ゆるかわ現象

高校時代の古文で、とても印象に残ったのが、「堤中納言物語」の「虫めづる姫君」である。
この現代的にも「含蓄ある」物語がもっと注目されてしかるべきと思うのだが、今のところそんな気配はない。
現代語訳で紹介すると次のトウリである。
//蝶が好きな姫君のお住まいの隣に、按察使大納言の姫君のお住まいがあります。そのへんの姫君なんか比べ物にならないくらい、ご両親が大切になさっています。
この姫君のおっしゃることったら、”人々が花よ蝶よともてはやしているのこそ、あさはかでバカバカしいことだわ。人間たるもの、誠実で物事の本質を見極めようとする者こそ心ばえも立派なの”といった事ばかり。
いろいろ不気味な虫を捕まえては”これが成虫になる様子を見るのよ”と、様々な虫をかごにお入れになっています。
特に、毛虫が思慮深げにしているのが可愛らしい、とのことで、明け暮れ髪を耳にかけて、毛虫を手のひらの上に這わせてじっと見つめておられるのです。
若い女房達は怖がって大騒ぎするので、男の童で怖がったりしない取るに足らない低い身分の者を召し集めて使っています。
箱の中の虫を取り出させ、名を調べ、新しく見つけた虫には名前をつけて、面白がっているのですよ。
”人間はすべてありのままがいいのよ。取り繕ったりするのって良くないわ”と言って、眉毛を抜いたりなさいません。
お歯黒なんかも”うっとうしいわ。きたならしいし”という事でお付けにならないのです。
白い歯を見せて笑いながら、この虫たちを朝な夕なに愛しなさいます。
女房達が怖がって逃げるので、姫君のお部屋の辺りはいつも大騒ぎなのです。
このようにおびえる人を姫君は「うるさいわ。はしたない」と言って、たいそう黒い眉をしかめて睨みなさるものだから、女房達はおどおどしっぱなしです。//
ツイニは、「かたつぶりのぉ~、角の争そふやぁ~、なぞぉ~」などと吟唱なさるこの「姫君」に対して、「姫さまの眉毛、毛虫に似てない?」とか「そうそう、そして歯茎は毛虫の脱皮、といったところよね」とか「冬が来てもとりあえず着る物には不自由しないわよね、もこもこした毛虫だらけのお邸ですもの、いっそ衣なんかも着ないでおればよろしいのに」ナンテ陰口もエスカレートしていく。
ところがそんな姫君を愛する貴族が現れる。
この貴族は「はふはふも君があたりにしたがはむ長き心の限りなき身は(「這いながらも貴女のおそばによりそっていようと思いますよ。長く変らぬ心を持っております私ですから」)という洒落のキイタ愛を告白するのである。
平安の世に、単純に「美しい蝶」を愛でる姫君よりも、ひたむきに「さなぎが蝶になる」プロセスを観察する「姫君」をイトシイと思ってくれる貴族がいたのである。
つまり、「かわいい」というのは、単純な「子供っぽさ」を表す言葉ではなく、「いとおしむ」心からくる心のやヒダやカゲまでも含むものではなかろうか。
我が家の娘はマンションの下に住むオジサンが、自分が好きなバイクをアキズに磨き上げているの姿を見て、「カワイイ」と表現していた。
そういうヒタムキな姿もカワイイののだろう。
古来、日本人は花鳥風月を友とし、季節の微妙な移ろいを感じとりながら、自然の美しい風物を「愛でる」感性に溢れていたのである。
また「虫めでる姫君」にしばしば登場する「愛でる」という言葉コソは「めでたい」に繋がるし、現代の「日本kawaii」にも通じる言葉ではなかろうか。
その意味でも、「虫めでる姫君」は現代的含蓄に富んでいるし、それは古語の「ありがたし」が「Mottainai」と表裏に似た関係の言葉であることにも思いが至る。
ところで、日本語で「かわいい」は、英語で「Cute」と訳されることが多いが、あえていえば「Cherish」(「慈しむ」)という言葉のニュアンスを含んでいる。
日本人は何でも「小さく」しようとする傾向があるが、その理由を土地や居住空間の「狭さ」に求めるのは少し違うように思う。
例えば、茶室をナゼわざわざ小さくするのか、ソコには何らかの「美意識」が横たわっているからではないか。
つまり「小さく」まとまって、「愛でる」ような気持ちにさせるモノこそ「めでたい」のだ。
実は「愛でる」ためには、「小さく」するのが一番なのだ。
できることならば、ゆるされることならば、「手の上に」乗せるくらいにして、慈しみたいという思い。
これが、扇子や小箱、茶室などに見られる「縮み志向」を生んだのではないだろうか。
小さくすることによって、「手塩にかけて」育ててみたい。つまり「愛でたい」は、モノを大切にしようという「Mottainai」にも通じる言葉でもある。

ところで「日本カワイイ」は、いまや「日本の海外経済戦略」のキー・コンセプトである。
世界で「カワイイ」として評価が固まりつつある分野を積極的に賦活していくことに、日本経済の新たな「活路」を見出そうというものである。
