地方外交

「前兆」から何を読み取るか、というよりも「前兆」に気がつくかということが、インテリジェンス(情報分析)の大前提ともいえる。
石原都知事の東京都が、「尖閣列島」の一部を購入する意向がニュースになったが、地方自治体が準「外交的」な動きをしている「兆候」は以前から見られていた。
日本政府は尖閣諸島は「日本固有」の領土であり、そもそも領土問題が存在しないというのが、一貫した日本政府の態度であった。
しかし、中国が「海洋資源」の獲得をネラッテ尖閣諸島の領有権を主張すると、日本政府の対応は一歩腰が引け、東シナ海資源の「日中共同開発」で決着させようとしている。
このような事態に憂慮して石原都知事が尖閣諸島の購入を宣言し、政府に代わって東京都が「領土の保全」を図ろうとしたものである。
しかし、「領土の保全」といっても、石原氏が中国に与える「印象」からしてドウイウ結果を招くのか、一般人にはナカナカわからない。
朝日新聞の記事に「都知事の挑発」という言葉があったが、物事が決められない「中央政府」対して、地方から「変革」していこうという意気の表れととる。
石原氏自身が「尖閣列島を国が購入するなら、それが望ましい」といっている からだ。
さて「前兆」の話だが、島根県が「竹島の日」を制定し、韓国との外交関係をギクシャクさせたり、沖縄県の大田昌秀・前沖縄県知事が米軍基地問題をめぐってワシントンへ直談判したりしたのは、中央に向けて声を挙げても全く届いてイナイかにみえる政府の対応に対する地方の「外交的意思」の現われのように思える。
「中央」にいると「遠雷」のようなモノが、一気に大嵐になるまでソレホドの時間を要しないコトモある。
そのことを、歴史の事例から明らかにしたい。

鎌倉時代に博多に攻め込んだアノ「元寇」には、アルひとつの「前兆」があった。
それは、元寇の百年以上も前に起こった「刀伊の入寇」(1019年)という出来事である。
刀伊とは、中国のツングース系民族「女真族」で金国や、ノチに清国を建国している。
平安時代の終わり頃、この刀伊が北九州を襲撃した。
当時の太宰権卒(大宰府の副長官)は藤原隆家で、アノ清少納言の弟にあたる人物である。
刀伊は 賊船50隻で 突然 対馬に襲来し、福岡県糸島郡にも襲来し 志摩郡・早良郡などで暴れまわった。
山野をかけめぐって 馬や牛を斬っては食い、犬も殺して食った手当たり次第に人を捕らえて 老人子どもは全て斬殺した。
壮年男女は船に追い込み 穀物を奪い、民家を焼くという悪鬼のような乱暴を働いた。
壱岐島は 400人の島民が殺されたり捕らえられたりして、残った者はワズカに35人に過ぎなかったという。
大宰府の長官は親王の名誉職なので都にいて「現地不在」である。ソコデ副官の藤原隆家が実質的に指揮をとったのである。
ところで、近年日本では北朝鮮による日本人拉致が大きな社会問題となっているが、刀伊の入寇の一つの特徴は、米穀・牛馬の略奪にトドマラズ、「住民拉致」を行った。
1300人前後の日本人が拉致されてしまった。
つまり刀伊の入寇は「元寇」とは違って、騎馬民族による「領土拡張」が目的ではナク、「奴隷労働の確保」ということであった。
ただ歴史的意義としては、日本人がこの段階で「騎馬民族」と矛を交えたという事実である。
既に中国の宋の時代の前、五代十国時代に火器が発明され、実戦でも使用されていた。
恐らく火器は一種の燃焼性火器、原始的な「火炎放射器」だと思われる。
一方、日本側は古代律令に制定された徴兵制である「軍団制」から少数精鋭の「健児制」に切り替わっていた。
しかし、北九州・対馬・壱岐は日本防衛重要地であることに変りはなかった。
日本には当時 桓武天皇が廃止したために「軍隊」とよべるものはなく、刀伊を撃退したのは藤原隆家が召集した地元豪族の「私兵」であった。
ところが朝廷は、藤原隆家が勝手に戦ったということで「私闘」扱いになり 何の「恩賞」も与えられなかったのである。
貴族達は、隆家が 侵略者が来襲して何人も犠牲者が出てるという「緊急報告書」をその書状の形式が整っていないといったことナド問題にしたのである。
当時の貴族たちの「状況認識」の低さを物語っている。
さらには、最前線の武士たちは、騎馬民族の「集団戦法」や火器を利用した「戦闘方法」を体験したにもかかわらず、 それを将来に生かそうという試みはなされなかったのである。

