シェーラザード

先日北京で、大使の公用車から日本の「日の丸」が盗まれた事件は、中国サイドでは「国内世論」を見ながら、「落とし処」を探ったというカンジで、実行者の「行政処分」という形でおさまった。
それでも、国家間の「亀裂」は思わぬところから生じることを教えられた出来事だった。
ところで「国旗」の端緒は、海洋国家である日本が、幕末に自国の船を「外国船」と区別するという必要性によるものだった。
稲作中心で太陽の恵みに感謝してきた日本人は、古来より皇室の元旦・朝賀の際にも「太陽」を形どった旗を掲げてきた。
そこで、薩摩藩主・島津斉彬が「日の丸」を「日本総船印」として用いるように幕府に建議し、当時幕政の実力者であった水戸藩主・徳川斉昭もコレニ賛意を示し、「日の丸」が採用されたのである。
船舶が掲げる旗というものは、国旗以外にも国際法上、様々な意味がある。
そうしたもので一番有名なものは「赤十字」であるが、それは戦時においてコソ最も尊重されるべきものである。
ところで、世界最大の海難事故となったのは、タイタニックではなく日本の船舶「阿波丸」の沈没事故である。
この「阿波丸」は「緑十字」を帯びており、攻撃されるハズのない船であった。
その沈没をめぐってはイマダに幾つかの謎を残したママとなっている。
というより、阿波丸の沈没は様々な「ミステリー」を引き寄せているといった方が、適切かもしれない。
ソノ1つが、戦時中に北京の協和病院から、「北京原人」の骨が杳(よう)として行方が分からなくなっている「謎」に関するものである。
この阿波丸に北京原人の骨が積載されていたという説も浮上している。
この船の事故を題材にして小説を書いた浅田次郎は、阿波丸を豪華客船「弥勒丸」としている。
浅田氏は、この船には「金塊」が積まれてれており、自民党の結成時の資金ともなった「M資金」との関連を匂わせているが、この「金塊」の存在こそが阿波丸の撃沈の原因となったとしている。
しかし浅田次郎の小説はあくまでもフィクションであることを断っておこう。
さて、ミステリーといえば世界の航空機史上、最も「ミステリアス」な事故が2005年8月14日に起きている。
ギリシアで発生したヘリオス航空522便墜落事故であるが、当初ナゾに満ちアフレた事故であったが、ヨウヤク解明されるに至っている。
ヘリオス522便は、地中海に浮かぶ小さな島・キプロスを離陸後、まもなく「交信」を絶った。
約2時間後、機体はマルデ目的を失った鳥のように空を旋回していた。
眼下には人口300万人を超す大都市ギリシャの首都・アテネがあった。
市街地に墜落すれば大惨事は免れない。
当時のギリシャ首相から、最悪の場合「撃墜」もヤムを得ずとの命を受け、戦闘機二機が飛び立った。
戦闘機が522便に接近してパイロットが見た光景は、あまりにも「不可解」なものだった。
窓から見える乗客は全員、身動き1つせず眠っているようだった。
コックピットに機長の姿はなく、副操縦士は操縦器に頭をウツ伏せにしたままで全く動く気配がなかった。
それはマルデ空中を漂う「幽霊飛行機」というほかはなかった。
だがツギの瞬間、戦闘機のパイロットはコックピットに侵入する「人影」を発見したのだ。
「人影」は操縦席に座った。戦闘機のパイロットは、その男に「空港まで」誘導する合図を出した。
男はそれを受け入れ戦闘機に追順するかに見えたが、数十分後に「急に」旋廻して山岳地帯へと消えていったのである。
ロンドンの地下鉄テロからあまり月日が経過しておらず、有毒ガスによるテロの可能性も考えられた。
しかし、しばらくして発見されたボイスレコーダーと飛行記録の解析によって少しずつ真相が解明されるに至った。
事故原因として機体の与圧システムに異常が発生して、運航乗務員が「低酸素症」に陥り意識を喪失していたことが事故に繋がったのである。
つまり、戦闘機のパイロットが見た「異様な情景」は、乗客たちが低酸素症になって眠るように身動きできない状況に陥っていた姿だったのである。
