分身と影

小学生の頃、KBC洋画劇場で「何がジエーンにおこったか」という映画を見た。
記憶に定かではないが、心理的にトテモ怖い映画だった。(以下、記憶に誤りの可能性あり)
病床に身動きできない姉が横たわっている。そこに、徹底的に姉を苛め抜く妹がいた。
視聴者はこのヒドイ「妹」対して悪魔のような印象をいだき、一方的に「姉」に同情を寄せるのだが、最後に「衝撃」の真実が明らかになる。
妹は皆から注目される「子役」スターとなっていくのだが、その妹を事故に見せかけ怪我をさせ、「子役」から引きずり落としたのは地味な姉のほうだった。
ソレゆえに妹は「狂気」を宿したのだった。
最後に瀕死の姉は警察に助けを求めるのだが、映画のラストシーンで、狂気を発した妹が海辺の砂に戯れる姿が、妙に可憐にみえたのだ。
この映画の中の「姉」と「妹」とは、互いに「写し身」のようでいて、結局「己の影」に怯えていたのかもしれない。
心理学者のユングによれば、人間はある「自己イメージ」を選択すると、それに対立するイメージを「無意識」に抑圧するという。
そしてその抑圧した部分が夢に登場したり、生理的に受けつけない人物という形で、現実の人物に「投影」したりするものだそうだ。
だから人が、「憎い」と思って攻撃したくなるターゲットというのは、案外と「己の影」だったりするのかもしれない。

現在、北朝鮮と並んで、「核開発」をヤメナイ国として国際的な非難を浴びているのがイランである。
いわゆる「悪の枢軸」である。
アメリカのイランに対する「制裁措置」の決定が、我々の生活に影響が出てくる可能性が高くなってきた。
先日、アメリカはイランの核開発に対して「原油輸入制限措置」の法案を可決し、日本もそれにナラッて段階的に輸入を制限することになったからだ。
日本のイランへの石油依存は全輸入量の10パ-セント程度だが、折しも原発の多くが稼動停止になっている状況下で、石油価格の上昇は我々の日常の生活およぶばかりか、企業経営にも深刻な影響が及ぶことは避けられない。
それどころかもしも、イランが警告するようにホルムズ海峡が封鎖されるとなれば、この海峡経由で90パーセントの原油をタンカーで運んでいる日本からすれば、全経済が完全にマヒすることになる。
イランという国は、東をイラク西を親米のサウジアラビアにはさまれた国で、かつては「ペルシア帝国」が栄えたところである。
アメリカがこの段階で輸入制限措置を踏み切ったのは、アメリカのイラクからの「軍事的撤退」がイランに力の伸長をもたらし、アメリカ影響力の低下になりかねないからである。
ところが、かつての軍事独裁国家のイラクも、核開発のイランも、モトをただせば、アメリカが蒔いた「種」から育ったといっても過言ではないのだ。
つまり、アメリカは「己の影」に怯えているのだ。
そもそも「原理主義」なんて言葉も、モトを正せばキリスト教の「ファンダメンタリズム」から、イスラムの原点復帰運動に「転用」されたものなのだ。
また1980年代に日本の経済進出を「脅威」と感じバッシングたのは、アジア系の住民(インディアン)を殺戮して建国した「罪責感」の裏がえしである「黄禍論」にもとずくものである。
この時もアメリカは、自分に付きまとう「影」に怯えている。

