個別か普遍か

「普遍か個別か」という問題は、人間にとって、あらゆる分野において「大問題」である。
グローバリゼーションの広がりは「市場の普遍化」ともいえるし、政治意識の高まりは、「人権の普遍化」をもたらしている。
ミス・ユニバースの選出は、タイトルに即していうと「美の普遍化」にツナがる。
では「個別」あるいは「特殊」は、「普遍化」とどう対決するか。
ヨーロッパには古代から「個別か普遍か」という問題を俎上にのせた哲学があったし、さらに中世の「スコラ哲学」の時代には、「普遍論争」なんていう論争マデがおきている。
ヨーロッパ中世において、キリスト教とギリシア思想とが出会い融合する過程で、「スコラ哲学」というものが出来上がった。
キッカケは、忘れられていたギリシア思想が「イスラム世界」で再発見され、再びヨーロッパにはいってきて、「キリスト教」と出合ったためである。
だから、「ヨーロッパ版キリスト教」に聴診器をアテテみると、プラトンとアリストテレスの「変奏曲」を聞くこととができる。
プラトンとアリストテレスといえば、いうまでもなく古代ギリシャを代表する哲学者である。
二人は40才あまり年の離れた「師弟」であり、現代思想にもツラナル哲学の「ニ代潮流」を生み出した。
似たケースとして、経済学における、「師」マーシャルと「弟」ケインズの関係を思い浮かべる。
ところで、プラトンとアリストテレスの二人の思想を下地とした神学上の論争「普遍論争」の序曲を「アベラールとエロイーズ」の悲恋物語から始めたい。
ピエール・アベラールはナントで生まれ、パリで最初のスコラ学者ともいわれたロスケリヌスに師事した。
非常に有能な青年で、1113年にはパリで教師となり、大変な評判を獲得した。
ところが彼はノートルダム教会参事会員の姪であるエロイーズの家庭教師を務めることになっただが、20歳も年下美しいエロイーズを見て、すっかりトリコになってしまった。
彼女の方も深くアベラールを愛し、男の子を産む結果なった。
しかし、このことに激怒した父親は、アベラールを残酷にも「去勢」させ、世間から隠遁させてしまう。
そしてアベラールをサン・ドニの修道院に、エロイーズをアルジャントゥィユの修道尼院に「閉じ込め」てしまったのである。
しかし二人の交流は、その後も「往復書簡」という形で続けられていった。
その「書簡」は非常に格調が高いもので、「恋愛文学の傑作」として知られている。
アベラールは引退したものの、彼の下には依然「名声」を求めて多くの若者が集まり、「時代の寵児」となっていった。
「時代の寵児」といえば、現代におけるサルトルとボーヴォワールを思い起こすが、最近見た映画「サルトルとボーヴォワール」によれば、かつて世界の若者の「憧れ」だった二人の関係は、実際には「アベラールとエロイーズ」とは別の意味で、相当シンドイものがあったようだ。
ところでアベラールは、1121年に発表した「三位一体」に関する説が「異端」であるという理由で断罪されるハメに陥った。
しかし、これは表ムキの理由で、真相は彼の論敵達による「策謀」だったともいわれている。
アベラールは「信奉者」も多かった分、それに匹敵するだけの「敵」もいたのである。
このアベラールの思想の特徴は、古代ギリシアのアリストテレスを「至高の権威」として受け入れ、三段論法的「演繹推理」を偏重し、かつ「普遍」に関する問題について著しい関心を示している。
以後、神学論争となる「普遍論争」とは、誰あろうこのアベラールの思想を嚆矢とするものである。

ところでギリシアのプラトン思想の中核を成すのは、「ロゴス」と「イデア」の二つある。
「ロゴス」という言葉は現代における「論理」(ロジック)という言葉より、かなり意味が広い。
「ロゴス」は「拾い集める」という原義を持ち、「理由、原因、説明、理性、論理、秩序、意味、根拠、比例、言語」など、幅広い意味を持つ。
ちなみに、聖書のヨハネ福音書冒頭の「言葉は神とともにあり、言葉は神であった」の「言葉」には「ロゴス」という言葉がアテラレている。
ソクラテスは人々の「無知」を悟らしむるために、「言葉の意味」を探ることを重視したが、ソクラテスはプラトンに「知識としての言葉」ではなく「命としての言葉」というものを教えた。
プラトンはそうした「言葉の意味」において、本当に正しい「絶対的な意味」というものが存在すると考えた。
そしてソノ「絶対的な意味」とは、「イデア」というものと対応するものであった。
この「イデア」は、人の思考を離れ、現実の世界を離れて、「永遠不変な存在」として実在するとした。
つまりは「言葉の意味」をつかさどる「言葉の魂」のようなものが存在すると考えた。
プラトンにれば、「イデア」とは真の実在であり永遠不滅のものであり、それは「ロゴス」によって近づくことが可能な「真理」であった。
プラトンは魂が「輪廻転生」するとし、人は生前や死後において「魂の世界」に至り、そこでイデアを直接「見知っている」としたのである。
プラトンはイデアに気づき、イデアに近づくことを、イデアを「想起する」という様に表現する。
例えば、三角形は様々の形があるが、それを三角形と認識されるのは、人に「三角形」のイデアが保持されているからである。
つまり、人は魂の内にイデアの「記憶」を秘めており、それを思い出すことができると考えたのだ。
これは人は、生まれつき「正しい知識」を保持しているという考え方である。

