幸せの国から

昨年11月、世界で一番「幸せ」度が高いブータン王国から、若い国王夫妻が東北の被災者のお見舞いに来られた。
この国の若い国王夫妻に対する「日本政府」の対応は、チョット見ものだった。
ブータンは、アメリカ、中国、韓国やインドネシアなどとちがって、日本政府とはいかなる「経済的利害」とも結ばれていない。
ブータンは、原発などというものから一番かけはなれたチベットに位置する国なのだ。
だが、世界一「幸せの国」からワザワザ「しあわせ」だけを携えて見舞いにやってくる好意を、そのまま素直にこの国ラシサなどと思うのは、ナイーブすぎるかもしれない。
逆に、どこか「裏側」で利害が絡んでいるのだろうとカングルのも、余計な見方かもしれない。
2009年、天皇と中国の副国家主席との会見を、民主党内閣が宮内庁の慣例(1ヶ月前ルール)を無視したやり方でお膳立てしたために、「天皇の政治利用ではないか」とゴタゴタしたことなどの出来事を思い起こした。
しかしながらこの度のブータン国王夫妻来日は、トッテモ純粋な「友好」というのが「真相」であろう。
ブータン王室と日本の皇室とは意外に関係が深く、皇太子は1987年に、秋篠宮夫妻も97年にそれぞれ公式訪問したことがあったそうだ。
また、1989年の昭和天皇死去に際しては、ワンチュク 前国王が喪主となり、国をあげて喪に服したという。
しかしながら昨年の、ブータン国王夫妻の迎賓館におけるレセプションで、天皇の体調不良と雅子妃の病のために皇室から出席されたのは、皇太子だけだったというのも、日本という国の一つの「現状」をスナオに示したのかもしれない。
また、外国から「国賓」として来日された場合には、宮中晩餐会などにに「全閣僚」で迎えるのが慣例となっている。
しかし、こういう機会に自派閥の会合の方を優先して欠席した閣僚がいたことも、同様に日本という国の「現状」を示すイイ材料になったのではなかろうか。
その閣僚とは、沖縄の基地移転問題のきっかけとなった米兵の少女暴行事件の詳細は知りません、「安全保障」についてはまったくのシロウトですと発言した防衛大臣だった。
野田首相が「謙遜な人柄だから」と弁護したが、防衛相本人が「それが文民統制というものだ」と批判に応じたのは、「大胆さ」を通り過ぎてしまった。
実は今日本の政治家がと問われているいるのは、究極的には日本という国をどう「幸せ」にするかということなのだ。
だから「幸せの国」からの国賓の言葉を、多少でも「厳粛なもの」として受け止める気持ちがあってもいいと思う。
世界で一番「幸せ度」が高い国の国王の話を、世界で一番「自殺者数」が多い国の閣僚が「拝聴」するぐらいの気持ちがあってしかるべきだろう。
目先の利害ばかりを追いかける人は、実利のない話は聞かない傾向にある。
この防衛大臣が、「政府の代表」として沖縄の基地移転交渉の最前線に立つというのでは、誰にとっても「幸薄い」といわざるをえない。
ところで、昨日(1月10日)、日本で「13年連続」自殺者が3万人を超えたという記事があった。
数だけみれば、この13年間で40万人以上が自殺し、一つの中堅都市が消えたことになる。
「坂の上の雲」を目ざして戦った日露戦争における死者が8万人だから、ここ13年間に日露戦争を5回戦った計算になるのだ。
(ちなみに、ブータンの人口は、約70万人です)