モウ一つの出来事は、国家間の「衝突」事件をアイマイに処理しようとして、重大な事態を招いた台湾での出来事である。
琉球・宮古島島民は、日清修好条規の結ばれた1871年「琉球王国」の首里王府に年貢を納めて帰途についた。
ところがソノ船4隻のうち1隻が台湾近海で遭難し、漂着した69人のうち台湾山中をサマヨッタ生存者のうち54名が台湾原住民によって殺害された。
これを日本側では「琉球漂流民殺害事件」、中国では遭難船が到着した場所に因み「八瑤灣事件」とよんででいる。
日本政府は、事件に対し清朝に厳重に抗議したが、清朝は原住民は「化外の民」であるという返答であった。
つまり原住民は清国から見て「まつろわぬ民」であり、我関知せずといった態度をとった。
ソモンソモ沖縄は、長年に渡って日本と中国の「両属」の関係を取り、事件が起きた時も、アイマイナ状態が続いていた。
これに危惧していた日本政府は、この台湾で発生した事件を契機として、沖縄を日本へ帰属させようと考えた。
清国も最初日本に対して強気で応じ、なかなか沖縄の「属国主」の立場をトリ下げなかった。
琉球の支配権を持つ鹿児島では、不平士族たちが一斉に台湾とそれを属国と主張している中国を非難した。
一戦交えるも辞さずと強硬意見が飛び交う中で、西郷隆盛や副島種臣はこの主張を抑えて、交渉を行うこととした。
北京で開かれた会議では、清国側は台湾の原住民までは「法治が及ぶものではない」と逃げ口上を述べたため、日本は独自で対処すると明言して、会議は打ち切られた。
台湾出兵する準備を進め、陸軍大輔・西郷従道(隆盛の弟)に台湾出兵の手配を任せたが、それよりも早く「征韓論」が浮上し、台湾出兵はしばらく沙汰ヤミとなった。
その後、征韓論で敗れた西郷たちは下野した後、征韓論へ反対を唱えていた大久保らは今度は「台湾出兵」をトリアゲた。
この時、木戸孝允らが猛反対して、結局は物別れとなり木戸は辞職した。
その後、大久保は台湾出兵を強硬に進め、1874年4月に陸軍中将・西郷従道を台湾蛮地事務都督とし、陸軍少将・谷干城、海軍少将・赤松則良らを従軍させ、「台湾出兵」を実行した。
遠征に際して汽船を購入した政府は、この汽船を全て土佐の岩崎弥太郎が経営する三菱会社に貸し、軍事輸送の一切を任せた。
台湾出兵で痛感した日本の海運業の弱さを痛感した日本政府は、戦後はその汽船を無償で三菱に下げ渡し、政府は国内の運輸業を発展させることに力を入れた。そうして1960年代の半ばまで「海運国・日本」として躍進していった。

ところで今、日本の地方自治体で「海外駐在所」をおくところが増えている。
自治体は開発援助に貢献しています。途上国における最大の懸案事項の一つが水の問題である。
安くて、安全な水の提供は感染症に苦しむ途上国にとって急務である。
上下水道に関するノウハウは中央官庁ではなく、地方自治体が持っているのです。自治体は海外から研修生を受け入れ、専門家や技術者を派遣している。
水の問題だけでなく、ゴミ処理や.防災などますますこうした自治体による関与は増していくであろう。
2011年9月15日、北九州市がカンボジアの水道インフラ整備に長く技術貢献した功績を評価され、同国政府から北橋健治市長に「友好勲章 大十字章」が授与された。
「大十字章」は、同国政府が外国人に与える最高位の勲章で、在日大使館によると日本の自治体トップが受章するのは「初めて」という。
友好勲章は、カンボジアの発展に尽くした外国人に国王名で与える勲章で、最高位の大十字章から騎士章まで5ランクある。
「大十字章」は学校建設などでカンボジアに貢献したイオンの岡田卓也名誉会長相談役(岡田副総理の父)一昨年の12月に受章している。
北九州市の水道局は国際協力機構(JICA)から要請を受け、1999年にカンボジアの首都プノンペンで「技術支援」を開始した。
これまで延べ44人の職員を派遣し、現在も1人が現地に駐在して主要8都市で水道の発展に貢献している。
一連の支援により、93年に25%だったプノンペンの「水道普及率」は90%を超える一方、漏水率も90年代の70%程度が日本レベルの8%に激減し、「プノンペンの奇跡」とマデ称されている。
カンボジア政府によると、北九州市が今年、水道事業100周年を迎えることから授与を決定し、水道局長や退職者を含む職員9人にも「騎士章」を贈るという。
さらに、日本の各地方都市と大連との間では、札幌、仙台、東京、富山、名古屋、大阪、岡山、広島、福岡の9都市と定期航空便が就航するなど「航空網」が充実している。
そこで身近な中国市場でもある大連には、北海道、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、神奈川県、新潟県、富山県、岡山県、北九州市の10の自治体が「駐在員事務所」等を設けている。
北九州市も2009年5月に、「地場産品」の市場開拓を目的としたアンテナショップを市内のホテルに設置した。
さらに1990年10月に、自治体国際化協会の三番目の海外事務所として、ニューヨーク、ロンドンに続いてパリに設置された。
パリ事務所(クレアパリ)は、地域の国際化が進む日本の地方公共団体へ海外の地方自治に関する情報を調査し情報提供するという目的で、昨年10月には開設20周年を迎えている。
この間、茨城県から当事務所へは1995年より3年交代で職員が派遣されている。
事務所開設当初の数年間は、クレアパリが所管するフランスを含む7カ国の「地方自治制度」の調査・研究及び日本の地方自治体の現地調査への支援が主要な活動であった。
その後は、こうした活動を継続しながら、日仏自治体間の交流・対話の活動を積極的に進めてきている。
近年では、日本への「観光客誘致」など海外市場に地域活性化の活路を見出そうとする日本の地方自治体の海外経済活動に対する支援も行っている。
欧州における日本の地方自治体職員の数を示すと次のようになる。
愛知県パリ事務所2人/兵庫県パリ事務所2人/大阪市パリ事務所2人/ 自治体国際化協会パリ事務所派遣(茨城県、京都市、指宿市、栃木県、四街道市、長野市、那覇市)9人/瀬戸市リモージュ事務所1人/ドイツ 岐阜県ベルリン事務所1人/ 静岡県ヨーロッパ調査員(ボン大学)1人/ ジェトロ・デュッセルドルフ派遣(千葉県)1人/ 大阪市デュッセルドルフ事務所1人/ 福岡県フランクフルト事務所1人/ 横浜市フランクフルト事務所1人/ 松山市フライブルク事務所1人/イタリア鯖江市ミラノ事務所1人/岐阜県ミラノ事務所1人/オランダ大阪府ロッテルダム事務所1人/イギリス 神奈川県ロンドン事務所1人/宮崎県ロンドン事務所1人/ 名古屋市ロンドン事務所1人/ 在英日本国大使館派遣(群馬県)1人/ 自治体国際化協会ロンドン事務所派遣(愛知県、鹿児島市、広島県、高知県、静岡県、東京都、三重県、熊本県、群馬県、福島県)11人/
「海外企業」の誘致を行っている職員の中にはノルマが課せられている場合もあるが、企業誘致を求める派遣元自治体に明確な戦略がなかったり、欧州では日本と中国の違いが理解されていないケースもあるという。
その意味では「地域」を発信(アピール)できる自治体職員の人材を求めているといえよう。