ところで、キリスト教・神学上の「一大転換」は、古代教父以来続いてきた「プラトン主義」から「アリストテレス主義」への転換であるといわれている。
その立役者がトマス・アクィナスがうち立てた「スコラ哲学」である。
カトリックの「古代教父」の時代、プラトンの流れをくむ「新プラトン主義」が隆盛をきわめた。
それは古代教父の代表的人物アウグスティヌスが「(新)プラトン主義者」であり、その神学にもソレが反映されていたからである。
以来11世紀頃までも、「プラトン主義」がキリスト教神学の主流をしめていたのである。
この「プラトン主義」の陰で、忘れ去られていた「アリストテレスの哲学」が、古代ギリシャ哲学を学んだイスラムの学者達によって「再発見」され、やがて西ヨーロッパにもたらされる。
そうした流れを受け止めたのが、上述のアベラールというような人物であったのだ。
さて、古代ギリシアの「プラトンとアリストテレス」の思想的対立は、中世ヨーロッパにおいては、「装い」も新たに「普遍論争」として展開する。
それは「実在論」と「唯名論」との「対立」といいかえられるが、両者の論争を「犬」という概念に置き換えて考えてみよう。
「プラトン主義」では、人には「犬」とはどういうものかという概念(イデア)が与えられており、それに合致する動物が犬であるとする。
そこで重要なことは、「犬」という概念=「ロゴス」をつかむことである。
一方、「アリストテレス主義」では、マズ「犬」と呼ばれているたくさんの動物を詳しく「観察」する。
そうするとそれらには、それぞれ異なるところもあるが、それらスベテに「共通」する要素が浮かび上がってくる。
それコソが「犬」とはどういうものかという「概念」を生み出すというわけである。
つまり両者の違いのエッセンスは、「プラトン主義」は、永久「普遍」なるものが実在することであり、「アリストテレス主義」は、「個物」を離れた「普遍」など存在しないということである。
したがって、アリストテレス主義では、「個物の観察」を何よりも重視することとなる。
こうして、名前の背後の「普遍の実在」を肯定するプラトン流の「実在論」と、そうした「普遍の実在」を否定するアリストテレス流の「唯名論」という考えが二つ成り立つわけである。
では、こうしたものの考え方を「キリスト教」に導入したらドウナルのだろうか。
「プラトン主義」的立場からは、与えられた啓示としての「聖書」から世界を見ようとするのに対して、「アリストテレス主義」的立場からは、この世界の観察から「神の存在」と「神の働き」を見いだそうとする態度になる。
したがって「プラトン主義」ではキリストの受肉や十字架や復活の「歴史性」はあまり重要性をもたず、永遠の「神の言」としてのイエス・キリストに重点が置かれる。
逆に「アリストテレス主義」では、逆に「イエスの歴史性」つまり「十字架の死」や「復活」などが非常に大きな意味をもってくる。
しかし歴史的・感覚的に把握できない事柄については、「認識」(または信仰)を得ることができなくなる。
アリストテレス的立場によれば、有限の「自然的理性」では「三位一体」や「贖罪」といった真理を「認識」することはできない。
しかし、有限な存在が無限の存在を「類比」(アナロジー)によって理解することは可能だとしている。
天における事柄も、地上における事柄によって、「類推」が可能であるということか(この辺よくわかりません)。
ともあれ、スコラ哲学は、キリスト教とギリシア思想の融合とは結局、信仰と理性との「調和」を図ろうとした試みであり、それが「普遍論争」をマキオコシたのである。