ところでイランは、1979年のイラン革命がおきるまで、パーレビ国王のもと、アメリカからの援助を受けて「近代化」を進めてきた。
つまり、中東でもっとも「アメリカ化」が進んだ国だった。
このアメリカに対抗するかのように、ソ連は自国製の武器をイランのお隣のイラクに売って援助した。
そしてこの地域に一旦は、「アメリカ陣営のイラン」、「ソビエト陣営のイラク」という関係ができあがった。
ところがイランではアメリカの支援を受けたパーレビ国王の近代化路線によって、国内に「貧富の差」が広がった。
急激な近代化による社会的混乱に対する国民の不満から、「イスラム原理主義」を唱えるシーア派の指導者・ホメイニ師によるイラン革命が発生した。
このイラン革命によって、イランはアットいうまに「アメリカの敵対国」になってしまった。
そして、「イスラム原理主義」はアメリカを敵視することによってマスマス勢力を増し、アメリカはこれが他のアラブ諸国に広がることを警戒するようになった。
それは、この地域に巨大な石油利権をもつアメリカにとって絶対に許容できないことであり、「イランを牽制」するために、アメリカや他の西側諸国は「イラクを支援」するようになったのである。
ソ連はかねてから「親ソ政権」であったイラクにあらゆる方面で協力しており、また国内へのイスラム革命の飛び火も恐れて、イラクの最大の援助国だった。
これで、イラクが軍事大国化しないはずがないのだ。
1980年には、国境をめぐってイラクとイランが戦争を始めたが(1987年停戦)、一方、イランの軍備は長らく「親米政権」であったためにほとんどが「米国製」であり、これらを扱う技術者もアメリカ人であったが、全員が国外退去となった為兵器の整備や部品の調達が難しくなっていた。
この「孤立」がイランに核器開発を意識させ、そのイランに手を差し伸べたのが、リビアのカダフィ大佐だった。
アラブ諸国の多くはスンニ派(穏健派)や世俗的な王政・独裁制が多い為、「イラン革命」の輸出を恐れてイラクを支援した。
特にクウェートはペルシア湾の対岸にイランを臨むことから、積極的にイラクを支援し、資金援助のほか、軍港を提供するなどしたのである。
ところが1980年代にソビエトにゴルバチョフ大統領が登場し、東西冷戦が終結するやイラクのフセイン大統領は「もともと自国の領土」と主張して、クウェートに侵攻した。
これは冷戦終結による米ソの「タガ」が外れてことによる。
イラン・イラクのそれぞれのバックに大国がいれば、ソウソウ隣国を侵略はできるものではない。
我々は、イラクの故フセイン大統領が「悪の権化」のように報道されているを見てきたが、イラクの軍事独裁化への道は、「イスラム原理主義」を警戒するあまりアメリカ自身が舗装したものなのである。
アメリカはこのイラクを押さえ込もうと、他の西側先進諸国を誘って「多国籍軍」を形成し、1991年に「湾岸戦争」が始まった。
ところで、アメリカの産業界やマスコミ界のトップはユダヤ人が占めている為、1948年にパレスチナに建国されたユダヤ人国家・イスラエルは、いわばアメリカと「一心同体」な国である。
したがって、アメリカ的文化を一切拒否する「イスラム原理主義」のイランとは、最も「先鋭的」に対立している。
この中東に、アメリカがいわゆる「アメリカ」を輸出したことが、アメリカ自身の「分身」でもあるイスラエルを通じて、「己の影」とでもいえるイランやイラクと緊張関係を続けてきたということだ。
この「緊張関係」が妙にアメリカ国内のユダヤ系が占める軍事産業の資本家(ネオコン)を潤しているのだから、なんともヤヤコシイ話である。

ところでユダヤ人国家のイスラエルは、アラブ人国家に囲まれた形で地中海に面して存在しているが、歴史をふりかえるかぎり、自分を射程とするような「核の開発」をイツマデモ見過ごすことは絶対にアリエナイ。
2007年のシリア核施設が、イスラエル空軍によって空爆されたのは記憶に新しい。
この時は、サイバー攻撃でシリアの防空情報システムを撹乱したうえ、攻撃している。
イスラエルの首相が2008年に来日して福田首相と会談した際、イスラエルが空爆したシリアの軍事施設についてふれ、「北朝鮮の技術支援を受けた核関連施設だった」と説明している。
首相は、空爆した核関連施設について「北朝鮮から設計情報や技術者の派遣を受けて建設中だった」などと説明し、イスラエルの情報機関モサドが収集した北朝鮮情報などを福田首相に提供し、連携を呼びかけたとされる。
フセイン大統領時代のイラクは「無法国家」として世界的に「孤立化」してきたようであるが、「孤立」の長さということになれば、イスラム過激派が大きな力を握っているイランの方である。
そしてイランは、同じく孤立して核兵器開発を進める北朝鮮とも関係を築いている。
また、イスラエルが行った核施設破壊では1981年に行った「バビロン作戦」というものがあった。
1981年6月7日、イスラエル空軍機はヨルダン・サウジアラビア領空を侵犯してイラク領に侵入し、イラクが「フランスの技術」で建造していた原子力発電所を空爆して破壊した。
これがいわゆる「バビロン作戦」であるが、紀元前6世紀にユダヤ人が国ごとバビロニア(現在のイラン)に拉致された(バビロン捕囚)という歴史的因縁を思いださせる「作戦名」だった。
今現在、このイスラエルがイランの核兵器施設の「電撃爆破」の行動にでる可能性が高まっている情勢にあるといってよい。
最近のアメリカのNBCニュースでは、「ジェームスボンド」並みの「暗殺工作」が起きているのが報道され、その「緊張」の高まりを伝えている。
イランの首都・テヘランで通勤途中の核科学者が暗殺されたが、この日の白昼堂々と行われた暗殺は、まるで映画のワンシーンのようだったという。
標的になったのはイランの「ウラン濃縮」のサイトで働いていた、32歳の科学者である。
目撃者によると、オートバイに乗った2人組が背後から近づき、磁石付の小型爆弾を投げつけ、車の流れの中に紛れ込んで逃走した。
この直後に爆発が起き、科学者とボディーガード兼運転手の二人が殺害された。
さらに、2週間前にもイランの別の核科学者が暗殺されています。
昨年11月最初の1人が殺害され、これまでミサイルの専門家を含むイランの核実験施設の関係者5人が殺されたことになる。
イランは、イスラエルと米国を非難する声明を発したが、イスラエルの秘密情報機関であるモサドは犯行認めていない。
イランとの関係でも、アメリカは「自国の影」に悩まされていることになる。
グローバリゼーションの時代とは、軍事面とは限らず経済面でもアメリカが世界中の「己の影」を相手に戦いを続ける時代なのだ。
それはアメリカが、市場万能主義にもとづき「サブプライムローン」という鬼子を世界中にちらし、欧州の信用不安にを引き起こしていることに最もよく表れている。
アメリカは「己の影」との戦いに疲弊し衰退していくだろうが、その中のヒトニギリが国家を犠牲にしてまでも「一人勝ち」する可能性は充分にある。