ギリシア当局の航空事故調査委員会による報告書によると、与圧システムの異常は整備士の人為的ミスで発生したもので、運航乗務員もその異常を把握できなかったために事故に繋がったとしている。
しかしそれでも大きなナゾが残った。
ナゼ一人の男が動いてコックピットにはいり、操縦桿を突然に山岳地帯に向けたのだろうか。
この飛行機には、アンドレアス・プロドロモという男性が乗っていた。
彼はまだ客室乗務員であったがパイロットになることを目指してた。
本来非番であったが、結婚が真近い客室乗務員と一緒に働くのを希望し、ワザワザ搭乗していたのだ。
低酸素の中で彼ダケが動けたのは、潜水の訓練をしたことや以前キプロスの特殊部隊に所属していたことが理由だと考えらている。
プトモドロは、戦闘機が接近したと頃、「眠る乗客」の中でタッタ一人目をさまして操縦席があるコックピットをめざしていた。
ようやく暗証番号を探しあてコックピットを開いたが、そこで機長は床に倒れこみ、副操縦士は座席で前屈みにウツ伏しているのを発見した。
何とか操縦桿を握りしめ、戦闘機パイロットの誘導に従って空港に向かおうとしたが、522便はスデに「燃料切れ」のランプが点滅していた。
そこで、プロドロモは市街地への墜落をサケルために操縦桿を必死で山岳地帯にむけたのである。
なお事故機がアト5分間飛行を続けていた場合には、戦闘機はアテネ市街地への墜落の危険を回避するために「撃墜命令」を出す態勢にあったという。
522便はマラトン山中で発見され121名全員の死亡が確認された。

「シェーラザード」といえば、アラビアンナイトに登場する有名な女性の名前である。
遠い昔のアラビアの国、王妃の浮気に女性不信になったシャリアール王は、女性に「嫌悪感」を抱き、女性たちに一夜夜伽(よとぎ)をさせたあと、彼女らを殺していた。
その状況下で、みずから進んで王の夜伽を志願した女性がシェーラザードである。
毎晩、興味深い話をして王を楽しませ、話が佳境に入った所で「続きはまた明日」とシェーラザードが打ち切る為、王は次の話が聞きたくて別の女性に夜伽をさせるのを思い留まったのである。
そしソノ話は1001夜では終わるが、王はすでに「女性不信」から脱却していて、シェーラザードは王妃となる。
この話を題材として、ロシアの作曲家リムスキー・コルサコフが作曲した組曲が「シェーラザード」である。
個人的には、フィギュアスケートの浅田真央のショート・プログラムで使われた曲として聞き覚えがある。
「シェーラザード」という曲が蓄音機から良く流されていたのが、冒頭に紹介した「阿波丸」である。
「阿波丸事件」は、終戦も真近い1945年4月1日にシンガポールから日本へ向けて航行中であった貨客船「阿波丸」が、アメリカ海軍の潜水艦の魚雷を受け台湾海峡の牛山島付近で沈没した事件である。
この事件で、船員1人を除く2129名が死亡した。
あのタイタニックの死亡者が1522名だったからこの海難事故コソが「世界最悪」といって間違いない。
しかしそれは「事故」という名で片付けることは難しい面がある。
阿波丸に乗船した人々の多くはシンガポールから内地への引き上げ者だった。
なお、阿波丸はアメリカ政府の「日本占領地のアメリカ人捕虜へ慰問品を送ってほしい」という要請に従って、ソレ応じた「緑十字船」であった。
戦時中、東南アジアに居る日本兵さえ食料不足状態にあったので、アメリカの捕虜や抑留民は飢餓状態にあった。
その為、アメリカの依頼で阿波丸は捕虜たちに国際赤十字からの食糧や救助薬品を運ぶため、「病院船」扱いの「安導権」(=SafeーConduct)を与えられていたのである。
そのために船体は「白く」塗られ、夜間は船体脇と煙突に「緑十字」の形を照らし出し、夜間の「誤認」による攻撃を防ぐようになっていた。