日本には長年培ってきた茶道や華道、伝統工芸、洗練されたデザイン、現代アートや建築、独自のファッション、マンガやアニメなどがその資源である。
日本人が、カツテのお家芸であったモノ作りに少々自信を失いカケつつある一方で、或る「日本ならでは」の魅力が世界を席捲している。
その魅力の海外発信の担い手は、しばしば「内向き」といわれる日本の「若者達」であることは、少々皮肉なことではある。
どちらかというと、内向きの若者コソが、新たなビジネスコンテンツの担い手となっているということだ。
ひところ「クール・ジャパン」という言葉がはやったが、そのクールジャパンも、少なくともアジア圏では「クールコリア」に押され気味である。
ドラマや映画、音楽は韓国の人気が日本を上回っている。
それは、例えば日韓の人気俳優を比較しても、日本では木村拓哉しかランキングの上位に入っていない。
しかしアジア市場において、アニメやゲームは日本が依然「主導権」を握っており、それはヨーロッパではますます広範な広がりを見せてる。
アニメやゲームの主人公から生まれた「日本カワイイ」が「クール・ジャパン」に替わる「経済戦略」となった感がある。
そして、実際に「Kawaii」が「国際語」ともなっている。
つまりこれから高付加価値は「日本ならでは」のカワイサやメデタサということである。
そしてこの「日本ならでは」は、仮想現実の世界にもっともよく表現されている。
「日本カワイイ」とか「愛でる」文化というのは、世界の若者をひきつける日本のアニメの中に溢れてる。
おそらく「Kawaii」は、この日本アニメの普及から広まっていったものだろう。
日本人はいまや「現実世界」のモノつくりよりも、「仮想世界」のモノつくりに、他の追随を許さない領域を確立しそうな勢いである。
そして、これらのコンテンツの「輸出」がブーメランのように海外から「観光客」を呼び起こせることになる。
ちょうど日本の「冬のソナタ」で撮影スポットのツアーで沸いたように、日本の「アニメ」は、どの場所でそのシーンが描かれたのか、ソノ場所を確認する若い外国人を招き寄せているのだ。
東京のフィギュアが集まる中野ロードや池袋の乙女ロードには、日本のアニメの衣装で身を包んだ外国人の姿が目に付く。
だから従来、マッタク陽があたらなかったようなクスンダ場所が、「聖地」と化し、観光地化されていっている。
これを「萌えおこし」とよぶらしい。

「日本かわいい」と近接した現象として、各地で人気になっている「ゆるきゃら」マスコットの人気が上昇している。
「ゆるキャラ」の提唱者であるみうらじゅんは、あるキャラクターが「ゆるキャラ」として認められるための条件として、次の「三条件」を挙げている。
郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。
ちなみに、全国の「ゆるきゃら選手権」(2013年)でのインターネット投票のランキングは次のとうりである。
1位 愛媛県今治市 バリィさん/ 2位 山口県 ちょるる / 3位 群馬県 ぐんまちゃん/ 4位 栃木県佐野市 さのまる/ 5位 埼玉県深谷市 ふっかちゃん/ 6位 島根県 しまねっこ / 7位 静岡県浜松市 出世大名家康くん/ 8位 岐阜県岐阜市 やなな / 9位 神奈川県厚木市 あゆコロちゃん/ 10位 大阪府箕面市 滝ノ道ゆずる /
九州勢がはいっていないのは残念にも思えるが、2012年に1位となった「くまもん」はエントリーを辞退しているところが、「ゆるきゃら」らしくて奥ゆかしい。
ちなみに、2012年の7位には北九州の「ももまる君」が入っていた。
「ゆるきゃら」の大先輩として「キティちゃん」が思い浮かぶ。
ハロー・キティは近年よく登場する「日本KAWAII」の一つの代表であると同時に、「ゆるきゃら」マスコットにちょうど「橋渡し」するような存在ではなかったであろうか。
この「キャラクター」を帯びた製品は、世界市場で通常の「何倍もの」売り上げを見せてきた。
現実の人間で「かわいい」と「ゆるきゃら」を併せ持つ存在として人気を博しているのがキャリーファミュファミュさんではなかろうか。
キャリーファミュファミュさんは、個人的にも「特別な存在」である。
なぜなら、朝方職場に行って活舌が悪いことに気づくと、「マサチューセッツ工科大学」と「キャリーファミュファミュ」を早口で繰り返し発声することを常としているからだ。
しかし、このキャリーファミュファミュさんは、ゆるきゃらどころか、いまやヨーロッパでは「揺るぎない」存在となっている。
今年2月キャリーファミュファミュさんによる、約4 ヶ月にわたるワールドツアーがベルギー・ブリュッセルのライブハウスを皮切りにスタートした。