ブータン国が世界で一番幸せとはいっても、その根拠は「国民総幸福量」(GHN)というものの調査に基づくものであって、一応その「中身」を疑ってみてもイイ。
「国民総幸福量」は、前ブータン国王が1976年に提唱した、物質的豊かさよりも、精神的な豊かさに重きをおく「ブータンの国策」を実現すべくて作られた。
つまり、前ブータン国王は、GNPでもGDPでもNNW(国民純福祉)でもない「総幸福量」という概念を、自らが作ったのだ。
この尺度でブータンが世界一となれば、これは単純に国王の「自己宣伝」とも受け取られがちだが、イギリスの学者が別の「幸福尺度」を作成して、世界の国々を位置づけたらブ-タン王国は北欧諸国にホボ近くに位置し、世界第8位であった。
かつて、国民総生産(GNP)では人の豊かさは計れないと、市場では評価されない家事労働をプラスしたり、医療費や公害対策費をマイナスしたりしてNNW(国民純福祉)という概念マデは、学校の「政治経済」の教科書にあった。
つまりNNWとは、石油ショック以降の「くたばれGNP」の雰囲気の中で、市場で評価されない要素を「数値化」して「真の豊かさ」を計測しようとしたのだが、「豊かさ」を金に換算する発想では「幸福度」を導き出すマデはいかなかったのだ。
そこで、ブータンの「国民総幸福量」が作られたわけだが、その方法は2年後ごとに「面談」でサンプリング調査を行うというものだ。
質問は全部で「72項目」にわたるが、そのホンノ一部を抜粋して紹介すると次のような項目がある。
○祈っていますか。
○どれくらいの頻度で嫉妬を感じますか。
○家庭からでるゴミはどう処分していますか。
○家の周りに木を植えていますか。
○どれくらいの頻度で伝統的なスポーツをしていますか。
○近所の人たちを信頼していますか。
○この家族の一員でなければよかったと思いますか。
○差別や偏見を受けていますか。
○中央政府をどれくらい信用していますか。
などなどです。
なんだか先進国に不利な「質問内容」が多い気がするし、その「答え」をどう評価するかによっても、「総幸福量」が随分変ってくることが推測できる。
それでも、この尺度で97パーセントが幸せなブータンの人々から見て世界で90位の日本国がどのように映るのか、というのは興味深いところである。
ある雑誌にブータンからの留学生の言葉がいくつが掲載されていたが、日本に来てとても驚いたことが「二つ」あったという。
その一つは「信仰心」をもっていない人が多いこと。ブータンは国民の大半がチベット仏教の熱心の信者で、そうでない場合もヒンドゥー教かキリスト教の信者である。
つまり彼は日本にくるまで、何らかの「信仰」を持たない人と会ったことがなかったという。
もう一つは電車がよく止まることである。
技術が進んでいる日本でどうして電車が頻繁に止まるのかと不思議な気がしていたが、大学で友人が「人身事故」と聞いて、さらに驚いたという。
ブータンでは、誰かが自殺したなどという話はウワサでさえも聞いたことがなかったそうだ。
「輪廻転生」を信じるブータン人は、現世で嫌なことがあっても「来世がある」と考えられる。
また家庭や職場での人と人との絆が深く、困ったことがあっても助け合う。
アパートの隣の部屋に誰が住んでいるかも分からない日本社会の現実にも驚いた。
ブータンでは、大きなアパート全体が大きな家族のようで、お互いの家を行き来したり子供を預かったりするのが当たり前だったという。
1959年、中国が突然「王制打倒」の名目でチベットに攻め込んだ。
そのチベットから逃れた人々はインドやネパールなどヒマラヤ周辺に離散したが、ある人々はブ-タンという国に逃げ込み、そこにチベット仏教を伝えた。
何が幸せで不幸せなのかは一概に言えないが、このブータン国が世界で最も「幸福総量」が大きいというのは、躍起になって富を追い求める今の中国からすれば、かなり皮肉な結果ではある。

チベット仏教は小乗仏教や大乗仏教のいずれにも属さない独自の仏教で、「密教的」な要素の強い仏教であり、特別に戒律が厳しい宗派でもない。
人間が小さな頃から繰り返し繰り返し聞かされる言葉は、人の一生を呪縛する。
また、街の風景、新聞の広告、広場に書き込まれたメッセージだって、間断なく繰る返されるならば人間の本来持つ豊かな生命力を侵食していくにちがいない。
つまり国がどんなに人権や自由を保障しても、そういう声々がいつも生命力を阻むのならば、人間は真に自由ではありえないし、少なくとも解放された存在たりえない気がする。
ブータンに住む人々は、その自然に宿る生命力を、そうした雑音によってワクをはめられたり、カキケサレたりすることに注意を払っている人々のように思える。
ブータンの人々が小さな頃から耳にするのは、自然界が発する音とチベット仏教の僧達の祈祷の声なのだ。
ブータン国王は、このたびの日本訪問で福島県相馬市の小学校を訪問して、「龍の物語」をして小学生を励ました。
「龍を見たことがあるかい。一人ひとりの中に龍はいる。その龍は皆さんの体験を糧にして育っている。年を重ねるごとにその龍は強くなる。
皆も、自分の中にいる龍を大切にしてください」と。
人間の究極的な幸せとは、内なる声をさぐり、出来る限りそれに素直であり得ることではなかろうかと思わせられる。
それが、国王の「龍を育てる」という言葉に要約されている。
そしてブータン王国は、精神的価値の追求を「国是」としてしているので、政府の政策とはあくまでもそうした「精神国家」に相応しい環境を整えようとしているということだ。
その表れの一つが「観光客の規制」である。
観光客は特別な許可を得なければこの国に入れない。
通常の小国家ならば観光客が来て外貨を落としてくれることは「大歓迎」であり、現在の中国ならば安い労働力をもって外資を呼び込もうとするだろう。
それではこの国の「経済力」を支えているものは何なのかというと、水力発電で得た電力を隣のインドに売ることによって得た外貨である。
また茶や高山で育つ薬草は高い値段がつき、それを売って外貨を稼いでいる。
それで電気や水道などのインフラも高山地帯であるにも関わらず、意外と充実している。
また「王制」に対する人々の意識も、この国の幸福度を物語っているのかもしれない。
2008年にブ-タンはようやく王政から民主制に移行した。
これだけ聞くと反動的な王制と民主化運動を連想するが、 むしろ開明的な王室が率先して国民を説得して「選挙制度」を導入し、民主制へ移行したというのが真実である。
そして驚いたことに、国王の説得にもかかわらず国民の90パーセントが民主化に反対したのである。
その理由は、自分達は国王を慕い敬愛し、そして国王のために働いている。
しかし、選挙によって選ばれた政治家が国王よりもよい政治をするとは思えないし、自分達はそのような人々のために頑張ろうとは思わないというのだ。
しかしブ-タンでは、王制を維持して欲しいとい国民の声をオシきって、「国王主導」で立憲君主制に移行したのである。
ブータンでは国民の必要に応じてインフラの整備を行っているが、彼らが最も大切だと感じる価値観を壊すほどの開発に対しては、断固拒否するだけの強い価値意識をもっている。
例えばブータンは積極的に太陽光電池が導入され、通信網についても衛星通信や携帯電話が活用されているが、送電線や産業道路を造る事については慎重な態度をとっている。
それについては次のようなエピソードがある。
電気の通じていないある村に電気を通すODAの案件が持ち上がった。
しかしその村には昔から鶴が飛来して「巣作り」をするという事情があった。
もし電気を通すために高圧電線を張り巡らすことになれば、飛来してきた鶴がその高圧電線に衝突し、鶴は巣つくりのためにこの村に来れなくなるのではないかという議論が沸き起こった。
結局、村の人達はそれでは鶴がかわいそうだと考えて、村に電気を通す計画を「撤回」してもらうことにしたという。

