対なるもの

経済用語の中で、しばしば混乱が起きているのが、「デフレ」と「不況」の違いである。
インフレーション(物価上昇)とかデフレーション(物価下落)とかいうものは、「貨幣的現象」をさす。
それに対して、「好況」とか「不況」とかいうものは、「生産水準」とか「雇用水準」とかいう「実物経済」の内容を示す言葉である。
そして経済学のマクロ理論とは、「貨幣的現象」と「実物経済」が、どのように結びつくかという理論であるといってよい。
ケインズ経済学では、「デフレと不況」を「対なるもの」とし、「インフレと好況」を「対なるもの」とした。
そしてソレが、「一般理論」として定着しているため、同じものという混乱が生じているわけだ。
ところが、1973年に石油ショック以降、「インフレ下の不況」という、ケインズの「組み合わせ」にない「スタグフレーション」という現象がおきた。
それでは反対に、「デフレ下の好況」というものがあるだろうか。
かつてアメリカで農産物価格が下がることで経済社会全体の好況が促進されることがあったそうだが、長期的現象としてはホトンドみられない。
しかし今の中国では「デフレ下の好況」が現象化しているといってよい。
しかし、「インフレ下の不況」にせよ「デフレ下の好況」にせよ特殊事情の故に起きたため、やや特殊化した理論で説明する他はない。
ところで日本経済は今、「不況→デフレ→不況→デフレ」という実物経済と貨幣現象の「悪しきスパイラル」の只中にあることは確かなようである。
そして先日、ついに日本銀行が「インフレ・ターゲット」を導入することを発表した。
このたびのインフレ・ターゲット政策とは、日本銀行が今後「1パーセント程度」の緩やかな物価上昇(インフレ)を起こしていきますよ、という宣言なのだ。
日本銀行版の「マニフェスト」といっていいが、この場合「約束」ではなく「目標」(ターゲット)といった方が適切であろう。
このたびの「インフレターゲット」は、超低金利政策で十分に金融緩和をやってきたので、これ以上緩和して通貨量を増やしても、株や投資に金を回す人は少なく、あんまり「効果」がないといわれている。
つまり日本銀行は今まで盛んに金融緩和をやってきた上、今更それを「明示的」に数字で示したところで「どんな効果」があるのか、ということだ。
政府がインフレ率の具体的「数値目標」を示すという「アナウンス効果」にでも頼らなければ「不況脱出」が困難になってきたのか、あるいは表立ってナニカをやらないと「無策」という批判をアビかねない状況にきたのか、よくわからない。
経済活動の多くは「予測」によって動いているので、インフレターゲットは、人々の「予測の向き」に影響を与えて、望ましい「経済政策効果」を引き出そうというものである。
その望ましい「経済効果」とは第一に「不況脱出」「雇用確保」なのだが、貨幣的現象である「緩やかなインフレーション」が、どうして生産活動や雇用水準の向上といった「実物経済」に影響を与えることができるのだろうか。

日本政府は、多額の国債残高を抱えているので、雇用・物価・為替水準同様に「長期金利」水準に神経をトガラセている。
なにしろ、それがワズカ1パーセントでも上昇すれば、「国債費」つまり国債の利子負担がものすごくフクレアガルからである。
そしてこの「長期金利」と深い関係があるのが10年物国債の「利回り」だが、その「10年物国債」とは、毎年「一定額の金額」を利子として10年間モライ続けられる10枚の「クーポン券」付国の借用証書みたいなものと考えていい。
そして満期になると、国債を買った時の「元金」が返済されることになる。
国債の売買によって国債価格は変動するので、価格が下(上)がった時の「一定金額」の利子は、「率」としては上がる(下がる)ので、国債価格と利子率は反比例することになる。
この国債価格の利子率が、他の金融資産の長期金利を引っ張るため、国債価格が上がれば長期金利は下がり、国債価格が下がれば長期金利は上がるということなのだ。
