しびれる話

今日ほど、「電気」の有難さを思わせられる時はナイ。
同時に「電気」に対してアマリに感謝の気持ちを忘れていたことに気がつく。
あの日まで、夏の冷房が効きすぎるので、都会のコンビニでオデンが売られていた、「夏オデン」の日々だった。
今、電気を起こす方法「原子力」に注目が集まっているが、ソモソモ「電気」とは何だろうか。
小中高一貫して「理科」を勉強しなかったセイカ、今頃「電気」の話はカエッテ新鮮に聞こえるが、以下はそのシビレル話の一端である。
「電気」は今から2600 年前頃に発見された。
古代ギリシャ人である「ターレス」が布で琥珀(こはく)をコスルと、モノを引きつけることに気がついた。
その当時は、「電気の存在」マシテその「性質」など誰も知る由もなく、タダタダ不思議なものでシカなかった。
16 世紀イギリス・エリザベス女王の時代、当時医者だったギルバートが、鉄・硫黄・ガラスなど様々なものを コスルと、琥珀と同じ「現象」が起こることを発見した。
これをキッカケにコノ「現象」が、「科学の対象」として探求されるようになった。
ところで「電気とは何か」、現代科学の知識で説明すれば次のようになる。
物体は、原子や分子と言われる粒子が組み合わさってできている(ことは誰でも知っている)。
そして原子と原子を結びつけているのが、「電子」というサラニ小さな粒子で、原子の周りではイクツカの電子が「軌道上」をグルグル回っている。
また電子の中には、グルグル軌道を回るだけ以外に、暴れん坊の電子があり、コレヲ「自由電子」と呼んでいる。
硬い金属でも、電子は自由奔放に飛び回っているのだが、突然「決まった」方向に動いて「一定の流れ」ができる時、「電気」が起きたことなる。
この電子の「整列」はハズミでおきることがある。
ドアを開けようとしたり、服を着替えようとした時にバチバチッと音がする。
この現象を「静電気」というが、アマリニ瞬間的なので「電球」を光らせたりすることはできない。
我々が使っている電気は、こうした「静電気」ではなく、いつも「決まった」方向に「一定の」強さで流れる「動電気」である。
実用には「動電気」でないと耐えエナイ為、そうした電気を生み出す、ツマリ「発電」が必要なのである。
ところで自然界には、「自然発電」しているイキモノもいる。
例えば、電気ウナギの発電器官は、筋肉の細胞が「発電板」並の細胞に変化したものである。
数千個の発電板が並んだ「発電器官」は体長の5分の4ほどあり、肛門から後ろはホボ「発電器官」と言ってよいという。
この「発電器官」は頭側がプラス極、尾の方がマイナス極になっている(電気ナマズはナゼカ逆)。
発生する電圧は発電板1つにつき約0.15V にすぎないが、「数千個」の発電板が一斉に発電することにより、かなり「強力な」電気を発生させることができる。
ただし、この「高電圧」は約1000分の1秒ほどしか持続しないため、これを「実用化」するのもヤハリ無理である。
ところで、電気の「実用化」における最大の功労者は、何といってもトーマス・エジソン(1847~1931)である。
電話の発明者は、アレクサンダー・グラハム・ベルで、会社や研究所の名前から機器の名前さえも「ベル」と冠されたものが存在し、AT&Tという「世界最大の通信会社」に発展しているだが、果たして「エジソン」の名が冠された会社で、ソレに匹敵する会社というものが存在しただろうか。
また「発明王」といわれるわりには、エジソンの名前はノーベル賞受賞者にも名前がない。
また、我々日本人にとってサラニ不思議なことは、京都の石清水八幡宮の境内に「エジソン記念碑」があることである。
また京阪八幡駅の前の広場には「エジソンの胸像」があり、広場の中央には「竹」とエジソンの「白熱電球」のオブジェがある。
一体、「竹」と「電球」とがドウ結びつくのだろう。
ちなみに、石清水八幡宮といえば、源氏から「武神」としての信仰が篤く、当社からは源頼義による壺井八幡宮や頼義・頼朝による鶴岡八幡宮を始めとして、源氏の広がりとともに各地に「八幡宮」が勧請されたのである。
エジソンと「源氏ユカリ」の地とは、一体どんなカカワリがあるのだろうか。

多くの日本人にとって、今最大の関心事は「電気」がコノ夏充分に供給されるのかということだが、ソレモ「電気が貯められる」ものならば、問題はない。
というわけで、「電気の性質」について調べてみた。
実は、自然の中でで、「電気が貯まる」現象というのは時々見ることがある。
冬になって空気が乾燥すと「静電気」がタマリやすい。
またカミナリも、雲のあいだに電気がタマッテ起きる現象である。
時は1791年イタリアで、物理学者のボルタは「カエルが電気を発生させる」というガルバーニという人の論文を読んで驚いた。
その内容は、「2種類の金属を、皮をむいたカエルの足に当てると、足がケイレンする。これはカエルが電気を起こしているにちがいない」という単純なモノだった。
自分で何でも試さずにはいられないボルタは、色んな金属を使って実験してみた。
