税金の徳

日本では「民間部門」に比して「公的部門」が比重を増してきた。
それで「公的部門」をスリムにするタメに、つまり政府の累積した借金を減らすために「増税」をしなければナラナイという皮肉な結果となった。
今後、高齢化社会の進行にツレさらに社会保障費の増大(毎年数兆円)が予想されるため、他の支出の方をドウ削るかが、大きな問題となっている。
ただ根本的なことは、「公的部門」によってしか維持シキレナイ社会を形成してきた点にあり、ヒトエに大企業をスポンサーにもつ自民党の長年の経済政策の結果ともいえる。
構造改革と旗印にした自民党が推進した政策は、「民間部門」を活発化し、「公的部門」の削減をめざすものだったが、社会に格差をもたらし、「失業給付金受給者」の増大と「公的資金」の注入といった皮肉な結果を招いている。
昨年、「幸せ度世界一」のブータン王国から来日した国王は、日本で列車が自殺によって停まることやアパートの隣の部屋に誰が住んでいるかも分からない社会現実に驚いたという。
ブータンではまた家庭や職場での人と人との絆が深く、困ったことがあっても助け合うという。
また、ブータンでは、大きなアパート全体が大きな家族のようで、お互いの家を行き来したり子供を預かったりす るのが当たり前だったという。
つまりブータンでは、「公的部門」にたよる必要のない社会の姿がある。
大災害など「公的部門」でも担いきれない出来事や、硬直したソレでは対処できない社会のニーズに対応して、従来ほとんど注目されることはなかったボランティアや相互扶助などの「共的部門」の成長が期待されるようになった。
かつて日本のマチやムラでもある程度そうした機能が備わった。
例えば、視覚障害者に対しては、「按摩」という仕事の特権を与え、その生活を保障していた。
「公的部門の肥大」は様々な角度からみることができるが、社会全体が「個」や「孤」へと向かっていった結果ともいえる。
今、多様な活動をしているNPO法人の活動の中には、キズナという言葉を旗印に「協働」や「共生」を目指した活動が増加傾向にある。
ところで、今日の消費税論議では、「公的部門の肥大化」の後始末を自民党ではない民主党という政党がヤッテいるということになる。
とはいっても、民主党は労働組合をスポンサーにもつので社会福祉政策を前面にウチダスのかと思ったら、「二つの潮流」があって、大企業擁護・官僚擁護・対米従属OKとでもイエソウなグループをも抱え込んでいるので、民主党サイドとしても自民党の長年のツケをハラッテやっているんだとは、なかなかイイガタイようだ。
そもそも自民党の「若頭」だったような人が民主党の党首になったりしているのだから。
民主党政府は先週、消費税率を引き上げる法案を閣議決定したが、ココニにきて民主党内の政務三役や党役員が辞表を提出し増税に反対し、国民新党の代表は「連立離脱」を表明したら、今度は党員により代表を「解任」されるという混迷をまねいている。
こうしたワケノワカラヌ政局に迷惑千万なのは、国民の生活ソノモノである。
増税推進派も、「身を切る」ことを示すために公務員改革を行い、何しろ公務員採用を政権獲得以前の水準から6割近くを減らすというオオナタをふるったかに見えるが、結局最も手がツケラレ易いところに、集中的に手をツケタということにすぎない。
現状の役人の給与体系や天下り問題に、手をツケタわけではないのである。
この公務員の新規採用を6割近く減らすというのは、削減効果よりも「弊害」の方が大きいヤもしれず、「場あたり」的といった批判はまぬかれない。
ところで民主党内閣が「閣議決定」した消費税率引き上げ法案の中身は、消費税率を「2段階」に分けて現行の5%から10%に引き上げるというものである。
まず2年後の2014年4月に3%引き上げて8%へもっていく。
サラニその1年半後の2015年10月に10%に引き上げるという内容である。