この「阿波丸事件」の最大のナゾは、アメリカの「要請」で航行しソノ安全が保障されていたにもかかわらず、なぜアメリカ軍により攻撃されたのかである。
日本は「戦時国際法」に違反するものと抗議し、アメリカ側もこれを受け入れて責任を認めた上で、「賠償問題」については終戦後に「改めて」交渉を行なうことになった。
このようにアメリカは当初「賠償」に応じる姿勢だったが、当時のGHQ司令官ダグラス・マッカーサーが「賠償」を強く拒否したため「交渉」は暗礁に乗り上げた。
阿波丸には往航時には既に、武器弾薬、予備部品が積載されていて、また撃沈時にはシンガポールからスズ 生ゴムその他の貴金属、希少金属類等が積載されていた。
本来なら阿波丸は、空荷で帰路につかねばならず、日本の「条約破り」もマタ明らかであった。
また安全に内地に帰還出来る事から「便乗者」として政府高官(大東亜省次官)や一般企業の社員(三井物産支店長)なども乗り込んでいた。
このような戦時禁制品や官僚の輸送は「本来の」許可内容から外れるものであり、このことはアメリカ軍の写真偵察や通信の傍受によって確認されている。
そこでアメリカ海軍内には「正当な」攻撃対象となりえるという意見もアルにはあった。
しかし、安全が確保された船にモノや人が運ばれるのは、むしろ起きうることでコレが果たして「撃沈」の理由になりうるかというのは大いに疑問である。
この「阿波丸沈没」の生き残りに厨房で働いていたタッタ一人の人物がいる。
また潜水艦の乗員の証言によれば、「誤認」による攻撃の可能性もあるという。
軍法会議の結果では、阿波丸への「攻撃禁止」命令はスグニ下されていたものの、潜水艦が根拠地サイパンを出る際その旨を記した命令書が一般書類に「紛れて」艦長の確認が遅れた上、阿波丸の位置情報を知らせる電報の伝達が遅れてしまい、結果的に艦長は阿波丸に対する攻撃を敢行し撃沈してしまった。
つまりは、潜水艦の艦長は、「不注意」ということで軍法会議で有罪判決(戒告処分)を受けている。
マッカーサーが「賠償」を拒んだことが事態を複雑にしていたが、「代案」として当時アメリカが日本に対して行っていた有償食料援助の借款額を「棒引き」する代わりに、日本へ阿波丸の賠償請求権を「放棄」するよう求めた。
アメリカ側の「破格な」提案に当時の日本政府もこれを了承し、1949年阿波丸への賠償請求権を「放棄」し日本政府がアメリカに代わって賠償を行う旨を国会で正式に決定した。
なお、東京・芝・増上寺境内に「阿波丸事件殉難者之碑」がある。

日本とトルコの間にはナゼカ深い「友好関係」が築かれているようである。
例えば、イラン・イラク戦争の最中の1985年3月17日の出来事である。
イラクのサダム・フセインが、「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と、無茶な「声明」を世界に向けて発信した。
日本からは企業の社員やその家族が、イランに住んでいた。
その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かったが、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国の「救援機」を出して救出していたのだが、日本政府は素早い決定ができなないでいた。
空港にいた日本人はパニック状態になっていた。
そこに、二機のトルコ航空の飛行機が到着した。
トルコ航空機は、日本人215名全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。
それはタイムリミットの1時間15分前であったという。
日本とトルコの「友好」につき、かつて日露戦争でアジアの小国・日本ががトルコの最大の敵・ロシアを撃ち破り、トルコの人々を勇気づけたという話が伝わっている。
しかしそれダケはなく、和歌山県沖のトルコ船沈没事故による「キズナ」が大きい。