日本政府が低金利政策を長期間とっているのは、景気対策や不良債権の消化を円滑に進めるというダケではなく、第一義的でにはこの「国債費」の増大への危惧によるものである。
では何ゆえにコレホドの「国債費」がカサンダかというと、知られざる「国債ルール」が存在した。
例えば「10年物国債」は、10年間利子を払い10年はらった後に、国が「元本」ごと返すものだと思い込んでいたら、全然違っていた。
それは「60年償還ルール」とよばれ、国債は新規発行時より60年かけて「全額」が償還されればイイというものだ。
例えば、10年物国債は10年後に償還されるべきものだが、この「60年ルール」のおかげで、10年後に償還される現金はソノ「6分の1」でいいというのである。
したがって残りの「6分の5」は、新たに「借り換え債」という形で発行される。
言い換えると、5回まで「借り換え」ができる。
だから「2年物国債」だと、こうした「借り換え債」の額は飛躍的に増加することになる。
その年の「税収」と同じくらいの「借り換え債」を発行するのだという。
だから国債発行が「雪だるま」式に増えていったのは、この「60年ルール」の存在が大きいし、長期金利の上昇によっては、「税収」をすべて国債費に注ぎこまねばならなくなるほど、胸突き八丁の状態にある。
そして、国債の売買に影響するのは、10年スパンの「期待物価上昇率」である。
なぜならば、毎年もらえる「一定額の利子」は、物価の変動の向きによってその実質的な価値が変動するからだ。
そして、このたびの「インフレターゲット」のように日銀が1パーセント程度で物価を上げるヨといってくれれば、「期待物価上昇率」もソレによって定まり、政府がある程度望ましいと思える水準に「長期金利」が決定することになる。
また、物価が下がり続けると、人々は「今後も物価は下がり、逆に貨幣価値は増え続けるだろう」と予測し、消費や投資を控え、通貨を「死蔵」しようとする。
その結果、お金はマワラズ経済は不況となり、倒産や失業が相次ぐようになる。
だから、重要なのは「物価が下落し続けるだろう」という人々の予測であり、コレカラは物価がアガッテイクという方向に「物価予測」の転換がなければならない。
これが、インフレ・ターゲット導入に最大のネライなのである。
だからといって「物価の加速」はサラにタチガ悪いので、適正な「物価水準の数値」までがアナウンスされる必要があるのだ。
またインフレ・ターゲットは「為替」にも良い影響を与える可能性がある。
日本は「輸出主導型経済」であるから、為替相場が円高のママでは大企業の業績は赤字続きで、裾野の中小企業も存続の危機にある。
「インフレ期待」が広がると、為替相場を「円安」方向に向けるために、景気回復効果をもつことにある。
ただ「円安」は「輸入物価」の上昇をもたらし、更なるインフレ要因として機能するために、「インフレの加速」が進むと、この政策の本来の意図をダイナシにナルことになる。

さて、大概の先進国がインフレ・ターゲットを早くから導入してきたのに、日本だけが導入を渋ってきたが、ようやく導入に踏み切ったのは、世界恐慌の権威・アメリカFRB(中央銀行)のバーナンキ議長の「押し」があってのことらしい。
最近日本で顕著な傾向は、金融政策に関してはアメリカの「お墨つき」がない限りは、何もできない金融的「属国」になりつつあることである。
日本は、中国についで「米国債」を大量に保有していて、中でもタクサン保有している財務省が米国債を売って日本円に換えれば、一気に「財政難」が解決できるのに、ソレは絶対にできないことらしい。
ところで、今日本の政策金利はスデニ極めて低いので、日本経済をコントロールする「手段」としては、通貨量の「量的な」調整しか残っていない。
ということは物価を上げる手段としては、お金が追加的に世の中に出回るようにしなければならない。
