにも働くものである。
そして前者に偏るか、後者に偏るかは、各国各民族の「労働観」にサによる部分が大きい。
ラテン民族の労働観は、「天の召し(選び)」と「労働」を結びつけたプロテスタンテイズムの国々、儒教倫理と労働を結びつけ、「お茶くみ道」から「窓拭き道」まで「道」にまで高めた日本人のソレとは随分違うようだ。
あんまり宗教的なことを持ち出すまでもなく、「マズローの心理学」でいう「社会的な認知欲求を満たす」というのが、我々に一番よく実感できる「労働観念」ではなかろうか。
しかし世界には、「ナゼ働かないのか」と問いよりも、「ナゼ働くのか」という問いの方が自然な「国民性」というものがある。
つまり「労働」に士気高揚というものを必要としない国民性である。
例えばギリシア人は古代から生活の中で「テオーリア」(観想)を重視し、労働を「奴隷の仕事」と思っていた。
アテネでは市民の4倍もの奴隷がおり、ギリシア民主主義の実態は「奴隷制の土壌」に咲いた蓮の華のようなものだった。
そんな社会で、市民にとっての労働には、「刑罰」というほどの意味を持っていたのである。
真理について考えたり徳を実践したりするための貴重な時間も、農作業という苦役のために、大半を費やされてしまい、少しも人間性の向上には有益ではない、というわけだ。
絶え間なく生成をくり返す世界のにあって、変化を回避して「不変の」自分探しに没頭すべく、独自の魂の奥底にヒキコモルことこそが、ギリシャ人の理想の生きかたであった。
「肉体労働」は魂と物質を混同し、物質との接触で魂を汚すことによって、イデアの視野から魂を遠ざけてしまう。
それゆえに労働は不可避的な悪徳であり、可能な限り「排除」すべきものであった。
あのプラトンでさえもが、勤勉に働くものに対して「彼らに生きている価値があるといえるだろうか」などと述べているのである。
また、同じ「働く」といっても、資本家に拘束され「奴隷的」に働く場合もあれば、自然の営みの中で何の「拘束」を受けることなく働く場合もある。
前者を仮に「賃金労働」とよび、後者を「自然労働」とよぶならば、南米のイスパニオラ島の原住民は、両者の「性格」を考えさせられる恰好の材料を提供してくれている。
コロンブスがイスパニオラ島の原住民に「奴隷制」を導入するのはいとも簡単なことであった。
彼らは「武器」で戦うことを知らなかったので、白人の言うことをイトモ簡単に聞いたのである。
ところが、彼らは全くプランテーション労働に全く向いていなかった。どんどん死んでいくのである。
病気で死ぬ。うつ病になる。反抗ではないが、座り込んで死ぬまで動かない。
子供を奴隷にするくらいならば、いっそ子供はつくらない。
「少子化」がおき、原住民は100年後に完全に滅んでいった。奴隷労働を期待したコロンブスの目論見は見事に外れたのである。

日本の作家の中上健次は「岬」という小説で、「土方」の仕事について次のように書いている。
「彼は、区切りのつくところまで、土を掘り起こそうと思った。つるはしを打ちつけた。
見事に根元まで入った。引きこす。土はふくれあがり、めくれる。
つるはしを置いて、シャベルに代えた。腰を要れ、シャベルのかどに足をかけ、土をすくった。
汗が塩辛くなく、水のように流れ出すと、掘り方に体が馴れて、力を入れ抜く動きにぴったり息が合っているのだった。
何よりも働いたという感じになった。腕の筋肉が動き、腹の筋肉が動く。それは男らしかった。
彼は土方仕事が好きだった。他の仕事や商売よりも、尊いと思った」。
また、日本の歌謡には「土方の仕事」を歌った「よいとまけの歌」というのがある。
スピリチュアリストの美輪明宏氏が、小学生時代に土方の子供として差別され、イジメられた体験がベースにあるという。
♪~父ちゃんのためならエンヤコラ/ 母ちゃんのためならエンヤコラ/もうひとつおまけに エンヤコラ~♪
「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、地固めをする際に、重量のある槌を数人掛かりで滑車で上下する時の掛け声であり、この仕事は主に日雇い労働者を動員して行った。
美輪氏によれば、滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声を語源としたという。
ツライ仕事には、「労働歌」が生まれたり、心を楽しませるために「舞踊」が誕生したりする。
だから「労働」と「芸能」はよく結びつき、ポピュラー・ミュージックになったりもする。
まず思い浮かんだのは、♪デ~~オゥ!♪で始まる「バナナボート」の歌であるが、オリジナルは、バナナ・ボートはジャマイカの民謡メントで、バナナを積み出す港で荷役に従事していた人たちの「労働歌」である。
最もよく知られているバージョンは1957年にニューヨーク出身の黒人歌手ハリー・ベラフォンテが唄いアメリカで大ヒットしたものである。
その歌詞を少し紹介すると、
♪~バナナの荷揚げだよ 荷揚げが済め飛んで行きます。荷揚げが住んだらね ラムでも呑んで待っていてね。あしたの朝までね 気が気じゃないけれど~♪である。
ジャマイカは、産業は砂糖とバナナを中心とする一次産業であったが、イギリスによる「植民地主義」つまり奴隷主義の影響を受けて、社会に「階級色」が濃いものであった。
それゆえ「バナナボート」は、そういう過酷なバナナの「荷積み」を歌ったものだが、ラテン系の明るさとリズムで、それを打ち払わんとした歌に聞こえる。
さらに日本で、♪~昔アラブの偉い御坊さんが~♪ではじまる「コーヒー・ルンバ」はかつて西田佐知子さんが歌ってヒットした。
オリジナル(元歌)は、ベネズエラの作曲家がコーヒーをモチーフに1958年に作詞・作曲した「Moliendo Cafe」(原意「コーヒーを挽きながら」)という曲で、昼間摘んだコーヒー豆を夜 挽く重労働を描いた「労働歌」なのである。
その他に、朝鮮でよく歌われ「国民的歌謡」といってよい「アリラン」は、キキョウを掘る娘を歌った「トラジ」とともに、「労働歌」として生まれたと言われている。
日本の歌謡曲で「労働」を歌ったものとして、北島三郎の「与作」を思い浮かべる。
♪~与作は木をきる!ヘイヘイHO-!へいへいHOー!~♪は、ノドカな労働歌ではないでしょか。
北原ミレイが歌った「石狩挽歌」は、歌詞の中にニシン漁をする漁民達の専門語が出てきて分かりにくいが、それゆえに単なる「大漁歌」を越えた重厚な歌になっている。
♪♪~海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると 赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ~♪♪
幼少時、作詞家のなかにし礼一家は貧困の中にあり、「破滅型」の兄はバクチのようなニシン漁を行ったことがあり、大漁に恵まれた。
しかし兄はそれで満足せず本州まで運んで高く売ろうとしたために、結局せっかくのニシンも腐らせてしまい全てを失う。
結局、膨大な借金だけが残ってしまい、一家は離散することになるのである。
「石狩挽歌」は、作詞家・なかにし礼氏の「実体験」を元に生まれでたものだけに、ナオ「重み」がある、

