朽ちぬ衣

最近身近な人が亡くなって、死が全てをノミコムとは思えないということを知った。
頻繁には会わない人だから、カエッテ「身近」な存在として「生きて」いるように感じることサエある。
しかし、アル人は言う。
人は死によって「無」に帰すことだと思えるほど強くはなく、生も死も偶然の生物作用と思うほど強靭ではない。
その弱さ故に、「神」や「宗教」が生まれたのだと。
最近、小学生の列にクルマが突っ込んだり、高速バスの居眠り運転で多数の死傷者がでている。
また水泳会では北島選手のライバルであるオーエン氏が突然なくなった。
確かに、こうした「不慮の死」や「突然の死」に悲しむ人々は深い喪失感の中で、人の死をどう理解したよいのか、闇の中での手探り状態かもしれない。
我が家族の場合、予想された死であったが、実際に身近な人の死を体験して思うことは、死者がドコカにいていつも自分を見ているという感覚の方が、次第に強くなってくる。大袈裟だが「存在感」が増している。
ソレハ、人間が強いとか弱いとかはなく、日々に起こってくる自然な気持ちなのだ。
人の心には、「見えない世界」に通じる「回廊」のようなものがあるのではなかろうか、とサエ思う。
植村花奈の「トイレの神様」は、亡くなった祖母に対する強い思いが溢れていて、共感をよんだ。
そして、身近な人の死の体験が、アル種の「宗教心」の芽生えにつながると聞く。
仏教や神道では、物故者に対して「慰める」「鎮める」「弔う」ということをする。
しかしキリスト教にはそういうものはない。天にいる人を「慰める」必要もなければ、「鎮める」必要もないからだ。
では、キリスト教では「救い」を受けなかった人はドウナルノか気になるところだが、聖書は、「死者への福音」(ペテロ第一の手紙3章)ばかりではなく、「死者の救い」(「コリント人第一の手紙」5章12節)についてモ言及している。
そして実際、初代教会(ヨーロッパ伝播以前の弟子達の教会)ではソレをよく理解し、実行していたことがわかる。
しかし、ヨーロッパ版キリスト教(カトリック)は、「死者の救い」について充分理解できず「秘蹟」として採用しなかったので、ほとんどのキリスト教会で置き去りにされてしまった感がある。

ところで先日、天皇の埋葬法について「火葬する」ということが発表された。
皇室の葬儀は神道式で執り行われるが、実は奈良時代聖武天皇の代から江戸時代まで長らく「仏式」で行われ、埋葬の仕方も基本的には「火葬」であった。
1654年の第110代・後光明天皇以降は「土葬」され、葬儀は「神道式」で行われるようになった。
そして、その亡骸は巨大な墳丘に「土葬」されてきた。
このたび天皇・皇后は「世間一般が為すように火葬で、質素に。望みは合葬を」という意向を示された。
さらに可能な限り「簡素な」もの、つまり「国民生活への影響の少ないものとする」ことをのぞまれている。
宮内庁は、国民とともに歩まれる天皇・皇后の気持ちを尊重し、時代に合った「新しい葬送」のあり方を模索するという。
ところで「土葬」とは、死者の遺体を棺に収めて、地中に埋葬するものであるが、長らく日本の埋葬文化の中心をなした。
古来からの「土葬の思想」をアエテいえば、地上のあらゆる生物もこの「自然の循環」にしたがっているように、「人間は土より生まれ土に還る」という発想であろう。
埋葬された遺体は、そこに安らかに眠るがごとくあり、いつも彼の地に眠っていると想起させる。
その意味では、人間ノミが「自然の循環」に従うことなく火葬を行っているし、アマリ環境にもよいとはいえない。
さらに、身近な者の「火葬」を体験すると、カナリの衝撃を受けることも事実である。
明治の半ば頃までは、日本人の埋葬は土葬が圧倒的に多く、火葬は1割程度だったとされる。
それも京都などの既成の大都市や、真宗地帯に偏っており、殆どの人は土葬されていたのである。
日本では700年に道昭という坊さんを火葬にしたのが第一号で、最初の火葬の天皇は持統天皇である。
だが火葬は、大方上流の人々の間に行われるにトドマリ、一般の民衆にはナカナカ広がらなかった。
「世間一般が為す」火葬が急速に普及するのは戦後のことである。
これには、都市化に伴い従来の大家族制度が解体し、ミニ家族を単位にした「家族墓」が普及したことによる。
1965年ころには、火葬の普及率は30数パーセントになり、今日では実に99パーセントを超えるほどに進んだ。
ちなみに、韓国での火葬率は10パーセント未満にとどまっており、日本は火葬における「超先進国」であるといっていい。
しかし、戦後に整備された「墓地・埋葬法令」が、「火葬」の普及を助けたという事情があったにせよ、これだけ「火葬」が普及したのは「国民の意識」のなかにソレを受け入れる素地があったということである。
古来、日本人にとって、霊魂というものは、身体とは「別個」の存在であるという意識がある。
人が生まれるということは、霊魂がある者の身体に宿るということであり、人が死ぬということは、霊魂が身体を去るということだった。
ということで、身体は霊魂の「仮の宿り」という意識もあり、遺体を火葬することにおいて異常な抵抗を感ずることもなかったということであろう。
また、ところが、インドで生まれたモトモトの仏教は「輪廻」の思想があったから、人間は別の生き物として生きるので、コノ世における肉体はサホド重要なものではない。
「火葬」となり肉体を完全に失うことになるとはいえ、ソノ信仰に反するものではないからである。
そういえば中原中也の詩に「骨」と題するものがあった。
「ホラホラ、これが僕の骨
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?」