現在、国と市町村をつなぐ「広域自治体改革」において、都府県を廃止し、全国10程度の「道州」に再編しようという動きが大企業を中心に提言されている。
それは国の担当を外交や防衛に限定して、一級河川や国道の管理、大気汚染防止などを「道州」に移し、高齢者福祉や建築基準を市町村に権限委譲するという内容である。
国と地方双方の政府を再構築して、行財政上の非効率や行政手続きの重複が生じている現在の制度を「効率的な行政システム」に変えるためということになっている。
ところで、道州制は「グローバル化」を踏まえた議論であるにもかかわらず、安全保障や外交はオソラク「国に限定」しているのであろうが、防衛や外交は、必ずしも国の「特権」行為ではない。
かつてオーストリアの著名な経済学者であるミーゼスが軍隊の民営化を提唱したが、アフガニスタンやイラクでは戦争の「民営化」が現実化しているという。
また外務省が「外交」独占してキタわけではない。
米国産牛肉の輸入に関しては農林水産省が担当しているし、東シナ海のガス田開発問題の交渉に当たっているのは経済産業省である。
外務省が扱っている外交領域は、極めて「限定」された領域にすぎない。
また戦後の歴史をふりかえれば、「経済大国」に成長した過程で生じた貿易摩擦の際し、旧通産省の果たした役割は外務省以上に大きいかもしれない。
いわゆる「通商交渉」のことだが、そう考えると地方自治体も「通商」を中心に「外交」とよべるモノを担うようになるのかもしれない。
ソノ点で先輩のアメリカ合衆国の各州は日本に駐在事務所を置いている。
州の間で、また連邦政府との間で、利害が対立することがあるからである。
ソレゾレの事務所は日本企業から投資を募り、観光客を誘致し、州内企業との貿易振興を行っている。
、 グローバル化にむけた道州制が「行財政上の非効率や行政手続きの重複の排除」を目的としたモノダケでは、せっかくの国際交流をダイナシにしかねない。
マイアドレスの福岡県は、ソウルや香港、バンコクに駐在事務所を設置してアジアとの交流が深い。
福岡市役所前では秋のアジアン・マンスの季節になるとアジア各国の出店が出る。
福岡市には、医療系を中心にしてドイツ企業も進出しており、毎年冷泉公園で、日独協会主催の「ビール祭り」も開かれいている。
こうした動きを「外交」と呼ぶにはテイコウもがあるが、国を代表して外国と交渉をする部分以外にも、地方が「外交」を担う部分も出始めているといえるのかもしれない。
ワシントンにおける石原氏の「尖閣列島購入」発言も、少なくとも中央政府に「外交圧」をカケた点からみて、そうした動きの一つの「発現」とトラエラレルかもしれない。