すると二種類の金属で、確かにカエルの足がピクピクする。しかし、金属を二つとも同じものにすると、カエルの足はピクリともしないことを発見した。
さらに資料をアサルうちに、或る人が書いた「銅と亜鉛で舌をはさむと不快になった」という記事にハットした。
このことがボルタの中で、カエルの足の「痙攣現象」が結びついたのである。
さっそく自ら試してみると、「シビレルような味」がした。
カエルと同じく「同じ金属」だとピリピリは起きなかった。そこでボルタは考えた。
カエルが電気を起こすのではなく、湿ったモノと二種類の金属がふれる、そうするとビリビリと電気が生じるのである。
単純だがスゴイ発見に違いない。ウマクやれば電気を取り出せるかもしれない。
ボルタは、塩水の入った入れ物に「銅」と「亜鉛」を半分くらいツケて、「導線」でツナグと「電気」が発生し、ソノ電気を取り出すことに成功したのだ。
電気は水の流れと同じく、高い方から低い方へ流れる。このため、「電圧」の高低差がないと電気は流れない。
二つの金属を導線でつなぐといううのは、ソウイウ意味である。
ボルタはさらに、同じような入れ物をたくさん並べ、ソレゾレを導線でツナグことにより「強い電気」を作ることができた。
だがコレデハ「重く」で持ち運びができない。ソコデ、銅と亜鉛を積み重ね、銅と亜鉛の間に塩水をシミこませた「布」をハサンデみた。
こうして世界で初めての「ボルタ電池」が誕生した。
これは1800年という区切りのイイ年のことだが、「電圧」の強さを表す単位である「ボルト(V)」は、電池を発明したボルタの名にチナンダものである。
その後、このボルタ電池をもとに今の「乾電池」が作られるが、基本的な仕組みは同じで、液体がコボレナイようになっているものが「乾電池」である。
その後、ボルタ電池を使った実験によって、たくさんの「電気の秘密」が解き明かされていった。
というわけで、ボルタの大発明がソノ後の「電気時代」の扉を開いたといえる。
1801年、皇帝ナポレオンの前で実験を披露したボルタは、ナポレオンからメダルと伯爵の地位を与えられている。

現代において電気はどのように「起こされ」(発電され)ているか。
乾電池のようにプラス・マイナスが入れ替わらない、一定の方向にだけ流れる電気を「直流」と呼ぶが、一方電気のプラス・マイナスが1秒間に何回も入れ替わる「交流」というものがある。
そして「交流」において、電気の波が一定のリズムでプラスに行ったりマイナスに行ったりする速度を「周波数」と呼び「ヘルツ(Hz)」という単位であらわす。
要するに、1秒間に50回プラス・マイナスが入れ替わるのが、「50ヘルツ」の電気ということである。
今、世界的に「電気」は波の力をカリテ高圧で送電できる「交流方式」で行われている。
そしてドコデモ変圧器で100ボルトに落として利用されているのだ。
日本では明治時代に電気が使われ始めるが、電気をツクルために関東ではドイツから「50ヘルツ」の発電機、関西ではアメリカから「60ヘルツ」の発電機を輸入した。
そのため、東西の「周波数」の違いとして、イマデモ残っている。
したがって日本は糸魚川・新潟を結んだ線で東西に分かれ、東から西へ、西から東へ送電する場合には、「変換所」を通して行うわなければならないという「特殊事情」がある。
ただし最近、では、家庭用では周波数に関係なく動くコンバータつきの機種が増えたため、引っ越しても全て買い替えなくてもいいようになった。
「電気が起きる仕組」は、1831年にファラデーというイギリスの学者によって発見された。
この発見は「電磁誘導」といわれ、電流と磁力(磁石の力)の間にある「密接な」関係、つまり「磁力」で金属の線の中で「自由電子」が決まった向きに流れ始めることが分かったのである。
電線をグルグル巻きにしたものを「コイル」といい、そのすぐソバに棒かU字型の「磁石」がアルとする。
このコイルのソバで磁石を「動かす」と、なんとコイルの両端には「電気」が発生するのである。
言い換えるとコイルのソバで「磁力の変化」があると、コイルの両端には「電気」が発生するということである。
磁石の動きを速くすると、それだけ強い流れができて、電気が強くなる。
そして、発生する「電気の大きさ」(電圧)は、「磁力の大きさ」や「電線の巻き数」に関係している。
しかし、磁石をスゴイ速さで何度も動かすのは大変である。
ソコデ磁石を動かすのではなく、コイルの方を回したら、同じように電気が生まれた。
今、大きな「発電機」はホトンド、磁石の中でコイルを回して電気を取り出す方式になっている。
そして発電所とはコイルを動かす、つまりタービンを動かすのに「水力」か「火力」が「原子力」かが使われている「違い」があるダケなのである。

電気は世の中を間違いなく明るくすることは、最近のLED電球が夜の街を明るく「照らす」ことにより、ヨク体験するところである。
トーマス・エジソンが発明したものの中で、最も普及度が高いモノといえば「白熱電球」であろう。