意外と知られていないが、消費税というのは完全な国税ではなく一部を地方に回すことになっている。
国税部分では、社会保障の財源確保と財政健全化を同時に達成することを目指し、全額を年金・医療・介護・少子化対策の社会保障に充てるとしている。
いわば、今の消費税論議の特徴は「社会保障費」の目的税化へと話が展開していいるということである。
社会保障は国の仕事なのであるが、外国では消費税は地方の「一般財源」が普通であり、国の規模が小さくなると消費税は国の「一般財源」になるのが普通であるそうだ。
したがって日本では、「社会保障」の「目的税化」などという、どこの国にもない方向で議論がなされていることになる。
ところで消費税の最大の問題点は、所得税とチガイ、貧しい人ほど所得に占める税金の割合が大きくなるという「逆進性」の問題である。
したがって大幅な消費税増税をするのに、一番の課題は「生活弱者対策」ということである。
欧米各国では、これに配慮して「低所得者層」を対象に、食料品などの税率を低く設定する「複数税率」を採用している。
日本でも財政当局が商品ごとの「複数税率」を検討したこともあったが、問題点は商品ごとの「線引き」が難しく、小売業者の「税務処理」が繁雑になるなどの理由で採用しなかった。
その代わりに「給付付き税額控除」という制度を導入するという。
「給付付き税額控除」は、低所得者には所得税の税額を控除したり、所得税の課税対象になっていない世帯には消費税分に見合う一定の「給付金」を支給したりして、「消費税負担」を軽減する制度である。
さらに、民主党の議論の中で「景気弾力条項」つまり景気が良くなれば増税するという措置を、「数値目標」で示すという意見もでたが、デフレから脱却できず経済が好転しなかった場合、コノ数値が増税の大きな「足かせ」になる可能性がある。
何しろ、日本の経済成長率の実績は、名目成長率で見た場合でも、2000年度以降の10年間の平均でマイナス0.6%、経済的な変動が少なかったリーマンショック前の7年間でも0.1%に留まっているのだ。
また、今のところ「社会保障と税の一体改革」と銘打っても、消費税議論で手イッパイで、社会保障制度についてはほとんど話がムカナイことも、気になるところである。

ところで、税金や保険を「何にかける」かということは、それぞれの国の国柄を表していて面白い。
アメリカでは「人工衛星保険」などというものがあって、人工衛星の落下物によって被害を受けたら、「保険金」が支払われるというものがある。
どこかの会社が売り出せば、日本でも結構加入者が増えるのではなかろうか。
さて日本での消費税導入によってナクナッタのが、「物品税」である。
その国が何を「ぜいたく品」として課税するかは、「お国ガラ」を示す指標のひとつだったが、それが「消費税」導入によってナクナッテしまった。
ところで「税金が得か」どうかはシバシバ議論となるが、「税金の徳」ということが話題になったタメシはない。
「税金に徳ナンテ」と思うかもしれないが、「人頭税」などというものを考えると、そういう面から考えでみてもいいような気がする。
「人頭税」とは、要するに人間の存在にかけられる税金であり、日本では古代律令制のもとで良民・成人男子一人あたり「稲二束二把」といった形でかけられた税金である。
土地や生産物ではなく人間の存在自体にかけられるという「重さ」と、富者も貧者も存在という点では等し く課税対象になるため貧乏人にとっては、とんでもない「逆進税」となる。
こうした不可解きわまる人頭税の根拠をあえて探せば、王制(または天皇制)のもとで土地は王の私有物、人 民も王の私有物という意識があるならば、人間が存在する事は王や天皇の恩恵に与かることであり、その威 光の下にある人間は「存在税」を取られるということに対して、文句をいえる筋合いではないということだ。