昨年和歌山県南部を襲った台風12号は、歴史に埋もれていた「エルトゥールル号沈没事故」のことを思い起こさせた。
トルコ船籍の船エルトゥールル号は、1890年6月に横浜港に到着し、同9月にトルコに向かって出港したが、台風による荒天で和歌山県串本町沖の紀伊大島で座礁、沈没した。
この海難事故により、オスマン提督以下乗組員587名が死亡するという「大惨事」となった。
それでも、樫野埼灯台下に流れ着いた生存者が数10メートルの断崖を這い登って灯台守に遭難を知らせた。
灯台守の通報を受けた大島村(現在の串本町樫野)の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。
この時、台風により出漁できず食料の蓄えもワズカだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど「献身的」に生存者たちの救護に努めた。
その結果、69名の乗組員が救出され、後に日本海軍の巡洋艦により丁重にトルコに送還された。
この時、日本国内でも犠牲者に対する「義援金」の募集が広く行われた。
トルコはこの「恩義」を忘れず昨年の台風12号の紀伊半島豪雨でも、串本町を含めた和歌山県の支援に乗りだしたのである。
トルコ寺院「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」の地下室には、下着や衣類、紙オムツ、即席ラーメンが入った段ボールが積まれ、被災地にむけてトラックで運搬された。
ところで、このように日本とトルコの絆を深める結果となったエルトゥールル号の沈没事故はどのようにして起こったのだろうか。
1887年(明治20年)近代国家をめざす過程で、小松宮彰仁殿下及び同妃殿下がトルコを訪問し、皇帝アブドゥル・ハミト2世に謁見した。
これに対する答礼として、同皇帝はオスマン・パシャ提督(海軍少将)率いる総勢650名の使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号を日本に派遣する。
1890年6月、同使節団は横浜港に到着、オスマン・パシャ提督は明治天皇に拝謁しオスマン帝国の最高勲章を奉呈した。
その帰路の事故だったが、エルトゥールル号は出港以来蓄積し続けた艦の消耗や乗員の消耗、資金不足に伴う物資不足が限界に達していた。
このような状況から遠洋航海に耐えないエルトゥールル号の消耗ブリをみた日本側は台風の時期をヤリ過ごすように勧告した。
しかし、トルコ側はソノ制止を振り切って帰路についた。
何故にこのような無理をしてまでエルトゥールル号は出航したのだろうか。
背景には、インド・東南アジアのムスリム(イスラム教徒)にイスラム教の盟主・オスマン帝国の「国力」を誇示したい皇帝・アブデュルハミト二世の意志が働いていたと思われる。
出港を強行したのも、日本に留まりつづけることでオスマン帝国海軍の「弱体化」を流布されることを危惧したためであろう。
遭難事件はその「帰途」に起こったのである。
その後、海難現場の和歌山県串本町には、「エルトゥールル号殉難将士慰霊碑」が建立され、毎年慰霊式典が開催されている。

予期せぬ事故は、国家間の「亀裂」の原因ともなれば、「キズナ」の原因ともなる。
映画「タイタニック号」では豪華客船で楽団員が居り、沈没の最後まで甲板で演奏し音楽が流れ続ける。
阿波丸では「シェーラザード」の曲がしばしば蓄音機から流れていたという。
作家の浅田次郎は、この「阿波丸」をモデルに豪華旅客船「弥勒丸」として描き、船ソノモノのを「シェーラザード」にタトエて小説のタイトルにした。
確かに、沈没してもなお様々な「ミステリー」を物語っているこの船は、「シェーラザード」の名にフサワシイかもしれない。
それならばエルトゥールル号の方はといえば~~。
老体に鞭打ってドンキホーテの「見果てぬ夢」に付き合わされた愛馬「ロシナンテ」にでもたとえられようか。