会場となったライブハウスは、ブラーやフランツ・フェルディナンド、最近ではKISS も使用するライブハウスでるという。
「きゃりー!きゃりー!」の声援が飛び交い、ファンの熱気が最高潮に達したとき、ライブの幕が切って落とされた。
4名のダンサーを引き連れ、MVの「PONPONPON」 の衣装で登場したきゃりーの姿に、800人のファンからはどよめきと共に「カワイイ!」の歓声が上がった。
「PONPONPON」は前に行った2回の公演での反響が大きかったことから、本人の希望で同曲を1 曲目に披露することが決まったのだという。
基本は日本語で観客に語りかけ、それが通訳されるというものだが、日本語の歌詞を一緒に熱唱している人々もいた。
さらに数日後のイギリス・ロンドンでのコンンサートも大盛況であった。
イギリスでの「日本カワイイ」人気は年々高まっており、昨秋開催された同イベントは4万6000人を集客した。
そうした日本ファンの中で最も名前が浸透し、人気が高いのが「きゃりー」なのだという。
ロンドンではビッグベンを観光したことや、ロンドンのファンに会えて嬉しいことなどを話すと、瞬時に反応が返ってくる。
緊張のかけらも見せず、マイペースにステージを進め、いつの間にか観客をすっかり「きゃりーワールド」に引き込んでしまったという。
中盤を越えたあたりで、新曲「にんじゃりばんばん」を披露した。
この曲は、いかにも海外進出を意識して作られたもので、「忍者」風の衣装を身にまとって歌った。
オリエンタルな音色と振付に場内は観客を魅了し、その反応の良さから、人気曲「PONPONPON」、「ファッションモンスター」、「CANDY CANDY」に加え、新たな人気曲が加わったことを確信できるものとなった。
キャリーファミュファミュさんは約2時間のステージで20曲を熱唱した。
ステージを去った後は、恒例のアンコールのためのきゃりーコールが鳴り止まず、ワールドツアーのTシャツに「着替え」すさまじい盛り上がりにうれしそうな表情を見せながらステージに戻ってきた。
「みんなにお願いがあります!ここにいるみんなで写真をとってもいいですか!!ワン、ツー、スリーでいきますよ!」と記念写真を撮影し、最後に「つけまつける」を大合唱した。こうしてヨーロッパ公演は大成功のうちに幕を閉じた。
これまで、海外展開というと、日本での地盤を固めてから、というアーティストが大半の中、きゃりーの場合はデビューからわずか1年半でワールドツアーを行うという極めて珍しいケースとなった。
それについて、所属プロダクションの社長は、「今、日本でいいと思われているものが世界でもいいと思われているわけだから、日本でやっているそのままの形でやってみる。
それが今の速度に合っていると思う」と語った。
今の情報伝達のスピードの速さを考えると決して「時期尚早」ということはないということである。
ところで、ヨーロッパできゃりーの「認知度」が飛躍的に広がったのは、昨年12月に発行されたイギリスのファッション&カルチャー誌の表紙モデルに起用されたことがきっかけだったようだ。
現地アーティストや有名シアターとのタイアップ等がない限り、日本の音楽やエンタテインメントがメディアで取り上げられることはかなり難しく、「異例」のことであったらしい。
以前、ある新聞の第一面記事で、仮想歌手の「初音ミク」が紹介されたことがあったが、他のどこの国も作り出せない「日本ならではの独創的な存在」であることが掲載された理由であるという。
今回のツアー中にフランスのテレビ局カナルプラスの番組に出演したのも、彼女が「日本ならでは」の存在であることが認知されたためである。
カワイイとユルイが微妙にブレンドした「きゃりーぱみゅぱみ現象」である。
言い換えると「ゆるかわ現象」とでもいえるのではなかろうか。

キャリーファミュファミュは仮想現実から飛び出してきたような存在でもある。
人気の秘密は、現実世界ではなかなかかなえられないかもしれな夢や潤いを与えているからかもしれない。
人間は仮想と現実を区分けするけれど、現実を仮想(想像の世界)に置き換えたり、反対に仮想を現実のように思い込んだり、「仮想」と「現実」を行き来しつつこの世を認識しているのではなかろうか。
将来に抱く夢なんていうけど、そのほとんどの夢は現実的といえそうもない場合が多い。
それは「仮想現実」の夢のようでもあり、「仮想現実」の夢やファンタジーが、現実を生きる力となりうるのだとしたら、それはとても「現実的」要請にかなうものであるといえまいか。
また今日の世界の人々は、生き馬の目を抜くマネーゲームやテロの蔓延といった殺伐たる世界の中で、優しくハッピーな「Kawaii」にくわえ「Yurui」に癒しと安らぎ求めているのはなかろうか。
日本経済の巻き返し、曙光の一点は「YURUKAWA」にあり。