世界各地に残る民謡やフォルクローレには、その「労苦」ばかりではなく「収穫の喜び」を歌ったものがたくさんあるハズである。
「夏も近づく八十八夜」の歌い出しで知られる「茶摘(ちゃつみ)」は、1912年に発表された日本の童謡・唱歌で、京都の宇治田原村の「茶摘歌」を元に作られたとされる。
歌詞の二番にある「日本」は元々は「田原」だったという。
♪♪~夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは 茶摘ぢやないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠 日和つづきの今日此の頃を、心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ 摘め摘め 摘まねばならぬ
摘まにや日本の茶にならぬ~♪♪
静岡がお茶の産地となったのは、大政奉還によって徳川家が駿府すなわち静岡に来たことと関係している。そしてお茶といえば、江戸時代、「茶壺」が怖れられた時代があった。
とはいえ、その「茶壺」というのはある特定の茶壺のことである。
モット言えば、その茶壺を掲げて、江戸から宇治の間を往復した「お茶壺道中」というものがあった。
将軍家用の宇治茶を「取り寄せる」ためのもので、これが大名行列をもシノグ規模で行われ、一行の総数は、500名以上にのぼったと言われている。
ではナンデお茶ごときに、そんなモノモノしい行列をしつらえたのか。
このお茶壺道中を始めたのは、三代将軍・家光であった。
徳川家の「士気高揚」および諸大名が徳川家に服従するかを試してやろうと、将軍家用の「茶壺に権威」をもたせて通行させたのだ。
5代将軍の綱吉の「生類哀れみの令」にも似た権力者の「身勝手さ」で生まれたものある。
これはスッカリ制度化されてしてしまって、以後「お茶壺道中」は幕府の「権勢」を世に問う一大イベントになったのである。
冒頭で触れた♪~すいずい ずっころばし ごまみそ ずい~♪で始まるわらべ歌は、「お茶壺道中」を歌ったものである。
この「情景」を書くと次のとうりである。
「ある農家でずいきのゴマミソあえを作っていたところ、表を将軍様に献上する"茶壷道中が"通りかかった。
驚いた家の人たちが急いで奥へ隠れる。静まりかえった家の納屋の方では、ネズミが米俵を食べる音。井戸端ではあわてた拍子にお茶わんを欠く音。
息を殺している中でのいろいろな音。
そして、やがて茶壷道中は去って行く」。
ソンナことで、毎年、新茶のシーズンにお茶壺の一行が通るときは、田植えや畑仕事も一切禁止させた。
「下にい」「下にい」の言葉が聞こえると、庶民は土下座。諸大名も駕籠から降りて、道を譲らなければならなかった。
それに気をよくしたのは、お茶壺道中の一行は、「権威」をカサに着て各地で「狼藉」も働いたとか。
ソノ恐ろしさを歌ったのが、♪茶壺に追われて、戸ぴっしゃん♪である。

さてNHKロンドンオリンピックのテーマソングは、「いきものがかり」となったが、作詞作曲を担当する、一橋大学在学中の水野良樹君の「感性」はツネツ"ネ素晴らしいと思っている。
ちなみに、メンバーが小学校の頃「動物の世話担当」だったので、「生き物係り」をグループ名としたという。
この「いきものがかり」の曲「Yell」や「ブルーバード」、「サクラ」などの「青春ソング」は相当秀逸だし、朝のフジ「目覚ましTV」のテーマソングであった「ニューワールド・ミュージック」や「じょいふる」に見られる「言葉遊び」も楽しい。
少し前の大ヒット曲「ありがとう」は、20歳ソコソコの若者に作れる歌なのか、と感心した。
このたび、ロンドンオリンピックのテーマソングとして選ばれた曲のタイトルは「風がふいている」である。
士気向上ソングとしても悪くない。