昔ポ-ランド映画で「灰とダイヤモンド」という映画を見たことがある。
妙な連想回路をもつせいか、この映画のタイトルから「刑事コロンボ」で見たことがある、或るストーリーを思いおこした。
ある葬儀屋が盗んだダイヤモンドを密かに死人の口におし入れて隠し、火葬炉の中からダイヤモンドを拾い出して我が物とするというストーリーである。
印象的だったのは、火葬炉はあまりに熱が強くて人が灰になってしまい、人間が「跡形もなく」消失し、灰とダイヤモンドしか残らなかったことである。
日本人的感覚でいえば、骨ぐらいは立派に残っていて欲しいモノダと思った。
ところで、日本ではいまなおビルマへ、ソロモン群島へと「遺骨収集団」が出かけている。
かつての戦地に遺族が遺骨を集めに行くというような行為は、日本人だけがやっているのではないだろうか。
寺院にある「仏舎利」はブッダの骨ということだが、ブッダの骨なら「聖なる」骨として尊崇されようが、亡くなった人の 骨をココマで大切にしようという気持ちの強さは、日本人「特有」のものだろう。
生前の肉体に対する思いに対して、これほどまでに「骨」に対する意識が高い国民ない。
欧米の場合は、遺骨よりも「遺体の収容」に重きを置いている。
パールハーバーには、日本海軍の奇襲攻撃で沈められた戦艦アリゾナが眠っているが、艦内には千人を超す将兵の遺骨もソノママになっている。
ところが乗組員の遺骨をナントカしようという声はマッタクあがらない。
そんなアメリカでも戦時における遺体収容への思いは強いようだ。敵に包囲されてヘリコプターが接近でき ない場合、戦死者をいったん埋めて退散して、その後に収容の為に戻ってくるのだ。
艦船から兵士を「水葬」する場合に は、アメリカの国旗にくるめて死体を海に降ろしているシーンを映画で見たことがある。
ところで、日本人の「遺骨」への強い思いを示している物語としては「ビルマの竪琴」がある。
ビルマに侵攻しイギリス軍の捕虜となった日本兵小隊の一人・水島が行方不明となった。その後水島に似た僧が竪琴を奏している姿が、各地で見られるようになった。
しばらくするとそのビルマ僧が行方不明の水島とわかり、日本兵達は共に帰国することを勧めるのであるが、水島は亡くなった戦友たちの骨を拾い集めるためにこの地に残るという。
自己主張することの少ない水島だっただけに、その「思い」には強く秘めたものがあった。
水島の心に宿った遺骨蒐集への強い思いコソが「ビルマの竪琴」のモチーフなのだが、その思いの背後には一体何があるのだろうか。
骨にはその人の霊魂が宿るという思い、その人がこの世に存在したという「究極の形見」、それが野晒しにされていることは、トリモナなおさず霊魂が彷徨うことでもあり、何とかシナケレバという気持ちに突き動かされるのである。