そして世の中に出回っているお金の量を増やす主要な方法は、日本銀行が機関投資家や金融機関が保有する「国債」を買うことによって追加的にお金を供給することである。
この時、日本銀行のバランスシートには、貸し方に「国への貸付金」たる国債が記入され、負債には新たに供給される「お金」が記入されることになる。
つまり、会計上は通貨と国債というものは、「対なるもの」なのである。
それを一番如実に物語るのが、日銀の内部ルールに「長期国債の保有残高は、銀行券発行高が上限」という規定があることである。
これって金の準備高に応じて紙幣が発行された「金本位制」を連想させるが、ヒョットしたら日本銀行券の価値の「裏づけ」というものは、日本国政府が発行した「国債」になるのだろうか。
そうならば、結構な「発見」になる。
根源的にいうと、あの紙幣という「紙切れ」になぜ「価値」が付与されているのだろう。
もともと、1899年から、1931年までの期間において、日銀は自らが保有する金との交換を裏づけに紙幣を発行していたが、その交換可能な量(金準備高)を超えて「現金通貨」を発行することはできなかった。
通貨保有者からの「請求」があっった場合に、これに対し金との交換で応ずることが不可能となるからだ。
この「金本位制」を離脱した今、この「金」にかわるような「実物価値」の保証はない。
それでは、1941年に「管理通貨制度」に正式に移行して以降は、紙幣は実質的な保証もないのに、ただ単に「価値あるモノ」と皆が思いこんでいるからコソ、流通しているにスギナイものなのだろうか。
そんなに通貨というものは、ハカナイ、タワイモナイ存在なのだろうか。
実際は、「通貨」というものに何らかの「信認」がなければ、世の中を出回ることはできない。
ではその「信認」の根拠というものは何なのだろう。
ここでひとつの「思考実験」として、「ナンバー・バンク」の時代にタイム・スリップしたい。
実は日本の銀行制度は、有力な資本家が出資した「私設銀行」(=ナンバー・バンク)が設立されていったことに始まる。
できた銀行の順番に「番号」がフラレていったので、「ナンバーバンク」という。
「ナンバースクール」(例えば、旧制五校:現熊本大学)は聞いたことはあるが、「ナンバーバンク」は聞いたことはないという人がホトンドかもしれない。
しかしその名残は今でも、第四銀行(新潟)、七十七銀行(仙台)、八十二銀行(長野)、十六銀行(岐阜)、百五銀行(三重)、百十四銀行(香川)、十八銀行(長崎)などの地方銀行の名前として残っている。
ちなみに、みずほ銀行は「第一銀行」を淵源としており、我が地元の福岡銀行は1945年までは「第十七銀行」であったのだ。
さて、この「ナンバー・バンク」の大きな特徴は、1876年の法改正により、発行紙幣が金貨や銀貨との兌換(交換)義務化がハズサレタので、実物的な価値保証を持っていなかったことと、ソレゾレが「独自の紙幣」を発行していた点である。
ではそうしたタクサンの銀行の紙幣の中で、どの紙幣が最も流通するかというと、「雲をつかむ」ような話ではあるが「一番信用」がある銀行、わかりやすくいえばツブレナイ銀行である。
ツブレてしまえば、ソノ銀行が発行した「紙幣」はテッシュにも価しないからだ。
それでは、どの銀行が一番信用できるかはソノ銀行の「資産内容」までも検討しなければならず、今のように情報が開示されているのならばイザシラズ、非常に判断が難しい。
しかし上記に述べた如く、会計的に銀行の「資産」つまり「貸付金」に対応して「独自の紙幣」を発行していくという仕組みだったとすると、第一次アプローチとしてはこの「貸付金」コソがその銀行が発行する「紙幣価値」を「担保」するものだと考えてよい。
つまりソノ銀行の信用度はドコニ金を貸しているかが、重要な「判断」材料なのである。
1882年に、他の私立銀行におくれて日本銀行が設立されるが、日本銀行は日本政府に金を貸し、その発行した通貨こそが日本銀行券(紙幣)なのである。