今日(1月15日)テレビで山崎豊子原作の「運命の人」が始まった。
沖縄返還交渉の裏側にあった「密約」の機密漏洩という実際の出来事をモデルとしたドラマだ。
1972年に、「核抜き・本土並み」をうたって実現した「沖縄返還」だったが、その裏で、「有事の核の再持ち込み」を認める「密約」が、日米首脳の間で取り交わされていたという。
沖縄返還協定に基づいて、日本は総額三億二千万ドルを米国側に支払った。だが、その中には本来、米国が負担すべき軍用地復元補償費などが含まれていた。
それ以外にも「秘密枠」が存在し、莫大な金を日本が積んだ。
自民党政府は長く沖縄返還に際してアメリカとの「密約はない」と言い張ってきた。
この自民党時代の「密約」(1971年)の内容は、民主党政権になったことが大きく、当時の岡田外務大臣がソノ公開を外務省に命じたことによって明かされたものだ。
そして、沖縄の本土返還の裏にいた若泉敬という「影の男」の存在もクローズアップされるようになった。
若泉は、「ヨシダ」というコードネームを使って、佐藤栄作首相の「密使」として水面下で沖縄返還のための対米交渉を担当した。
キッシンジャー大統領補佐官との水面下の息をのむ交渉は、1994年に刊行された若泉の回顧録「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋)に書いてあるらしい。
この本で、日米交渉と密約の問題を世に問うた時、当時の外務省は「済んだこと」ととり合わなかった。
その交渉の際、「密約は返還のための代償だ」として佐藤首相を説得し、密約の草案を作成したのが、首相の密使、若泉敬だった。
若泉が「密約」を公表したのは、沖縄返還の代償として結んだ密約が、結果として「基地の固定化」につながったことに苦悩し、沖縄県民に対する自責の念に押しつぶされそうだったからと推測されている。
若泉は、沖縄が真の意味で「本土並み」なることを期待していたが、アメリカは、ベトナム戦争を遂行するために、どうしても沖縄が必要だった。
基地を縮小したり、その使用に大幅な制限をかける「本土並み返還」など、頭から考えていなかった。
そして沖縄返還のためにはアメリカ側から「核施設」がどうしてもここになければならないムネをつげられる。
ところが本当は、当時すでに「核兵器」は原子力潜水艦に搭載しており、ドコカラでも撃てるようになりつつあり、いつも沖縄に置いておく必要はなかったのだが、日本から多くの「譲歩」をひきだすために「核撤去」を交渉の材料に使ったのだ。
つまり、沖縄の基地の自由な使用を最大限求めるということと、核兵器の撤去を検討するがその際、有時には核兵器の貯蔵と通過の権利を得るという条件をつけるというものだった。
つまりアメリカは日本側をこれを認めなければ「沖縄返還」はないという形で追い詰めたのである。
また、ベトナム戦争への巨額な出費が負担となっていた当時のアメリカ政府の厳しい財政事情があった。
アメリカ議会では、返還に伴う財政負担は、日本が支払うべきだという声が大勢を占めており、返還によって日本には1ドルたりとも渡さないことを旨としていた。
そして上述のような日本国民には知らされない巨額のお金が支払わされていたのである。
佐藤首相(当時)の密使として、沖縄「返還」交渉にあたった若泉敬は、「返還」20年を記念してひらかれたシンポジウムで、アメリカの「真実の意図」を初めて知り、愕然とした。
このことを明らかにしたのが若泉の交渉相手であり、アメリカ留学時からの友人でもあるハルペリンという人物だったからナオサラだった。
つまり、「核問題」は沖縄返還交渉(本土並み復帰)のいわばメクラマシまたはダミーのようなものだった。
アメリカは、日本側の非核三原則を最大限に利用し、沖縄を「返還」する条件として米軍基地を固定化し、より自由に使えるようにしたというものだ。
沖縄返還交渉は、アメリカの完勝・日本の完敗だったのだ。
若泉は、故佐藤首相宅に通ってその首相在任中の日記を閲覧し、沖縄についての佐藤首相の真情のこもった言葉を探したが、それを一言も見出すことができなかったという。
若泉は絶望感を深め、米兵の少女暴行事件が起きた1995年の翌年、自著の海外出版の契約を交わし、さらに次の年に亡くなっている。
すでに癌に冒されていた若泉だったが、青酸カリによる自死と伝えられている。