ところで、ブータン国王夫妻のサワヤカさは、訪問した先々で人々を魅了したが、もうひとつ日本人の体格や輪郭と非常に似かよっているという点でも、「親近感」をもたらしたちがいない。
かつて有名な国語学者が、日本語にもっともよく似た言葉として南インドのタミル語をあげて一躍注目されたことがある。
また、ブータンあたりの織物の織り方は、日本の縄文時代の布の織り方と一致しているらしい。

ところで、ブータン国は自分の国で作った尺度で自分の国を「世界一幸福だ」といっているのだから、 この国の「幸せ」なんてウソッポイという批判もありうるのかもしれない。
しかし、この批判はあまり適切ではない、と思う。
前ブータン国王のスバラシサは、全国民の「幸せ」という精神面を国の政策の基本としていることである。
そのために作った尺度なのだ。
そしてブータンに生きる素晴らしさは何だろうと一つ一つ数えながら、「しあわせの種」とは何かを考えながら、この「国民総幸福量」という尺度を作ったということなのだ。
それ自体が国王の「幸福力」(=幸福を見出す力)の強靭さを示しているといえないだろうか。
ところで、1月10日の新聞夕刊に、昨年、山本作兵衛の絵が「世界記憶遺産」に登録されたことについての記事がのっていた。
実は山本作兵衛の「炭鉱絵」は日本の「文化遺産」にさえもなっていないのだ。
日本の文化庁は、「文化遺産」に指定されている源氏物語などを世界記憶遺産への登録を申請することはシナカッタ。
その理由というのが、熱心に登録を申請して「落とされ」たら、文化遺産の格が下がるというこという気持ちも働いたらしい。
また仮に登録に成功しても、国内文化財の序列がかわるなどのオソレからか、田川市に世界記憶遺産「第一号」の栄誉を奪われてしまう結果になってしまった。
しかしこの結果は、自国の文化に自信をもてない、そのためにアピール力や発信力にかける「日本の姿」ソノモノを示している。
面子をつぶされたカタチの国は、田川市を補助する可能性は低いという。
超小国でありながら自国の「幸福尺度」から、世界の「幸福水準」をはかり「幸福立国」を目指したブータンと、何と大きな開きなのだろう。
日本の見習うべきは、そうしたブータンの「幸福力」である。
最後に、ブータン国王と王妃のナレソメは次のとうりだそうナ。
7歳幼女:お嫁さんにして。
17歳男:大きくなっても覚えてたらね。
~10年経過~
17歳娘:あの約束どうなりましたん?
27歳男:よし、付き合おう。
2011年10月13日、31歳国王、21歳王妃、めでたく結婚。
このたびの「歓迎レセプション」で国王は、「皆さん一人ひとりを抱きしめたいような気持ちですけど、それができないのでここで王妃を抱きしめさせてください」といいつつ、王妃をハグした。