この日本銀行券のスタートは「金本位制」の確立(1897年)前であったので、この日本銀行の「信用度」は、日銀が金を貸した日本国政府の「信用度」ソノモノということに他ならない。
ということで、日本政府と日本銀行とは「対なる」ものなのである。
そして日本政府が発行する国債と、日本銀行が発行する紙幣も、やっぱり「対なる」ものなのである。
ということは、それまでのナンバーバンクの発行する「独自紙幣」に比して、日本銀行が発行する「日本銀行券」の信用度(通用力)がマサッテいるのは明らかでしょう。
なぜなら、日本政府はツブレナイ、つぶれそうになったら「強権的」な「徴税権」サエモ行使することができる「唯一の」機関だからである。
日本国政府に対する「信用」があるからこそ、それを担保として、日本銀行が日本銀行券を発行できるのであり、日本銀行の「資産内容」がすぐれているのは、それが日本政府に対する「貸し」(国債購入)だからである。
ところで今の日本で。消費税増税が、社会保障との「一体改革」として議論されているが、「歳出削減」ができずナオ必要な「増税」ができなければ、日本政府は借金の返済ができなくなるという「不信」が増長することになる。
国債が売られたり、国債の「入札割れ」までいけば、国債価格の暴落がおきてしまうので、ソノ担保の下で発行されている「通貨の価値」サエ消滅してしまう。
それにより日本銀行券の信用力も低下して、対外的に円売りがおき「超円安」となって、輸入物価の高騰がインフレーションを引き起こすこともあろう。
また国内的には次のようなこともおきうる。
「国の歳入」は租税と国債発行(借金)からなるが、政府の信用度が低下して予算に応じた「国債の引き受け」がナサレなければ、政府は一定の歳出内容を執行することができなくなる。
その為に、政府は最後の手段として財政法では禁じられているものの、「国会の議決」さえあれば実施できる「国債の日銀直接引き受け」に頼らざるをえなくなる。
国債の日銀引受は、「市中消化」のように通貨の引き上げによってなされるのではなく、新規の紙幣の印刷 によって行われる為に、世の中にでまわる通貨量が一気に増加することを意味する。
そして物価上昇が始まるとしだいに「インフレ・マインド」が定着し、さらに物価を押し上げるというハイパーインフレがおき、「通貨価値」はかぎりなくゼロに近づいていくのである。

さてインフレターゲットのように物価水準の数値目標を「アナウンスする」というのは、ある意味で政策当事者の「責任」を公に明確化にするようなものである。
日銀がコノ手の政策に積極的になれないのは、そのヘンに真相があるのかもしれない。
加えて、日銀の仕事のの本質は「通貨の番人」であり、少々景気を犠牲にしてでも「通貨の価値」を守るべきだと考える傾向が強い。
そのため、80年代後半のバブルが崩壊した後、日本では長期にわたってデフレが続いたにもかかわらず、金利を引き下げるという伝統的な(キカナクなりつつあった)金融政策に甘んじたため、不況がいっそうヒドクなったのである。
そして1990年代に北海道拓殖銀行、山一証券がなどが相次いで倒産し、さながら「金融恐慌」の様相を呈した。
この日本経済の危機に対して、マサチューセッツ工科大学の経済学者・ポール・クルーグマンが、インフレターゲットを提案したのが、この政策の実質的なオヒロメとなったのである。
さてこのインフレターゲット政策が、日本経済のデフレ解消・不景気脱出に効果がアルのかナイのか、今のところ「未知数」である。
だいたい、物価水準をネライどうりに「1パーセント」水準に持ち込み、それを維持するのは微妙なさじ加減が必要で、そんなナマヤサシイことではない。
そして、インフレターゲット政策の「有効性」は、何よりも人々の「政府当局」のヤル気と能力への「信用度」にかかっている。
逆にいえば、政府および日銀の「対なる信用度」が、これほどタメサレル政策はナイということである。