江戸時代、薩摩藩はこの「人頭税」を南の島々の住人に課した。
老いも若きも体が弱い人にも均等に課したために、人頭税のための「人減らし」(子殺し)をした悲惨な歴史の場所が今も残っているという。
薩摩藩が外様であるにも関わらず強力だったのは、多分に琉球人からシボリトッタ「人頭税」のオカゲだった部分が大きい。
消費の中身如何にかかわらす「消費」という行為すべて課税するという発想は、消費税の「逆進性」などを考え合わせても、あんまり「徳」のある税金とはイエナイかもしれない。
例えば消費税の対象には「葬儀代金」も含まれるが、葬儀の請求書に「消費税」が書いてあったりすると、少々ひっかかった経験がある。
課税コストや徴税コストをオクトシテ、ひとつひとつの商品への課税にも「合目的性」が付与されてコソ納得できるものがあるのでないか、と思う。
それが「生活弱者対策」にもつながるのだ。
それに、あらゆる富はその人自身の努力の賜物ではない、つまり社会に「負うて」いる部分が大きい。
こうした部分に対する課税によって、そこまでの「賜物」に恵まれていない人々に分配することは、 理にかなったことではないだろうか。
例えば大成功する会社は、その成功の多くが電話通信・港湾道路・水道などの社会的インフラに「負うて」いる部分が大きいのである。
今、高齢社会を迎えて老人の年金を誰が負担するかも大きな問題となっているが、「人口ピラミッド」の構造から従来型の本人「積立方式」から、現役世代への「賦課方式」へと移行していかざるをえない状況にある。
現役世代には、ナンデ自分達が老人の保険料または税金を老人世代にソコマデ支払わなければならないのか、という不満も出ようが、現役世代の今日の生活が、老人世代の築きあげたものに「負うて」いる部分の大きいことににも目を向ける必要がある。
世界には、人々の健康や環境への意識を喚起するような税金も多い。
ヨーロッパ諸国や、アメリカなどでも「ポテチ税」の導入が検討されている。
ハンガリーで施行される「ポテチ税」は、ポテトチップスを含むスナック菓子や清涼飲料水などが課税対象である。
「ポテチ税」は、男性の4人に1人が肥満といわれているハンガリーの「肥満対策」である。
またイギリスの「渋滞税」は、ロンドン中心部の渋滞が多いエリアに自家用車で乗り入れる際に、1日8ポンド課税されるというもので、「渋滞税」は、イギリス・ロンドン市内の深刻な渋滞を解消するためのものである。
スウェーデンの「海賊税」は違法コピーによる著作権保護のためのものでCDーRなどの記録可能なメディアを購入する際にかかる。
面白いのは、少子化対策なのかブルガリアでは独身者から収入の一部を徴収する 「独身税」がある。
さらに、ロシアでは国民のイメージを一新するために、ロシアの風習の象徴ともいえる“ひげ”をなくそうと制定された“ひげ税”がある。
日本でもギャンブル性の強いトランプや花札を購入する際に課された“トランプ税”など、グッド・アイデアな税金もある。
最近では、フランスの“農薬税”のような環境や食の安全を守ることを謳い文句にした税や、イタリアの“ポルノ税”のように治安や風紀を守る名目で設けられる税が増えている傾向にある。
ただ税金は、「課税」の意図と反する結果になることが多い。
ロシアではタバコの税額が、3年連続で値上げする法案が通過したが、 「国民の健康のため」という錦の御旗があるモノノ「密造酒」を作ってでも脱税をはかる国柄だけに、タバコのヤミ市場が拡大する可能性は残る。
実際、タバコの「ヤミ市場」はブルガリアやルーマニアなどでも拡大していているそうだ。
ヨーロッパでは20パーセントもの消費税がかけられている国はアタリマエだが、食料品は消費税なしか、軽減税率が適用されている。
例えば、カナダではドーナツ5個以内は外食とみなされ、6%の消費税がかかるが、6個以上買うと、その場では食べられないとされ、食料品となり、消費税はかからない。