鳴海徳直という、「火葬炉の開発」により勲章をいくつもうけた人物がいる。
鳴海氏の火葬炉の開発の動機は、自分の母親が粗末な施設で火葬されたことへの慙愧の思いだったという。
この人物の努力により、火葬後もできるだけ骨の原形をトドメルような絶妙な「火加減」が模索され、「芸術的」とい われるまでの技術が実現した。
この鳴海氏が目指したのは「野焼き」の人工的な実現というものであった。
野焼きといえば、柿本人麻呂に有名な歌がある。
「こもりくの泊瀬の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹にかもあらむ」
人麻呂は、空にタナビク雲のおうな煙を自分の妹を焼く煙かもしれない意味の歌をのこしている。
ところで前述の鳴海氏は、遺体がアマリニ短時間に熱量を加えると火葬炉内で急激に「変形」することがイタタマレズ、「野焼き」の環境に近いものを実現しようとしたのである。
野焼きは比較的低温で行われるために、ホトンド熱による形状の変化を受けないので、自然のまま火葬され「収骨」ができ る。
薪と藁を組み合わせることにより発生した「均一な温度」が、遺体の可燃成分にシズカニに働きかけ、上昇気 流に乗って運ばれてきた空気により、自分自身で燃えることができるからである。
野焼きにおいて遺体にやさしく火がマンベンナクいきわたり、白い煙がたなびくごとく、つまり雲として天にアガッテいく風景がそこに現われていくのである。
遺体を焼く煙が黒々と濛々立ち昇ったならば、人麻呂の歌もアノヨウナ哀切な情感は生まれなかったであろう。
柿本人麻呂のコノ歌は、個人的には「亡き友人」の死を歌った松任谷由実の「ひこうき雲」を思い浮かべる。
スペインでは今「木に生まれ変わる」とい埋葬法が注目されつつある。
バルセロナ在住のデザイナーによって、エコ・フレンドリーでな「骨壷」が案出された。
骨壷はココナツの殻や泥炭やセルロース(繊維素)など、土の中で「分解しやすい」材料で出来ている。
また骨壷ごとに種が入っており、木となって自然に還ることになる。
この中に遺灰を入れ、それが木に育つというもので、死後に「木になりたい」という人の新たなオプションになっているという。
そういえば宇宙葬は、カプセルに遺骨を納め、衛星ロケットに乗せて宇宙へ打ち上げる。地球周回軌道上に誘導された衛星は、やがて大気圏に突入し、「摩擦熱」によって消えてゆくものである。
次の段階としては、人工衛星で遺灰を打ち上げ永遠にカプセルが地球を回り続ける「宇宙墓地」なんかも計画されているという。

古代のエジプト文明は、「復活」への信仰から、人間の体をミイラとして保存して、内臓までもツボに入れていたようだ。
旧約聖書にある最大の出来事に「出エジプト」があるが、エジプトは「この世」の型であり、「乳と蜜が流れる地」カナーンの地が「神の国」の型である。
キリスト教も古代エジプトと同じく「復活」の信仰があり、その「核心」といってもいい。
パウロは、この復活の信仰によって「救われて」おり、もし「復活」がないのならば、我々の全ては虚しいとまで言い切っている。(ローマ人への手紙5章4節)
それでも、キリスト教では人間の「この世の肉体」をソノママ保存しようという発想は存在しない。
人間が復活においてまとう「カラダ」は、この世の肉体とは「異なる」ものだからである。
それは次のような「新約聖書」言葉からもわかる。
「死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。 」(コリント人への第一手紙15章42節)。
「なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。 」(コリント人への第一手紙15章53節)
旧約聖書の出来事が何千年をへだてて、新約聖書の「型」にナッテいるところがスゴイところだが、「救いの型」といえば何といっても、ノアの洪水の話であろう。
ノアの洪水の話は、神が地上に満ちた暴虐を怒り、洪水によって人類が滅ぼされるのであるが、その際にノアとその一族8人だけは方舟によって救われる話である。
ノアは神に命じられたように、周囲からアザケラレながらも、命じられたとうりに「方舟」を完成させた。
新約聖書の「ペテロ第一の手紙8章」には、ノアの洪水が、「水を通過して人が救われる」洗礼という「救いの型」を示していると語っている。
それはモーセの時代に「紅海」が左右に分かれて通りヌケル話も同様であり、モーセという名前自体が水から「引き出される」ことを意味するものである。
ところで、ノアの物語の中には、アマリ目立たないがモウヒトツ「救いの型」が示してある。
ノアには、セム・ハム・ヤペテという三人の子供がいたが、ある日ノアが酒に酔って裸で寝っころがっていた。この場面を聖書の記述のままに書くと、
「彼は葡萄酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいる兄弟につげた。セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、後ろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった」。
ごく大雑把にいうと、セムの子孫が黄色系の人々で、ヤペテの子孫が白人系、ハムの子孫が黒人系の人々となっていく。
ところで、「創世記」には、エデンの園に「善悪を知る木」が生えて、人間がこれを食べてエデンの園から追放されたとある。
彼らが「善悪の木」を食べてハジメテ知ったこととは、自分達が「裸」であるということであった。
物語「裸の王様」の淵源は、このあたりにアルノデハナイカと思う。
裸を自覚した彼らは、「何で」身をまとうか困ったことであろうが、 酔っ払った父親ノアに遭遇したセムやヤペテの行為もヤハリ「救いの型」をしめしている。
人間の弱いところや罪深いところに、「朽ちない衣」で覆いをカケられるということである。