さて、前述のアベラールは1122年に「然りと否」の中で自身の思想を書いている。
アベラールは、さまざまな説に対して、それを支持する根拠と反論する根拠をあげて、双方に論争させるという体裁をとっている。
アベラールが何ヨリ重んじたものは、事物に関する「結論的な見地」というより、それについて議論する「論理的」な過程の方であり、人間の推論の様式としての「形式論理」のあり方を深く研究するようにもなった。
スコラ哲学の体系的な営みは、このようなアベラールの姿勢に始まっているといってよい。
アベラール自身は、「普遍の問題」については「唯名論」の立場すなわち「個物ノミ」が存在するという立場に立っていた。
さまざまな事物は相互に似ていることがあるが、その類似点そのものがまたある「一つの存在」なのだと導く「実在論」は誤りであるとした。
それは「類似性」に対して人間が付した「意味」というレッテルにすぎないとしたのである。
だから「普遍」は「個別」を離れては存在しないし、「個別」を通じて「普遍的なもの」を理解しようとする人間の「認識作用」を重視した。
それは、「観察」を重視したアリストテレスの立場に符合している。
こうしたアベラールの思想の延長上にある「スコラ哲学」の大成者トマス・アクィナスは、プラトンの思想を土台とした伝統的神学と、「再発見」されたアリストテレスの哲学を、その「神学体系」に導入して統合したのである。
例えばトマス・アクィナスは、アリストテレスの「原因→結果」の認識プロセスを、「神の存在」を証明するために用いている。
事物の中には、他のものによって動かされるだけのもの、自ら動くとともに他のものからも動かされるものとがある。
動かされるものは他の何者かによって動かされるのであるが、その動かすものを限りなく遡っていくと、我々は他から動かされずに他のものを動かす何者かに行き着かねばならない。
この「他からは動かされずに、他のものを動かすだけの存在」ソレコソが「神」なのだとトマス・アクィナスは主張した。
それが「第一原因」だが、この論証の方法は、アリストテレスの「原因→結果」を導き出すシカタによく似ている。
トマス・アクィナスはアリストテレスに依拠することにより、「神学」からできるかぎりアイマイな要素を抜き去り、それを「学問的な基礎」の上に立たせようとしたのだった。
アリストテレスの思想において、重要となる概念は「観察」と「論理」、そして「因果」である。
一方、プラトン哲学においては、感覚を使って得られる知識は誤信を生むと考えられていたため、「観察」はムシロ軽視されていた。
これには天文学者や生物学者としてのアリストテレスは天文学者であり生物学者でもあったから、そうした経験から、プラトンの「イデア論」のような感覚を軽視する理論は、アリストテレスには受け入れがたいものであったにちがいない。
さらにプラトンは「魂」を「肉体を離れても実在する霊的な存在」であると説いた。
だが、アリストテレスは、「魂」というのは、肉体を離れては存在しえない、生物の機能、性質のようなものであると考えた。
つまりはアリストテレスにおける「魂」とは、「生体機能」もしくは「生物特有の性質」という意味で用いられている。
こうした視点に立って、アリストテレスのいう「魂」についても、その機能や性質を観察し、論理的因果的な考察を行っている。
その意味から、最古の「心理学者」といってもいいかもしれない。

近世哲学はデカルトの「我思う 故に我あり」に始まるとされる。
このデカルトは、まず「疑いようのないもの」として「我の意識」ということだった。
世界を「神」からではなく、「我」から説明しようとしたという意味で、精神的な「コペルニクス的転換」となったわけである。
さて、デカルト以後「神」をコトアゲしない哲学が主流となっていった。
トマス・アクィナスは、人間の信仰のうちで「理性」によって語られるべき部分と、「啓示」によってノミ語られる部分とを「分け」ていた。
神の存在や魂の不死は「理性」によって議論されうるが、「三位一体」や「聖餐における化肉」といったことがらは、「理性」によってではなく、「啓示」によって始めて語られるとしたのである。
近代に至って、カントはヨーロッパ大陸の「合理論」とイギリスの「経験論」を統合した「近代哲学の大成者」といわれている。
そのカントは、そうしたトマス・アクイナスの態度にナライ、考察対象となる「形而下の問題」と、考察対象とはならない「形而上の問題」とを区別した。
しかし、そんなカントでさえも、キリスト教に強く支配されていたといっても過言ではない。
例えば、カントの倫理学に「定言命法」というのがあって、いついかなる場合でも、絶対的に従わなければならない「倫理的な命令」である。
カントはこの「命令」が神が命じるからそうすべきといったのではなく、皆がソレゾレの意思にしたがって生きているとして、自分の行為を「普遍化」したらドウナルカ考えてみて、導き出せるものだといっている。
そしてカントは、他人を道具や手段として扱うことを「悪い」ことだとした。
しかし、カントのこうした「倫理思想」に、聖書の「黄金律」といわれる「汝と同じように汝の隣人を愛せよ」「汝にして欲しいと思うことを汝の隣人になせ」という言葉を思い起こす人は少なくないだろう。