ドイツではハンバーガーをお店の中で食べると、外食とみなされ19%の消費税がかかるが、テイクアウトにすると、食料品とみなされ、消費税は7%で済む。
イギリスで、チョコつきのクッキーは贅沢品とみなされ、17,5%の消費税がかかるが、チョコがついていないと消費税はかからない。
というような具合で、消費税が「高い」といわれるヨーロッパ諸国では、消費税は食料品についてはナシか、なんらかの「軽減税率」が適用されているのである。

当然のことだけれでも、税金は「政治の産物」である。であるから税制は「社会的効率」を妨げることも多く、まして「人徳」にかなうものではない。
ガソリンの税金ひとつとっても、それが道路財源に響き、建設業界の利権にも影響を与えることになる。
借家の税金を変更すれば、オフィスの供給水準もかわり、都心の地価に大きな影響を与える。
農地の軽減税制を変えれば、宅地供給が増え住宅業界に影響を与える。
我々は、法律の網の中に生きており、税制の網の中に生きている。同時にその網から逃れることを考える人で溢れているわけだ。
市場経済社会は「徳」ナンテモノで動くものではなく「得」で動いているかのようだ。
しかしムハマド・ユヌス博士は、「人間は利得のロボット」ではないと主張し、自らそれを「ソーシャル・ビジネス」として実践している。
ヌス博士はバングラデシュで無担保で少額の融資を行う仕組みを作って貧しい人たちの自立を助けるグラミン銀行を創設し、貧困の削減に大きく貢献したことで2006年にノーベル平和賞を受賞した。
今回は震災で多くのものを失った人たちに会って励ましたい、復興のヒントを一緒に考えたい、という思いからの訪問であった。
ユヌス博士は少額融資の取り組みだけでなく、「ソーシャル・ビジネス」の活動でも知られている。
ユヌス博士の訪問の狙いは「被災地でソーシャル・ビジネス」の可能性を探るということである。
ユヌス博士の言うソーシャル・ビジネスとは、雇用を作り出すだけでなく、環境問題や貧困、健康問題など社会の課題解決に貢献するビジネスのことで、被災地でもその手法が生かせるという期待がある。
ユヌス氏の復興は、元に「戻る」のではなくてゼロから「始める」というものである。
ソーシャル・ビジネスの考え方は、余力のある企業が途上国で植林をしたり、学校を建てたりするといった企業の「社会貢献活動」を考えているものではなく、あくまでも「ビジネスの本業」が「社会問題の解決」に直結しているという発想なのだ。
具体的な例としては、日本の大手衣料品会社と提携してバングラデシュでTシャツなどを生産して雇用を創出したことや、フランスの食品会社と共同で栄養価の高いヨーグルトをバングラデシュで作り、農村の女性が一手に販売を手がけることで貧困の削減をした。
それは、子どもたちの栄養改善、女性の自立にも貢献している。
そして今回の訪問でユヌス氏が出会ったのは、気仙沼でデニム工場を経営する一人の女性であった。
この工場では「サメ皮」を生産するようになった。
ヒレは気仙沼名産のフカヒレとして珍重され、身の部分はカマボコなどの製品になるが、皮は震災前までは捨てていた。
柔らかいので生地と一緒に加工しやすいだけでなく、サメだからか水にも強い。
女性社長は「築き上げたものすべて失ったが、私たちは海で生かされてがんばってきた。目の前に世界に通じている海がある。ここから取れるものを利用して、新しい製品を考え、日本中、世界に届けたい。それを大きな雇用につなげたい」と語っている。
もしも、税金に「徳性」というものをモトメルとするならば、それは税を課される人々に、自分達が「負って」いるものに気づかせ、それを社会に「お返し」するという意識を喚起する点にある。
そして、そういう税金コソ「徳をたてる税金」とはいえまいか。
そしてそれはある部分、「ソーシアル・ビジネス」の考え方と共通するものがある。