この白熱電球において最大の問題は、実際に光で輝く素材を「何に」するかということである。
いくら電気が光を生むとしても、この素材が長く「光」を発光し続けなければ、「電球」としての役割を担えないからである。
そしてこの素材を「フィラメント」というが、細い線から成る細かい糸状の構造を指す。
フィラメントとはラテン語で糸を意味する「filum」に由来する。
1878年にエジソンは、「エジソン電灯会社」を設立し、「白熱電球」の研究に取り組んだ。
そして1879年32歳の時、エジソンは「綿糸」に煤(すす)とタールを塗って炭素させたフィラメントを使って、「45時間」輝く白熱電灯の製作に成功したのである。
しかし耐久時間が45時間では、「白熱電球」として売り出すには短すぎる。
エジソンは最低600時間は続かないと、商品化するのはムリであると考えた。
ところが、タマタマ研究室にあった「扇子の竹」でフィラメントを作ったところ「200時間」も電球がトモッタのである。
エジソンは材質を「竹」にしぼり、20人の調査員を「竹採集」のため世界に派遣して、1200種類もの竹で実験したという。
そして1880年のこと、エジソンの一人の助手が日本の「竹」を求めて来日した。
エジソンの名は日本にも知られており、コノ助手と東京で会見した伊藤博文総理大臣・山県有朋外務大臣らは 京都なら良質の竹が入手できるであろうことを助言した。
  我々も京都では嵯峨野とか八幡男山が「竹の産地」であることはヨク知るところである。
そして助手が見つけ採取したのが、京都八幡男山の石清水八幡宮境内からとった「真竹」であった。
そしてトーマス・エジソンが白熱電球の改良に際して、この八幡の真竹で作った「フィラメント」の電球は2450時間も灯り続けたという。
というわけで、京都・石清水八幡宮のため境内にはエジソンの記念碑があり、2月11日には「エジソン生誕祭」も行われているという。
さらに、10月21日はエジソン発明の白熱電球を記念して「あかりの日」となっている。
ところで、石清水八幡宮のある八幡男山は今も山中には広大な美しい竹林が広がっている。
ここで育つ真竹は、エジソンによって電球の「フィラメント」としての優れた特性をモツことが判明したが、伝統的に日本でも様々な場面に使われてきたモノである。
材質が硬いが 割れやすく 加工しやすいため「竹細工製品」に用いられている。
温度による膨張や伸縮度が低いため、モノサシにも最適の材料であり、尺八にも真竹が使われている。
1894年に電球のフィラメントは、セルローズのフィラメントに取って代わるが、京都八幡の真竹は10数年にわたり「エジソン電灯」会社に輸出され、サラニ八幡の竹を用いた白熱電球が毎年世界各国に輸出されたのである。
1889年有力な資本家もを出資して、新会社「エジソン・ジェネラル・エレクトリック社」が設立された。
新会社でエジソンは「直流方式」での電力供給を主張した。
しかし、「直流方式」では遠距離送電では電圧が降下するため「半径3キロ」以内しか送電できなかった。
しかし、エジソンは反対されると意地になって、マスマス直流方式を押し通そうとした。
交流の高圧送電がいかに「危険か」を証明するため 犬や猫を感電死させる実験までしたため、逆にコノことが世間のヒンシュクを買う結果となってしまった。
会社の取締役会は、直流送電では「交流送電」をしているライバル会社に勝ち目はないため、結局エジソンの考えは入れられなかった。
そして「エジソン・ジェネラル・エレクトリック社」の社名から エジソンという名がハズサレ、エジソンは会社を退社することになった。
そして退社後、1931年亡くなるまでの30年間エジソンは、「ジェエラル・エレクトリック社」(GE)の工場にサエ足を踏み入れることサエなかったという。
良く似たケースとしてアップル社のステーブ・ジョブス氏を思い浮かべるが、ジョブス氏は一旦は会社から追い出されるが、別の会社で「トイ・ストーリー」などの映画を製作して復帰し、「iPhone」などを生み出している。
結局、エジソンは「白熱電球」の発明には成功したものの 企業家として白熱電球の「事業化」には成功しなかったというわけである。
ところで「琥珀(こはく)」(英語: amber)とは、「木の樹脂」(ヤニ)が地中に埋没し、長い年月により固化した「宝石」である。
「琥」の文字は、中国において虎が死後に石になったものだと信じられていたことに由来する。
実は、琥珀をマサツして静電気でモノを引きつける「現象」は、ギリシャ語で「琥珀」を意味した文字から「エレクトロン」と名づけられた。
これが「電気( electricity )」の語源である。
ところで「琥珀」は、旧石器時代から様久な用途で人々に親しまれてきた。
ローマでは神聖な「お守り」として中国では邪気を遠ざける「魔よけ」として、またお香にすることで「精神安定」の為の治療薬としても利用されてきた。
電気の語源が「琥珀」とは、シビレル。